繋ぐタクシー

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いつもの今日

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ガチャッ。バン。

男が乗り込んで来た。
現在朝の7時。午前の営業開始だ。
乗り込んで来た男は慣れた手つきで計器類を確認し、シートポジションを合わせる。

「よう、今日も頼むぜ」
声をかけるが返事はない。程なくして発進。
まずは大通りに出た。
いつもと変わらない光景。

20分ほど走っただろうか。手を挙げている男性の前で止まり、ドアを開ける。
「空港まで」
客の男は短く言うと、せわしなくどこかに電話し始めた。
高速に乗り換え、朝の通勤ラッシュで渋滞している首都高をトロトロ走っていると客の男は露骨に苛立ちを現し始めた。
「これさ、いつ着く?」
「朝は混みますからね。あと40分はかかります」
ぶっきらぼうに返す運転手の声は遠雷の様な深みのある声。ただし何の感情も乗っていない。
「困るよ、30分で行って」
「善処します」
相変わらず感情のない声で返す運転手は、俺の相棒だ。
しかし渋滞はどうにもならない。前の車に続いてトロトロ走る事しか出来ることは無かった。
軽く客は舌打ちをしたが、俺も運転手も無視。朝の道路は混むに決まっている。
空を見上げると、今日は秋晴れの快晴。世間ではドライブ日和なのだろうが、俺にとってはいつも通りの1日だ。
「こーゆー客が一番困るよな」
話しかけるが、やはり返事はなかった。

宣言通り40分で空港に到着するも、客は苛立ちを露わにクレジットカードを運転手に放り投げ、領収書!と強く言った。
運転手はただ淡々と支払い処理を済ませる。乱暴にドアを閉め男は足早にターミナルへ消えていった。
「めっちゃ苛ついてたなあのおっさん」
「そうだな」
今日初めて成立した会話と同時に、アクセルを踏み込まれた。
俺は次の街へ走り出す。

俺は誇り高き都内を疾走するタクシーだ。
名前は「クラウン コンフォート」。車台番号末尾X905283。
街中に一番よく走っているザ・タクシーの形をした車両だ。最近増えてきたミニバンタイプのジャパンタクシーは生意気なので嫌い。走行距離は20万キロを超えたところだったが、まだまだ現役だ。これまでに壊れたのは、電動ウィンドウとヘッドライトのランプくらい。同年代では元気な方だ。

「機械に意識はない」。これは人類が蒸気機関を発明して100年余りの常識だったが、これは大きな間違いだ。
機械にも意識はある。なんだって人間は自分たち生き物のみに許された特権だなんて勘違いしているんだろう。
人間の脳はタンパク質に電気信号を流しているだけ。俺たち機械の脳は金属で出来ていて、同じく電気信号を流している。タンパク質か金属かの違いなだけで、脳というならその機能は果たしている。コンピュータというものを内蔵している機械であれば、どれだって(誰だって)意識はあるのだ。

この常識は全く人間の間に浸透していないようだったが、人間の中にはとある感覚が発達していて機械と意思疎通する事ができる者がいる。俺の相棒、さっきからぶっきらぼうで感情のない表情と声色で淡々と運転しているこの男「影山」もその1人だった。
まぁ、彼は意思疎通が出来てもこれを楽しむようなタイプではないが。
とにかく、俺たち機械にも自我はあった。
と言っても人間が操作する事のみを想定して設計されているので自分から行動する事はまず出来ないのだれけど。

タクシーの車両は運転手達があるルーティーンを組んで交代で乗車するものだが、影山だけは意思疎通出来るという事だけでなく、淡々と無駄のない仕事をするので俺は気に入っていた。だから勝手に相棒と呼んでいる。

空港からメインのテリトリーにしている池袋に戻る途中、今度は30才くらいだろうか。カップルの客を乗せる。
キッと音を立てて停車し、客を乗せた。
何やら楽しそうに話しながら乗り込むカップルに、
「どちらまで?」
影山は言う。
「あ、池袋まで!最短で!」
戻る途中だったので丁度良かった。
だが付け加えられた、最短という言葉が引っかかる。割とよく言われる単語だが、俺たちタクシーが普段は遠回りしているとでも思っているのだろうか。全く浅はかな客だ。
「はいよ」
短く答え、車両は走り出す。

これが俺達の日常だった。

昼下がりになり、街行くスーツ姿の人間は気持ち少なくなっていた。俺も影山も、売り上げを気にするタチではなかったが、今日はまだ2組しか乗せていない。不調の日だ。何度か小言を話し掛けてみるが、影山は答えなかった。
特に焦る事はなく池袋周辺を流していると、1人の若い女性が乗ってきた。
「どちらまで?」
決まった言葉をかけ後部座席を振り向くと、客の女は泣いているようだった。
まじか、と思ったが影山は表情を変えず振り向いたまま静止する。答えるのを待ってやっているようだった。
シクシクと泣き続ける女は、泣き声のまま絞り出した。
「一番近い海まで」
「海?海が見えればいいんですか?それとも海水浴?」
海水浴するにしては過ぎた季節だったが、さすがに情報が少なくて発進出来ない。女は続ける。
「なるべく人気のない静かな・・・入れる海で」
少し考えたあと、影山は答えた。
「では、平塚でいいですか。湘南の方です」
「はい、それで・・・」
やったな影山、平塚なら1万超えるぜ!
影山に返事は無かった。
女は相変わらず泣いていた。

首都高から東名高速に乗り換え、すっかり渋滞の解消した高速を気持ちよく流していた。高速は好きだ。高い速度でも、一定の速度で走り続ける事は俺にとっても運転手にとっても楽だからだ。歩行者が飛び出してくる事もない。
チラッとルームミラーを見た影山は、女がずっと泣いている事に気を留めつつも、話しかける事はしなかった。
「なぁ、あの女ずっと泣いてるぞ。大丈夫か?お客さん、どうしたんです?」
影山と女に話しかけるが、やはりどちらからも返事はなかった。

