一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第三章 手繰り寄せた因果

六.似た背のふたり

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 老人の家は、集落の端の小高いところにあった。

「ありがとう、お嬢さん」

 縁側に座らされた老人は、椿が手当てを終えると、柚月に対するのとは別人のように、丁寧に礼を言った。

 柚月はというと、庭の端ですっかり背中を向けてしまっている。
 顔は見えなくても、むくれているのが分かる。

 道中、二人はますますムキになり、ずっと子供のケンカのように言い合っていた。
 椿は、柚月があんなに声を荒げている姿を、初めて見た。

 だが、おぶった状態でよくそんなに揉められるものだ、とおかしくなり、二人の後ろについて歩きながら、こっそり笑ってしまった。

 ふてくされた柚月は、老人を縁側に下ろすなり頬を膨らませ、「クソ爺」と吐き捨てるように独り言った。

 だが途中で見捨てなかったばかりか、家に着くと、自分は下手だからと言って、椿に老人の手当てを頼み、そして今も、その手当てが終わるのをじっと待っている。
 さすがに退屈したのか、庭に入ってきた猫と遊び始めた。

 ――そういう人なのだな。

 椿は柚月の背中を見ながら、自然と笑みが漏れた。

「柚月さん」

 縁側から椿が声をかけると、振り向いた柚月は、椿の笑みを見て手当が終わったのだと分かったのだろう。
 縁側にやってくると老人の隣に腰かけた。

「大丈夫なのかよ」

 ややぶっきらぼうな口調だが、少しは気持ちが落ち着いたらしい。
 柚月の声には、優しさが戻っている。

「大したことない」

 老人の方も、不愛想だが先ほどよりかは幾分落ち着いている。
 その足にはしっかりと包帯が巻かれ、しばらく歩くのに不自由しそうだ。

 柚月は部屋の中を見渡した。
 一人住まいなのか、殺風景で、必要最低限な物しかないようだ。
 そんな中、片隅にひっそりと、刀が一振り立てかけてあるのが目に留まった。

「じいさん、武士なの?」
「ああ? あんなもん、錆びついて抜けもせんよ」

 老人は柚月の視線の先をちらりと見ると、ぼんやりとした口調でそう言って、さっさと視線を庭に戻してしまった。

「へえ。なんか、立派そうなのに、もったいないな」

 隠すように壁に立てかけられているその刀は、鞘に紋があしらわれ、このあばら家には不釣り合いな、高貴な雰囲気を放っている。
 刀に詳しくない柚月にも、特別な一振りだということが分かる。

「刀で成せる事など、たかが知れている。」

 老人の声には、失望のような響きが混ざっている。
 大切なものを失くした。
 そんな響きだ。

「じいさん、家族、いないの?」
「おらん」

 老人の突き放したような言い方の中には、寂しさ混ざっている。
 柚月にも、いたんだな、と分かった。

「へえ、じゃあ、俺と一緒だな」

 柚月は足をプラプラ揺らしながら、庭を見つめた。
 その顔は、老人を慰めるように微笑んでいる。

「お前、親兄弟はおらんのか」
「いない。皆死んだ」
「じいさん、ばあさんもか」

 そう聞かれて、柚月はふと考えた。そんなことを聞かれるのは、初めてかもしれない。

「そういえば、じいさんとかばあさんのことは知らないな。物心ついた時には、親父と二人だったから」
「親父殿と?」
「そう。母親は早くに死んじゃってたから。あ、そうそう、おれの親父も、権時けんじっていうんだよ」
「権時…」

 老人は、噛みしめるようにつぶやいた。

「さっきじいさんも、『ケンジ』って呼ばれてただろ?」
「あ? ああ、あれはケンジじゃない。『ケン爺』じゃ」
「けんじい?」

 柚月は一瞬意味が分からず聞き返したが、すぐに「ああ」と理解した。 

「ケンジジイね」
「誰がジジイじゃ」

 柚月はいたずら坊主のように笑っている。
 その横顔を、ケン爺はじっと見つめた。

「若造、お前の名前は」

 ケン爺の声に、何かを確かめるような重みが混ざった。
 が、柚月はそれに気づいていない。
 笑いが収まらないまま無邪気に振り向いた。

「ああ、俺?」

 夕日が、柚月の明るい笑顔を照らしている。

「一華。柚月一華ゆづきいちげ
「一華…」

 そうつぶやくと、ケン爺は遠くを見るような目で庭を見た。

「一つ世に咲く、大輪の華か」

 柚月は「え」と驚き、目を見開いた。

「なんで、知ってんの?」

 いつか、父親が言っていた。
 一つこの世に大きく咲く華になれ。
 一華と言う名は、そう願って付けられたものだ。

「そんな変わった名前、そんなような意味だろう」
「は? なんだよ、それ」

 ケン爺は小ばかにしたように微笑み、柚月もまた、笑っている。
 日が暮れていく。
 赤く染まる空に浮かぶ夕日が、縁側に座る二人を橙に照らす。
 その並んだ背は、どことなく似ている。

「その刀は、どうした」

 ケン爺に目で差され、柚月は刀を見せるように少し持ち上げた。

「これ? 親父の形見だよ」

 よく、使い込まれている。
 ケン爺は、柚月の瞳の奥を見るようにじっと見つめ、ふと、悲しげに視線を落とした。

「え、何?」
「いや…」

 そう言ったきり、黙った。
 日が沈む山に、カラスが帰っていく。
 その声が、遠くにぎやかに聞こえてくる。

「西が、騒がしそうだな」

 ケン爺が独り言のようにつぶやいた。
 西には、はぎがある。

「この国を、いい国にしたいだけなんだけどな」

 柚月もポツリと漏らす。

「いい国?」

 ケン爺が振り向くと、柚月と目があった。

「そう、弱い人が安心して暮らせる国」

 柚月の口元は笑んでいるが、その目には、まっすぐに揺るがない強い光が宿っている。

 ――心星しんぼしだな。

 ケン爺は少しうれしそうにふっと笑うと、また庭に視線を戻した。

「そろそろ、陸軍総裁殿のところに帰らんでいいのか。もう、謁見えっけんも終わっとるだろ」
「え?」

 柚月が驚くと、ケン爺はニヤリと笑った。

「それくらい分かるわい。ここいらで刀をぶら下げとるのは、都から来たお武家さんとその家来くらいじゃ。旧都なんぞと言っとるが、実際は落ちぶれた貴族がいるくらいで、盗賊もよりつかんからの。それに…」

 ケン爺は振り返り、後ろに座っている椿の手を見た。

「移り住んできた若夫婦、というわけでもなさそうじゃ」

 椿は手の平を隠すように伏せた。
 その手には、刀を握る者にできるタコがある。

「日が暮れる前に帰れ」

 街の雰囲気からして、治安は良くはなさそうだ。
 確かに、暗くなる前に宿に戻った方がいい。
 柚月が椿を振り返り、「帰ろう」と目で合図をすると、椿もうなずいた。

「じゃあなー」

 庭の端まで来たところで、柚月は振り返り、縁側のケン爺に手を振った。
 その隣で、椿が静かに礼をしている。
 ケン爺は、ただじっと二人を見つめて応えた。

 そして、二人の姿が見えなくなるまでずっと、ただ静かに、ずっと見送った。
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