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ヴガッティ城の殺人
エピローグ
しおりを挟む「あれから三ヶ月か……」
なぜだろう。
ハーランドの大地を踏みしめると、不思議なことに心が落ち着く。
青と緑の自然は、まるでこの世の楽園のように美しく、浜辺を歩けば規則的な波の音が響き、頭のなかに描いているぼくの存在証明が、白い泡となって海に溶けていく。
ザザー、ザザー、ザザー
ザザー、ザザ……。
あ、しまった。
またハーランドに来てしまった。
『マイラ・ヴガッティ』
うーん、なんて言いにくい名前だろう。
今日はマイラとレオの結婚式があるらしく。不思議なことに、ぼくは二人の幸せな姿が見たくて、もう行くこともないと思っていた灰色の城に向かっている。
「通行止めか……」
幼いころ、師匠が、
『秘密の道だ』
と教えてくれた、この大理石の発掘場所。
トロッコを使って港町から城まで往来できるのだが、どうやらヴガッティ城の殺人事件があって以来、ずっと封鎖されているようだ。
「バスを使うか……」
いったん港町に戻り、歩く人々を観察する。
よかった、奴隷の姿は見られない。
予定通り、総督が死んだおかげで、奴隷制度は撤廃されたようだ。
その代わり今まで奴隷だった彼らは自由に仕事をしている。
タクシー運転手、ウェイター、ホテルマン、農作物を売る人もいる。
おそらくヴガッティ家の当主となったレオが奴隷たちを農業者として雇ったらしい。
「本当に優しい男だ」
と、感心したぼくは、城に向かうバスに乗り込む。
「キャー! みてみてあの人、とってもイケメン!」
「ああん、スーツ似合ってて尊い!」
「オールバックの髪型カッコイイー!」
またか……。
まわりの乗客である若い女性たちが、ぼくのことを噂している。
ここは、ウィンクしてあげよう。
「キャーーー!」
バスのなか、花が咲いたように可愛らしい声が響く。
すると目を細める男性諸君らがこちらを見ていた。あれは、たしか……。
「おれも若いころは、あれくらいモテたんだぞ」
「本当ですか、少佐?」
ハリーとポールだ。
近衛兵の制服のイメージが強いが、今日は二人ともばっちりスーツを着ている。当たり前か、結婚式があるし、何より彼らの職業は仕立て屋。ロンデンの街で紳士服を作って売っている。
ぼくも買いに行こうかな……。
なんて思っていると、バスは城に到着した。
下車してそのまま、ハリーとポールの後を歩いて、盗み聞き。
「リリー、まだ僕のことを好きかな……」
「わはは、心配性だなポールは」
「だって……リリーったら手紙のやりとりしないんですよ? 電話の料金は高いからそんなにできないし」
「いいことを教えてやろう」
「何ですか?」
「男は言葉よりも行動で示せ!」
「え?」
「リリーの手を握って、連れ去ってしまえばいい、好きなんだろ?」
はい、と答えるポールは、今まで見たことがない真剣な顔だった。
「既婚者の少佐が言うなら信用できます!」
「ああ、おれは嫌がる妻を強引に連れ去ったからな、わはは!」」
「マジっすか? あんなにラブラブなのに」
「女は押しに弱いんだよ」
「勉強になります! 少佐ぁぁ」
あはは、とぼくは心のなかで笑う。
みんな恋をしているのだ。恋をしていないのは、ぼくだけかも……。
それにしても、ぼくはなんで結婚式に向かっているのだろう。
マイラとレオの幸せな姿が見たい。なぜそんなことを思うのだろう。
もしかしたら、それは言い訳で、自分でも理解できない深層心理が働いているのだろうか?
──マイラをレオから奪いたい?
まさかな、そんなわけない。
ぼくは彼女を利用した。あれは犯罪だ。許されるわけがない。
でも、なぜだろう。
心のどこかで、ぼくの動機を告白してくれたマイラの姿が、今でも忘れられない。
青い空、風に揺れる髪、ヴガッティ城の屋上で、ぼくはマイラに追いつめられた。
ここまで来ると期待していたこともあるが、ついに来たときは死ぬほど嬉しかった。そうだ、マイラに殺されるなら、本望だ。
『いつかあなたを捕まえてもいい?』
マイラがぼくに言った言葉を思い出す。
何を思ってあんなことを言ったのか?