1時間半ほど走り、晴天で気持ちの良い海岸に着いた。ビーチは久しぶりだったが、塩水が苦手な俺にとって入りたいとなどと思う事はない。
どこに停めようかと走っていると、突然女は言った。
「あの、ここでいいです」
影山は黙って車を停め、会計を済ます。
降りた女はヨタヨタと海辺に歩いて行った。
そのまま影山も俺から降り、タバコに火をつける。束の間の休憩だった。
俺はアイドリングしながらそれを待つ。酸素のみを必要とする俺からしたら煙を吸うなんて嗜好は理解できなかったが、熱を持ったエンジンに涼しい海風は気持ち良かった。

影山はチラッと海の方を見る。
さっき降りた女は波打ち際で水平線を眺めていた。海が見たかったのか、こんな平日の昼間に泣きながら。変わった客もいるもんだ。何か嫌なことでもあったのかな。
海風をボディに浴びながら涼んでいると、突然影山が海の方へ走り出した。
そっちを見ると、客の女が服のままザブザブと海に入って行っていた。どう考えても海水浴の雰囲気ではない。
胸の辺りまで浸かった所で影山も追いついた。彼も制服のまま海に飛び込んでいた。
「お客さん、何を!」
久しぶりに影山の大声を聞いた。
「止めないで!私もう終わりなんです!」
女の大声も初めて聞いた。
海の中で数秒格闘した後、影山は女を力ずくで海から引きずり出し、俺の方へ引っ張って来た。
ずぶ濡れの女に、洗車用だが乾いたタオルを渡す。影山も自分を拭っていた。女はまた泣いていた。
「お客さん、何があったか知らないが、まだ若いのに自殺なんてダメだ」
泣き続ける女に言った。
え、あぁー、これって自殺ってやつ?
自分から命を断つなんて、ほんと人間って変わってるなぁ。
ずぶ濡れのままの女を後部座席に押し込む。シートは濡れ、マットは砂だらけになった。あーもう、一番気持ち悪いやつだ。
「私、私、もう生きていけないんです」
黙って聞く影山に、女は続けた。
聞く所によると、女は恋人に振られしかもその恋人のために借金してまで金を渡していたそうだ。
言い終えるのを静かに待っていた影山は充分に間を置いて答える。
「家、どこなんです。池袋ですか」
黙って頷く女。
「とりあえず帰りましょう。お金はいいですから」
微動だにしない女をよそに、また俺は走り出す。

帰りの東名高速で普段は自分から客に話しかける事はまずしない影山だが、今日は女に語りかけていた。
「お客さん、名前は」
「岩本、岩本みほです」
「岩本さん。まだハタチくらいでしょ?死ぬほど辛いことなんて、20年やそこらで人には起こりませんよ。あなたが死んだら喜ぶ人より深く悲しむ人の方が多くいるはずだ」
女は黙って聞いていた。
この場で不機嫌なのは俺だけだった。シートもマットもぐしゃぐしゃだったから。
「私がハタチくらいの頃は、そりゃあ辛かったですよ。学もなく、資格もなく、毎日食うモンにも困ってました。今はタクシーの運転手なんてやってますが」
影山の過去を、俺も初めて聞いた。
「でもねお客さん。厳しい事を言うようだが、自分だけが辛いなんて思い上がっちゃいけない。みんな、色んな理不尽と矛盾に立ち向かって、歯向かって生きてるんだ」
客にこんなに語りかける影山は初めてだった。
「お仕事は?」
「アルバイトです、喫茶店のウェイトレス」
「いい仕事じゃないですか。明日は休んで、その次からまた何食わぬ顔で出ればいい。そこからあなたの素晴らしい人生は再開されるんです」
黙って聞く女を乗せて、首都高環状線に入る。

すっかり泣き止んだ女を下ろし、また俺は走り出した。一度営業所に戻って車内を掃除するためだった。
「なあ、なんで人間は自分から死ぬことなんてするんだ?」
「人間には色々あるのさ」
車にだって色々あるぜ、と返そうとしたが辞めた。影山はいつもと変わらない様子だったが、答えの見つからない会話は俺も影山も好まなかった。

もう日は大分傾いたころ、クリーニングを終え俺はまた走り出した。
今日の売り上げはまだ5万弱。半日走れば15万は売り上げる所なので、今日は本当に不調の日だった。

夕方になると客は増え、飲みに出る男、帰宅する女、病院から帰る老人。老若男女乗せて走った。なんとか挽回しそうになった所で、飲み屋の前をゆっくり走っていると、突然何かを踏んだ。
パキッと音を立てて割れるそれはメガネのようだった。左前タイヤに嫌な感触を捉える。傍らには、呆然とする女と中年の男。
一瞬ブレーキを踏まれたが、あれはどうしようもなかった。面倒な事を嫌う影山はそのまま走り去った。

その直後、今度は飲み屋から出てきたスーツの男と若い女を乗せる。男の方はかなり酔っている様子だった。
「みくちゃん、ほら乗って乗って!家、どっちだっけ、三田の方だっけ?運転手さん、とりあえず三田方面まで!」
機嫌よく言う男と、苦笑いする女。カップルを自宅まで送る、とはちょっと違う気もしたが、そんな事は関係ない。影山は「はいよ」と短く良いまた走り出した。
今日は昼間にクリーニングで2時間ほど休憩したので、影山は残業して乗車していた。通常は休憩しつつも乗車から10時間程度で交代する。
車内での客2人の会話は男からの一方的な形で全く成立していなかった。
「みくちゃんち広い?ベッドはダブル?あ、ごめんごめん俺床で寝れるから!」
「はぁ・・・」
男とは対照的に小さく返す女の顔は、どんどん曇っていっていた。

