ずっと愛していたのに。

ぬこまる

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三章 プリンセスロード編

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 眠気を誘う、ぽかぽかした昼下がり。

「暇だな……」

 そうつぶやく私は、道具屋のカウンターから窓の外を、ぼんやりと眺めていた。
 街を歩く人々の顔は暗い表情をしている。みんな魔物の脅威に怯えているのだろう。
 
「所詮、この世は弱肉強食か……」
 
 いつも平民を虐めていた貴族が、魔物に襲われた。
 もはや、平民と貴族のあいだにある上下関係は、ぼろぼろになったレンガのように崩れさったと言ってもいい。

 あれは数週間前のこと……。

 貴族たちが魔物に襲われ、血だらけで街に帰ってきたのだ。
 そして私は、彼らをポーションで回復させた。すると平民たちから褒められたけど、誰もが思っただろう。
 
 これでは話が違う。

 貴族が偉そうにしていた理由が、魔物の脅威から平民を守るはずだったのだから。
 平民の不安は、やげて貴族への不満に変わりつつあり、いよいよフィルワームから派遣されるAランク冒険者の出番となった。つまり、ジャスが故郷のトルシェに帰ってくる。だけど……。

「ジャス……私に会いに来てくれるかな……」
 
 婚約してから3年が経つけど、今やジャスとの関係は薄れて、まったく会っていないし、手紙のやり取りもない。
 
 でも、なんで?

 ジャスから嫌われる理由が、まったくわからない。

「はぁ……」
 
 ため息が漏れる。
 こんな姿を祖父に見られたら心配するだろう。しかし幸いなことに、現在の道具屋は私だけ。祖父はポーションの空き瓶を回収するため出かけている。

「ふぅ……よし!」

 しっかりしなさい、ルイーズ! 婚約者を信じて待っていよう。

「そうよ、ジャスは私と結婚する……きっと! あっ、いらっしゃいませ~」

 ぎぃぃ、と道具屋の扉が開く。
 きらめく鋼の鎧を装備する男性が立っていた。その顔は真昼の日差しに照らされて、よく見えない。だけど、店のなかに入ってくるにつれて、その顔が見え始め、彼の声が聞こえた瞬間、私の思考回路は止まった。

「ルイーズ、ひさしぶり……」

 ジャスだ。
 間違いない。この低い声は彼だ。顔つきは大人っぽくなり、魔法学校のときよりも、さらにかっこよくなっている。
 ドキドキドキ、と胸が高鳴ってどうしようもないから、私は自分の両手を胸にあてて、気持ちが落ち着くようにした。だけど、うまくいきそうにない。今すぐ彼を抱きしめたい。
 
「ジャス!」

 私はカウンターから飛び出して、彼に抱きついた。

「おかえり……」

 そう言って顔をあげると、ジャスは私の頭をなでる。そして、会えなかった分の時間を埋めるように、じっとお互いの顔を見つめながら話し合った。

「ルイーズ、俺、Aランク冒険者になった」
「おめでとう!」
「ありがとう……」
「うふふ、じゃあ、父に結婚の報告をしに行こうよ、ジャス」
「あっ、ルイーズ……」
「何?」
「結婚したかったのだが……」

 え?

 ジャスは私と目を合わせない。どうしたの?

「他に好きな人ができたんだ、すまん」

 何を言っているの?
 まったく理解できない。目の前がまっくらになり、ジャスの顔が歪んで見えてきた。

「だが、やっぱりルイーズは可愛いな。抱きしめられたら、なんだか気持ちがよくなってきたぞ」
「……は?」
「よし、チャンスをやろう、もっと俺を気持ちよくさせることができたらもう一度、結婚を考えてやってもいい」
「ジャス、どういうこと?」
「こういうことだ」
「きゃっ!」

 急にジャスの指が私の顎をすくいあげる。
 
 んんっ……。

 かわすことができない速さで、私はキスをされていた。

「だ、だめ……あっ……んっ」

 あつい、体があついよ……。

 だけど、他に好きな人ができたって、どういうこと?

 唇を離したジャスは、獣のような荒い息を吐いていた。

「はぁ、はぁ……我慢しないで無理やりこうしていればよかったな」
「ダメだよ……まだ結婚してないのに……」

 あ? とジャスは怖い顔をする。
 そして私の服を無理やり脱がしながら、むにゅっと胸を揉んできた。あんっ、気が狂いそう。

 ああ、こんなことになるなんて……。

 私は悲しくなってきて、涙を流してしまう。
 純粋に私のことを愛していたジャスはもういない。
 今、私の体を求めているのは、ただの獣だ。
 すると、ジャスの手が止まった。ちっ、と舌打ちして私から離れていく。

「泣くほど、嫌なのかよ」
「あっ、ちがうの、これは悲しいだけで……」

 もういいっ! と私が話し終える前にジャスは言い切ると、さっさと店から出ていった。
 ぺたっ、と腰が砕けた私は、床に座り込んでしまう。ジャスの手の感触が、まだ私の体に残っていて、なんともやりきれない思いがする。
 
 こんな形でジャスと終わりたくない。
 
「ポーションだって渡してないし……」

 私は棚から青色の瓶を取り出すと、勇気を出して店の扉を開ける。
 すると祖父がちょうど帰ってきた。

「おじいちゃん、ちょっと出かけてくる」
「どうしたルイーズ? どこにいくんじゃ?」
「ジャスのところ……」

 駆け出していく私の背後で、祖父は心配そうな顔をしているだろう。
 なぜなら私は、涙を流していたのだから。ふき取っても、ふき取っても止まることがない、この悲しみの涙を。

 
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