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ヴガッティ城の殺人

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「……こ、婚約? お母様、そうおっしゃいましたか?」

 まだネグリジェを着ている私は、朝食のパンケーキを食べながら読書をしていたのですが、突然母が部屋に入ってきて、つらつらと手紙を読んだので、つい聞き返します。
 手紙に目を落としたままの母は、ふぅ、とため息をつき、遠くにいる父に思いを馳せていますね。
 
 時は十九世紀、エングランド郊外、ここは私の家……。

 ──グラディオラ邸の図書室。

 アンティーク調の本棚に、ずらりと並べられた本の背表紙はどれも古めかしく、枚挙にいとまがありません。
 東にある窓からは、さんさんと朝日が照らしています。
 うーん、今日は天気が良さそうね。
 春の陽気に誘われてか、お庭のシエスタに集まった小鳥の合唱が聴こえてきます。
 きらきらと光るホコリの粒子が、まるで妖精のように舞って、さらに図書室を魅力的にしている、そう感じるのは私だけでしょうか?
 やれやれ、とばかりに瞳を閉じた母は、おほん、と咳払い。

「マイラ、あなたのお父様ジョゼ・グラディオラは、一八歳になる娘の婚約者を、かってに決めてきたようですわ」
「……な、なんですって!?」
「ほら、読んでごらんなさい」

 嘘でしょ……。
 そう思いながら、私は母から手紙を受け取ります。
 分厚くてしっかりした白い紙の上に、行儀よく並んでいる黒字。

「これはタイプライターで書かれたものですね、ご丁寧に」
「ええ、このように規則正しい文字を見ていると、荒れ狂う筆跡で書かれた恋文が、今では懐かしいですわ……」
「え? お父様がお母様に恋文を? あのズボラなお父様が!?」
「もう百年も前の話ですよ、おほほ」
「長生きですね……おふたりは魔王と魔女ですか? 三十代なのにまったく顔にシワがなくて綺麗ですし……」

 おほほ、と笑う母。
 いや、そんな冗談より、お父様が書いた手紙の内容が気になります。読んでいきましょう。




  親愛なるマイラ。
  突然だが、ヴガッティ家の後継者との婚約を進めてきた。
  ハーランドにある城を訪ねてくれたまえ。
  なお、婚約者が気にいらなかったら、断ってもいいからな。
             
                   ジョゼ・グラディオラ


 
 やれやれ……。
 そう思いながら、手紙を折りたたみ、指で挟んでひらひらさせます。
 母は、目線を上にすると口を開き、何かを思い出したようですね。 

「ハーランド……ハーランド……あら? ここって、現在お父様が古代遺跡の調査をしている場所じゃなくって?」
「ええそうねお母様、おそらく現地で仲良くなったのでしょう、ヴガッティ家の人と」

 なるほど、と言って納得した母は、私に顔を近づけます。
 うぅ……。ニヤニヤしてて、気持ち悪い。

「どうマイラ? 行ってみる? そのハーランドっていうところに」
「いきませんよぉ、ハーランドなんて離島。それに、かってに私の結婚を決めるなんて、お父様の脳細胞はまっ黒ですっ!」
「でも、婚約者を見てから決めてもいいのではないかしら? 島にいってみたら?」
「……いきません」
「マイラ、あなたはまだ若いからそんな悠長なことを……いいですか! 相手はあの有名なヴガッティ家の後継者ですよ?」
「……いきません」
「よく考えて! 歳をとって哀れな家畜のように無名な貴族と結婚するより、大金持ちのヴガッティ家と結婚したほうがいいですわ!」
「いきませんっ! それにどうやっていくというのです? 私ひとりですか? うちの執事セバスチャンは、もう六十歳を超える高齢。離島ハーランドまで旅させるのは過酷ですよ……死んじゃうかも……」
「あら、それなら心配なくってよ。お父様の手紙を持ってきた人が付き添ってくれるそうよ。もちろん旅費も向こうもち、さすが大金持ちのヴガッティ家ね。乗ってきた車なんて最新式よ」
「え?」

 私としたことが、つい読書に夢中になって、家に来訪しているお客に気づかなかったようですね。
 車のエンジン音すらも、耳に入ってこなかった。
 最新式の車は、それほどまでに静かなエンジン音なのでしょうか?
 私は、机に置いてある本を、パタンと閉じます。
 母は、私の肩を叩いて、立ち上がるようにうながしてきますね。
 
