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2: 蓮台野曲がり屋
しおりを挟むリョウがランクルから飛び出て背伸びをしてから、クルリと振り返り、まだ車にいる俺に向かって言った。
「遠野かぁ、、。やっとついたね。ここって柳田國男が書いた遠野物語で有名だよね。今でも妖怪とか出るのかなぁ。」
「出るかもな、田舎の妖怪は、まだすれてないから人間に興味津々なんだよ。でも勘違いすんなよ。奴らが人間に出して来るちょっかいは結構キツイぜ。」
そんな冗談を言って俺は車を降りた。
数ヶ月ぶりの再会だというのに、佐々木茂助老との出会いは極めてあっさりと終わった。
玄関先での挨拶は、四駆のエンジンが冷える暇もなかった程だ。
車を止める空き地だけはたっぷりあった。
俺は真っ赤な実とライトグリーンのへたを持つタカノツメがびっしり詰まった箱棚の横に愛車を止めていた。
リョウは挨拶を交わす俺達から離れて、その宝石のような野菜の彩りに見取れていた。
オーバーサイズのボマージャケットの下からすらりと伸びたスリムジーンズの脚が、どう言うわけか、やけに色っぽかった。
そんなリョウの近くには柿の木が植わっていた。
柿の実の橙が目にしみる。
紅葉もそうだが、緑が主体の背景の中にあって朱や橙が点在すると、その事自体が極めて愛おしく、美しく見えるものだ。
盆地の周囲を取り囲む山並みの色が濃い、、予想通り、昼を随分過ぎた到着になってしまった。
「婆さんが寝込んでしまって、なんのもてなしもできんのです。儂の兄のとこへ案内します。なに、、話はもう通してありますんで。」
簡単な荷物を肩にかけ、茂助老の後をついて歩きながら、俺は二つの事を後悔し始めていた。
一つめは泊まって行けという申し出を断らなかった事、確かにこれから京都にとって返すのは辛いが、途中どこかの民宿なら飛び込みでも泊めてくれた筈だ。
依頼結果の報告自体は、すぐに終わるのだ。
そして二つめの後悔は、俺達が田圃の畦道や畑の横の農道を継いで、雑木林の中に入り込んだ時に始まった。
おそらく地元の人間しか判らぬ近道をしているのだろう。
しかし人家らしいモノがどこにも見えない。見えなさすぎる。
ならば今の様子から見て、目的地までは相当な距離の筈だ。
都会暮らしの俺達と爺さんとでは距離の感覚が違うのだろう。
老人に四駆に乗ってもらって彼の案内で、その兄の家まで行くと提案すべきだったのだ。
地元の人間には容易い移動距離でも、遠距離ドライブを続けて来た後の「街の人間」にはつらいものがある。
現に何度か、俺達の先を行く老人の丸くなった背中を見失ったことがあった。
急速に暮れなずむ林の何処かで、もう林というより森に近かったのだが、、鴉が禍々しく鳴いていた。
いや、聞くところによると遠野の河童は、赤い顔をして鳥のように鳴くそうである。
ひょっとして今鳴いたのは・・・そんな想像をしても、ちっとも不思議ではない、なんだか神聖な感じのする夕暮れの道行きだった。
そして再び、木と木の間が広くなったころ、朽ちかけた祠があった。
それを、合図にしたかのように『あそこです。』と、茂助老の指さす林の切れた方向に、非常に大きな旧家が、闇に眠る黒牛のように蹲っているのが見えた。
長い道行きが終わると知って、俺とリョウの歩くスピードに心持ち勢いがついたが、それもつかの間だった。
なぜなら祠の前を横切ったとたん、冷水を浴びせかけられたような悪寒が身体に走ったからだ。
そしてその後、エレベーターにも乗らぬのにストンと「墜ちて」ゆく感覚を味わった。
俺はこちらを驚いたような目でみるリョウの顔を見て、この感覚が同時に二人を襲った事を理解した。
今、俺達は何かの境界を超えたのだった、、、、。
「それでは又、夕食後に参ります。儂は婆さんの面倒をみんといかんのでな。案内は甥の嫁がしますので。」
茂助老はそう言って暮れかける森の中に去っていった。
そして確かに夕暮れの乏しい光量の中、割烹着を着た一人の女が、旧家の大きな玄関の前に佇んでいるのが見えた。
その周りで動きの鈍くなった鶏がほっつき回っている。
「おいあれ、玄関の柱の横にあるの、、ノーシンの宣伝琺瑯板だぜ。」
「なんだかタイムスリップしたみたいだね。懐かしいような怖いような、、。」
「馬鹿言え、こんな光景、俺だってテレビや映画しか見たことない。お前なんか影も形もなかった筈だ。」とは言っては見たものの、俺はリョウにまったく同感だった。
特に『怖いような』という辺りがだが、、、。
まあ勿論、怖いと言えば、やくざまがいのダークスーツを来たやせぎすの男と、田舎じゃTVの中でしかお目にかかれないような若い「ニューハーフ」もどきが、お互いの肘を突き合いながら林の中から登場する絵も相当なものかも知れなかったが。
「ようこそ、、。暮雪と申します。茂助さんから聞いております。分家のえむすめの事で、色々とご尽力して下さったとか、なにもお構いできませんが、ゆっくりしていって下さいねぇ。」
そういう暮雪さんに案内されて、上がりがまちまで来ると、そこには皺だらけの置物みたいに見える典型的な「婆さん」が、ちょこんと座って俺たちを待っていた。
「梅香さん。お二人をお部屋にご案内して。」
暮雪さんは俺達が脱いだ靴を靴箱に入れながら、その婆さんに指示をした。
暮雪さんは、所作の一つ一つが艶やかで、とても田舎の旧家に、一つの労働力として嫁いできた女性とは思えなかった。
