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第1章 サファイア姫の失踪

00: ディドリームビリーバー

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 目前の交差点の信号が赤に切り替わろうかというタイミングで、僕は側にあった建物の日陰に入って、それ以上進むのを止めた。
 太陽が熱すぎるからだ。

 そのタイミングで、耳に突っ込んだイヤホンから忌野清志郎のデイドリームビリーバーが流れ出して来た。
 ランダム再生に設定したこのオールディーズコレクションに、以前は1960年代の元歌を入れてたけど、モンキーズの曲はあまりにも甘すぎたし、日本語だと言葉の意味がストレートに判るので、清志郎のに替えていた。
 でも暫くしてから、清志郎のデイドリームビリーバーに登場するクィーンが、亡くなった彼の母親の事だって知ってちょっとショックだった。
 だって僕は、デイドリームビリーバーの「愛するクィーン」は、彼のカノジョの事だとずっと思っていたからだ。

 デイドリームビリーバーの「そんで」の所で、僕は建物に反射材を見つけて、自分のスタイルのチェックをした。
 特に気になっていたのはヘアースタイルだ。

 僕は、鏡の前で自分の前髪の位置をずっといじってるようなヤツを見ると、その後頭部をパカーンと殴ってやりたくなる性格だが、その反作用か、キチンと整えられた髪がダメなのだ。
 かと言って、これから女の子に会うのに、寝癖が付いた頭ってわけにも行かない。
 ようはさりげなくだ。
 さりげないヘアスタイルを作るために、鏡の前で数十分過ごすのは、自己矛盾してるとは思うのだけど、それが僕らの年代の特徴なんだろうと僕は勝手に思ってる。

 デイドリームビリーバーが、クィーンに『ずっと夢をみさせてくれてありがとう』と感謝をする下りで、信号が青に変わり、僕は日陰から出て前に進んだ。

 でもそれ以上、前に進めなかった。
 交差点に、西側から救急車が入ってきたからだ。
 西側と言えば、この道をその方向にずっと行けば、僕のバイト先でもある探偵事務所の側に出る。
 でもまさか、あの所長が、救急車に厄介になる筈がなかった。
 おそらく熱中症にかかった人が、運ばれているのだろう。
 、、まだ日も昇りきっていない時刻だというのに、今年の晩夏も、そんな暑さだった。


    ・・・・・・・・・

 俺の身体は全く動かないのに、視聴覚器官だけはまだ生き残っていた。
 どうやら全身の神経の配線がズタズタになったらしい。
 が、いい事もある。
 これで痛覚が生きていたら、俺は痛みの無限地獄の真っ只中にいるはずだ。

 でも仰向けにストレッチャーに乗せられて、見覚えのあるこの病院の緊急搬入口を見上げた瞬間、俺はマズイ!と思った。
 ここは、兄、宗一郎の息の掛かった私立大病院だったからだ。
 普段でも俺は、兄貴に引け目を感じながら生きているというのに、その上、こんな病院でお世話になるような事になったら、俺は一生、兄貴に頭が上がらなくなる。
 しかもここは、姪の香代がいる病院なのだ。

 兄貴が植物人間状態に陥った自分の可愛い娘を、自らの影響力が及ぶこの大病院に入院させたのは分かる。
 だが、俺は別だ。
 今までの俺と兄貴の確執を考えたら、この処置は無理筋だ。
 もちろん、俺をここまで運んでくれた緊急隊員達が、そんな事を考えて、病院の選定をする筈がないから、運が悪いのは、只々、俺の持って生まれた星のせいなのだが。

 それにしても、俺がこんなにボコボコにやられる原因の発端となったのが香代で、その香代が入院している病院に運び込まれるとは、、。
 つくづく俺は、運の悪さと、腐れ縁に、とことん見込まれた男と言える。
 俺のことを、涙目探偵とあざける野郎共に言っておきたい、お前ら、こんなに四六時中ツキに見放されて、タフでいられるのか?と。

 これで俺が、植物人間の状態にでも陥ったら、俺は自分の手持ちカードの「運の悪さ」と「腐れ縁」の他に、「疫病神」の存在を付け加える必要があるだろう。
 そして多分、俺の「疫病神」は特別仕様で、この病院の大脳生理学の臨床医である江夏由香里先生みたいなエロい顔をしていて、人が災難の海に沈没するのを見て楽しんでいるのに違いない。

 ここで最近の植物人間の治療事情について、一つ付け加えておく。
 重度の脳損傷を受けた人間は、いわゆる植物状態や、最小意識状態に陥る場合がある。
 香代がそうだ。
 そういった人間は、言葉を発したり自分の意思で体を動かすことができず、自分の周囲の世界も認識していないように見えるものだ。

 ところが近年の神経科学は、そんな患者達でも、一部の人間は、ある程度の意識を維持しているという事実を、一つの新しい技術で証明して見せたのだ。
 それは、脳領域を結ぶさまざまなシナプスネットワークの連結を感知分析し、これに繋いだコンピューターを使って、開かれざる患者の意識に外部の人間が接続を試みるという技術によってなされた。

 この基盤になるシステムを開発したのは、実家がヤクザ稼業という一風変わった学者だった。
 その名を保海源次郎と言って、俺はこの学者に、仕事の関係で昔一度あった事がある。
 システムの正式名は、集合的無意識仮想現実Collective unconscious virtual reality・ワールド・ワイド・ウェブWorld Wide Web、略してCUVR・W3というらしい。
 このCUVR・W3を基盤に、医療用のシステムを組み上げたのが、江夏由香里先生だった。

 もちろん、医者がこれを普通にやって、患者の病状改善の為に役立てるなら何の問題もない。
 だが我が疫病神、江夏由香里先生は、モンスターだった。
 彼女は自分が中心になって組み上げたこの医療補助システムを、密かに「ザ・ゴォーク」と名付け、その運用を自らの楽しみに転用していたのだ。
 もちろん、俺がその秘密を知っていたのは、俺が探偵で彼女の秘密を調べ上げていたからだ。




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