30分ほどで三田付近に着いた。細かい目的地を聞いていなかったので影山は信号で止まった時に言う。
「お客さん、そろそろ三田駅ですが、どの辺で?」
男は女を見、女は一瞬考えてから答えた。
「あの、ここでいいです」
「ここら辺なんだー!」
と相変わらず機嫌のいい男。何やら事情がありそうだったが、ここでいいと言われればここで降ろすしかない。
ドアを開けるとサッと降りる女。男は待ってよー、なんて言いながらあわあわと財布を取り出す。影山は助手席の窓を開け、降りた女に少し声を張って問いかける。
「今夜はご一緒されるんで?」
質問の意味が理解出来なかったのか女は数秒考えた後、元気に返した。
「いいえ!お疲れ様でした!」
途端、影山の操作で俺はドアを閉め、まだ小銭を漁っていた男を乗せたままキュっと音を立てて発進した。
男は車内で転げそうになり、ちょっと待ってよ降りる降りる!と声を上げたが影山は冷静に返す。
「どちらまで?」
影山の機敏なアクセル操作により既に数百メートル走っていた車内で、男は影山の圧に押されて元気なく答えた。
「あの・・・北品川・・・」
はいよ。短く言って左折した。

突然の出来事に男の酔いは一気に覚めたようで、少しずつ文句を紡ぎ始めた。
なんだよ、さっかくいい感じだったのに。くっそー、今度こそ。明日はかおりちゃんを誘おうかな。
「てか運転手さん、俺も降りるって言ったのに!」
「お客さん、そろそろ北品川駅ですが」
「ここでいいよ!」
最後は怒りの感情で男は答え、手にずっと持っていた小銭と数枚の札を置いてズンズンと歩いて行った。

「なぁ影山。あのカップルさ」
「カップルじゃねぇよ、ああ言うのを送り狼ってんだ」
「ふーん」
よく理解出来なかった俺だったが、きっといい事をしたんだろうと俺は影山を更に誇りに感じていた。

22時を回り、本日の営業はやっと終了した。
会社から課されたノルマにはやはり全然届いていなかったが、影山は数時間の残業を終え少し疲れたようだった。
俺も今日はずぶ濡れになったり急発進したりと少し疲れた。夜の営業所は静かで掃除機と洗車機音だけが響いている。影山はいつも通り黙って降りていった。

俺にとっての娯楽といえば洗車だ。人間は風呂というものに入るらしいが、俺にとっては洗車がそれだった。綺麗な水を全身に浴び、掃除機をかけてくれる瞬間、それはもう至福の時間なのだ。
洗車の作業員たちにテキパキと作業をされ、程なくして車庫に入る。既に昼晩の仲間たちで車庫は賑わっていた。

「よう、今日は遅かったな」
「散々だったぜ。びしょ濡れの女乗せたしよ」
「なんだそれ。まぁ大変だったみたいだな」
車庫の同僚と一仕切り世間話を交わし、今日は本当に疲れていたのですぐ眠りに落ちた。

翌日。
ガチャ、バンッ。
今日も始業時間ピッタリに無表情のまま男が乗り込んで来た。
「よう。昨日は大変だったな。今日は巻き返そうぜ」
「・・・」
男は答えない。聞こえてない訳ではなく、俺の信用するに値する相棒の影山にとってこの無言こそが肯定なのだった。

今朝も同じ風景。同じ騒音、同じ香り。街はいつもとまるっきり同じだったが、俺はどこか違和感を感じていた。
なんだろう、この違和感は。胸の高まりは。いや、もっと言うなれば、嫌な予感は。
もう昼前だというのに、なんとなくこんな気持ちに支配され、落ち着かない。機械にも「予感」というものはあるのだ。人間だけの特権じゃないぜ?

そんな違和感の原因が分からずモヤモヤしている俺に影山が口を開いた。
「あのな、」
言いかけて、瞬間俺は気付いた。口数の少ない影山だったが、午前中一度も口を開かないことなどなかった。あ、こいつが無口過ぎるから変に感じていたのか。

刹那に原因解明といくらなんでも無口過ぎる相棒への落胆の思考を巡らせていると、相変わらず感情のない声で続ける。
「俺、お前を降りることになった」
「あ?」
やっと喋ったと思ったら、何言ってんだコイツ。
「廃車されるんだとよ。車の入れ替えだ。」
「・・・あ?」

同じ感嘆しか出ないが、意味は全く違っていた。

車両の入れ替えは珍しいことではない。
乗用車の一般的な寿命は15万キロとされているが、俺のような商用車はメンテナンスが良くされているので寿命はその倍、30万キロは超える。俺はまだ20万キロちょいだし、今までに大きな故障もない。廃車はあり得る選択肢だが、あまりにも早い。
「・・・まだ俺20万キロだぜ?故障もねぇ」
数秒沈黙して(実際は数十秒)俺はやっと答えた。
「あぁ、俺もそう思うよ。ジャパンタクシーに随時入れ替えることになったんだと。オリンピックが始まる前に」
「そうか」
短くそう答えることしか出来なかった。
オリンピックか。車の世界にもスポーツはある。カーレースだ。だからスポーツの熱気は理解しているつもりだし、俺も好きっちゃ好きだが、なんだって・・・俺が。まだこんな元気なのに。
「いつ入れ替えるんだよ」
「来月の1日だと」
「てことはあと・・・1週間もねぇじゃねぇか」
「そうなるな」
「廃車された後はどうなるんだ?」
「再利用だろうな」
再利用・・・つまり鉄屑として溶かされてまた何かの金属に精製されるってことだろう。
まぁ、どこぞの廃棄物処理場なんかに放置されるよりはいい。けど、再利用は人間でいうところの死と同義だ。

「そうか・・・」
「・・・」
影山はまた黙る。表情からはいつも通り、何も読み取れなかった。
道端に手を上げるサラリーマン2人組がいて、俺はハザードを出して停車した。


バタンッ。
今日は終業時間ぴったりに営業所に帰ってきた。
影山はキーを抜き、おつかれ、と短く言って事務所へ歩いていく。
影山よりはおしゃべりな俺だったが、今日ばかりは午後から黙っていた。
程なくして、隣に同僚が帰ってきた。
「よう、元気ねぇじゃん。またシート濡らされた?」
「いや、今日は穏やかだったよ。稼ぎも上々だった。」
「にしては元気なくね?どっか壊れた?」
どうやらこの同僚にはまだ「入れ替え」の話は来ていない様だった。
伝えてあげないのも華かと思ったが、今日の俺みたいな思いはして欲しくない。それにコイツは時たまトランスミッションがイカれて工場に入院している。

