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上
弐.こんぱくと
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よく晴れた午前。
冬の空気は冷たい。
だが、街は活気に溢れている。
戦の反動もあるだろうが、海外との国交を断つ政策「封国」が廃止されたことで、海外文化の波が一気に押し寄せ、街全体が生まれ変わろうとしているような勢いがある。
通りを籠が行く。
柚月はそれを目で追いながら、そう遠くないうちに、このあたりも馬車が走るのだろうか、とぼんやりと思った。
柚月が馬車を見たのは戦の前、横浦でのこと。
横浦は、封国下でも貿易が許された数少ない街のひとつ。異国の人々が行きかい、海外製の馬車が走っていた。
柚月はふと、最後に横浦に行った時のことを思いだした。
あれは、雪原に出会って間もない頃、雪原に連れられてだった。
だが、あの頃はまだ。
――雪原さんも、よくやるよ。
柚月の口元に、ふっと笑みが漏れる。
自分を狙っていたかもしれない人斬りを、護衛だと言って連れて行ったのだから。
ふいに風が吹き、柚月の髪を撫でた。
寒い。
「寒いですね」
柚月は「え」と驚いて、声の方を見た。
心の声が漏れてしまったのかと思ったが、違う。
隣で、椿が自分の手にはあっと息を吹きかけている。
白く凍った息が椿の両手を包み、椿は微かな温もりを閉じ込めるようにきゅっと両手を結んだ。
透き通るような白い頬が、寒さでほんのり赤く染まっている。
相変わらずかわいい。
柚月は、久しぶりに椿の顔を見た気がした。
と同時に、急に目が覚めたように、今一緒にいるんだな、と言う実感が湧き上がってくる。
なんだが照れくさい。
顔が熱い。
しかも、ふいに椿が見上げてきて、目が合ってしまった。
柚月はたまらず、咄嗟に顔を逸らした。
「城、どんな感じ? 皆忙しそうだった?」
慌ててそう言うなり、ガクリと落とし、顔を隠すように片手を額に当てた。
――俺今、クソつまんないねえこと聞いたな。
後悔の波に襲われているらしい。
こんな、聞くまでもないこと。天気の話の方がまだましだ。咄嗟のこととはいえ、気が利かないにもほどがある。
だが、椿の方は嬉しそうにぱっと笑顔を見せた。
「はい。皆さんとにかくお忙しそうでした」
声まで弾んでいる。
柚月とは、こんなとりとめのない話をするのさえ久しぶりだ。
ぽわぽわと、不思議に胸が温かい。
その熱で、頬に朱色が増す。
「私には、詳しいことは分からないのですけど。雪原様のお仕事は、清名さんがずっとお手伝いされていて。皆さんあっちに行ったりこっちに行ったり慌ただしくされているんですけど、清名さんはいつも冷静で。雪原様も、清名さんはどんな時でも確実に仕事をこなしてくれるから助かるって、おっしゃって」
「ああ、なんか…、それ分かる」
柚月は苦笑交じりに、だが、何か恐ろしい物でも見るような複雑な顔になった。
バタバタと駆け回る役人達の中、一人冷静に、表情さえ変えず、淡々と指示を出している清名の姿。
と、その顔。
目に浮かぶ。
清名は雪原の側近、今は宰相である雪原を支える宰相補佐官にある。雪原がまだ外交官という低い地位にあった頃からの、腹心の部下だ。
口数が少なく、愛想もない。
近寄りがたいまでの威厳があり、その佇まいは、いかにも武士、といった感じだ。
そして何より、雪原に対する忠誠心が厚い。
「清名さんも久しぶりに帰るっておっしゃってましたから、きっと今頃、道場ですよ」
椿はそう言いながら、頭に何が浮かんだのか、くすりと笑った。
「道場?」
「あ」
柚月が聞き返すのに重なって、椿が目の前の看板に気がついた。
薬屋だ。
「ちょっとすみません」
そう言うと、鏡子に何か頼まれているのだろう。
椿は笑顔を残し、小走りで店の中に入っていった。
すぐに出てくるだろう。
柚月は店の前で待つことにした。
漏れる息が、白い。