「もうすぐ夕飯の支度が出来ますからね。時間が遅いですから、お湯は食事の後で直ぐに入れるようにしておきます。」
「えぅ、、いや、、そんな面倒かけていただかなくても、食事だけで充分です。」
俺は柄にもなくドギマギしてしまった。
「お嬢さんは、殿方の後でね。何しろ古い土地柄でしょう、、我慢してね。」
暮雪さんは、それ以上は俺にかまってくれず、家の様子をまるで博物館に来ているように不躾にきょろきょろと観察しているリョウに話しかけた。
リョウは「お嬢さん」と言われた事が、余程嬉しかったと見えて、返事もせずに、小さな子供みたいに激しく頷いていた。
長い廊下だった。
磨き上げられたというのか、木の精が無念に凝固したようにも見える黒光りの廊下が、延々と続き、漆喰壁には大きな肖像写真が、これもまた、次々と掲げてあった。
「気持ちわりー、、僕吐きそう、、、。」
リョウが写真の2・3枚を見上げてからこっそりと言った。
同感だった。
そこには茂助老に良く似た顔立ちの老人達が映し出されていた。
同じ血族の人間だという事は、骨相というのかそんなもので一目で判るのだが、それ以外にも共通するものが一つあった。
それは口元にうっすらと現れるやけに空虚な「にやにや笑い」だった。
どの写真も年代物だ。
昔の人間なら決して写真機の前でほほえみなど浮かべないものだが。
「あっ、あのお婆さん、、。ちょっとお聞き、、、。」
俺の声を無視して案内の老婆は廊下を滑るようにして奥へ奥へと進んでいく。
俺達は走るようにして、この老婆の丸い背中を追いかけた、、と思った瞬間、老婆はこちらに向き直っているのだ。
まるで夢の中の出来事のように、不条理が柔らかく連続したような動きだった。
老婆はふすまを開けて我々をその部屋に誘った。
リョウは手荷物を部屋の片隅に置くと、直ぐにテレビの在処を探し出そうとし始めた。
まったく最近の若い奴と来たら、高校生になってもこれだ、と思いながらふと天井を見上げて俺は驚いてしまった。
なんとこの部屋を照らし出しているのは、昔懐かしい透明のフィラメント球だったのだ。
俺は思わずその驚きをリョウに伝えようとしたが、直ぐにそれを諦めた。
リョウの年代だと、俺が何に驚いているかも判らない筈だ。
そのリョウの方が素っ頓狂な声を上げた。
「みてよ所長、このテレビ、ダイヤルがついてるよ。もしかして白黒だったりしてね。」
リョウはハの字型に脚を開いてペタンとテレビの前に座り込んでいる。
その姿を見下ろすようにテレビの上には、真っ赤に塗られた福助人形が置かれてある。
いや本当の所は福助に似た「何か」なのかも知れない。
目が全くなくて、口が鯉の口のようにポッカリ空いた福助などいるはずがない。
「おいおい、お前、本当にスイッチを入れるつもりか?白黒時代のテレビ番組が流れたりしてな。幽霊テレビだよ、幽霊テレビ。」
俺はその冗談を口に出してから後悔した。
リョウの、今正に電源を入れようとする指が凍り付いてしまったからだ。
・・あり得ない事ではない。
結局、俺たちはテレビを見るのが怖くなって、部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台を挟んで向かい合わせになりながら用意されてあったお茶を啜っていた。
例の真っ赤な福助の呼吸音が聞こえるかと思えるほどの静けさだった。
「ねぇ、ここってどこなの?京都で言ったら三条アガルとかあるじゃない。」
リョウはちゃぶ台の上に肘を付け、細い手首を折り曲げるようにして湯飲みをぶら下げている。
純和風の湯飲みがウィスキーが入ったグラスのように見えるから不思議だ。
お前はバーのチイママか?
「お前、楢山節考って読んだことある?」
「深澤八郎っていう人が書いた小説なんだろう。深澤っていう人、ホモだったって話だよ。」
本当にリョウという人物は、奇妙な事を知っている『男子高校生』だった。
だがそんなリョウでも、あの楢山節考をちゃんと読んでいるとはとても思えない。
「今時の高校生」にとって、あの物語は異次元中の異次元の話しに等しいはずだ。
「そんなこたぁ、どうでもいいんだ。楢山節考は姥捨ての話なんだよ。ここも昔はそうだったらしい。デンデラノ(蓮台野)っていうんだがな。楢山の方は、山の奥深く、婆さん爺さんを口減らしの為に捨てに行くんだが、ここは野原だ。なに、人間そんな簡単に衰弱死を受け入れられる訳じゃない。捨てられた老人達は、こっそり日中に里へ下りたりしながら、カツカツの状態で農作して生き延びていたらしいがな、、。」
「フゥーン。バアチャン・ジィチャン捨てるなんて、昔の人ってダメじゃん。」
「それはな、昔は天保の大飢饉とかあって、、」
俺はリョウが部屋の片隅にある白黒テレビにしきりと視線を送り始めたので、話を続けられなくなった。
理由は俺にも判った。
先ほどから俺たちの頭の中で、白黒テレビが「俺のスイッチを入れろ」と砂の鳴き声みたいに呟いていたのだ。
その声が、今の俺の話に共鳴して、強迫観念紛いの圧力とともに高まりつつあった。
兎に角、この部屋では、あやかしに繋がる話は、今後一切しない事だと俺は思った。
気のせいか、部屋の薄闇が溜まった片隅に置いてある白黒テレビが、赤い福助を乗せたまま、もぞりと動いたような気がした。
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