「俺さ、来月1日に入れ替えされるんだと」
「えっまじかよ!あと1週間じゃねぇか!」
「あぁ、今日影山に言われた。宣告って案外急に来るもんなんだな」
「そうか・・・。寂しくなるなぁ。ってか、人ごとじゃないか、俺もそろそろなのかな」
「かもな。ジャパンタクシーに総入れ替えだってよ」
「やっぱりその波か。せめて東南アジアに売られるのだけは避けたいな」
「ハハッ。言えてる」
仲間に打ち明けてスッキリした。小気味よく笑う余裕すら出てきていた。いや、時間が受け入れる余裕を作ってくれたのか。
廃車と言っても色々ある。再利用か、どこかの空き地なんかに放置されるか、最近増えてるのは東南アジアに中古車として売られることだ。まだ走れるんだから良さそうな道だが、そこへ行くと壊れても壊れても最低限、または見当違いな方法だがとりあえず動くように処置され、ボロッボロになるまで乗り回されるらしいのだ。
再利用されるならいいか。俺の体が次の何かに生き続けていくんだ。巨大なプレス機に潰される時は痛そうだけれど。

死って、どんな感じなんだろう。
俺が死んでも、この世界は続いていくんだろうか。
死って、なんなんだろう。
この意識の終わった向こう側に、何があるんだろう。
死って、何のためにあるんだろう。
魂は還り続けることで世界は回っているのなら、なぜ命は生まれるんだろう。
命って。
命って何なんだろう。

そんな、史上どれほど著名な哲学者も、科学者も、医学者も見つけられていない問いにぶつかり、都心で働くちっぽけな1台のタクシーはあっさりと眠りに落ちた。


朝日が登るのと同時に、目が覚めた。
いつも影山が乗り込んでくる乱暴なドアの開閉によって目覚める俺にしては珍しいことだった。
突き抜けた青空、母屋の錆びた灰色のシャッター、僅かに揺らぐ儚い茶色の落葉、その根本に咲くアクセントとして輝く黄色いパンジー。
その全てが、鮮やかで、濃い色で、生き生きとしていて、まるで自らの色を主張しようと力んでいるようにさえ見えた。
世界って、こんなにも美しかったんだ。
今まで気づかなかった。
無くしてからその大切さに気づくことがあるとはよく聞くが、無くしそうになった時にこそ大切さに気付けると思った。
世界の輝きに、俺は圧倒されていた。
と同時に、この世界にまだ生き続けたいと願っていた。
人間にも死はあるが、やむ終えない病気だったり寿命だったり、中には突発的な交通事故なんかの時もあるらしいけど、他者の意思によってそのタイミングを決められることなんてまずないだろ?
俺たちは、事故はたまにあるけれどほとんどは人間によってタイミングを決められるんだぜ。
少なくても自分から死を望む奴なんていない。こないだ乗せた女といい、人間って本当に上等で、変わっていて、情で生きてるよな。

そんな風に俺にしては珍しく感情的に、答えのない事をぐるぐる考えていると、いつの間にか始業の時間になっていたようだった。テンポの良い、しかしどこにも感情のない足音が近づいてくる。
「よう、今日もよろしく」
いつも通り俺から声をかけた。
返事はいつもないのだが俺の気持ちを察してか珍しく
「おう」
と返事をする影山。
感傷に浸る相棒に向けたにしては短過ぎる返答だとは思ったが、今日の営業も開始された。

それからの日の経ち方と言ったら、あっという間だった。
妙に心が整理されているからだろうか、残り少ない日々を楽しもうとしているからか、とにかく早かった。
影山はいつもと変わらぬ様子で乗車を続け、俺もいつも通り影山に話しかけては無視され、流れる東京の景色と時間を肌で感じていた。

そうしていると忘れそうになるが、いよいよ明日は月末。俺の営業最終日だった。

朝。
ガチャッ、バタン。
いつものように無愛想な男が乗ってきた。
「よう、いよいよだな。安全運転で頼むぜ」
「おう」
短い返答で最近は成立する朝の会話を以って、最後の1日はスタートした。

最後の営業ったってどうという事はない。
相変わらず会社の連中の中で機械と会話ができるのは影山だけだし、俺だって今日いっぱいで引退だが明日すぐにスクラップにされる事はないだろうし。ただ、自分のエンジンで走るのは、今日が最後だろう。

何だろうこの胸の静けさは。
最終日ってもっとこう、悲しくて悔しくて泣きじゃくりながら走るもんだと思っていたけれど、
とても静かで、穏やかで、でもどこかドキドしていて。
祭りばやしが遠くで聞こえてくるような、そんな胸の高鳴り。
高高度から地上の獲物を探す、鋭い猛禽類の眼差しのように。
武者震いをも一歩通り越した、鬼気迫る静かな武士の覇気のように。

俺の心は、俺の予想より遥かに落ち着いていて、1秒1秒を大切に体に、魂に感じていた。

夕刻前。規程の乗車時間はあと3時間ほど。いつものタイミングでいつものコンビニで、最後の休憩を取っていた。
影山はいつも通り黙って店の中に入って行き、カップ入りのコーヒーを持って喫煙スペースへ。俺は少し肌寒くなってきた秋の夕風を浴び、エンジンを冷ます。いや、最後の乗車に向け覚ます、と言ったところか。

影山が喫煙所から戻ってきた。いつもここから乗車再開なのだが、今日は俺の側にきて、もう1本のタバコに火をつけた。
車内が臭くなるから側で吸うなって言ったのに・・・と小言を口にしようか迷っている俺をよそに、すぅっと深く吸い、遠くに煙を吐く影山。
あのさ、といいかけたところで影山は始めた。
数年の付き合いの中で一度も語らなかった、自分の身の上話を。

