デジタルゴーストに花束を

ぬこまる

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「結局、帰って来てしまった……」

 ここは月野さんの家だ。
 僕はクロスバイクから降りて、黒い鉄格子の前に立つ。この家に入るための正門だ。
 それは硬く閉ざされ、呼び出しベルにあるカメラを覗き込むと、ガガガと自動的にスライドして開いた。
 僕の顔を認証したのだ。
 中に入ると、ガチャリと門は自動的に閉まり、厳重な家なのだと思い知らされる。
 この家はふつうじゃない。
 豪邸だ。玄関までのアプローチは、まるでリゾートホテルのように背の高い椰子の木が左右対称に並んでいる。
 僕は自転車を置くため横にそれて、駐車場へと向かう。
 庭にはプールがあり、きらきらと太陽の光りを反射させている。とても綺麗だが、水の無駄だ。僕は先月まで避難生活を送っていただけに、こうも贅沢している家を見るとイライラしてくる。
 だが、皮肉なものだ。
 質素な家が地震で崩壊して避難民になったら、こんなにも優雅な豪邸に住むことになったのだから。
 
「人生、何が起こるか分かんないや……」

 見てくれよ、この車の数を。
 レクサス、アウディ、ポルシェ、メルセデス。開け放たれたガレージには、高級車がずらりと置いてある。
 特に目を引くのはメルセデスのゲレンデという車だ。トラックみたいな形で、キャンプとかにすごく使えそうだ。
 僕はアウトドアが好きなので、ちょっと乗ってみたいな、なんて思ったりして。でもこんな高い車、僕には似合わない。当分は、このクロスバイクで十分さ。
 僕はリュックサックを背負い、玄関へと向かう。
 すると、ガチャリとドアが開く。自動ドアではない。誰か出てくる。

「アオくん! どこにイッテらしたですカ?」

 家から出て来たのは月野さんの奥さんだ。
 その見た目は銀髪に青い瞳、ヨーロッパの人らしく年齢は不詳だが、とても綺麗なので母親には見えない。そう、この人には娘がいる。エリナという完全無欠のお嬢様が!

「……」

 無言で家の中にいるのが、その娘エリナだ。
 母親と同じく銀髪に青い瞳、幼い顔つきをしている。麗しの妖精エルフを思わせた。うん、黒髪のサラとは違うタイプの美少女だ。それは認めざるを得ない。
 だが、それよりも婦人は僕の手紙を読んでいないのか?

「ちょっとサイクリングしてました」
「わぉ! ツユだくね、すぐにシャワーあびるとヨキ」

 めちゃくちゃな日本語だ。
 僕が家に入ろうとすると、エリナは顔を下に向けた。

「……」

 やはり無言だ。
 話す価値もない、と言ったところか。僕は数日前からここに住んでいるが、エリナとは一度も話したことがない。
 うう……入りにくい。
 玄関には大きなアタッシュケースが二つ置いてある。嫌な予感しかしない。
 するとそこに、「わははは」と男性の笑い声が響いた。月野さんだ。

「アオくん! いいところに来た!」
「あ、はい……」
「今日からママと旅行に行ってくるから留守番たのんだよ。お盆には帰ってくるから」
「はぁ?」

 僕の頭の中で、お決まりの疑問がわく。
 これ、なんてラノベ?
 いきなりハーフ美少女と二人きりで同居!?
 じとーっと僕を見つめるエリナの姿が視界に入ってくる。だが次の瞬間には、ニコッと笑い、まるで天使のように月野さんの腕にすり寄って、ぺらぺらと英語で会話をした。
 何を話しているのだろう。
 グッバイしか聞き取れなかった。
 にこやかに手を振るエリナ。この子、両親となら気楽に話せるようだ。っていうか、まだ日本語が話せないのだろうか? まったく僕に話しかけてくれない。

「アオくん、悪く思わないでくれ。エリナは引っ込み思案なんだ」

 月野さんは、そうフォローしてくれた。
 だが、なぜそんな娘と僕を二人きりにするなんて! 思い切って聞いてみよう。

「あの、僕とエリナさん二人きりより、家政婦を雇えばいいのでは?」
「すまない。エリナは極度の人見知りで他人をまったく受け付けない。だから何とか人とコミュニケーションが取れるように、アオくんを居候させたのだ。ずっと兄弟が欲しいと言っていたし」
「なるほど、だから僕をお兄ちゃんと呼ぶんですね」
「ああ、あともうひとつ、アオくんを居候させたのは、君を料理人として育てたいと思っているのだ。君のお父さんみたいにね」

 料理人。
 月野さんの言う通り、僕の父親は料理人だ。子どもの頃、父が働く姿を見たことがある。
 思い出すのは、一流ホテルの厨房で料理長をしていた父の姿。和食、中華、フレンチ、すべての料理を完璧に作っていた。
 親戚の結婚式に招かれた時だ。
 おめかしした僕は八歳で、母親と来賓席に座っていた。
 その時だ。初めて月野さんと話したのは……。

