一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第二章 目覚め

壱.柚月

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 それから五日間、柚月は高熱にうなされた。
 うなされながら、夢を見た。

 あれは、三年前。
 都に来た日のことだ。
 柚月は楠木くすのきに呼ばれた。

 松屋の一室。
 窓辺に立つ楠木の後ろで、月が明るく、後光のようだった。

「政府と対話の場を持ちたい」

 ちょこんと座っている柚月に、楠木はおもむろに話し出した。
 柚月はまだ幼さが目立つ顔をまっすぐに楠木に向け、真面目に聞いている。
 だが、楠木が言っている意味が分からない。
 ただ、楠木と二人きりの部屋は異様な空気に包まれ、どういう意味ですか? などと、聞けるような雰囲気ではない。
 黙って聞いた。

「だが、今のままでは無理だ。我々は志はあっても、国の後ろ盾もない。立場が弱すぎる。これでは、政府の者と同じ席につくことさえできない。例えそれがかなったとしても、対等に話し合うことなど到底できない」

  そうまで言うと、楠木の声に鋭さが混ざり、核心を突くような口調に変わった。

「政府の力を、弱める必要がある」

 楠木のまなざしが、不気味なほど静かだ。
 柚月は、底知れない恐ろしさを感じた。

一華いちげ
「はい」

 緊張が走る。
 いつもの楠木と違う。
 それが柚月には、何とも言えず恐い。

「お前に、参与さんよ居戸寄親いどよりちかを暗殺してもらいたい」

 柚月は、一瞬耳を疑った。
 そして次第に、その言葉の重みに手が震え出した。
 首筋を伝う汗が、冷たい。

「我々の内で、お前が一番腕が立つ。ほかの者がやれば、そばにいる家臣や護衛も斬らざるを得なくなる。だが、お前なら、ほかの者を殺さずに、居戸だけをれる。余計な殺しをしなくて済む」

 柚月は硬直し、楠木から目をらすことができない。
 固く結んだ唇が震えている。

「お前がやらなければ、ほかの者がすることになる」

 柚月は、うつむき、ぎゅっと拳を握りしめた。
 楠木の強いまなざしが、攻め立ててくる。
 追い込まれ、逃げ場が無くなっていく。
 楠木はわずかに口角を上げると、柚月に背を向け、空を見上げた。

「きれいな月だな」

 背を向けているが、楠木は柚月に語りかけている。
 柚月はゆっくりと顔を上げた。

「柚子みたいに真ん丸だ」

 楠木の背中越しに見える空に、きれいな満月が浮かんでいる。

「夜の闇を、明るく照らしてくれる。お前も、あの月と同じだ」

 楠木がゆっくりと振り向くと、柚月はまっすぐに楠木を見つめていた。
 小さな体で、不安や恐怖に耐え、重圧に押しつぶされそうなのを必死に堪えている。
 だがその弱々しさとは裏腹に、その目は、純粋な強い光を宿している。
 楠木は口元がニヤリとしそうになるのを、こらえて隠した。

「これからお前は、柚月一華だ」

 それは、人斬りの名。
 その名で、人斬りとして生きろと言う宣告。
 柚月は、ぐっと拳を握りしめた。

「はい」

 迷いがなかったわけではない。
 だが、ほかに道もなかった。

 案内役の真島ましまと松屋を出た。
 どういうわけか義孝も、緊張でこわばった顔でついて来た。

 見知らぬ都の道は、永遠のように長く感じられた。
 できれば、永遠に続いてほしかった。
 だが、残酷な現実がやってくる。
 人の気配に、三人は立ち止まった。

 塀の陰から様子をうかがうと、通りに、四~五人の集団。
 真島が顎で指し、絶望にも似た感情が柚月を襲った。

 逃れられるものなら、逃れたい。
 引き返せるものなら、引き返したい。

 だが。

 柚月は一歩踏み出た。
 あと一歩出れば、塀の陰から出る。
 あと一歩出れば、もう…。

 戻ることは、許されない――。

 柚月は硬く目を閉じた。
 すべてを、断ち切るように。
 飲み込むように。

 義孝が、震えながら親友の背中を見守る。
 柚月は高まる鼓動を抑え、呼吸を整えた。

 ――行くしか、ないんだ…!

 ぐっと唇をかみしめると、一人、飛び出した。

居戸寄親いどよりちか殿とお見受けいたす!」

 静かな通りに、柚月の鋭い声が響く。
 集団の中央にいた男が振り向き、同時に、ほかの男たちがその男をかばうように囲いって構えた。

「何者だ!」

 一人が声を張ると、柚月は抜刀と同時にその声の主を切り払い、続けざまにほかの男たちも切った。
 あっという間。
 突然の出来事に、居戸は腰を抜かし、逃げようとするが体が動かない。

「助け…助けて…くれ…」

 居戸の脅え切った目が、柚月の目とあった。
 鬼のような、冷たい目。
 情を宿さない、人斬りの目だ。

「新しい、国のために」

 柚月は己に言い聞かせるようにそう言うと、居戸の心臓を貫いた。
 わずかなうめき声を残し、一人の男の命が終わった。

 むくろが、無抵抗に地面に崩れる。
 刀を抜くと、おびただしい量の血が吹き上がり、雨のように柚月に降り注いだ。

 生温かい。
 わずかに残った、命の温もり。

 柚月はじっと地面を見たまま動かない。
 ただ小さな肩だけが、荒々しい呼吸に合わせて大きく上下している。

 妙に静かだ。
 何もかも、遠くに感じる。

 自分を濡らす血の雨も。
 あたりに立ち込める鼻がイカレそうになるほどの血の匂いも。

 ただ、肉を刺し骨を砕いた感触が、一人の人間の命を奪ったという重圧が、生々しく手にこびりついている。

 倒れていた護衛の男がわずかに動き、柚月はハッと我に返った。
 地面に落ちた刀を握ろうとしている。
 ほかの男たちも、うめきながら、わずかに動いている。
 柚月は男たちをそのままに、素早く真島たちの元に戻った。

「よくやった」

 そう言って柚月の肩を叩いた真島は、驚きと脅えが混ざった複雑な顔をしていた。
 先に真島が駆け出し、柚月がそれに続こうとすると、後ろからぐっと腕を強くつかまれた。
 振り向くと、義孝の顔があった。

 心配そうな、だが、励ますような顔だ。
 それを見て、柚月の目から鬼が消えた。
 緊張の糸が解け、自然と笑みが漏れる。
 義孝もニッと笑った。

 そうして二人は、一緒に都の闇を走り出した。
 ずっと、二人一緒に――。
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