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一章 魔法学校編
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しおりを挟む地下の牢獄。
どこをどう通って、ここに来たのか?
目隠しをされた私は、男たちの手によって牢屋に入れられ、ガチャリと鍵を閉められた。
両手は背中の後で縄で縛られ、どうやっても解けない。困り果てた私は、人間の五感のうちのひとつ、視覚を奪われた盲人の世界に溶けていく。
それは、残された感覚を研ぎ澄ますことで、何とか生きるしかない世界だと、私は悟った。
嗅覚、錆びた鉄の匂い、あと、むせ返るような排泄物の、ツンとした匂いが混じってめまいがする。
聴覚、耳にするのは男たちの醜い声。
「女だ……女だ……」
「うぉぉ、興奮するぜ! おっおっ」
「女の匂いだけでいけるな~気持ちいぃぃいぃぃ!」
な、なんだこいつらは!?
「きゃー!」
私は戦慄を覚え、つい叫んでしまった。
それがいけなかった。私の叫びは、より一層に男たちの性欲をかき立ててしまう。くそ、聞きたくもない気持ち悪い声を耳にし、吐き気がする。
そう、ここ牢獄には、まともな人間がいないことを完全に理解した。と同時に、疑問がわく。
ということは、牢獄に入れられた私もまた、まともな人間ではないのだろうか?
いや、違う。
私は悪いことをした覚えはない。
ただひとつだけ引っかかることは、魔石だ。あれが関係していることは間違いないだろう。私を捕らえるよう指令を出した王族の顔が、サッと頭に浮かぶ。
「ヴェルハイム……やつはなぜ私を牢屋に?」
小声でつぶやいてから、後ろに回った手であたりを探る。
触覚、いくつも並ぶ鉄の棒であったので握ってみる。冷たくて、とても頑丈そうな牢屋だ。無駄だと思うけど、ガチャガチャと抵抗してみる。
「おーい! 看守はいませんかー! 私がここにいるのは間違いでーす!」
やはり徒労だった。
冷たい牢獄に、私の声が虚しく響く。そしてすぐに男たちが笑った。性的に見られている私の価値は、やつらを喜ばせることしかないらしい。何をやっても裏目に出る。じゃあいったい、どうしたらいいの?
「うう、ジャスたすけて……」
弱々しい心の声が漏れ、スカート姿だけど、かまわずへたり込んだ。お尻から底冷えするけど、もう疲れた。肉体的にも精神的にも立っていられない。
ああ、お腹が空いた。
時刻は既に夕方だろう。
文化祭が終わった今頃は、レミたちと打ち上げする予定だったのに、最低で最悪の日になってしまった。
思えば、魔法が使えない私が一生懸命に道具を作っても、何も上手くいかない。父からの評価は低いままだし、私が牢獄に入れられたことによって、さらに失望させただろう。
まって、それだけじゃない。
父が埋めた魔石を無断で掘り返し、道具として利用し、結果、私は牢獄にいる。もともと魔石は父のものだ。もしかして父にも罰が下っているのでは?
ああ、それはまずい。
いつか父を土下座させる計画が、頓挫してしまうではないか。そして家に帰ったら、ますます姉から虐められるだろう。
いや、牢獄から家に戻れるならいいほうだ。
うそでしょ?
最悪な展開が頭をよぎる……。
「可能性としては、このまま処刑されて私は……死っ!」
ああ、絶望感と焦燥感で胸が張り裂けそう。
と、そのとき。コツコツ、とこちらに近づいてくる足音が聞こえる。高級そうな革靴の音。
だれだろう?