18の影山は田舎から東京に出てきた。
田舎の母が病気で急死したからだった。
母の死と向き合う時間もないままに、元々貧しい暮らしだった影山は働くしか選択肢がなかった。
父は物心ついた時からいなかった。
詳しくは聞いていないが、母の言い方から察するに、他で女を作ったようだった。
母からは忘れろ、とだけ言われていた。
東京に来た影山だったが、母の極めてささやかな葬式代と東京への交通費で有り金は尽きかけていた。
家など借りられるはずもなく、何でもいいから住み込みの働き口を探した。
しかし最低限の学しかなく、田舎なまりで、無愛想で接客と自己アピールのできない影山にとって就職活動は最も苦手な期間だった。
そして、新しいコミュニティーに入り、そこで友好の輪を広げる事はその次に苦手だった。
中華料理屋の厨房、道路工事の警備員、キャバクラのボーイ、郵便配達など、十数箇所の仕事先を転々としていると、気付けば影山は28歳になっていた。
出会いは唐突だった。
エアコンの清掃業者としてあるオフィスに点検作業に来ていた影山は、仕事中にミスを犯す。
元々、やれと言われた事をやるのは得意な男だった。失敗もなかったが、期待以上の働きをすることもなかった。のに、その時はなぜかミスをした。

脚立に乗り天井に設置されたエアコンを作業している時、誤って工具を落としたのだった。その時、運悪く真下を歩いていたのが、当時そのオフィスでOLをしていた、マリだった。
頭部に直撃した子供の上腕ほどもある大きなレンチは、彼女の額の薄皮を破るには十分な衝撃を持って落下し、大きな音を床に立てて落ちた。
レンチが床に叩きつけれらる大きな音とは裏腹に、マリは静かに、あっけなくその場に倒れたのだった。

12針も縫う大怪我をしたマリの元に、影山は毎日通った。
人と極力関わらずに済むように、ミスだけはせずにここまで来た。
影山にとって、人に迷惑をかけたことが初めてで、どうやって詫びたら良いか分からないからとにかく毎日通い、何の会話をするまでもなく、花を1輪ずつ持って行っては挨拶だけしてロクに謝罪も伝えられず帰った。
人付き合いを避けてきた影山は、だからこそ返ってこの数奇な出逢いにのめり込むことになったのだ。
マリは最初こそ謝って欲しくなんてない、ただ職場に戻りたいと願っていたが、毎日やってきては花を渡し、1分かそこらで出て行く影山に次第に興味を持っていた。

マリは家族に数日に一度、花瓶を買ってもらっていた。
家族はなぜ花瓶ばかり欲しがるのかと不思議に思っていたが、すぐにその理由が分かった。
来るたびに、新しい花が生けてあるのだ。
いい人でもいるの?と聞いてもマリは別にー、とはぐらかすだけだった。
家族もほぼ毎日来ていたが、影山と病室でバッティングする事はなかった。
マリは何となく、誰かが病室にいる時は離れて待って、私が1人になったら入ってくるのだと分かっていた。

額の縫い傷なんて数日で退院できそうなものだが、元々体の弱かったマリは投薬によるものか体調を崩し、結局一ヶ月も入院した。花瓶は7つに増えていた。

退院する日、影山は改めて深く深く頭を下げ、申し訳ございませんでしたっ!と謝罪した。
いいんですよ、気にしないでください、と軽く返すマリに、そうはいきません、私のせいで一ヶ月も入院させてしまって・・・。私にできることがあれば何でもさせて頂きます。
何でも?とマリは少し薄気味悪く言うが、頭を下げる影山はその表情に気付かない。そのままの姿勢で、はい、何でも!と言い切る影山にマリはそのまま、では、今度お酒を奢って下さいと言った。

数日後、とある居酒屋で再会した2人は、しかし続かない会話の中でお互いテーブルの上のビールを見つめていた。
女性と2人で食事に来たことなんてなかった影山は何とか会話をせねばと目をぐるぐる回していたが、1つ聞きたかった事を思い出した。
あの、マリさん。何で私をその、食事なんかに誘ってくれたんですか・・・。恨まれることこそしましたけど、私は、ご存知の通り会話が苦手て、ジョークの1つも言えないし・・・。
何でって、1ヶ月もお酒飲めなかったんですもの、飲みに出たくもなりますよ。
そうですよね、でもそれにしたって、職場の方とか、ご友人とか、色々いらっしゃるじゃないですか。
そうですね。私ずっと、影山さんに聞いてみたいことあって。
影山は直ぐに聞き返す。何です?
なぜ、毎日お花を持ってきて下さったんですか?
それは・・・。思いつく手土産が、花しかなくて。花お嫌いでした?
ううん、大好き。お花は嬉しかったです。そうじゃなくて、たまには花瓶も買ってきて下れば良いのに。私、両親に花瓶を結局7本もねだってしまいましたのよ。

影山は数秒固まって、意味が分かり座りながら飛び上がった。

そうか!すいません!俺そんな事にも気が回らなくて・・・!花瓶、いくらでした?
顔を真っ赤にして財布から小銭をジャラジャラと出す影山を見て、マリはこのとても無愛想で、誰より真っ直ぐな男により興味を募らせていた。

2人が休みを合わせて定期的に会うようになるまで時間はかからなかった。
1年ほどだろうか、いつの間にか影山のボロアパートに出入りするようになっていたマリのお腹には新しい命が宿っていた。
影山は人生の絶頂にいた。
父を恨み、母を偲び、自分が死なないために出てきたこの巨大な街で、何度も裏切られ、騙され、それでも仕返しをするような暇があるなら稼ぎ、ただ一歩ずつ斜めでもいい、少なくても前を向いて進む為だけに生きてきた。
そんな自分には今、自分より大切な命が2つもある。
自分の為だけに生きてきた影山にとってこの価値観の転換は人生そのものの転換だった。
ただいま、と言えば、おかえり、とお腹をさすりながら迎えてくれるヒトがいる。
俺はこの日常のために生まれて来たんだと確信した。

半年が経ち、特に冷え込んだ12月のある日の夕刻。
マリは産気付き救急搬送されていた。
影山は職場から飛んで来て、エアコン作業員の整備服のまま病院に飛び込んでいった。
やっと待望の家族に会えると言う興奮と、辛そうにするマリの体を心配する気持ちと、父親になる事への緊張から軽いパニックになっていた影山は、既に分娩室に入ったマリと会い見える事が出来ず、待合室で指を組み思いつく神様全てに祈っていた。

