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ヴガッティ城の殺人

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 レオの車は、美しく光る鋼鉄のかたまり。
 どっしりとした車体、瞳のようなふたつのライトは、なんだか顔のように見えて親近感があります。
 まるで黒い鎧を装備した騎士、のようですね。
 
「さあ、乗ってください」

 レオは、そう言って車のドアを開けてくれます。
 
「あ、ありがとう……」

 うちのおじいちゃん執事セバスチャンが、よいしょ、と言って馬車の扉を開けてくれるのとは、レベルが違いますね。カッコよすぎますっ!
 レオの仕草はどれも優雅で、洗練された紳士ジェントルマンのよう。
 
「どうしました?」とレオ。
「……な、なんでもありません」

 ぷるぷると赤くなった顔を振るわせる私は、車のなかに乗ります。
 レオは、私が緊張していることなど気づいていません。
 本当に無自覚なイケメンですね。
 私は、気持ちを落ち着かせるため、膝の上の猫をなでます。
 バタン、とドアが閉められ静寂が支配。高級なシートの革の香り、それと機械油と擦れた鉄の匂いがただよってきて、思わず声がもれ。
 
「お父様の匂いだ……」

 とつぶやきます。
 うちで車を運転できるのはお父様だけ。執事や農夫たちはみんな馬が移動手段。もっとも、私の家の領地は、都会から離れた郊外にある農業地帯なので仕方がありません。
 今、車の窓から見え広がるのどかな放牧地、じゃがいも畑などは、すべてうちの領地。無数に漂う雲のような羊の群れが、むしゃむしゃと草を食べています。ああ、動物たちは、のんきでいいですね。
 
「……」

 それにしても、お父様ったら結婚相手をかってに決めるだけでなく、手紙ひとつで私を呼び出すなんて失礼しちゃいます。
 ハーランドで会ったら、うんと怒ってやるんですからっ!

「では、出発しますね、マイラさん」

 運転席に乗り込んだレオは、そう言ってハンドルを握ります。

「この道をまっすぐ進んでください」

 と私が伝えると、レオは、ニコリと笑い、エンジンをかけます。
 ふかすアクセル、うなりをあげるエンジンの音が、ドドド、と私のお尻を振動させるので思わず!
 
「……おっおっ!?」

 なぜか心が踊る。不思議なことに身体が熱い。え? なんなの、この振動は? 想像以上にお腹の底をうずかせますね……ですが、思った通りやはり。
 
「……静かですね」

 何がですか? とレオは訊きながら運転に集中しています。
 
「エンジンの音です」

 と私が答えるとレオは、
 
「ああ、この車はボディがしっかりしているんです。音を遮る効果があります」

 と説明してくれましたが、私はそんなことよりも、彼のハンドルさばきに夢中。
 若い男の人が真剣になっている姿を、生まれて初めて近くで見たのですから。もうドキドキが止まりません。か、かっこいい……。彼は話を続けます。
 
「ヴガッティ総督がそろえた車です」
「高そうですね……いくらですか?」
「さぁ、わかりませんけど、1000クイドはするでしょうね」
「……ふぅん」
「俺の給料が月に10クイドですからね……びっくりしません?」
「……えっと、執事の給料って安いんですね」
「はい、俺はメイドの母とともにヴガッティ城に住み込みで働いているのですが、一年に二、三回ほどしかヴガッティ総督はハーランドに訪れません。だからそんなに重要な仕事はなくて、いつものんびりしているのです」
「……!? そうなのですか? 総督は島に住んでいないのですね」
「はい。総督は本土──エングランドにいます」
「……なるほど、では現在、総督はハーランドにいないのですね……」
「いいえ、昨日から総督は家族を連れてハーランドに来ています。そして総督から命令されて俺がマイラさんを迎えにきた……ということなんです」
 
 レオの顔は、どこか憂鬱。
 気になったので、オブラートに柔らかく間接的な質問をしてみます。
 
「レオさんは、どんな仕事をしているのですか? 執事と言ってましたが」
「普段は、ヴガッティ城に見学者が来るので、その案内や食事などをサービスをしています」
「……見学者?」
「ええ、ハーランドは観光地なんです。戦前は植民地化されたばかりで荒れていましたが、今では綺麗な海に囲まれた楽園、と呼ばれています」
「そうだったのですか……戦争があったのは二十年前、私が生まれる前のことですが、ハーランド戦争のことは父から聞きました。大勢の死者数がでたらしいですね」
「ええ、俺も生まれていませんけど、恐ろしい戦闘があったと話を聞きました」

