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「さあ、椅子に座って、ええ、そこでいいわ。リラックスして」
ケイトの母シズカに促され、アリスは椅子に座る。
何だこれ? 人をダメにしそうだ。
腰が深く沈み、スッと起き上がることができない。
「あの~話って何でしょうか?」
「ケイトのことよ」
「ケイトさんが何か?」
「あの子、頑張りすぎてないかしら……IT企業の社長と言っても何をやってるんだか分からないじゃない? 冷蔵庫の中身をAIが管理とか何それって感じだわ」
「ははは……私にも分かりませんわ。けど、ケイトさんなら大丈夫ですわ」
「なぜ?」
「私が心から支えますから!」
アリスは、どんと胸をはった。
うふふ、とシズカは笑う。チャーミングな目元をしている。若い頃は、さぞ美人だろう。
「アリスさんは料理が得意のようね」
「はい、シェフの動画配信を見れば、素人の私でもフレンチ料理が作れますわ」
「それは頼もしいわね! でも、自傷行為の危険性を知ってる?」
「え?」
苦笑するしかないアリス。
シズカは何もかも知ったような顔をして、アリスの左腕を見た。
「いつからなの?」
「……っ」
「そうやって自分を責めるようになったのは?」
アリスは、うふふっと苦笑しながら首を振る。
まっすぐなシズカの視線に耐えられず、サッと下を向く。
シズカは懐中時計を取り出した。カチカチカチ、と時を刻む音が響く。
「誰も悪くない」
「……」
「誰のせいでもないの。大丈夫、あなたは自分の人生を歩めば、それでいい」
「……あの~これってセラピーですか?」
「そうね、アリスさんがそう思うならそうよ。すぐ治るから……さあ、お母さんのことを話して」
ハッとするアリス。
瞳孔が開き、シズカから離れたい衝動に駆られ、立ちあがろうとする。
だが、さっきから時計の音が気になって仕方ない。
「もう死んでるの?」
「いいえ、死んでいないわ! 死んでなんて……」
「じゃあ、どこにいるの?」
「言いたくありませんわ」
カチカチカチ
優しく微笑むシズカ。
時計の音に吸い込まれたアリスは、ついに口を開いてしまう。
「ボロいアパート……」
「間取りは?」
「ワンルーム……」
「誰が家事を?」
「掃除も洗濯も料理も……全部、私がやってましたわ」
「なぜ?」
「お母様は、水商売をしてて……いつもお酒ばかり飲んで寝てましたわ」
「今も?」
「さあ……分かりませんわ……私は逃げてきたので……あれ? え? え?」
涙が止まらない。
アリスの目はまっ赤に充血し、頬には大粒の涙がこぼれる。
思い出すのは、あのアパート。ボロくて、物がぐちゃぐちゃで散乱したカオスな空間。
それをアリスが、子どもの頃のアリスが、泣きながら片付けている。
「何をしてるの?」
「掃除ですわ……」
「もうしなくていい」
「でも……」
「もうやめろ!!」
シズカの怒声が響く。
アリスは、ゆっくりと天井を見上げる。
そこはもうアパートではない。何もない、暗い闇の中だった。
「もう何もしなくていい、闇の中にいて」
シズカの声がする。
だが、遠くの方で聞こえるだけで、視界はどんどん悪くなっていく。見えていたはずのシズカは、もうすっかり小さくなっていた。
「逝ったようね……」
ぼそっとシズカは小さな声でつぶやく。
瞳孔が開いたままのアリスは、ガタガタと震えながら座っていた。催眠術にかけられ、自分の意思で動けない。
「……ああ……あああ」
声が出ない。
アリスは深層心理の中でもがき、深い闇に溶けていく。
ただ、シズカの声だけは聞こえていた。
「そのまま闇に堕ちなさい……」
シズカに目を閉じられ、完全な闇がアリスを支配した。
ケイトの母シズカに促され、アリスは椅子に座る。
何だこれ? 人をダメにしそうだ。
腰が深く沈み、スッと起き上がることができない。
「あの~話って何でしょうか?」
「ケイトのことよ」
「ケイトさんが何か?」
「あの子、頑張りすぎてないかしら……IT企業の社長と言っても何をやってるんだか分からないじゃない? 冷蔵庫の中身をAIが管理とか何それって感じだわ」
「ははは……私にも分かりませんわ。けど、ケイトさんなら大丈夫ですわ」
「なぜ?」
「私が心から支えますから!」
アリスは、どんと胸をはった。
うふふ、とシズカは笑う。チャーミングな目元をしている。若い頃は、さぞ美人だろう。
「アリスさんは料理が得意のようね」
「はい、シェフの動画配信を見れば、素人の私でもフレンチ料理が作れますわ」
「それは頼もしいわね! でも、自傷行為の危険性を知ってる?」
「え?」
苦笑するしかないアリス。
シズカは何もかも知ったような顔をして、アリスの左腕を見た。
「いつからなの?」
「……っ」
「そうやって自分を責めるようになったのは?」
アリスは、うふふっと苦笑しながら首を振る。
まっすぐなシズカの視線に耐えられず、サッと下を向く。
シズカは懐中時計を取り出した。カチカチカチ、と時を刻む音が響く。
「誰も悪くない」
「……」
「誰のせいでもないの。大丈夫、あなたは自分の人生を歩めば、それでいい」
「……あの~これってセラピーですか?」
「そうね、アリスさんがそう思うならそうよ。すぐ治るから……さあ、お母さんのことを話して」
ハッとするアリス。
瞳孔が開き、シズカから離れたい衝動に駆られ、立ちあがろうとする。
だが、さっきから時計の音が気になって仕方ない。
「もう死んでるの?」
「いいえ、死んでいないわ! 死んでなんて……」
「じゃあ、どこにいるの?」
「言いたくありませんわ」
カチカチカチ
優しく微笑むシズカ。
時計の音に吸い込まれたアリスは、ついに口を開いてしまう。
「ボロいアパート……」
「間取りは?」
「ワンルーム……」
「誰が家事を?」
「掃除も洗濯も料理も……全部、私がやってましたわ」
「なぜ?」
「お母様は、水商売をしてて……いつもお酒ばかり飲んで寝てましたわ」
「今も?」
「さあ……分かりませんわ……私は逃げてきたので……あれ? え? え?」
涙が止まらない。
アリスの目はまっ赤に充血し、頬には大粒の涙がこぼれる。
思い出すのは、あのアパート。ボロくて、物がぐちゃぐちゃで散乱したカオスな空間。
それをアリスが、子どもの頃のアリスが、泣きながら片付けている。
「何をしてるの?」
「掃除ですわ……」
「もうしなくていい」
「でも……」
「もうやめろ!!」
シズカの怒声が響く。
アリスは、ゆっくりと天井を見上げる。
そこはもうアパートではない。何もない、暗い闇の中だった。
「もう何もしなくていい、闇の中にいて」
シズカの声がする。
だが、遠くの方で聞こえるだけで、視界はどんどん悪くなっていく。見えていたはずのシズカは、もうすっかり小さくなっていた。
「逝ったようね……」
ぼそっとシズカは小さな声でつぶやく。
瞳孔が開いたままのアリスは、ガタガタと震えながら座っていた。催眠術にかけられ、自分の意思で動けない。
「……ああ……あああ」
声が出ない。
アリスは深層心理の中でもがき、深い闇に溶けていく。
ただ、シズカの声だけは聞こえていた。
「そのまま闇に堕ちなさい……」
シズカに目を閉じられ、完全な闇がアリスを支配した。
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