はあっと吐くと、ふわりと舞って消えた。
通りを、右へ左へ。
途絶えることなく人々が行きかっている。
その奥、はす向かいに、小間物屋が見えた。
店頭に、女物の小物が並べられている。
柚月は自然と足が向いた。
「おや、柚月様」
柚月がふらりと店に近づくと、初老の店主が笑顔で顔を出した。
このあたりを何度か行き来しているうちに、すっかり顔なじみになっている。
商売人らしい、愛想の良い男だ。
「何かお探しで?」
店主が満面の笑みで聞く。
柚月はうーんと黙った。「はい」と言うのが、なんだか恥ずかしい。
「いや、別に、何か探しているわけでは…」
そう言いかけたが、店主の笑みがじっと見つめてくる。
柚月はその圧に負けた。
「…はい」
としか言わなかったが、女への贈り物だということは容易に察しがつく。
店主はにこやかに頷くと、銀色の小さな金属製の入れ物をさっと手に取った。
「では、これなどいかがでしょう?」
円柱を平たくしたような形ので、何か容器のようだ。塗り薬を入れる物に似ている。だが、表面に細かい模様が彫られていて、薬入れにしては豪華なつくりだ。
柚月はぐっと顔を近づけ、まじまじと見た。
側面に蝶番のようなものがついていて開きそうだ。
が、いったい何に使うものなのか。
見当もつかない。
「舶来の物で、こんぱくと、というんですよ」
そう言うと、店主はその入れ物をパカッと開けて見せた。中は、鏡になっている。
その瞬間、柚月の顔がぱっと輝いた。
驚いた、というより、感動した。こんな物を見るのは初めてだ。
目をキラキラさせ、子供のような顔をしている。
「どうぞ。お手に取ってみてください」
柚月はウキウキしながらコンパクトを受け取った。
まず蓋の彫刻をじっくり眺め、くるくる回して外側の全面を確認し、次に蓋をコツコツノックすると、今度はパカパカ開け閉めし、最後に中の鏡を覗き込んだ。
何がそんなに面白いのか、鏡に映る自分の姿を、じーっと見つめている。
好奇心が止まらない。
やがて気が済んだのか、パチンと閉じると、かざした。
――きれいだな。
銀色の月のようだ。
そこに、椿の顔が重なった。
「お似合いになると思いますよ、椿様に」
「え⁉」
柚月は思わず肩がびくりと跳ねた。
店主の人のいい笑みが、じっと柚月を見ている。
「ああ、いや」
柚月は慌てて言い訳しそうになったが、すぐにうっと黙った。
店主の笑顔は、全く動じない。
何を言っても、見透かされそうだ。
「椿様はどこか、異国の雰囲気をお持ちですから」
店主は笑顔を崩さないまま、穏やかにそう付け加えた。
商売人らしい押しつけがましさも何もない、何気ない一言だ。
だが、柚月はその言葉にはっとした。
――確かにそうだ。
椿の肌や髪、目の色は、横浦で会った異人たちに似ている。
だが、椿は彼らほどでもない。
うまく言えないが、薄い。
そんな感じだ。
それがまた、彼女に不思議な雰囲気を与えている。
よく見ると、店にはほかにも舶来品らしき物が並んでいる。
まるで横浦の露店の様だ。
都の小間物屋にこれだけの品が並ぶということは、それだけ貿易が盛んになったということだろう。
柚月はコンパクトを買うと、店先で頭を下げる店主に見送られながら、小間物屋をあとにした。
椿は喜んでくれるだろうか。
想像すると、なんだかうれしくなりわくわくする。
柚月は抑えきれず、にやにやしながらコンパクトを袖にしまった。
一方、薬屋から出た椿は、居ると思っていた柚月がいないことにわずかに慌てた。
「柚月さん?」
そう漏らしたが、当然返事もない。
あたりを見渡すと、その姿は行きかう人の向こう側、はす向かいの店の中にあった。
「あんなところに」
安堵で思わず笑みが漏れたが、同時に「あの店は」と思う。
小間物屋。
それも、女物の小物を多く取り扱っている店だ。
誰かに贈り物だろうか。
そう思うと気持ちが暗くなり、自然と顔が曇る。
「椿?」
ふいに後ろから声をかけられ、振り返ると、若い男が一人、立っていた。
