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青い空、白い雲、熱を帯びた大地から漂う夏の香り。
永遠のように続く一本道を、僕は自転車で走っていた。荒れた道でも安定してスピードが出せるクロスバイク。父がくれた、最後の誕生日プレゼントだ。
「ああ、気持ちいい……」
僕は爽やかな風をうけて、もっと、もっと速くと願う。
まるで車窓のように景色が流れていく。青い空、白い雲、緑の木々、土香る畑、僕は大いなる自然と同化している。
そうだ、僕はどうかしている。
ああ、心臓がうるさい。息が苦しい。普通じゃない。イッちゃってる。クレイジーだ。誰もいない、信号もない、車もない、ただまっすぐに伸びる農道を、僕は猛烈なスピードで狂ったように自転車をこいでいる。
「うおぉぉぉお! サラちゃーん!」
そう大声で彼女の名前を叫ぶ僕は、初めて家出をした。
いや、正確には僕の生まれた家じゃない。居候先の家をだ。僕がいなくなっても、誰も困らないだろう。誰も泣かないだろう。学校も、生活も、どうでもいい。この世に未練なんてなかった。
だからここに投稿される小説は、僕が本当に死ぬことになったら遺書になるだろう。ごめんね、どうか拙い僕の小説を許してくれ。ただ、少しでも共感できて、ふっと笑ってしまうなら、いいねを押して読んで欲しい。
さあ、本題に入ろう。
もうみんな気づいていると思うが、この人生ってやつはクソゲーだ。
まったく思う通りにいかない。だろ?
ほらまた、僕は行手を阻まれた。
農道に亀裂が入っているのだ。
それはまるで地底に幽閉された巨人タイタンが怒り、ぶん殴った跡のように地面はガタガタだ。おかげで自転車の速度を落として走行するしかない。
ふぅ、疲れてきたわ。
ふと顔をあげると、なびく風が夏草と踊っていた。
自然だけが、ただ美しくそこにある。野生とはまさにこのことか。生まれた土地は荒れ放題。せっかくトラクターで綺麗に耕された畑は、キャベツの種を植える前に地盤が歪んで、草がぼうぼうに生えている。
もうスピードは出せない。
僕は忘れられた街を、自転車でゆっくりと進む。
一階が潰れた家、放置された車、ひしゃげた倉庫。ここにあるものすべてが、もう誰のものでもなく。ただ自然に朽ち果てるのを待つ存在で、無意味で、無価値で、ただの無機質な残骸で、神様からここに人間が住むべきではないのだと罰を受けたような、そんな穢れた土地が広がっている。
「……はぁ」
つい、ため息が漏れる。
ぽっかり穴が空いていた。土砂崩れで家という家が流されたのだ。そのなかに僕の家があり、彼女の家もある。
地震は日曜の夕方だった。
みんな家で夕飯の用意をしていた。そう、僕の両親は地震で亡くなったのだ。
彼女の両親もだ。
僕の彼女の名前はサラ。小学五年のときに隣の戸建てに引っ越してきた、同級生の女の子だ。とても笑顔が素敵で、クラスのみんなから、
『サラちゃんは太陽みたいだね』
と言われていた。
逆に僕は月のように静かな子どもだったが、積極的なサラは僕の手をぐいぐい引いて浜辺の砂遊びに連れ出し、僕の心を優しく照らしてくれた。
そして砂に絵を描いたり、砂の城を作ったりして遊んだ。いつしか僕たちは仲良くなり、小学校を卒業し、中学校でも評判の幼馴染として通っていた。
『バイバ~イ、アオくん』
『またね~、サラちゃん』
なんて言って、当たり前の毎日が平行線のように続くと思っていた。
だけど高校生になった僕は、もうサラのことを友達として見ることができなくなった。
サラのことを見ていると、どうも落ち着かない。無意識に身体が熱くなり、サラと同化したい衝動に駆られた。もうお分かりだろう。僕は、サラを女性として好きになってしまったのだ。
「ああ、僕は告白の場所を間違えてしまった……」