「さあ、いってらっしゃい。お待ちの方は男性ですわよ……しかもイケメン」
「あら、お母様、イケメンなんて女学生みたいな言い方してっ!」
「おほほ、美男子とでも言えばいいですか? マイラさんの大好きな美男子ですよぉ」

 もう、茶化さないでください、と私が言うと、母は目線を窓に向けます。
 
「さあ、庭で待ってますわよ」
「……それにしても、いい天気ですね」

 と言って無関心を装いつつ、私は立ち上がって窓の外を眺めます。
 するとそこには……!?
 まるで夢物語の絵本に登場するような王子様が、なんと我が家に降臨しているではないですか! しかも庭に咲く花を愛でていらっしゃる。ああ、なんて素敵なのでしょう。
 
 トゥンク
 
 な、何? 心臓の鼓動が大きい。
 身体が急激に熱くなってる?
 な、なんなの? あ、熱い! 私の身体が変になりそう……。
 
「……」
「どう? イケメンでしょ?」

 お母様は、私の耳元をくすぐるように話しかけてきます。
 や、やめて……。
 
「……」
「高身長にダークスーツ、少年のような甘いマスク、それにサラサラの黒髪なんていい香りがしそうよね。ああ、彼はどんな声をしているのかしらぁ」
「……」
「あ!」
「……」
「彼が婚約者なのよ! で、直々にお迎えに来たってことよぉ! すごいわっ!」
「……」
「ちょっとマイラ、聞いてるの? マイラ?」
「……や、やばっ、し、心臓が痛い」
「え?」
「……こ、こんな服装じゃ、無理っ!」

 ふと、窓越しに映る自分を見て、心の底から絶望感がただよう。
 ゆるふわネグリジェを着た、ボサボサ寝ぐせ頭の私がいるからです。
 な、なんて地味なんでしょう、私!
 
「……マイラ?」
「お母様! 至急メイドを集めてっ!」
「え?」
「綺麗にします、私をっ!」
「わ、わかったわよ……そんなにあせらなくても……」

 パンパンっ!

 と、母が手を叩くと、まるで召喚魔法のようにメイドたちが集まります。
 彼女たちは、汗が吹き出すほどあわてていましたが、手際よく私をメイクアップ!

「マイラお嬢様は、本当に美少女ですわぁ」

 そうメイド長が言うと、まわりにいる若いメイドたちも拍手して賛同。
 私の服装は、貴族の紋章が入った黒のレースワンピース、肘まである皮の手袋、磨かれたワンストラップの靴。
 肩がけポーチには、ハンカチ、口紅などのメイク道具、それと探偵道具の懐中電灯に虫眼鏡。
 あと重要な『お父様の手紙』も入れておきましょう。
 そして最後に、やはり女の命は、髪ですよね?
 どうしようもない寝ぐせ頭を、あっという間にくしでとき、艶のあるボブヘアに。はい、完璧ですっ!

「いってきます!」

 ビシッと敬礼を母にしてから、私は部屋を出て、階段を駆け下ります。
 
「今、いきます! 私の王子様ぁぁ!」

 スカートをなびかせる私は、まるで雪の女王さながら、氷上を滑るように男性の前へおでましです。
 
「……!?」

 びっくりしている彼。
 そして私は、足をクロスして深々とお辞儀、おまけにスカートを摘んでたくしあげます。どう、可愛いでしょう?
 
「……ごきげんよう」

 そう私が挨拶をすると、

「あ、ああ……」

 と喉をうならせる彼。
 エメラルドの瞳を輝かせながら、じっと私のことを見つめると、やっと夢から現実に戻ってきたように、すぅーと息を吸い込みます。
 
「……あ、あなたがマイラさんですか?」

 はい、と答える私は、未だにお辞儀したまま。
 戸惑っている様子の彼は、首でも痛いのでしょうか? 
 右手を首に当てて黙っていましたが、微笑みをつくると口を開きます。

「は、はじめまして、レオと申します」
「……」
「マイラさんをお迎えにあがりました。ヴガッティ城にご案内いたします」
「……」
「あのぉ、マイラさん?」
「……」
「マイラさん? えっと、どうしました? マイラさん、マイラさん?」

 お辞儀したままの私。
 ぷるぷる、顔が小刻みに震えてくる!?
 や、やばい! 動きたいのですが、動けないのですっ!
 は、恥ずかしくて、彼の顔が見れない。
 名前はたしか、レオ、そう言っていたようですが、素敵な名前ですね、ライオンみたい。
 そうやって、思ったことを口に出したいのですが、声が出ない!
 わぁ、なんですかこの現象は?
 もしかして、これが噂の……。
 
 一目惚れ!? というものでしょうか?