いつまで経っても医者は出てこなかったが、影山にとってあまりにも長い1分1秒は父親になる、また新しい家族を受け入れる準備をするのに丁度よかった。

マリが分娩室に入って10時間。日は落ちまた昇ろうとしていた。少しウトウトし始めていた影山は、何だか嫌な予感に目を覚ました。よく知らないけれど、長すぎる気がする。

丁度医師が出て来た。朗報を知らせるには表情は暗く、足取りは重かった。
ご主人ですね、時間がないので短刀直入に言います。複雑な臍帯巻絡(さいたいけんらく)で、母子ともに危険な状態です。もし、どちらかの命を選ぶとしたら、どちらですか。

え、なに?なんて?
サイタイケンラク??ドチラカ???影山は意味が分からなかった。短刀が直入過ぎて、いやそんな冗談を言っている場合ではない。今なんて言った???

祈りの格好のまま茫然とする影山に、医師は続ける。
へその緒が胎児に絡まって亡くなりそうなんです、奥さんの体もこれ以上の手術に耐えられそうにない。申し訳ないが時間がないんです。どちらも危ないが、どちらかなら救えるかも知れない。どちらか選べますか、どうしますか!

濁流のように自分の中に押し寄せてくる情報に影山はただ流される事しかできなかった。
いつの間にか数人の看護師に取り囲まれ、影山さん、時間がないんです!しっかり!とゆさぶられ、やっと捻り出した一言は、妻は、妻とは話せるんですか、だった。
今ならわずかですか、と言われて引きずられ病室に入り、されるがままマスクや白衣を付けられる。手術室に通されると、泣きはらして目は真っ赤だが、明らかに顔色の悪いマリがいた。酸素マスクをつけているが、目は虚に天井を見上げている。

マリ、お前、大丈夫か・・・。いつの間にかポロポロと止めどなく泣いていた影山は、よろよろと手術台に歩み寄る。
あなた・・・。ごめんね・・・。
マリは謝った。
心配をかけた夫に、酷使した自分の体に、そして満足に生んでやれない我が子に。

ごめんじゃないよ、大丈夫かよ。

大丈夫じゃ、ないみたい。この子を、よろしくね。

愕然とした。決められるはずのない答えを、マリはすでに持っていたのだ。こんな状態で、我が子を想って、なんて強いんだ、俺はなんて、なんて弱いんだ。

影山は天を仰いだ。あぁ神様、私たちが何したって言うんですか。なんだってこんな、幸せってそんなに狭き門なんですか。普通の人間が手にしちゃいけないんですか。

咽び泣く影山はマリに、わかった、とやっと一声掛けた。
うっすらと、それでも精一杯なんだと分かるマリの笑顔は、とても儚く、美しかった。






影山は腕の中で安らかに眠る女の子に、陽菜(ひな)と名付けた。
前から辛気臭いと思っていた自分の苗字に、少しでも明るい名前をつけてやりたいと思っていた。
マリの葬儀は本当に呆気なかった。影山側の参列者は元々おらず、マリの親族と元職場の同僚ら数名で執り行われ、陽菜はあまりに小さかったため病院に預けていた。
人が死ぬって壮絶なのに、死んでからお墓に入るまではその何十分の一にもあっさりしていた。
それは約10年前に母の葬儀で知ったはずであったが、人は忘れたいことは忘れていきながら生きているんだと確信した。

病院に戻り、線香くさいスーツで陽菜を抱くと、寝ていた陽菜は泣きじゃくった。
俺が、マリの代わりにこの子を、守らないと。
マリにも、この子を抱かせてやりたかった。
そう思うと、影山はまた崩れ落ち、声を殺して涙を流すのであった。

陽菜が退院してから、子育てしながらの新生活が始まったが、すぐに挫折した。
当時は育休を男性が取るなんていうことはあり得ず、勤めながらの初めての子育ては不可能だった。
影山は比較的長続きしたエアコンの修理屋を辞めた。
少ない貯金を切り崩す生活もすぐに限界がきて、マリの両親を頼る事になった。
両親は快諾してくれて預ける事になったが、影山はマリと約束した、自分が陽菜を守るんだと言うところに拘っていたため、結局人を頼ってしまった自分が許せなかった。

影山は新たに仕事を探した。1人になった今、影山は仕事を3つ掛け持ちし昼夜問わず働いた。収入の一部はマリの両親に断られながらも渡した。他は貯金していたが、マリを失った悲しみと、自分なしでも成長していく陽菜を見る度に自尊心は傷つき、次第に1人で飲みに出ることが多くなった。
酒の飲み過ぎと過労で倒れた影山は、偶然にもマリが額を縫って入院した病院に運び込まれた。影山は久しぶりにまた枯るまで泣いた。



3年が経った。
陽菜が幼稚園に上がる年になり、影山は陽菜を引き取る事になった。
マリの両親は影山の体を心配して止めたが、影山にとってマリとの約束をこれ以上伸ばす訳にはいかなかった。

たまにしか来ないので影山に全く懐いていない陽菜は恐る恐る影山と手を繋ぎ、ボロいアパートに帰って行った。
男手ひとつで、試行錯誤しながらも実の親娘なのにお互いどこか他人行儀な奇妙な新生活は賑やかだった。
影山は目の回る忙しさの中でも、やっと自分の手で陽菜を育てられている事、何回やっても上手くいかない卵焼きをマリの写真と陽菜と自分で囲んで食べれられる事に再びあの頃のような幸せを感じていた。

それから1年半ほど経ち、陽菜は自然と影山のことをパパと呼び、影山の卵焼きが完璧な形で盛り付けられる様になった頃の事だった。

いつものスーパーの帰り道。陽菜があまりにもお菓子が欲しいとゴネるので、ほんのしつけのつもりで泣いて歩かない陽菜をその場に置いて10メートル先に進んだ。
ついて来てるかな、と振り返った瞬間、陽菜がいたはずのところに軽トラが突っ込んで来ていた。