十八になった今だから理解できる。
この土地は安かったのだろう。どこかの建設会社が、土地活用だと言って山の木を切って開拓し、今まで人間が住んでいなかった自然な場所に家を建てたのだ。
だが、それは間違いだった。この土地は地盤が弱かったのだ。
建設会社は儲かっただろうが、その代償として住宅地の背後にある山が地震によって土砂崩れを起こした。
さらに崩落した地盤には、無造作に建設された青いソーラパネルの残骸が、きらきらと太陽に照らされている。もう電力を作れない屑鉄なのにも関わらず、こいつは厄介なことをする。破損したバッテリーから有毒な物質を垂れ流すらしい。つまり、この土壌は汚染されているのだ。
したがって、もうここには誰もいない。
のこのこやって来る人間は僕だけで、他の来訪者と言ったら、ガサガサと物音を立てる野生の鹿や猿だけ。崩壊した住宅に侵入して、人間が残した食料を漁っているのだ。
当の人間たちはどこにいったのか。
みんな家を捨てて避難したのだ。もうここには住めないとあきらめ、国が用意した仮設住宅や、二次避難場所となるホテルに住んでいる。
そう考えると、僕は運がいい方だ。
料理人だった父の友人・月野さんの家に居候することができた。だが今となっては、もうどうでもいい。月野さんには悪いけど、僕の心には、ぽっかりと穴が空いているんだ。
その穴を埋めたい。
君の笑顔が見たい。
「サラに会いたい!」
自転車を降りて、リュックサックを荷台に積んだ。
そして、ぐちゃぐちゃになった道なき道を歩く。岩や木々が無骨に転がった悪路。それらを避けたりよじ登ったりしながら進む。
サラに会うため、僕はこのような荒地に戻って来たのだ。平和だった海を眺める、絶景な高台に!
ああ、君の笑顔が瞼の裏に焼きついている。僕はあの日、ここでサラに花束を渡して、
「好きだ! 付き合ってくれ」
と告白をした。
答えは、ぱーっと花が咲いたような笑顔を返してくれた。子どもの頃から変わらない。まるで太陽みたいな笑顔だ。
僕の胸は、ドキッと踊り出した。そして僕らは岩場に腰かけて、海に落ちる夕陽を眺めながら話した。
いっしょに映画を観たり、おしゃれなカフェにいったり、遊園地にいったり、いっぱい色々な場所で遊ぼうね。なんて夢のようなことを話していた。そんな時だ、神様が僕らにイタズラをしたのは。
グラグラと大地を動かしたのだ。
まるで地属性の攻撃魔法みたいに断崖は崩れて、ドボン、ドボンと岩という岩が高いところから海に落ちていく。
僕はサラの手を握りしめ、ぎゅっと身体を抱き寄せた。その反動で持っていた花束が落ちたが、地面が揺れてとても拾うことができない。無情にも花束は、海に落ちていく。ひらひらと花びらを散らして。
「……あっ」
「サラちゃん、逃げよう!」
僕は彼女の手を引いて、走り出した。
まるで大地が怒っているようだ。
世界が破壊されていく。グガガガ、と地面が天に昇るように隆起し、たちまち土砂崩れが発生した。
とにかく広い道まで出よう。そう考えて走っていたが、土砂崩れの勢いは僕の想像を遥かに超えていた。
ガガガガ、と恐ろしい轟音をあげて土砂が押し寄せて来る。だが、サラは笑顔だった。こんな非常事態になぜ!? 彼女は僕を見つめて、
「好きだよ」
とキスをする。
柔らかくて、甘い、時が止まるほどのキス。
これが最初で最後のキスになるかもしれない。そのようにサラは直感したのだろう。
そして僕らは番のように抱きしめあって、土砂崩れに巻き込まれた。
「……はっ!」
目覚めた場所は、波の音が奏でる海岸だった。
……っ、頭が痛い。
触れたら、手に血がついていた。石か何かに頭をぶつけて、僕の意識は薄れたのだ。
服もぼろぼろで、身体じゅう擦りむいていた。だが、命が助かったのはなぜ?
