私が愛しているのは、誰でしょう?

ぬこまる

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ヴガッティ城の殺人

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 船のなかは、まるで動物園。
 下層の客室の扉が開いており、なかにいる人たちの生活が丸見えで、プライベートはありません。荷物をほどく若い男、子どもに乳をあげる母親、ポーカーをしている男たち。
 一方、上層の客室は扉がしっかりと閉まってはいるものの、小さな丸窓からは、ちらっとなかが覗けます。葉巻を吸ってくつろぐ紳士、抱き合ってイチャつく若い貴族のカップル、小説を読んでいる婦人。
 一等客室は、ランス人のデザイナーが内装を施したのでしょう。アールデコ様式に彩られた椅子や机、ベッドなどの家具、それに壁には印象派の絵画がかけられています。とんでもない金持ち貴族が船に乗っています。
 
「いろいろな人がいますね」

 私は、隣に歩いているレオに言います。
 そうですね、と微笑む彼は、歩きながら、
 
「上層の人たちは貴族でバカンスが目的。下層にいる人たちは移民です。ハーランドにはカジノやホテルなど、働くところがいっぱいありますから」

 と説明してくれます。
 ふぅん、と私はうなずくと、見晴らしのいい甲板へと出て、潮騒に耳を傾けます。
 
「海を見ていると気持ちがいいわ」
「久しぶりですか? 海は」
「ええ、ちょうど一年前にお父様がハーランドに出発するとき、見送りにきた以来ですね。こんな豪華な船ではありませんでしたけど」
「マイラさんのお父さんは考古学者なんですよね、何を調べているんですか?」
「ハーランドには古代遺跡があるんです」
「そうなんですか?」
「はい。今から千年前、ウーラシア大陸から遊牧民が大量に西洋大陸に攻めにきたことがあるのですが、そのときハーランドに移住した遊牧民たちがいました」
「……ハーランド族ですね。彼らは遊牧民だったのですか?」
「はい。そもそも遊牧民は言葉通り、ずっと移動を繰り返して居住しない民族なのですが、ハーランドには海という自然の壁があります。居心地が良かったのでしょう。西洋から奪った大量の戦利品を愛でながら優雅に暮らしていたそうです。よって、離島のどこかに金銀財宝が眠っています……」
「へぇー、じゃあマイラさんのお父さんは考古学者というよりトレジャーハンターみたいですね」
「そうなんですよぉ、まったく大学では適当に知的なことを言っていますが、やっていることは宝探しですからね、呆れます……」
「でも夢があっていいなぁ」

 レオさんに夢はないの? と私はつい訊きます。
 彼は、ふふ、と笑うと頭をかいて、
 
「母といっしょに暮らせたらそれで幸せです」
「……マザコン、ですか? レオさんって」
「え?」
「いや、お母さん大好きなんだなぁ、と思って」
「はい。大好きです。父親のいない俺を育ててくれた、世界でたったひとりの親ですから」
「……なんだか、レオさんのお母さんに会うのが楽しみです」
「母は感情が表に出にくい人ですが、優しくて頼りになりますよ。ヴガッティ城でメイド長をしているんです」
「メイド長、すごいですね」
「はい。幼いときから城でメイドをしていたらしいです」
「じゃあ、レオさんは城で生まれたんですか?」
「はい。俺はメイドや騎士に育ててもらいました。もっとも、当時の人間はもう引退して、母だけが残っていますが」


 失礼ですが……と言葉をそえてから、私はレオのほうを向きます。
 
「レオさんのお父様は?」
「……」
「あ、すいません。言いたくなければ、言わなくてもいいですから」
「……わからないんです」
「え?」
「母に父のことを聞いても、気づいたら妊娠していた、相手がわからない、というのです」
「……」
「無表情な母を見ていると、それ以上は質問できなくて……俺はもう大人になってしまいました。だから、もう別に父親がどこかにいてもいなくても、別にいいんです。母がいっしょにいれば、それでいいんです」

 急に涙ぐむ彼。
 私は、そっと近づいて彼の潤んだ瞳を見つめます。
 
「レオ……」
「マイラさん?」
「あっ!」

 つい感傷的になってしまい、彼のことをレオと呼び捨てに!
 は、恥ずかしいぃー! 私の顔は、まるで薔薇のように赤い。どうしましょう、これ?
 
