一よさく華 -証と朱色の街-【改訂版】

八幡トカゲ

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参.証

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「この子は、清名証せいなあかし。清名の息子です」

 雪原はにこりと微笑み、手で男を差す。
 柚月は思わず目を開けた。

「…えっ」

 わずかに声を漏らしたが、頭がうまく回らず、理解できない。
 雪原は今、何と言った?
 呆然とする柚月に、証が向き直った。

清名証せいなあかしと申します。父がいつもお世話になっています、柚月さん。お会いできて光栄です!」

 そう言って、深々と一礼する。
 その礼儀正しさ。先ほどまでの屈託のない様子とはまるで違う。
 清名を写したようだ。

「ええええええええぇぇぇええええ~~~~っっ!」

 柚月の絶叫に、部屋が揺れた。

「やかましい!」

 清名の一喝が飛ぶ。
 柚月は条件反射的に黙ったが、限界を超えるほど見開いた目は、証にくぎ付けになっている。
 証の方は顔を上げると、ぱっとまた笑顔を見せた。

「いやぁ、僕、ずっと会いたかったんですよ~、柚月さんに!」

 また、この顔。
 愛らしい。
 柚月は、はっと我に返り、慌てて居ずまいを正した。

柚月一華ゆづきいちげと申します。私の方こそ、お目にかかれて光栄です」

 額を畳にこすりつけそうなほど深々と頭を下げている。
 証はハハッと笑い出した。

「真面目だな~柚月さんは。話に聞くより、やっぱり本物はかっこいいや」
「え?」

 話に聞くより、とは。
 柚月が聞き返えそうとしたところに、雪原が割って入った。

「そう言えば、二人は昨日町で会ったそうですね」

 その顔。
 にこりとしているが、なんか悪い。

 だが証は気にも留めない。
 というより、気づいていない。

「そぉなんですよ~」

 嬉しそうに雪原に向き直った。聞いてくださいよ~、雪原さん、と続けそうなところだったが、今度は清名の眉がピクリと動いた。

「昨日? 証、お前、昨日稽古を抜け出して、どこに行っていた。門下生たちが、稽古を中断して捜しに行ったんだぞ!」

 清名の厳しい声に、証の全身がギクリと震える。

「え⁉ どこって…、どこかなぁ。どこってほどのこともないけど…」

 頬を掻きながら、目は宙を泳いでいる。
 清名の厳しい目が、追及をやめない。
 証はぐるんと首を回すと、清名の方から完全に顔をそむけてしまった。

「やはり、証の逃亡壁は健在でしたか」

 雪原が笑う。

「いや、だって~。姉上だけでも大変なのに、父上まで道場に来るんですよ? しかも朝から!」
「どういう意味だ!」
「えっ⁉ いやぁ…。雪原さ~ん」

 証は清名の一喝にビクリとして、雪原に救いを求めるような目を向けた。

 ――ほんとに、親子なんだな。…全然似てないけど。

 柚月はだんだん実感がわいて来た。
 いつも厳しい清名が、父親の顔をしている。それがまた似合っていて、なんだかおかしい。
 それに、揉めているようで、清名と証のやり取りには家族の温もりがある。
 柚月は胸が温かくなると同時に、微かに寂しさが湧いた。

 自分にも、父親と過ごした時間があった。
 もう、随分と遠い過去のこと。
 微かな記憶だ。
 だが消えることなく、確かにある。

 ――…ん?

 柚月の胸に、懐かしい思いとともに、ふと、忘れかけていたものがよぎった。

 ――ちょっと待て。

 証が清名の息子なら、椿と接点があってもおかしくはない。
 だが、あの親しそうな感じ。ただの知り合い、という感じではなかった。
 年も近いだろう。それ以上の関係であっても、おかしくはない。
 いやむしろ、清名の息子なら、椿と深い中になっても雪原も安心して許すのではないだろうか。

 考えれば考えるほど、思えば思うほど、柚月の胸に、ふつふつと、不安が湧き上がる。
 雪原は、柚月の顔がだんだんと暗く沈んでいくのを見ながら、またニヤッとした。
 悪い顔だ。