ふと振り向けば、すぐ横に大木が転がっている。どうやら運よく大木が僕の身体を守ってくれたようだ。ほっと安心した。
だが、待て! サラの姿がない!?
あたりは土砂と木々の残骸と、引いては返す波の音だけ。
「嘘だろ……」
さーっと血の気が引いた。
絶望という二文字が頭をかすめ、あてもなく浜辺をさまよい歩いた。しっかりと抱きしめていたはずのサラが、どこにもいないのだ。
僕はサラを探した。
ずっと、ずっと、夜が来てもずっと探した。やがて太陽が昇って海を照らし、浜辺を照らし、僕の身体を照らしたとき上空から、ババババと風を巻き起こす黒い物体が降りて来た。自衛隊のヘリだ。
そして僕は救助された。
「……」
沈黙することしかできない。
避難場所の生活は母校の小学校で、ダンボールの敷居だけがプライベートの境界線だった。
僕は終始無言で、積極的に同級生やボランティアの人たちとともに助けあったが、両親が遺体で発見されたと知らされた時、プツンと僕の頭の中で、何かの糸が切れる音がして、
「うぁぁぁあああ!!」
と泣き叫んだ。
心が破壊されて、穴が空いたのだと思う。
葬儀は無だった。
ゆらゆらと漂う線香の香り、儚い木魚の音、眠気を誘うお経、完全なる無が、ぽつんとそこにあった。
僕に感情はない。
別れの言葉は、何も話せずに終わった。そのせいか、親戚たちが僕の居場所をめぐり口論していた。どうやら僕は厄介者らしい。
しばらく、ぼーっと避難生活していると、肉厚の手が差しのべてくれた。父の友人の月野さんだ。
『君のお父さんには随分世話になっていた。よかったら、うちに住まないか?』
そして僕は月野宅に居候することになり、現在に至るわけだが、今となっては、もはやどうでもいい。サラがいない世界なんて、生きていたってしょうがない。
人生、十八で死ねるなら、サラと出会ったことだけが救いだ。
もういい、もう疲れた。もう何も考えたくない。どうせ死ぬんだから。
僕は海に飛び込んだ。
「……っぷはー!」
海面から顔を出した僕は、必死に息を吸った。だが海水を含んだ服は重く、まるで沼のように僕の身体は沈んでいく。
もがいても、もがいても、もうどうにもらない。苦しい。空気が欲しい。勢いのある海流に飲まれて身体が動かせない。抗っても、泳ごうとしても、無理だ。流されるまま、流されていく。
ああ、これで死ねるのか……。
と思うと、ふっと力が抜けた。
流れに身をまかせていると、ついに死んだのか。急に気持ちよくなってきた。身体は浮いたようにふわふわとしてて、温かくて、スッと立つことができた。
「なんだ……ここ?」
ぽちゃん、と落ちる雫の音が響く。
目を開けるとそこは、洞窟であった。荒廃した城が闇に溶け込んだ神秘的な空間で、うっすらと天井から光が漏れている。
「にゃー」
すると、一匹の猫がやって来た。毛並みは白く、瞳はエメラルドグリーンをした美しい猫だ。
「君がマリンちゃんかな?」
言葉を話したことにも驚いたが、僕がマリンちゃんとは、どういうことだ?