「お父さんの料理は本当に美味しいね」

 うん、と僕は答えた。
 月野さんの背後には幼いエリナがいて、くりっとした青い瞳で僕を見つめている。銀髪の幼女エルフ。僕が彼女を見た、初めての印象だ。

「娘のエリナだ。ほら、挨拶をして」
「……」
「あはは、ごめんね。まだ日本に慣れてないんだ」

 エリナはずっと無言だった。
 父親の影に隠れていたが、暇になった僕が携帯ゲームで遊んでいると、ちょこんと横から画面を覗いてきた。

「……」
「ん? 君もやる?」

 エリナは黙ってゲーム機を受け取ると遊びだした。
 結構、うまかった。ダンジョンに入って魔物を倒すゲームだったが、僕よりもハイスコアを叩き出す。おそらく動体視力がいいのだろう。青い瞳は静かに微笑んでいた。帰り際に、

「グッバイ、オルダーブラザー」

 と小さな声で言ったのを覚えている。
 それ以来、エリナとは会っていなかったが、こんな形で再会するとは! しかも、まったく無視されているし。
 
「じゃあ、アオくん。エリナのことを頼んだよ。生活費はスマホに入金しておくから自由に使ってくれ」
「あ、はい……」

 バイバーイ、と夫人は手を振って、月野さんと行ってしまった。
 まったく、金持ちの考えることは分からん。
 月野さんはホテルやレストランを経営する社長で、このようにふらっと海外の視察に行くらしい。そのたびに、娘のエリナは一人ぼっちになっていたと思うと、ちょっと可哀想な気もする。
 
「……だからって、いきなり二人きりかよ」

 エリナは何も言わず、スっと下を向く。 
 とりあえず、シャワーを浴びて、着替えた。汗臭いとエリナから嫌われるかもしれない。しっかりボディソープで身体を洗っておこう。ごしごし、う~ん高級なアロマの香り。
 
「ふぅ、さっぱりした」

 あとは晩御飯の準備して、犬の散歩に行くとするか。
 ドアを開けてリビングに入る。すると、エリナが立っていた。僕を見つめ、何か言いたげにもじもじしている。

「どした?」
「……」

 無言で、一枚の紙を渡してくる。
 これは僕がリビングテーブルに置いた手紙だ。その内容は、

『お世話になりました。両親のいるところへ行きます』

 というものだ。
 エリナから僕は手紙を受け取った。どうせ彼女は話してくれないと思うが、とりあえず愛想笑いしとこう。

「あはは、死ねなかったわ」
「……」

 エリナは下を向いたままだ。
 だが、わずかに青い瞳がうるうるしているように見える。

「お兄ちゃんのバカ……」

 さっと踵を返し、二階に上がっていくエリナ。
 泣いていたのか? まさかそんなはずはない。僕のことなんて眼中にないはずなのに。

「まじで意味わからん」

 ぽりぽりと頭をかく。
 まあ、エリナのことを考えても仕方がないので、とりあえずスマホを開く。入金を確認するためだ。

「おい、噓だろ……」

 桁が間違ってないか、これ。
 キャッスレス決済のアプリに入金された額は、百万円だった。ただの数字なのに怖い。
 とりあえず冷蔵庫を開けて、晩御飯を考えるか。

「ん? 食材がない」

 冷蔵庫の中にあるのは、エナジードリンクだけだった。戸棚を開ける。調味料もない。
 そうだ。ここの家の住人は家事をほとんどしなかった。食事は外食か宅配サービス。家の片づけは、掃除サービスの業者が出入りしていたのを思い出す。
 スーパーにいかなきゃ。
 居候生活、数日の僕は家事をしていなかった。得意の料理もしてない。唯一この家でやってたことは、犬の世話くらいだ。

「おーいシヴァ、散歩いくよー!」

 わんわん、と柴犬が僕の足にすり寄ってくる。
 ん~、かわいい!
 小さくて、ころころしてる。これで成犬らしい。品種は豆柴なのだとか。名前は柴犬だからシヴァなんて、ちょっとかっこいい。

「いいこだね~よしよし」

 この家に犬を閉じ込めるゲージはない。
 柴犬は毛が落ちるが、このシヴァは週一でトリミングしてるらしく、まったく綺麗だった。おそらく世界で一番、衛生管理された犬だろう。僕よりも綺麗かも。
 居候する前はエリナが散歩をしていたらしいが、彼女はいっしょに来る気配はなかった。
 僕はシヴァの首輪にリードをつけて、玄関を出ようと靴を履く。もちろん、ゴミ袋も用意してある。
 
「いってきまーす」

 と言った。その時、二階からエリナが降りてきた。

「……」

 黙ったまま、靴を履く。
 そして玄関を開けた。いっしょに散歩に来るつもりだろうか。
 
「エリナも来るか?」

 こくり、と彼女はうなずくのだった。
 
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