探偵として? それともぼくのことが好きだから?
──ああ、彼女がぼくのことをどう思っているのか気になる。
これは、究極のミステリーだ!
ん? この感情はなんだ?
ぼくはいつのまにか、マイラのことを好きになっている?
おいおい、彼女は今日結婚するんだぞ。何をいまさら、もうどうしようもないじゃないか。
「ぼくはバカだ……」
結婚を祝う人だかりから離れ、そうつぶやいていた。
ひとり立ち尽くし、ぼんやりと灰色の城を眺める。
不思議なことに、涙がこぼれた。
それにしても、集まっている人数が多いな。
軍や警察組織、貴族、カジノやホテルで働く者、行商の店主、ハーランドに関わっている人々は、みんなマイラとレオの結婚を賛成しているようだ。
「レオって人気者だな……」
背が高くてイケメンで、謙虚なほど無自覚な、みんなから愛される男。
ああ、そうだ。マイラにぴったりな婚約者は……。
レオ!
そう認めるしかない。
でもなぜだろう、なぜか悲しい感情があふれる。
「……」
しばらくすると本日の主役が、純白のドレスとスーツを着て城から出てきた。
笑顔で拍手をするグラディオラ夫妻がいる。
そして家族や仲間たちに祝福されながら、マイラとレオは手を繋いで、美しい庭へと歩いていく。
「おめでとう!」とクライフ。
「お幸せにー!」とムバッペ。
「かっこいいぞー、レオ!」とハリー。
「マイラさん綺麗ぃー!」とリリー。
「ハーランドは平和になるね」とポール。
「ううう……」
泣いているのはクロエだった。
しかしあれは、嬉し涙のようだ。
すごい!
ハーランド族は戦闘民族、幼いころから表情を出さない訓練をしているのだが、死ぬまでずっと無表情なやつが多い。
しかしどうやらクロエは、その呪縛を払って、今では泣いたり笑ったりできている。もしかしたら、ヴガッティ総督が死んだことがきっかけかもしれない。
運命的な衝撃は、ときに頭の構造を変える。
「リリー!」
ふとポールを見ると、リリーに話しかけていた。
「ぼ、ぼくについて来い!」
「ちょ、どうしたのいきなり?」
「お店も軌道に乗ってきた! ぼくたちも結婚しよう!」
「きゃあ!」
ポールは、ぎゅっとリリーの手を握った。
顔を赤くする二人。見ているこっちも恥ずかしくなる。
「ポール、リリー、よかった……」
そうつぶやいて祝福していると、そのとき。
チンチン!
とシャンパングラスをマドラーで叩く音が響く。
鳴らしたのは、髭と帽子がよく似合っているクライフだった。彼は笑顔で語り始める。
「それでは、花嫁からのブーケトスを行います! 結婚したい人は、ぜひ参加してください!」
わぁー! と集まる未婚者の人たち。
「わたしだって結婚したいですぞぉ」とクライフ。
「僕もマイラさんみたいな嫁がほしいぃー!」とムバッペ。
「ポール、絶対取るわよ!」とリリー。
「ああ、リリー」とポール。
その他、ハーランドの民。
宝石店のオカマもいる。
ハリーとクロエは遠くから、男女入り混じって争う光景を眺めて微笑んでいた。
「クロエはいいのか、参加しなくて?」
「何を言い出すの、ハリー少佐」
「だって、レオくんは産んだけど、結婚はしてないだろ?」
「……たしかに」
「クロエはまだ三十歳だ。美しいし、ぜんぜんイケるだろ?」
「……」
ザッ!
なんとクロエが走り出し、ブーケトスに参加した。
おいおい、すごいことになってきたな……。
「お母さん……」
レオが、苦笑いを浮かべている。
一方マイラは、肩と背中が綺麗に出ているドレスに身をまとい、ブーケを持って、そっと目を閉じた。
気づけば、ぼくの足は歩き出していた。
──ぼくも、結婚したい!