「いや、違います。僕はアオという名前で、海に落ちてここに来ました」
「にゃにゃ? アオくん……そんなプログラムは予定にないにゃん。ちょっと調べさせて……」
猫は、ムクッと立ち上がった。
まるでダンスする猫ミームみたいに、僕の身体に触れてくる。え、ふつうに可愛いんですけど。
「アオくん、君、死のうとしたにゃ?」
「……うん」
「やっぱり……困るんだよね。そういうことされると」
「ごめんなさい」
「しかも二十一世紀の人間にゃんて……考えられるのは、二つにゃ」
「ん?」
猫は右の前足をあげた。
指を立てているつもりだろう。よくわからない。
「仮説1、アオくんが時空を飛んだにゃ」
「僕が飛ぶ……」
「仮説2、ダンジョンが時空を飛んだにゃ」
「ダンジョンって、ここのこと?」
「そうにゃ。ここは死別した故人をデジタルゴーストにして冒険を楽しむゲームにゃ」
「え?」
「もともとはマリンちゃんと亡くなったパパが冒険する予定だったんだけど……ま、いいにゃ。バグはゲームにはつきものにゃ! さあ、アオくん冒険を始めようにゃ!」
は? ちょっと待て。
僕は死のうとしてて、とてもゲームをする気分にはなれない。ここから出して欲しい、と思っていると、急に猫の身体が輝き出した。
そして次の瞬間、白い光の世界が広がっていく。眩しい。じわじわと人型の暗いコントラストが出現し、それは美しい女性の姿となって、にっこりとまるで太陽のように笑う。
「アオくん!」
サラだ! サラがいる!
僕の胸が熱くなった。涙が頬を流れている。何がどうなっているのやら、サラは高校の夏の制服を着ている。髪型は僕の好きなボブヘアで、
「あら?」
と指先で髪の毛を耳にかけて、ぐしゃぐしゃになった僕の顔を覗き込んだ。
「アオくん、なんで泣いてるん? っていうか、ここどこ?」
「いや、僕にも分からないんだ」
へ~、と何気ない返事をしたサラは、あたりを見渡し、じっと僕らを見つめる猫に気づいた。
「可愛いー! 猫ちゃんだー!」
サラが触ろうとすると、ぴょんと猫は飛んで逃げた。
そしてビシッと右の前足をあげる。
「さあ、アオくんにサラちゃん、冒険を始める前に準備をするにゃ!」
は? と状況が把握できず唖然とした顔になる僕とサラだった。
「サラちゃんが生き返った……」
「猫がしゃべった……」
永遠のように続く一本道を、僕は自転車で走っていた。荒れた道でも安定してスピードが出せるクロスバイク。父がくれた、最後の誕生日プレゼントだ。
「ああ、気持ちいい……」
僕は爽やかな風をうけて、もっと、もっと速くと願う。
まるで車窓のように景色が流れていく。青い空、白い雲、緑の木々、土香る畑、僕は大いなる自然と同化している。
そうだ、僕はどうかしている。
ああ、心臓がうるさい。息が苦しい。普通じゃない。イッちゃってる。クレイジーだ。誰もいない、信号もない、車もない、ただまっすぐに伸びる農道を、僕は猛烈なスピードで狂ったように自転車をこいでいる。
「うおぉぉぉお! サラちゃーん!」
そう大声で彼女の名前を叫ぶ僕は、初めて家出をした。
いや、正確には僕の生まれた家じゃない。居候先の家をだ。僕がいなくなっても、誰も困らないだろう。誰も泣かないだろう。学校も、生活も、どうでもいい。この世に未練なんてなかった。
だからここに投稿される小説は、僕が本当に死ぬことになったら遺書になるだろう。ごめんね、どうか拙い僕の小説を許してくれ。ただ、少しでも共感できて、ふっと笑ってしまうなら、いいねを押して読んで欲しい。
さあ、本題に入ろう。
もうみんな気づいていると思うが、この人生ってやつはクソゲーだ。
まったく思う通りにいかない。だろ?