 私は、猫をなでなで記憶を探ってから語ります。

「父がハーランドのことを調べており、私は色々なことを聞きました。島には戦闘民族がいて古代遺産を守っていると。そして戦争のときには、エングランドの兵士数百人が、たったひとりの少女に戦死されたと……それはまるで戦場で踊る妖精……だったとか」
「戦闘民族ハーランドの伝説を知っているのですね、マイラさんのお父様はどんな仕事をしているのですか?」
「えっ……!? 父は考古学者なのですが、レオさんは私の父と会っていないのですか?」

 はい、とレオは答えます。
 おかしい!? と思った私はすぐに質問。
 
「では、なぜレオさんが父の手紙を持っているのですか?」
「ヴガッティ総督からいただきました。グラディオラ伯爵からの手紙に同封されていたらしいです」
「父が総督に出した手紙は、どのような内容ですか?」
「えっと……エングランドのグラディオラ伯爵の屋敷に出向いて、マイラさんを迎えにいけ……と」

 私は、猫をなでる手を止め、視線をレオに向けます。
 運転中の彼は、前を向いたまま、何かおかしいことでもあったのか、という顔。少年のようなエメラルドの瞳で。
 
「……総督宛の父の手紙は、いま持っていますか?」
「いいえ、総督が持っています。何かあったのですか?」
「はい、私はてっきりハーランドで父と総督は出会い意気投合。そして婚約を決めたとばかりに思っていました。ですが、どうやら手紙のやり取りだけで婚約を決めたことになります」
「え? そうなのですか?」
「はい、父はただいまハーランドの古代遺跡の調査中。一方のヴガッティ総督は本土エングランドにいたのですから接点がありません。よって、父が総督に手紙を出したものと推測されます」
「推測って……難しい言葉を使いますね。マイラさんは本当に探偵みたいだ」

 ふぅ、と私はため息を吐きます。

ではなくてです。まぁ、誰もが思うことですね。私のようなお嬢様が探偵? と」
「すいません、なんだか信じられなくて……」
「いいんですよ、私は幼少期から疑り深い人間で、論理的におかしいことがあると、ついヒートアップしてしまう脳細胞を持っているのです」
「ヒートアップ? なんですかそれは?」
「ピンク色に熱くなる、ということです」
 
 ピンク色に熱く……とレオが私の言ったことを繰り返します。
 私は、ほっぺたをむすっと膨らませます。もう、怒っているんですからねっ!
 
「もう許せません! 父はヴガッティの後継者を見ずに、婚約を進めている可能性があります」
「……俺は、総督とマイラさんのお父様が本土で婚約を決めているのものと思ってました」
「それはありません。本土にいる間、父は大学の講義と家の往復しかしていません。つまりヴガッティ家の人々と関わったことなどないと思います」
「本当に手紙だけで婚約を決めるなんて……し、信じられない」
「そして気になるのが、私の婚約者はいったいどんな人物なのかということ……ヴガッティの後継者は誰なのでしょうか?」
「……」

 急に黙りこむレオ。
 後継者、という言葉は、しばらく私とレオの間でただよっているようでしたが、レオは、
 
「ヴガッティ総督の後継者は、ふたりの兄弟のどちらかです」

 と言います。私は、すぐに聞き返します。
 
「ふたりの兄弟?」
「はい。兄のロベルト、それに弟のケビンです」
「どちらが後継者になるのか、まだ決まっていないのですか?」

 決まっていません、と言ったレオの顔は、さらに質問されることが嫌そうに見えます。
 どうやら、ヴガッティ家は後継者争いをしているのかも知れませんね。
 ですが、そんな殺伐とした状況のなかに、私が婚約者だと言ってヴガッティ城に出向いていいのでしょうか? ハーランドには、何が待っているのでしょうか?

 うーん、胸騒ぎがします。

 私は、細めた目線を窓に移して、たんたんと旅行者の気持ちに没頭。車のスピードがあがり、さわやかな緑の木々のざわめきが流れていきますね。
 
「猫の届け先は?」

 とレオが訊いて、沈黙を破ったので私は、
 
「……この道をまっすぐ進んでください」

 と答えておくと、車はでこぼこした農道をひた走ります。
 しばらくして集落に入ったので、私はそのなかで一番大きな屋敷で車を停めるよう指示。
 レオの運転は安定したもので、まったくストレスを感じません。
 何もかもが優雅で、落ち着きがあって、
 
「さあ、どうぞ」

 車から降りるときも、そう言ってドアを開けてくれます。おまけに私の手を添えて……。
 
「あ、ありがとう……」

 レオは、優しく微笑みます。
 私は、レオの手を、ぎゅっと握りながら車から出ます。

 はっ!?
 