「受け取ってー!」
そう叫んだマイラが投げたブーケが、ふわりと放物線を描いて飛んでいく。
!?
みんなの視線が、ぼくに集まる。
抱いている花の香りが甘くて、清々しくて、ぼくは驚くより先に笑っていた。
さすが令嬢探偵。ブーケをここまで投げるとは……。
微笑むマイラは、ぼくの存在に気づいていたようだ。
しかし、みんなは男装しているぼくのことを、エヴァだとは見抜けないらしい。
ブーケを取れず悔しがり、シャンパンを飲んでは陽気に歌っている。
いや、クロエだけは違うか……ぼくのことをじっと見つめたままだ。
そして新郎新婦のマイラとレオは、軍人や警察、あとは貴族たちへの挨拶まわりをしている。
そうだ、もう二人はヴガッティ家の人間。
この大英帝国を守っていかなくてはならない立場なのだ。輝かしい未来に向かって、もう歩き出している!
「そろそろ、いくか……」
ぼくは、ブーケの香りを胸いっぱいに嗅いでから、踵を返した。しかし……。
「ん?」
どこからか視線を感じる。
ずいぶん遠くからだな、おや? 花壇のある方からだ。じっと見てみると絵を描いている人がいる。まさか、と思いつつ近づいてみると……あ!
「し、師匠!」
「……おお、エバーグリーン」
筆を持って描く対象のサイズを測っているその仕草、昔から変わっていない。
ワイルドなのに、ニコッと犬みたいに笑う顔も変わっていない。
だけど……。
「師匠! なぜ髭がぼうぼうなんですか? 変わりましたね……」
「ああ、おまえがいなくなってから髭を剃ってくれる人がいなくてな……そのままだ」
「ちょっと、せっかくの男前が台無し」
「エバーグリーン、おまえはかっこいいな。昔は女みたいだったが、こんなに立派になって……」
「いや、こないだ女装したけどね」
は? と首をかしげる師匠。
「ははっ、なんでもない。ところで何を描いているの?」
「うむ、マイラさんの結婚式だ」
「見ていい?」
ああ、と答える師匠の絵には、みんなから祝福を受けるマイラとレオの姿が描かれていた。その筆のタッチは、ほんわかとして甘く、舞い散る花が立体的に浮かび、自然も二人を祝っているような、そんな気がした。
「ああ、すごい! この絵はすごくいいよ師匠!」
「わはは、完成したらマイラさんにあげようと思ってな」
「うん、絶対に喜ぶよ」
「だろ? マイラさんって絵を見る目があるから……おまえの少年時代だってすぐに見抜いたんだぞ」
「……すごいよね、本当に……よく計画通りに動いてくれた」
「計画? なんだそれは?」
「な、なんでもない……あははは」
変なやつだな、と首をかしげる師匠は、ふと何かを思い出したように、ガサゴソと鞄のなかを探し始めた。
「そういえばおまえにプレゼントがあるぞ」
「何?」
「えっと……あ、これだこれだ!」
師匠が取り出したのは、見覚えるのあるプラカード。
びっくりしたぼくは、推理してみる。
このプラカードは、ヴガッティ城の屋上に投げ捨てたもので間違いない。
つまりマイラが、ぼくにメッセージをくれたことは、明らかだ!
「マイラさんが、渡してくれって」
「……!?」
「天才であり孤高のおまえにはいないと思っていたが、いたんだな」
「……」
「師匠として、いや、親代わりとして一番嬉しいかもしれん!」
プラカードに書いてある言葉を見て、フッと笑みがこぼれた。
やってくれるね、マイラ。
どうやら、ぼくの心情を見抜いていたらしい。
『彼女がぼくのことをどう思っているのか気になる……』
この答えが、プラカードに書いてあるのだ。
ああ、人の心というのは、なんてミステリーなんだろう。
そうだ、ぼくらは……
『We are friends』“私たちは友達”
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