ほらまた、僕は行手を阻まれた。
農道に亀裂が入っているのだ。
それはまるで地底に幽閉された巨人タイタンが怒り、ぶん殴った跡のように地面はガタガタだ。おかげで自転車の速度を落として走行するしかない。
ふぅ、疲れてきたわ。
ふと顔をあげると、なびく風が夏草と踊っていた。
自然だけが、ただ美しくそこにある。野生とはまさにこのことか。生まれた土地は荒れ放題。せっかくトラクターで綺麗に耕された畑は、キャベツの種を植える前に地盤が歪んで、草がぼうぼうに生えている。
もうスピードは出せない。
僕は忘れられた街を、自転車でゆっくりと進む。
一階が潰れた家、放置された車、ひしゃげた倉庫。ここにあるものすべてが、もう誰のものでもなく。ただ自然に朽ち果てるのを待つ存在で、無意味で、無価値で、ただの無機質な残骸で、神様からここに人間が住むべきではないのだと罰を受けたような、そんな穢れた土地が広がっている。
「……はぁ」
つい、ため息が漏れる。
ぽっかり穴が空いていた。土砂崩れで家という家が流されたのだ。そのなかに僕の家があり、彼女の家もある。
地震は日曜の夕方だった。
みんな家で夕飯の用意をしていた。そう、僕の両親は地震で亡くなったのだ。
彼女の両親もだ。
僕の彼女の名前はサラ。小学五年のときに隣の戸建てに引っ越してきた、同級生の女の子だ。とても笑顔が素敵で、クラスのみんなから、
『サラちゃんは太陽みたいだね』
と言われていた。
逆に僕は月のように静かな子どもだったが、積極的なサラは僕の手をぐいぐい引いて浜辺の砂遊びに連れ出し、僕の心を優しく照らしてくれた。
そして砂に絵を描いたり、砂の城を作ったりして遊んだ。いつしか僕たちは仲良くなり、小学校を卒業し、中学校でも評判の幼馴染として通っていた。
『バイバ~イ、アオくん』
『またね~、サラちゃん』
なんて言って、当たり前の毎日が平行線のように続くと思っていた。
だけど高校生になった僕は、もうサラのことを友達として見ることができなくなった。
サラのことを見ていると、どうも落ち着かない。無意識に身体が熱くなり、サラと同化したい衝動に駆られた。もうお分かりだろう。僕は、サラを女性として好きになってしまったのだ。
「ああ、僕は告白の場所を間違えてしまった……」
十八になった今だから理解できる。
この土地は安かったのだろう。どこかの建設会社が、土地活用だと言って山の木を切って開拓し、今まで人間が住んでいなかった自然な場所に家を建てたのだ。
だが、それは間違いだった。この土地は地盤が弱かったのだ。
建設会社は儲かっただろうが、その代償として住宅地の背後にある山が地震によって土砂崩れを起こした。
さらに崩落した地盤には、無造作に建設された青いソーラパネルの残骸が、きらきらと太陽に照らされている。もう電力を作れない屑鉄なのにも関わらず、こいつは厄介なことをする。破損したバッテリーから有毒な物質を垂れ流すらしい。つまり、この土壌は汚染されているのだ。
したがって、もうここには誰もいない。
のこのこやって来る人間は僕だけで、他の来訪者と言ったら、ガサガサと物音を立てる野生の鹿や猿だけ。崩壊した住宅に侵入して、人間が残した食料を漁っているのだ。
当の人間たちはどこにいったのか。
みんな家を捨てて避難したのだ。もうここには住めないとあきらめ、国が用意した仮設住宅や、二次避難場所となるホテルに住んでいる。
そう考えると、僕は運がいい方だ。
料理人だった父の友人・月野さんの家に居候することができた。だが今となっては、もうどうでもいい。月野さんには悪いけど、僕の心には、ぽっかりと穴が空いているんだ。
その穴を埋めたい。
君の笑顔が見たい。
「サラに会いたい!」
自転車を降りて、リュックサックを荷台に積んだ。
そして、ぐちゃぐちゃになった道なき道を歩く。岩や木々が無骨に転がった悪路。それらを避けたりよじ登ったりしながら進む。
サラに会うため、僕はこのような荒地に戻って来たのだ。平和だった海を眺める、絶景な高台に!