え?と困惑を口にする刹那も与えず、軽トラは陽菜を跳ね飛ばし家壁に激突した。

影山は事態が飲み込めなかった。自分の足にガラス片が刺さって使えなくなっている事に気づかず動こうとしてその場に倒れた。
なぜ足が動かないのかを考える余裕などなかった。
這いつくばってただ地面をたぐり寄せ、茫然としたまま陽菜の姿を探す。
見つからない、しばらく見渡すと、砕けたコンクリート片だと思っていた塊が陽菜だった。
影山の記憶はここで途切れた。



人が死んでからは、あっという間だ。
3回目のはずなのに、またしても自分は学んでいる。
まだたくさん、たくさんどころじゃない、なにも教えてやってない。
楽しいこと、いっぱいあるのに、なにも、体験させてやれてない。
何よりマリに、よろしくって言われたのに。
果たせなかった。
俺は結局、何も守れなかった。
何も、なにも、ナニモ・・・。
何にも残っていなかった。
ほんの小さな、片手で持てる程度の骨壺に収まった陽菜を抱えて、
影山は天を仰ぎ力の限り叫んだ。
「なんで、どうして俺が、こんなーーーーっ!!!!」






ジュッ。スーッ・・・ハァー。
影山は4本目のタバコに火をつけていた。
近くで吸われるのは嫌だったが、今日は何本吸っても文句は言わなかった。
「それからだよ、お前みたいな機械の声が聞こえるようになったのは」
「そうか、わかんねぇもんだな、きっかけってのは」
俺は影山の話に聞き入っていて、悲しくて悔しくて、どこから気持ちを汲んでやれば良いか分からず、話の内容に対しては的外れな感想を述べていた。

「それからタクシーの運転手を?」
「あぁ、せめて俺だけは事故を起こさないドライバーになりたくてな」

「人間って、いろいろあるだろ?」
「車にもあるさ」
今日は言い返して、フフっと2人で笑った。

側から見れば影山は車に何やら重い話を語り続ける運ちゃんだ。気付かなかったが、駐車場の中でかなり浮いている。
ここまで聞いて思ったことがある
「なぁ影山。なんでそんな大切な話を今日俺に?」
「なに、残されたものがどうやって生きていくのか、伝えときたくてな」

俺の理解が間違ってなければ、バッドエンドの悲しい話だったと思うが・・・。影山は初めて見せる爽やかな笑顔で言った。
考えてみれば俺も、仲間との別れを幾度となく経験して来た。影山のそれと比べたら壮絶ではなかったが、「廃車」になって行った仲間は多くいる。
悲しむこともあったが、乗り越えたからこそ今の俺があるし、影山の過去に共感できるし、自分の人生と向き合うことが出来ている。

人は思い出を忘れることで生きて行けるが、決して忘れてはいけない事もある。

その事を影山は教えてくれたのだった。
「影山」
「なんだ」
「ありがとよ」
「なにが?」
「今までのことさ」
「おう」
もう何千回と聞いた冷淡な返事を以って、いつもよりタバコ臭い影山はようやくギアを入れて走り出した。



数時間走ったが、休憩が長かったのでノルマにはわずかに届かなかった。
今日は営業所ではなく提携の整備工場にやって来た。定期点検の時にしか来ないが、今日は違う。ここが俺の人生のゴール地点だった。

影山は整備士に渡されたなにやら数枚の書類にサインしている。
俺は俺で気持ちの整理はついているので、妙にとても落ち着いている。
すでに別れの挨拶を終えていた俺たちにとって、もう特別なやりとりは必要なかった。

「「じゃあな」」

と重ねて言い、影山はスタスタと歩き去った。
呆気なくも思えるが、大切な人との別れを「非日常」の中で突然押し付けられて来た影山にとって、いつも通りの「日常」を演出をしてくれる、これは彼なりの優しさだった。



次の日の朝。
いつも7時に叩き起こされるが、今日は気付けば11時だ。文字通り俺たちは
「体内時計」があるので正確に分かる。
積載車にワイヤーで引っ張られて乗せられ、タイヤをロックされる。
人の背中に乗って走るのは、10年前新車としてロールアウトした時以以来だ。

2時間ほどだろうか、慣れない「乗り物」によるドライブの後、さっきよりずっと広くて、でもずっと散らかった工場に着いた。

俺はとても穏やかな気持ちでいた。
影山の最後の贈り物通り、「日常」の中で最後を迎えられることに心から感謝していた。
死が何なのかは未だに分かっていなかったが、きっといくら考えても分かりっこないんだろう。
それよりも、俺がいなくなった後の世界にもこんな「日常」は続き、影山は新しいタクシーで走り、世界は変わらず回っていく。
それが知れていた俺にとって今日訪れる死に対して恐怖はなかった。
ただ、いつもより格段に美しく思える青空をもう拝めないことが寂しかった。
所々に気持ちよさそうに流れる曇。
あの上に天国があるのかな。


またワイヤーで引いて下され、数人の男たちが俺の周りで何やら話をしていたが、やがて近くに寄って来てジャッキアップし、タイヤを外し始めた。
あーこれくすぐったいんだよなー、タイヤまだ新しいもんな、誰かに履かせるのかな。
なんて呑気に考えていると、男達はタイヤだけでなくオーディオや無線機、更にはトランクやドアなどの外装も取り外し始めた。
ちょ、ちょっと待って!せめて原型はとどめて逝きたいのに!
俺の悲痛な叫びは当然誰にも届かず、作業員の1人がハンドルの下に手を突っ込んだかと思うと、ブツンッと意識は途絶えた。





キュルキュルキュル・・・。
あれ?俺どうなったんだっけ・・・。
なんだこの音、なんかのボルトを回してんのか?
いや待てよ、なんだこれ!?

