一よさく華 -証と朱色の街-【改訂版】

八幡トカゲ

文字の大きさ
8 / 14

弐.認めたくない事実

しおりを挟む
 柚月が茶の用意をして雪原の部屋に向かうと、部屋の外にまで笑い声が聞こえていた。

 珍しい。

 雪原が笑うことはよくあるが、清名が来ている時は、まず、無い。
 清名がここに来るのは、たいてい城や本宅ではできない話がある時だ。
 自然、雪原の顔も鋭くなる。
 笑い声どころか、部屋の外に漏れるような声を出すことも稀だ。

「失礼いたします」

 柚月は不審に思いながらも、廊下から声をかけた。
 が、いつもならすぐにある雪原の返事が、ない。

 おかしい。

 もう一度声をかけようとした、その時。
 返事の代わりに、思わず体がのけぞるほどの大きな笑い声が返ってきた。
 耳が痛い。

 ――なんっなんだ、もう。

「失礼いたします!」

 柚月は耳を抑えながら、もう一度声を張った。
 今度はどうやら届いたらしい。

「ああ、柚月ですか。入りなさい」

 雪原の声が返ってきた。その声にも、笑いが混ざっている。
 柚月がさっと障子戸を開けると、雪原が涙をぬぐいながら、顔だけを柚月の方に向けていた。

 その正面に、あの男。

 どうやら、話の相手はこの男だけのようだ。
 男の顔も、楽し気に笑っている。

 清名は男の隣には座らず、雪原に対して横向きに、廊下に向かって座る形で控えていて、その顔はいつも通り、くすりとも笑っていない。
 真顔そのものだ。

 柚月は部屋に入ると、三人に順々に茶を出した。
 その様子は、いかにも小姓らしい。
 顔も、仕事の顔をしている。

 だがその腹の内では、男のことが気になって仕方がない。
 雪原と男は、柚月が茶を出している間も絶え間なく話し、笑っている。
 柚月の耳にも自然とその会話が入ってくるが、ただの世間話のようなものだ。
 正直、何がそんなにおかしいのかも分からない。
 男が何者なのか、雪原とどういう関係なのか。
 手掛かりになりそうなものも出てこない。
 柚月は何も分からないまま茶を出し終え、部屋の隅に下がると障子戸の脇に控えて座った。

「柚月がいれるお茶は、おいしいですよ」

 雪原が自慢げにニコリとする。
 促されるように、清名と客の男はそろって湯呑を手にし、口をつけた。
 その動作が、申し合わせたように見事にシンクロしている。

「これは…っ。本当にお前がいれたのか」

 本当にうまかったのだろう。
 湯呑から口を離した清名は、珍しく声も顔も驚いている。

「ほんとだ! すっごいおいしい! 柚月さんて、なんでもできるんですね。すごいや!」

 男も驚いた声を上げると、満面の笑みで柚月の方を振り向いた。
 その笑顔。
 やはり、子犬のように愛らしい。
 だが今回は、どこか尊敬のようなものが混ざっている。

 妙だ。

 柚月は違和感を覚えた。
 まともに話したこともない、何者なのかも分からない。
 そんな男に、こんな目で見られるなど。

 だが、不審に思えば思うほど、それを顔には出さない。
 染みついた癖だ。

「いえ、大したものでは」

 真面目な顔を崩さず、改まって一礼した。
 その礼儀正しさ。
 いかにも、小姓、といった佇まい。
 柚月はクソ真面目に対応している。
 雪原の客だと思っているのだから当然だ。
 だがそれが、雪原にはおかしくてたまらない。

 雪原は込み上げてくるものをこらえきれず、口元がニヤつくのをぐっと抑えると、急に真面目な顔になった。

「今日は柚月に、ちゃんと紹介しようと思いましてね」

 声まで真剣だ。
 柚月は雪原に向かって、すっと背筋を正した。

 よほどの客なのだろう。
 もしかして、と、胸がざわつく。

 柚月には、昨日から引っかかっていることがある。
 だが、聞く勇気さえ持てなかった。
 それを今、聞かされようとしている。
 一気に緊張が高まり、柚月は膝に乗せた手を、ぐっと握りしめた。

 聞きたくはない。
 だが、雪原のこの様子。
 そして、昨日の椿のあの感じ。
 そうであってもおかしくない。
 この男。
 柚月の中で、言葉にできなかった、したくなかったモヤモヤが、はっきりと形になった。

 この男、椿の恋人、なのではないだろうか。

 雪原の口が、ゆっくりと開く。
 今まさに、告げられようとしている。
 その事実から目を背けるように、柚月はぎゅっと目をつぶった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした

有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

処理中です...