ああ、君の笑顔が瞼の裏に焼きついている。僕はあの日、ここでサラに花束を渡して、
「好きだ! 付き合ってくれ」
と告白をした。
答えは、ぱーっと花が咲いたような笑顔を返してくれた。子どもの頃から変わらない。まるで太陽みたいな笑顔だ。
僕の胸は、ドキッと踊り出した。そして僕らは岩場に腰かけて、海に落ちる夕陽を眺めながら話した。
いっしょに映画を観たり、おしゃれなカフェにいったり、遊園地にいったり、いっぱい色々な場所で遊ぼうね。なんて夢のようなことを話していた。そんな時だ、神様が僕らにイタズラをしたのは。
グラグラと大地を動かしたのだ。
まるで地属性の攻撃魔法みたいに断崖は崩れて、ドボン、ドボンと岩という岩が高いところから海に落ちていく。
僕はサラの手を握りしめ、ぎゅっと身体を抱き寄せた。その反動で持っていた花束が落ちたが、地面が揺れてとても拾うことができない。無情にも花束は、海に落ちていく。ひらひらと花びらを散らして。
「……あっ」
「サラちゃん、逃げよう!」
僕は彼女の手を引いて、走り出した。
まるで大地が怒っているようだ。
世界が破壊されていく。グガガガ、と地面が天に昇るように隆起し、たちまち土砂崩れが発生した。
とにかく広い道まで出よう。そう考えて走っていたが、土砂崩れの勢いは僕の想像を遥かに超えていた。
ガガガガ、と恐ろしい轟音をあげて土砂が押し寄せて来る。だが、サラは笑顔だった。こんな非常事態になぜ!? 彼女は僕を見つめて、
「好きだよ」
とキスをする。
柔らかくて、甘い、時が止まるほどのキス。
これが最初で最後のキスになるかもしれない。そのようにサラは直感したのだろう。
そして僕らは番のように抱きしめあって、土砂崩れに巻き込まれた。
「……はっ!」
目覚めた場所は、波の音が奏でる海岸だった。
……っ、頭が痛い。
触れたら、手に血がついていた。石か何かに頭をぶつけて、僕の意識は薄れたのだ。
服もぼろぼろで、身体じゅう擦りむいていた。だが、命が助かったのはなぜ?
ふと振り向けば、すぐ横に大木が転がっている。どうやら運よく大木が僕の身体を守ってくれたようだ。ほっと安心した。
だが、待て! サラの姿がない!?
あたりは土砂と木々の残骸と、引いては返す波の音だけ。
「嘘だろ……」
さーっと血の気が引いた。
絶望という二文字が頭をかすめ、あてもなく浜辺をさまよい歩いた。しっかりと抱きしめていたはずのサラが、どこにもいないのだ。
僕はサラを探した。
ずっと、ずっと、夜が来てもずっと探した。やがて太陽が昇って海を照らし、浜辺を照らし、僕の身体を照らしたとき上空から、ババババと風を巻き起こす黒い物体が降りて来た。自衛隊のヘリだ。
そして僕は救助された。
「……」
沈黙することしかできない。
避難場所の生活は母校の小学校で、ダンボールの敷居だけがプライベートの境界線だった。
僕は終始無言で、積極的に同級生やボランティアの人たちとともに助けあったが、両親が遺体で発見されたと知らされた時、プツンと僕の頭の中で、何かの糸が切れる音がして、
「うぁぁぁあああ!!」
と泣き叫んだ。
心が破壊されて、穴が空いたのだと思う。
葬儀は無だった。
ゆらゆらと漂う線香の香り、儚い木魚の音、眠気を誘うお経、完全なる無が、ぽつんとそこにあった。
僕に感情はない。
別れの言葉は、何も話せずに終わった。そのせいか、親戚たちが僕の居場所をめぐり口論していた。どうやら僕は厄介者らしい。
しばらく、ぼーっと避難生活していると、肉厚の手が差しのべてくれた。父の友人の月野さんだ。
『君のお父さんには随分世話になっていた。よかったら、うちに住まないか?』
そして僕は月野宅に居候することになり、現在に至るわけだが、今となっては、もはやどうでもいい。サラがいない世界なんて、生きていたってしょうがない。