「まあまあ、おかげで椿も証に会えたわけですし。二人が会うのも、久しぶりだったのではないですか?」

 雪原の助け舟に、逃げ場を探していた証は飛びついた。

「そうなんですよ~! 昨日はあんまり話もできなくて。なんせ、追っ手が来ちゃったからぁ。あははっ。…おっと」

 証は思わず口に手を当てた。が、遅かった。
 ちらりと清名の方を見ると、清名の厳しい目がさらに厳しくなっている。
 
「やば」

 証は小さくそう漏らすと、また慌てて目を逸らした。

「よく知ってますねぇ、雪原さん」

 なんとか話を逸らそうと必死だ。
 清名は、まだ話は終わっていない、と言わんばかり。不満げな顔をしたが、雪原が前のめりになったので譲らざるを得ない。口を噤み、同時に気づいた。

 雪原のこの顔、この感じ。
 何か思惑がある。

 いや、違う。

 これは、いたずら心に火がついている。

「椿がね、楽しそうに話してくれたのですよ。証に会えて、よほどうれしかったのでしょうね」

 雪原は、意味ありげな言い方を、絶妙に隠している。
 証は何とも思っていないが、柚月には効果あり。その証拠に、肩がビクリと揺れた。

 ――「うれしかった」…。

 確かに、椿は嬉しそうだった。
 それはやはり…。
 そう思うと、不安がどんどん大きくなる。
 胸が締め付けられる。
 柚月は、ぎゅっと拳を握りしめた。

「本当ですか? 僕も久しぶりに会えて、うれしかったですよぉ」

 証の明るい声が続く。

「またかわいくなりましたよね、椿。元からかわいかったけど~。きれいになったっていうのかな」
「恋の力ですかね」

 雪原がニコリと一言挟む。
 その言葉が、柚月の胸にグサリと深く刺さった。

 恋。

 ――やっぱり、二人は…。

 柚月の首筋に、嫌な汗が伝う。
 この先は、聞きたくない。
 心の底からそう思ったが、残酷にも、雪原は止まりそうにもない。

「ああ、そうそう」

 そう言いながら、柚月の方を向いてくる。柚月は、辛い宣告を受けるように、静かに目を閉じた。

「柚月は知りませんでしたよね。証と椿は…」

 柚月の握りしめた拳に、さらに力が籠る。

「幼馴染なのですよ」

 ――…えっ。

 柚月は思わずパッと雪原の方を見た。
 雪原は、にこりと穏やかに笑んでいる。

 ――ええええええええぇぇぇええええ~~~~っっ!

 柚月は拍子抜けして、正座が崩れ、ぺたんと畳に尻を落とした。
 緊張が一気に吹っ飛んだ反動で、体中の力が抜け、魂まで抜け出しそうだ。

 ――なんだ。じゃあ、あの椿の笑顔は。

 久しぶりに会った、幼馴染に向けたもの。
 気心が知れた友達に向けたものだ。

「そう…なんですね」

 安心した。と同時に、はたと気づいた。

 ――いやマテ。

 たったそれだけの事。
 昨日教えてくれればよかったのではないだろうか。
 それを、もったいぶって日を跨ぎ、証本人まで呼んで。
 その必要性はどこにある。

 いや、この人には、ある。

 柚月はパッと雪原を見た。
 雪原はニコニコしている。
 その口元が、ニヤッと上がった。

 その顔。
 悪い。

 ――っ! この人はッ‼

 柚月は一気に沸騰した。
 悔しいやら、恥ずかしいやら。
 いや、悔しい!
 とんでもなく‼

 ――完ッ全に踊らされたッ!

 当然、雪原はわざともったいつけたのだ。
 何のために。
 そんなことは決まっている。
 柚月の反応を見て、楽しむためだ。
 柚月の恋事情は、雪原にとっては最上の娯楽なのだから。

 このあるじ、小姓と遊ぶのが好きなのではない。
 小姓遊ぶのが好きなのだ。
 
 いや、大好きだ。
 それはもう、とんでもなく。

 そして小姓も小姓で、主の期待に応え、るどころか、期待以上の反応をしてくれる。
 雪原はもう、ニヤニヤが止まらない。

 ――クソぉっ。

 柚月はギリギリと歯を鳴らしながら、真っ赤な顔で主に恨めしい目を向ける。
 間に挟まれている証は、何も気づかず構わず、変わらず楽しそうだ。
 その三人の様子を、清名の冷静な目が見つめている。

 平和だ。
 なにより、雪原が楽しそうである。

 ――仕方のないお人だ。

 清名は、わちゃわちゃしている部屋の隅、一人静かに茶をすすった。
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