その顔。
「ああ」
椿はそう漏らすと、曇っていた顔がほころんだ。
冬の空気は冷たい。
だが、街は活気に溢れている。
戦の反動もあるだろうが、海外との国交を断つ政策「封国」が廃止されたことで、海外文化の波が一気に押し寄せ、街全体が生まれ変わろうとしているような勢いがある。
通りを籠が行く。
柚月はそれを目で追いながら、そう遠くないうちに、このあたりも馬車が走るのだろうか、とぼんやりと思った。
柚月が馬車を見たのは戦の前、横浦でのこと。
横浦は、封国下でも貿易が許された数少ない街のひとつ。異国の人々が行きかい、海外製の馬車が走っていた。
柚月はふと、最後に横浦に行った時のことを思いだした。
あれは、雪原に出会って間もない頃、雪原に連れられてだった。
だが、あの頃はまだ。
――雪原さんも、よくやるよ。
柚月の口元に、ふっと笑みが漏れる。
自分を狙っていたかもしれない人斬りを、護衛だと言って連れて行ったのだから。
ふいに風が吹き、柚月の髪を撫でた。
寒い。
「寒いですね」
柚月は「え」と驚いて、声の方を見た。
心の声が漏れてしまったのかと思ったが、違う。
隣で、椿が自分の手にはあっと息を吹きかけている。
白く凍った息が椿の両手を包み、椿は微かな温もりを閉じ込めるようにきゅっと両手を結んだ。
透き通るような白い頬が、寒さでほんのり赤く染まっている。
相変わらずかわいい。
柚月は、久しぶりに椿の顔を見た気がした。
と同時に、急に目が覚めたように、今一緒にいるんだな、と言う実感が湧き上がってくる。
なんだが照れくさい。
顔が熱い。
しかも、ふいに椿が見上げてきて、目が合ってしまった。
柚月はたまらず、咄嗟に顔を逸らした。
「城、どんな感じ? 皆忙しそうだった?」
慌ててそう言うなり、ガクリと落とし、顔を隠すように片手を額に当てた。
――俺今、クソつまんないねえこと聞いたな。
後悔の波に襲われているらしい。
こんな、聞くまでもないこと。天気の話の方がまだましだ。咄嗟のこととはいえ、気が利かないにもほどがある。
だが、椿の方は嬉しそうにぱっと笑顔を見せた。
「はい。皆さんとにかくお忙しそうでした」
声まで弾んでいる。
柚月とは、こんなとりとめのない話をするのさえ久しぶりだ。
ぽわぽわと、不思議に胸が温かい。
その熱で、頬に朱色が増す。
「私には、詳しいことは分からないのですけど。雪原様のお仕事は、清名さんがずっとお手伝いされていて。皆さんあっちに行ったりこっちに行ったり慌ただしくされているんですけど、清名さんはいつも冷静で。雪原様も、清名さんはどんな時でも確実に仕事をこなしてくれるから助かるって、おっしゃって」
「ああ、なんか…、それ分かる」
柚月は苦笑交じりに、だが、何か恐ろしい物でも見るような複雑な顔になった。
バタバタと駆け回る役人達の中、一人冷静に、表情さえ変えず、淡々と指示を出している清名の姿。
と、その顔。
目に浮かぶ。
清名は雪原の側近、今は宰相である雪原を支える宰相補佐官にある。雪原がまだ外交官という低い地位にあった頃からの、腹心の部下だ。
口数が少なく、愛想もない。
近寄りがたいまでの威厳があり、その佇まいは、いかにも武士、といった感じだ。
そして何より、雪原に対する忠誠心が厚い。
「清名さんも久しぶりに帰るっておっしゃってましたから、きっと今頃、道場ですよ」
椿はそう言いながら、頭に何が浮かんだのか、くすりと笑った。
「道場?」
「あ」
柚月が聞き返すのに重なって、椿が目の前の看板に気がついた。
薬屋だ。
「ちょっとすみません」
そう言うと、鏡子に何か頼まれているのだろう。
椿は笑顔を残し、小走りで店の中に入っていった。
すぐに出てくるだろう。
柚月は店の前で待つことにした。
漏れる息が、白い。
はあっと吐くと、ふわりと舞って消えた。
通りを、右へ左へ。
途絶えることなく人々が行きかっている。
その奥、はす向かいに、小間物屋が見えた。
店頭に、女物の小物が並べられている。