じっと静かに待っていると、何者かの気配を感じ始めた。都会的な甘い香水の香りが鼻につく。それはしばらく黙っていたので、私は意を決して、話しかけてみた。
「だれ?」
それは、フッと微笑すると、一歩だけ私に近づいた。
「知らなくていいことだ。きみは質問にだけ答えればいい」
「……その声、聞き覚えがある。あなた、ロイと一緒にいた王族ね。名前はヴェルハイム、もっとも今私が一番会いたい人だったよ」
「ふっ、なかなか賢いようだな、ルイーズ。きみを殺すのは惜しい。とても可愛いし、真面目で、心がピュアだ」
「は? やめて……親にも褒められたことないのに」
「きみの父親か、彼があの石をトルシェに持ち込んだのか? 貿易商ならありえる話だ……正直に答えよ、さっきも言ったようにきみを殺したくはない」
すぐには答えない。
ヴェルハイムの持っている情報を聞き出すことを優先させるのだ。
「石ってなに? そもそも私がなぜ犯罪者なのか理由がわからない」
「とぼけるな! あの石を杖に繋いだということは、ルイーズは知っているのだろう? 魔力の伝導を」
「ええ、それはもちろん! あの石って魔石のことだったのね」
ませき、ませき……とヴェルハイムは言葉を反すうした。どこか驚いているようだ。
「ほう、なるほど……魔石か、なかなかいい名付けだな、会議で使えそうだ」
「ちょっと、ひとりで納得してないで説明してよ! なぜ魔石を使うと犯罪なの?」
「そんなことは知らなくていい。とにかく魔石の貿易は違法であり、ましてや使用するなど前代未聞だ! 次に使ったら処刑するからな!」
「お断りします」
ぶん、と私は首を横に振った。絶対に納得できない。
ヴェルハイムの顔は見えないが、イラついているだろう。
「なんだと……」
「私は魔石の研究をやめるつもりはありません」
「は? 魔法が使えない分際で何を偉そうに! おまえは平民だろ? 平民らしく首を垂れよ!」
かちん、と頭にきた。
悪の権化はこいつだ、と確信したと同時に、同じ人間なのに差別を作り出す王族や貴族は、劣悪で強欲な魔物とさして変わらない存在だと理解した。
やはり、こんな腐った世界は破壊してやるべきだ。そして、人類のみんなが平等に暮らせる新世界をつくるのだ。
私は勇気を振り絞って立ち上がり、大きな声をあげた。
「魔法が使えない平民でも魔石を使うことで、水を生み出せたり、火を起こせたり、風を使えば大きな物だって運ぶことができるし、土は建設に使える。これはみんなが豊かに暮らせる画期的な道具だ! よって私は魔石の研究をやめるつもりはありません」
「ルイーズ……やめておけ……」
「魔法は王族や貴族だけのものではなく、平民でも使える世の中にしたい! 魔法が使えると偉いって世界、もうやめませんか?」
私の言葉が牢獄に響くと、パチパチと男たちから拍手が起こった。また、喜ばせてしまったみたい。
わはははは!
ヴェルハイムは狂ったように笑う。
顔が見えなくてよかった、きっと恐ろしい形相だろう。
「危険な思想だ……ルイーズ、革命でも起こすつもりか?」
「だったらなに? 私を殺すの?」
「ああ、業火で滅してやる……この異端者め……」
ヴェルハイムは冷たく言った。
そして、魔法を唱えたのだろう。バチバチ、メラメラと炎が巻き起こる音が響く。焦げる鉄の匂いと、飛び散る灰が頬にあたり、ぞわぞわと死の予感が熱風とともに迫る。
ジャス、ごめん……結婚できそうにない。
ふと思い出すのは彼の笑顔だ。
たとえ私と結婚できなくても、Aランク冒険者になって成功をつかんでほしい。
そう願いながら、私は死のう。もはやこれまで……。
と絶望した瞬間、ばしゃん、と波のような音が鳴り、水しぶきが私の足にかかった。まるで蒸し風呂のような熱い湿気が、私の震える肌にまとわりつく。
水魔法?
まさか、姉が助けに来てくれたのか?
いや、どうやら違うらしい。
「ヴェルハイム、やめてください!」
この声は、ロイだった。また姉への点数稼ぎにきたのか。まったく、ご苦労なことだ。親戚となる私が犯罪者だと困るでしょうから。でも、どんな顔をしてるのか気になる。
「これはどういうことですか、ヴィルハイム? ルイーズが犯罪者なわけないでしょう!」
「おやおや、ロイ様、よく牢獄の入り口がわかりましたね」
「ぼくはトルシェを統治する王族です。この街で不可能なことなどありません」
「近衛兵め、口を滑らしたな……」
「ヴェルハイム! ルイーズを捕らえた理由を説明してください! しなければ父上に言って、然るべき処置をしますよ?」
「そ、それはやめてください。説明しますから……と言ってもロイ様に理解できるかどうか……」
子ども扱いしないでください、とロイは言いながら、ガチャリと牢屋を開けた。鍵を用意していたらしい。かなり私のことを考えてくれているようだ。しかも、私にそっと近づき、耳元で、
「もう大丈夫だよ」
と言うから、ドキッとしてしまう。
やめて! この感情は抑えたい。
しかし、目隠しを外してくれる彼の手つきが優しくて、私は心にもなく感動してしまった。
ヤバいな、ジャスには絶対に言えない。
さらに、手首の縄を取ってくれるのだけど、顔、顔、顔! 顔が近いってば! 本当にやめてほしい。そんな優しい顔を近づけないで!