人生、十八で死ねるなら、サラと出会ったことだけが救いだ。
もういい、もう疲れた。もう何も考えたくない。どうせ死ぬんだから。
僕は海に飛び込んだ。
「……っぷはー!」
海面から顔を出した僕は、必死に息を吸った。だが海水を含んだ服は重く、まるで沼のように僕の身体は沈んでいく。
もがいても、もがいても、もうどうにもらない。苦しい。空気が欲しい。勢いのある海流に飲まれて身体が動かせない。抗っても、泳ごうとしても、無理だ。流されるまま、流されていく。
ああ、これで死ねるのか……。
と思うと、ふっと力が抜けた。
流れに身をまかせていると、ついに死んだのか。急に気持ちよくなってきた。身体は浮いたようにふわふわとしてて、温かくて、スッと立つことができた。
「なんだ……ここ?」
ぽちゃん、と落ちる雫の音が響く。
目を開けるとそこは、洞窟であった。荒廃した城が闇に溶け込んだ神秘的な空間で、うっすらと天井から光が漏れている。
「にゃー」
すると、一匹の猫がやって来た。毛並みは白く、瞳はエメラルドグリーンをした美しい猫だ。
「君がマリンちゃんかな?」
言葉を話したことにも驚いたが、僕がマリンちゃんとは、どういうことだ?
「いや、違います。僕はアオという名前で、海に落ちてここに来ました」
「にゃにゃ? アオくん……そんなプログラムは予定にないにゃん。ちょっと調べさせて……」
猫は、ムクッと立ち上がった。
まるでダンスする猫ミームみたいに、僕の身体に触れてくる。え、ふつうに可愛いんですけど。
「アオくん、君、死のうとしたにゃ?」
「……うん」
「やっぱり……困るんだよね。そういうことされると」
「ごめんなさい」
「しかも二十一世紀の人間にゃんて……考えられるのは、二つにゃ」
「ん?」
猫は右の前足をあげた。
指を立てているつもりだろう。よくわからない。
「仮説1、アオくんが時空を飛んだにゃ」
「僕が飛ぶ……」
「仮説2、ダンジョンが時空を飛んだにゃ」
「ダンジョンって、ここのこと?」
「そうにゃ。ここは死別した故人をデジタルゴーストにして冒険を楽しむゲームにゃ」
「え?」
「もともとはマリンちゃんと亡くなったパパが冒険する予定だったんだけど……ま、いいにゃ。バグはゲームにはつきものにゃ! さあ、アオくん冒険を始めようにゃ!」
は? ちょっと待て。
僕は死のうとしてて、とてもゲームをする気分にはなれない。ここから出して欲しい、と思っていると、急に猫の身体が輝き出した。
そして次の瞬間、白い光の世界が広がっていく。眩しい。じわじわと人型の暗いコントラストが出現し、それは美しい女性の姿となって、にっこりとまるで太陽のように笑う。
「アオくん!」
サラだ! サラがいる!
僕の胸が熱くなった。涙が頬を流れている。何がどうなっているのやら、サラは高校の夏の制服を着ている。髪型は僕の好きなボブヘアで、
「あら?」
と指先で髪の毛を耳にかけて、ぐしゃぐしゃになった僕の顔を覗き込んだ。
「アオくん、なんで泣いてるん? っていうか、ここどこ?」
「いや、僕にも分からないんだ」
へ~、と何気ない返事をしたサラは、あたりを見渡し、じっと僕らを見つめる猫に気づいた。
「可愛いー! 猫ちゃんだー!」
サラが触ろうとすると、ぴょんと猫は飛んで逃げた。
そしてビシッと右の前足をあげる。
「さあ、アオくんにサラちゃん、冒険を始める前に準備をするにゃ!」
は? と状況が把握できず唖然とした顔になる僕とサラだった。
「サラちゃんが生き返った……」
「猫がしゃべった……」
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