 思えば、生まれて初めて若い男性と手を繋ぎますね。もう、ドキドキが止まりません。
 そのとき、一瞬だけ彼の顔をのぞきますが、その表情に女を誘惑しようとか、自分をカッコよく見せたいとか、そのような邪悪な気持ちは微塵も感じられません。本当に無自覚で、私の手を触っていると思います。
 
 にゃーん
 
 私の腕のなかで猫が鳴いています。
 さあ、故郷に帰ってきましたね、猫ちゃん。
 私は、ゆっくりと庭のアプローチを歩き、玄関にたどり着くとノッカーを叩きます。すると、すぐにメイドが出てきます。そして視線を私の顔から猫に映った瞬間、
 
「エリザベス様ぁぁ!」

 と叫びます。
 レオは、びっくりして私の顔を見ます。

「お姫様みたいな名前だね」
「はい、この屋敷では娘みたいなものなのです」
「猫なのに?」

 はい、と私が小さく答えると、ドタドタと足音が近づいてきます。この屋敷の主ダンカン夫妻のおでましですね。
 
「おお! 見つけてくれましたかー!」と旦那さん。
「ありがとうございます、マイラさん」と婦人。

 ふたりに猫をわたすと、彼らは泣きながら喜びます。
 その光景を見て、レオは口を押さえて涙を堪えていますね。
 
「え? なぜレオまで泣くのですか?」
「俺、こういう感動の再会に弱いんだ……」

 そ、そうなのですか、と返した私に、夫妻は飛びつくように目線を向けて質問してきます。
 
「マイラさん、エリザベスはどこにいたんですか?」と旦那さん。
「……村から少し離れた森のなかには、猫が集まるところがあるのです」
「どこなんですかそれは?」と婦人。

 にゃんこ村です、と私は笑顔で答えると続けて説明します。
 
「猫は大人になると、ふらっと旅をする習性があります。それは、種の保存のため……つまりパートナー探しですね」
「……あのぉ、マイラさん、ということはエリザベスは?」
「はい、おそらく妊娠していますね」

 ぎゃぁぁぁ! と夫妻は叫びます。
 一方の猫は、にゃーん、と鳴いてのんきなもの。何を騒いでいるのだ人間どもよ、と言った顔をしていますね。
 
「相手はどこの誰だ?」

 と、旦那さんが言うものだから、さすがに私は首を横に振って、微笑を浮かべながら、
 
「……わかりません」

 と答えましたが、続けて、
 
「ですが、エリザベスはとてもロマンチックなひとときを過ごしていたことを申しあげます」

 と付け加えておきます。
 すると、シクシクと泣き崩れていた婦人が、

「そうよね……」

 と納得しています。あら、気持ちの切り替えが早いこと。
 
「男と女は、燃えるような恋が必要なもの、一晩で子どもを宿したとしても不思議はない、ああ、よかったですね~エリザベスぅぅ」

 と言って婦人は、猫の額にキスをします。
 ハンカチで涙をふきながら旦那さんは、私に近づくと、何やらポケットから出して差し出してきます。これは札束ですね。すると隣でレオが、驚くべき金銭のやりとりに身体を震わせています。お金を見るのが珍しいのでしょうか?
 
「受け取ってください、探偵料金100クイドです」と旦那さん。
「100クイド……こんなに貰ってもいいのですか?」
「はい! これはエリザベスだけではありません、お腹の子どもの分も含まれていますっ!」

 ドヤ顔で言い放つ旦那さん。
 私は、笑顔でお札を受け取ると、
 
「ありがとう。子猫が生まれたら、また遊びにきますね」

 と言って、お札を無造作に鞄のなかへ入れてから、家を出ます。
 そして、やはり車のドアを開けてくれるレオは、いまだに泣きそうな顔をしていたので、
 
「どうしたの?」

 と、私は尋ねます。
 
「俺は父と会ったことがない……生まれたときから母とふたりだった。だから、あの猫の子どもにも父がいないのかと思うと、なんだか悲しくなってきて……」

 父親はいますよ、と言って私は微笑みます。
 
「ともに住んでいないだけで、猫のお父さんは森にいます」
「……そうですよね、なんだか感傷的になってすいません」

 いいえ、と私は答えてから車に乗ります。
 バタン、とドアが閉められ静寂が支配しました。私は、ふぅ、とため息を吐いてからつぶやきます。
 
「悲しそうなレオ……」
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