「ロイ様、この娘は我が国フィルワームにとって違法な物資を使用しました。ついては、父親は密輸の疑惑もあります。大臣として、この犯罪を見過ごすわけにはいきません」
ヴェルハイムの説明に、ロイの頭はついていけてるのだろうか。
それでも、私を守るように立つと言った。
「その物資とは、ルイーズの言うところの魔石のことですか?」
「はい」
「なるほど……ですが、ぼくには違法だとは思えないです。むしろ平民も魔法が使えて豊かになる資源だと思うけど、いったいなぜ違法なのですか?」
ふん、と鼻で笑うヴェルハイムは目を細めた。
「平民が魔法を使うなどありえない! ロイ様、気は確かですか?」
「ぼくは正気だ、魔法学校に通ってわかったことがある。平民のなかでも魔法が使える特待生がいるのですよ! ヴェルハイムもまだまだ勉強不足ですね」
「ロイ様はわかっていません……魔法とは神から与えられた神聖なもの、それを平民が使うなど冒涜です! 魔法が使えるのは貴族だけでよいのです!」
ここでロイは、ニヤッと微笑んだ。私も貴族社会の腐敗に気づいたばかりだったので、つい同調して嬉しくなる。
まさか、王族のロイが平民側の思考だったなんて……。
「ははん、つまり簡単に言うと、魔石を平民が使うと、ぼくたち王族や貴族にとって不都合な世界になりそうだ、そう言いたいのですか?」
「ロイ様……あなた王に成られる人ですよ、口を慎みなさい」
「よし……ヴェルハイムの言うことはわかった。では、ぼくから提案します」
「なんでしょうか?」
「ルイーズは魔石の研究を中止すること、そして父親の方は違法な貿易をしていないか監査をする、これで決着としませんか?」
「……ロイ様がそう言うならば、従うしかありません。立場はあなたのほうが上ですから、次期国王……ただ、わたしもその監査に同行を願いたい」
いいでしょう、と言ったロイは私の肩に触れた。
ん? ロイが時期国王? どういうこと?
それにしてもロイの提案には納得できないが、命を助けられた私は口論できない。甘んじて受け入れるしかなさそうだ。
「さあ、ルイーズさん、これにて釈放です」
「……あ、ありがとう、ございます」
ロイは私の手を引きながら、さっそうと牢獄から出ていく。
背中には、ヴェルハイムの視線が強く突き刺さっていたけど、怖くてとても振り返れなかった。
「もうすっかり夜ですね」
「……ここは、まさか!?」
地下から階段をあがると、そこは時計台の教会。つまりトルシェの名所である鐘楼だった。
驚くべきことだ。深い闇の歴史を垣間見た気がして、さらに恐ろしくなる。
そんななか、清々しい風のようなロイはどこか嬉しそうに話す。なぜ?
「まさか鐘楼の地下に、このような牢獄があるなんて大発見ですね、ルイーズ」
「……は、はい」
「では、家まで送りましょう」
「あ、いえ、それは結構ですから」
気づけば、私は踵を返していた。
ロイといっしょにいると、不吉な予感がする。こんなところをジャスに見られたら、まさに修羅場。
しかし次の瞬間、私はロイに手を取られ、ぎゅっと抱きしめられた。
「まって、ルイーズさん!」
「は、はなしてください……」
「ぼくはルイーズさんが好きです!」
「……!?」
理解不能だった。
ロイは姉のことが好きだと思っていたけど、それはまったくの誤解で、どうやら私のことが好きらしい。いや、ふつうに困ってしまう。
「ロイ……ダメだよ……私はジャスと婚約してるから」
「そうですよね……でも、ルイーズさんを好きな気持ちが抑えられないんです!」
「あっ……ん……」
な、なに?
ロイの顔が近くにあり、私は唇を奪われていた。
ドキッと心臓が飛び跳ね、身体じゅうが熱くなる。ウソでしょ? 私、興奮しているらしい。
でも、ダメ、ダメ、ダメ!
どん、とロイを突き飛ばした私は教会を出て、いっきに商店街まで走る。全力で運動するなんて、子どものとき以来だった。
ぜぇ、はぁ、と息が弾けて、血の味が口のなかであふれる。
そして人混みに溶けた私は、やっと解放されたことに安心できて、一息つけた。
「はぁ、死ぬかと思った……」
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