「マイラさん、俺のことは呼び捨てにしてください。レオと」
「……いいんですか?」
「はい。あなたはいずれ俺の君主の妻になる人。何なりと申しつけください」
「……ッ!」

 私は、下を向いてなげきます。
 そうじゃあないんですよ、レオ。私が好きなのは、レオなんです!
 こんな状態でヴガッティ家の後継者に会っても、婚約者なんて思えません。いっそ婚約はお断りして、レオと恋人同士になりたーい! なんて思っていたりして……。
 
「……」

 何も言えないままの私を、心配しているレオ。
 女の子と付き合ったことがないのでしょうか? 
 本当に彼は、自分がカッコイイことに無自覚で、若い娘たちや貴婦人たちが瞳をハートにして彼のことを見つめているのですが、まったく気づいていません。
 あきらかに周りにいる男性たちより頭ひとつ大きくて、体型もスマート。それなのに顔は少年のように甘い。将来、おじさんになったら髭が生えるのでしょうか? と疑うぐらいお肌がつるつる。本当は、女性なのでは? と思えるくらい中性的なレオが私だけを見つめて、口を開きます。
 
「ティータイムにしましょう」

 こくり、と私がうなずくと、レストランまで案内してくれます。
 レオは、椅子をひいてくれて、私を座らせると、軽く手をあげてボーイを呼び、
 
「紅茶でいいですか、マイラさん?」

 と、訊きます。はい、と私は答えると、レオは紅茶をふたつ頼みます。
 届いた紅茶に手を伸ばすと、「砂糖は?」とレオが訊きます。いりません、と答えると、レオも砂糖を入れずにティーカップを口にします。
 砂糖は紅茶の味が感じられなくなるので、苦手なのですよね。
 私は、レオのことを見つめ、
 
「レオは何歳なの?」

 と質問。「十八歳」と答えたので私はびっくり!
 
「ええっ!? 私も十八ですよ! 年上だと思ってました……」
「……俺もマイラさんは年下だとばかり、妹がいたらこんな感じかな、と」
「はぁ? 妹?」
「はい。俺はひとりっ子なんです。だからマイラさんは妹に……」
「わ、私のことが……に見えますか?」
「そ、そうですね。可愛らしい女の子なので」
「……大人の女性としては、見えませんか? 紅茶に砂糖を入れてませんよ?」
「すいません。マイラさんをそんなふうには見ていません。妹と言うのも失礼でした。すいません。未来のお妃様に向かって……」
「……」

 グイッと紅茶を飲み干した私は、カップを置きました。
 私は、むすっと怒っているのですが、レオはまったく気づく様子もなく、
 
「この紅茶、おいしー! ケーキも頼もうかな……」

 などと言って微笑んでいます。あなた女子ですか? まったく。
 するとそのとき、
 
「わたしではありません!」

 と叫ぶ男性の声が、レストランに響きます。
 ん? と思い振り向くと、そこには杖をついた老紳士に言い寄られる髭を生やした男性がいますね。シルクハットに身なりの良いスーツ。ああ、彼は先ほど私に声をかけてきた男。たしか名前はクライフといって王宮弁護士をしているとか言ってましたが、なんだかウソくさいですね。
 わりと席が近かったので、レオが声をかけます。
 
「どうしたのですか?」
「こいつがわしの財布を盗んだんじゃっ!」と老紳士。
 
 とんでもない! と首を振って否定するクライフ。
 まったく引かない老紳士との論争が始まります。

「わたしは王宮弁護士ですよ。お金はたくさん持っていますから」
「いいや、お金じゃない! おまえの目的はわかってる!」
「え?」
「財布にはわしのすべてが入っているんじゃ!」
「……すべてとはなんですか?」
「女優オーデリーの写真じゃ!」

