一よさく華 -嵐の予兆-

八幡トカゲ

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七.残酷な再会

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 そして、登楼とうろうの日。

「今日はちょっと」

 昼過ぎ、柚月が清名にそう言うと、清名も早く帰るよう促した。
 清名も柚月の仕事を承知している。

 城から末原までは距離がある。
 昼過ぎに出れば、遅くとも夜見世が始まる暮れ六つには間に合うだろう。
 
 柚月は秘書室を後にした。
 ところが、城の門のところまで来た時だ。

「柚月様」

 柚月は後ろから、誰かに呼び止められた。
 聞き慣れない声に振り返ると、男が柚月を見つめている。質素だが質のいい着物を着た、身なりのいい男だ。
 顔に見覚えがある。

 将軍、剛夕ごうゆうの小姓、枇々木ひびきだ。

 枇々木は柚月に丁寧に一礼した。さすが将軍の小姓。品のいい、穏やかな笑みを浮かべている。だが、腹の内が見えない笑みだ。柚月は不審に思いながら頭を下げた。

 将軍の小姓様が、いったい自分になんの用だろう。
 柚月は、枇々木とちゃんと言葉を交わすのも初めてだ。

「少し、よろしいですか?」

 断れるはずもない。
 柚月は頷いた。
 枇々木は行き先も告げずに歩き出し、城の西側、内堀と外堀の間に入った。

 通称「殿上町てんじょうまち

 政府幹部の屋敷が立ち並び、一つの町のようになっている。一般の人間は恐れ多くて、めったなことでは立ち入らない。
 入れない。
 そんな場所だ。
 その中に、小さいが、立派な寺があった。
 
 枇々木は、すっとその門をくぐり、入っていく。
 こんなところに、一体何があるのか、柚月は不審に思わずにはいられない。
 枇々木は迷いもためらいもなく進んでいく。
 柚月は黙って後に続いた。

 だが、境内を進み、建物の角を曲がったところで、柚月の足が止まった。
 苔むす静かなその場所には、多くはないが、きれいに加工された石が並んでいる。

 墓地だ。

「どうぞ、こちらへ」

 枇々木は立ち尽くす柚月を促し、更に奥へと進んでいく。

「ここは、尊い家柄の方々が眠られる場所なのです」

 枇々木は歩きながら、柚月の方を振り返ることもなく、淡々と説明する。
 確かに、墓石に刻まれている名は、どれも殿上町に住まう名家の物ばかりだ。

 だがなぜ、そんな場所に連れてこられたのか。
 柚月の不審は不安が混ざり、どんどん膨れ上がっていく。
 
 引き返したい。

 柚月は抑えようもなくそう思った。
 底知れない、嫌な感じがする。

 この先には、行くべきではない。

 柚月を押し戻すように、冷たい風が吹き抜ける。
 ふいに、枇々木が立ち止まった。
 柚月も足を止める。
 また、冷たい風がザッと吹いた。

「こちらです」

 そう言って、枇々木が差した先には、小さな墓石。

 墓地の片隅、ひっそりとあるその墓石は、ほかの名家の物と比べると加工が甘く、元の石の形を残している。だが、名が、そこに眠る者の名が、はっきりと記されている。

 瀬尾義孝せおよしたか

 柚月は息をのみ、それ以降、呼吸を忘れた。
 思考も、時も、何もかもが止まったようだった。
 ぐらりと視界がゆがみ、ただ、目の前の小さ墓だけが、そこに刻まれた親友の名だけが、はっきりと見える。

 体の中が、凍ったように冷たい。
 外の音は何も聞こえない。
 自分の心臓の音だけが、響いている。

「これは…」

 柚月の震える唇から、かろうじて声が漏れた。

開世隊かいせいたいの瀬尾義孝の墓です」

 枇々木は冷酷なまでに、淡々と言い放つ。

「先の戦の折、城に敵が迫り、剛夕様は椿様一人をお供に、城を出て市中にある本陣を目指されたのです。その道中、日之出峰で開世隊と遭遇し、襲われたところを助けたのがこの瀬尾義孝でした」

 柚月の脳裏に、日之出峰の情景がよみがえる。
 義孝を探して、歩き回ったあの景色。

「剛夕様は、せめて礼をしたいと、この墓をお造りになったのです」

 枇々木の声は冷静で淡々としているが、その目は、さげすむように「瀬尾義孝」と刻まれた墓石を見下ろしている。

 柚月は、微かな希望にすがった。

「ここに…。ここに、義孝は……いるんですか…?」

 遺体が、とは言えない。柚月は、この二文字を思い浮かべることさえできない。
 枇々木は冷たい目を柚月に向けた。

「いいえ」

 淡々と続ける。

「この下はからです」

 その言葉に、柚月はわずかに安堵し、微かに口元が緩んだ。

「柚月様もご覧になったでしょう。あの惨劇の後を。おそらく、瀬尾義孝は敵の追撃を逃れようと、怪我のまま茂みに入ったのです」

 枇々木の言葉に、柚月の脳裏に、再び日之出峰の景色がよみがえる。
 戦の直後。
 義孝と最後に会った場所に行き、その後義孝がたどったであろう道を歩いて回り、最後に、十人程度が争った形跡がある場所にたどり着いた。

 そこに、枇々木もいた。

 死体はすでに片付けられていたが、地面に残された銃弾の跡と、何かを引きずったような跡があった。そしてそれは、近くの茂みにまで続き、消えていた。

 あれが、義孝のものだったら。
 義孝が、傷ついた体で這った跡だったら。

 枇々木の口元が、にやりと笑う。

「日之出峰に捜しに行かれても無駄ですよ。見つけられたところで腐り落ちて、誰かも、いえ、何かもわからないでしょうから」

 枇々木の言葉が、柚月の心をえぐった。
 柚月は大きく見開き、その目で枇々木を見つめたまま動けない。
 真一文字に閉じた口が、震えている。
 
 枇々木もまた、柚月を見つめている。
 蔑むような冷たい目で。口元には、微笑みさえ浮かべて。

 日が、陰りだした。
 広がる陰に、柚月は日暮れを感じ、微かに、「暮れ六つ」という言葉が頭をよぎった。

 遊郭に、白峯の元に行かなくては。

 柚月は崩れ落ちそうなほど弱々しく枇々木に一礼すると、ふらりふらりと歩き出した。
 まるで、幽霊のような足取りで、境内に消えていく。

 夕焼けの空に、黒く、カラスが飛んでいた。
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