柚月は自然と足が向いた。
「おや、柚月様」
柚月がふらりと店に近づくと、初老の店主が笑顔で顔を出した。
このあたりを何度か行き来しているうちに、すっかり顔なじみになっている。
商売人らしい、愛想の良い男だ。
「何かお探しで?」
店主が満面の笑みで聞く。
柚月はうーんと黙った。「はい」と言うのが、なんだか恥ずかしい。
「いや、別に、何か探しているわけでは…」
そう言いかけたが、店主の笑みがじっと見つめてくる。
柚月はその圧に負けた。
「…はい」
としか言わなかったが、女への贈り物だということは容易に察しがつく。
店主はにこやかに頷くと、銀色の小さな金属製の入れ物をさっと手に取った。
「では、これなどいかがでしょう?」
円柱を平たくしたような形ので、何か容器のようだ。塗り薬を入れる物に似ている。だが、表面に細かい模様が彫られていて、薬入れにしては豪華なつくりだ。
柚月はぐっと顔を近づけ、まじまじと見た。
側面に蝶番のようなものがついていて開きそうだ。
が、いったい何に使うものなのか。
見当もつかない。
「舶来の物で、こんぱくと、というんですよ」
そう言うと、店主はその入れ物をパカッと開けて見せた。中は、鏡になっている。
その瞬間、柚月の顔がぱっと輝いた。
驚いた、というより、感動した。こんな物を見るのは初めてだ。
目をキラキラさせ、子供のような顔をしている。
「どうぞ。お手に取ってみてください」
柚月はウキウキしながらコンパクトを受け取った。
まず蓋の彫刻をじっくり眺め、くるくる回して外側の全面を確認し、次に蓋をコツコツノックすると、今度はパカパカ開け閉めし、最後に中の鏡を覗き込んだ。
何がそんなに面白いのか、鏡に映る自分の姿を、じーっと見つめている。
好奇心が止まらない。
やがて気が済んだのか、パチンと閉じると、かざした。
――きれいだな。
銀色の月のようだ。
そこに、椿の顔が重なった。
「お似合いになると思いますよ、椿様に」
「え⁉」
柚月は思わず肩がびくりと跳ねた。
店主の人のいい笑みが、じっと柚月を見ている。
「ああ、いや」
柚月は慌てて言い訳しそうになったが、すぐにうっと黙った。
店主の笑顔は、全く動じない。
何を言っても、見透かされそうだ。
「椿様はどこか、異国の雰囲気をお持ちですから」
店主は笑顔を崩さないまま、穏やかにそう付け加えた。
商売人らしい押しつけがましさも何もない、何気ない一言だ。
だが、柚月はその言葉にはっとした。
――確かにそうだ。
椿の肌や髪、目の色は、横浦で会った異人たちに似ている。
だが、椿は彼らほどでもない。
うまく言えないが、薄い。
そんな感じだ。
それがまた、彼女に不思議な雰囲気を与えている。
よく見ると、店にはほかにも舶来品らしき物が並んでいる。
まるで横浦の露店の様だ。
都の小間物屋にこれだけの品が並ぶということは、それだけ貿易が盛んになったということだろう。
柚月はコンパクトを買うと、店先で頭を下げる店主に見送られながら、小間物屋をあとにした。
椿は喜んでくれるだろうか。
想像すると、なんだかうれしくなりわくわくする。
柚月は抑えきれず、にやにやしながらコンパクトを袖にしまった。
一方、薬屋から出た椿は、居ると思っていた柚月がいないことにわずかに慌てた。
「柚月さん?」
そう漏らしたが、当然返事もない。
あたりを見渡すと、その姿は行きかう人の向こう側、はす向かいの店の中にあった。
「あんなところに」
安堵で思わず笑みが漏れたが、同時に「あの店は」と思う。
小間物屋。
それも、女物の小物を多く取り扱っている店だ。
誰かに贈り物だろうか。
そう思うと気持ちが暗くなり、自然と顔が曇る。
「椿?」
ふいに後ろから声をかけられ、振り返ると、若い男が一人、立っていた。
その顔。
「ああ」
椿はそう漏らすと、曇っていた顔がほころんだ。
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