 ……!? レストランに不思議な空気がただよいます。
 老紳士の攻撃はまだまだ続き、ついにクライフの胸ぐらをつかみそうな勢いで手を伸ばしたところで、
 
「あの……」

 と言って私は、ふたりの間に入ります。
 さわやかな新鮮な空気が流れたのでしょう。老紳士の手は止まり、私のほうを振り向いて、
 
「なんじゃ、お嬢ちゃん」

 と言います。私は、にっこりと満面の笑顔。
 
「探偵をしているマイラと申します。失礼ながら、お爺さんの財布を見つけてあげましょう」
「……ほう、どうやって? 犯人はこいつだと言うのに?」
「あの、なぜ犯人はこの髭帽子だと?」

 髭帽子? とつぶやくクライフは、指を自分の顔にさします。
 老紳士は、きつくクライフをにらみ、
 
「こいつは、椅子にかけておいたコートから財布を盗んだんじゃ、わしがケーキを選んでいるうちに!」
「ケーキを選ぶとは?」私は質問。
「わしは実際に目で見たものを食べたい主義なのだ。よって厨房にいってケーキを選んでいたのだよ」
「ふむふむ、なるほど……ではお爺さんがいない時間に、コートから財布が盗まれた、ということですね」
「そうじゃっ! だから隣の席にいるこいつしかおらん! この髭帽子がっ」

 ちょっと待ってくださいよ、となげくクライフ。
 この人、弁護士のくせに自分のことは守れないのでしょうか?
 もっとも王宮弁護士といっていたので、お金で解決できる甘い裁判ばかりしているのでしょうけど、あまりにもお粗末ですね。
 私は、さっとスカートを摘んでお辞儀をします。
 
「いいでしょう、この事件、私が解決してみせましょう」

 クライフ、お爺さん、レオ、それ以外にもレストランにいるすべての人間が、じっと私を見つめていますね。ギャラリーは多いほうがいい。証人になりますから。私は、お爺さんのほうを向きます。
 
「お爺さん、部屋を出るときには財布を確認しましたか?」
「あたりまえだ! 愛しのオードリーは肌身離さずじゃ!」
「……それでは、レストランにくる前に立ち寄った場所はありますか?」
「ん? 立ち寄った場所?」
「はい。例えばトイレなどは? 一等客室と言えど、小さなトイレしかありませんから、廊下にある共同トイレにいかれたのでは?」
「……そういえば、立ち寄ったな」
「もしかしたら、そこに落ちているのでは?」

 はっ! としたお爺さんは、
 
「まさか……」

 と言いながら杖をカツカツさせて走ろうとします。転んだら危険ですね。このお爺さん、ひとりで旅をしているのでしょうか? 付き人もいないようですし……。
 
「レオ、走ってトイレを見てきてください。一等客室のほうです」

 わかりました、そう言ってレオは走り出します。さすが若者ですね。彼は風のようにレストランを駆け抜けていきます。
 
「お爺さん、ちょっと待ってみましょう」
「……うむ」

 爺さん、と言うクライフが、微笑みながら髭を触っています。
 
「これで財布があったのなら、わたしの持っているオーデリーの写真をあげよう」
「あ?」と老紳士。
「わたしもオーデリーのファンなんだ」

 わはは、と笑うクライフは、どこか憎めない男ですね。
 老紳士のほうも、にやりと笑っています。
 しばらくして、レオが戻ってくると、その手には分厚い財布を持っていますね。

「ありましたよー! これじゃあないですか?」

 そう言って、老紳士に財布を渡します。
 彼は、驚きながら財布を開いてお金が減ってないか確認もしないで、一枚の写真を取り出すと、大喜びします。

「オーデリー! 会いたかったぁぁ!」

 するとそのとき、拍手喝采がレストランに響き渡ります。
 紳士淑女のお客たち、ボーイ、厨房からはコックたちも出てきて、みんな手を叩いていますね。
 クライフは、自分の鞄から手帳を取り出すと、一枚の写真を老紳士に渡します。
 ふたりの女優を手に入れた老紳士の手は、ぶるぶると震えていますね。感動しているようです。
 
「いいのか? わしがもらって?」
「ああ、わたしにはもう必要ないのでね」
「は?」
「新しい好きな女優が見つかったのだ」

 ふぉふぉふぉ、そうか、と言って笑う老紳士の瞳は、私のことを見ています。
 それからクライフも、微笑んでから私にウィンク。
 やれやれ……と思いながら、私はつぶやきます。

「女優じゃなくて探偵なんですけど……」
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