 そんなことを考えて、もう一分が経過しそうなところで、
 
 にゃーん
 
 一匹の黒猫が現れ、私の足に顔をこすりつけてきます。
 これは、遊んで、の合図ですね。
 でも、今はダメなんです、ちょっとあっちにいって! 猫ちゃん!
 さらに、ぷるぷると震える私。
 すると、レオは笑います。
 
「そんなに固くならないでください、マイラさん」
「……!?」
「俺は使いの執事です」
「……ふぇ?」
「ヴガッティ家に使える執事ですから、何なりと申しつけください」
「……えっ? あなた、私の婚約者じゃないの?」

 違いますよ! と言いながら手を振って否定するレオ。
 その表情は、どこか恥ずかしそうな、嬉しそうな、そんな感情が見てとれますね。
 一方、私の心はどんよりと雲が流れてきて、サーと雨が降り出して、つい口がすべる。
 
「な、なんだ……私はてっきり、あなたが婚約者だとばかり……」
「あはは、そんなわけないじゃないですか」
「……そ、そうですよね」

 残念……。
 なぜか不思議と、そのような言葉が胸に突き刺さります。
 
 ──彼が婚約者だったらよかったのに……。
 
 そう思っていることも、わかります。
 ああ、私は一瞬にして恋に落ちて、失恋したようですね。
 しかし私の気持ちなんて、感づくはずもなく、レオは明るく話しかけてきます。
 無自覚なイケメン執事。
 そんな言葉が、彼にちょうどあってますね。
 
「マイラさん、準備はできていますか?」
「え、ええ、身支度はメイドがしているかと思います」
「そうですか、ではここから車でロンデンの港に向かい、そこから船に乗ってハーランドに向かうという“旅”になります」
「旅、ですか……」
「ええ、ちょっとした旅になりますが、よろしくお願いします」
「……はぁ」

 憂鬱な顔の私とは対照的に、笑顔になるレオ。
 なんか泣けてきます。
 彼の笑顔は、私のものになることはなく。
 私は、まだ知らない男性と結婚するかもしれない。
 いくの、やめようかな……。
 そう思っているところに、また猫がやってきて足にすり寄ってきます。
 仕方ないですね。
 私は、ひょいと猫を抱きあげると顔を近づけて、
 
「どうした、にゃん?」
 
 と、猫との通話を試みますが、にゃんとも無理ですよね。
 ゴロゴロ、と喉を鳴らす黒猫。
 私は、毛並みをなでてやりながら、レオに視線を向けます。
 
「船に乗る前に、猫ちゃんを届けてもいいですか?」
「届ける? その猫はマイラさんの家の猫では?」
「違います。この猫は、先日私が探してきたのです。すぐに依頼人のもとへ返すべきなのですが、懐いてきたもので……しばらく我が家で世話をしていたのです」
「ふぅん、動物に好かれるなんて、マイラさんの心は綺麗ですね」
「……ッ!?」

 カァー、と顔が熱くなる私。
 な、なにこれ? 
 ただ褒められただけなのに、こんなにも心が弾んで嬉しくなるなんて! 
 まるで不思議な楽器を演奏しているように、身体がウキウキしてきます。
 猫を見つめて微笑む彼。
 ああ、私の心は、まるで春の天気のように移り変わっていきますね。
 雨から晴れへと。
 レオと旅ができるなら、前向きに楽しもうかしら……。
 彼の笑顔は、特別な何かがある。
 吸い寄せられるんですよね、不思議なことに。
 
「それにしても、猫を探すなんて……マイラさんは学生ではないのですか?」

 レオは、そう質問してきます。
 
「はい、女学校を卒業して、今は仕事をしています」
「貴族のお嬢様なのに働くなんてすごいなぁ。どんな仕事をしているのですか?」

 猫をなでながら、私は答えます。

「探偵です」
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