俺はすぐに気がついた。
意識が戻った事への驚きも去ることながら、
俺の体は同じ「コンフォート」だけれど違う車両に入れ替わっていた。
見た事もない家の駐車場。知らない青年。ハンドルの下に手を突っ込んで何やら作業をしている。
どう言うことか分からず、目を白黒させていると、
「出来たよじいちゃん!かかるはずだよ」
「そうかそうか、ありがとうよ」
またしても知らない老人が玄関から出て来た。

老人にキーを回され、幾度となく味わった心地の良い火花がエンジンに行き渡る。
ブオォォォオン!と音を立てて始動した。
「ほらな、やっぱコンピュータがダメだったんだよ」
「よかったよかった、これでまたセイヤ達を迎えに行ける」
「迎えに来てくれるのは嬉しいけど、もう年なんだから気を付けろよ」

コンピュータがダメだった?てことはおい、俺の体からコンピュータだけを引き抜いて移植したのか?

よかったよかったと安堵する老人とセイヤらしい孫?は工具を片付けている。
何やら色んな工具が散らばっているところを見ると、コンピュータ付け替え以外にもあれこれ試していたらしい。
だんだん思考が追いついて来た。あそこの解体屋で、オーディオとかボディの一部とかコンピュータとか、使えそうなモノは取って売ってたんだ。体はおそらく再利用して。
そんでなんかの縁でこの青年がおじいちゃんの車を直すためにパーツを揃えた、と。
てことは俺、まだ生きてんじゃん!

混乱が大きかったので歓喜が遅れたが、その分爆発的に喜ぶことが出来た。
「やったぜー!ヒャッホーウ!!」
と誰にも聞かれてない事を言い事に騒いでいると、玄関から10歳くらいだろうか、クマのぬいぐるみを抱えたお下げの女の子が出て来た。
「お兄ちゃんうるさいー、えー直ったの?」
「そんな騒いでないだろ、俺がキチンと直したぜ!」
「せっかく寝てたのに、ヒャッホーウだなんて」
「あ?そんな喜び方してねぇだろ」

女の子は一瞬不思議そうにしていたが、なぜか1人で合点して俺の正面に回り込んで来た。

「ねぇ、あなたが言ったの?」
屈んで小声で言う彼女に、
「あんた、分かるのかい?そりゃいい!今機嫌がいいんだ、よろしくな!」

言うと女の子はボンネットを笑顔でコンコン、とノックしてスキップしながら家に入って行った。
「私、この車好き!直ってよかった!」
「何言ってんだあいつ、前は古くさいとか散々言ってたろうに」

そうなのか、前に乗ってた人格(コンピュータ)はどんなやつだったんだ?
とにかく、俺の新生活は得てして始まった。

今度はタクシーとしてではなく、この老人の買い物または孫達が遊びに行きたい所への送迎車だった。
2年くらい経った時、タクシーとしてよりははるかに穏やかな使われ方に満足して腑抜けていた俺だったが、ある日池袋に行く事になった。
いつまで経っても慣れない手つきで老人がカーナビをセットする。
池袋かぁ、懐かしい。
アイツ、いるかな。
なんて奇跡的な出会いを想像して、俺は走り出した。

俺はここ2年で女の子、ツバメと仲良くなっていた。
彼女にはどう言う訳か生まれた時からモノと話せる能力があったようで、周りからは少し変わり者扱いされているようだった。
家族の目を盗んでは、駐車場で学校のこと、俺のタクシー時代のこと、たくさん話した。
俺に取っては初めての「よく喋るオーナー」だったので、それがとても嬉しかった。

川越街道をひたすら上り、豊島区に入った頃。
対向車線を気にしていた訳ではないが、直感で見つけた。
影山だ。
ピカピカのジャパンタクシーに乗ってやがるが、あの辛気臭い、無表情な、でも美しく一定のスピードで加速していく車体。間違えようもなかった。

「影山!」
俺は叫び、無意識のうちに右ウインカーを出して右折レーンからUターンしていた。
自分でも驚いた、その気になれば操作できるのか。そりゃそうだよな、俺の体だからな!
得意のポジティブで理由付け、フル加速で影山の隣に並ぶ。
運転手のドライバーとセイヤは訳がわからずパニックになっていたが、ツバメはシートに捕まり、「あれが影山さん!?」と叫んでいた。
信号で影山と並んだ俺は、影山に話しかける。否、叫び掛ける。
「影山!俺だよ、コンフォートだよ!」
影山はトレードマークの無表情をさすがに崩して目を見開いていた。
「影山さんね!分かる?この子!」
ツバメも叫んでいた。
影山は笑顔で頷いていた。

俺は、最初見つけた時こそはどっかに駐車して色んな事を語り合いたいと、恐らく当然に思ったが、影山の笑顔を見てその思いは一気になくなった。
付き合いが長いからこそ分かる。
一瞬驚きこそしたが、その直後の影山の笑顔は、「元気でやってんだな。いいオーナー達じゃないか。お前はお前の使命を全うしろよ。」
と言っていた。だから俺も答えた。と言っても、影山みたいに表情では何も伝えられないので、言葉にして一言だけ。
「影山、この子ツバメってんだ!いい子だろ!話ができるんだぜ!俺はこの子と家族を守るよ!」
影山は再び頷き、丁度青になった信号に合わせて発進していった。
「いいの?話さなくて」
「ちゃんと話せたよ。それより、悪いことしちまった。おじいちゃん達に上手くフォローしといてくれ」
さっきから老人は訳が分からず、発進できずに後ろのトラックにクラクションを鳴らされバタバタとパニックになっていた。セイヤは呆然として虚に空を向いていた。


ツバメのフォローで脇道になんとか入り車を止め、2人は休憩していた。
ツバメからあったフォローは、「カーナビが故障したんだよね」だった。
カーナビが何をどう故障すれば車が勝手にUターンするのかは疑問だったが、混乱の深淵にいる2人には十分な言い訳だった。

今日はいい日だった。
影山と一目でも会えて、確認出来た。
今何をしていて、これから何をしていくのかは重要ではない。
何を背負って、何を使命としているのか。
それが確認出来たからあの数秒で十分だった。
影山も、あの無愛想ヅラの下で少し、ほんの少しだけニヤついていることだろう。

見上げると快晴。
天国なんて、どこにも見当たらなかった。
あるとすればきっと、空なんかでなく。
大切な人の、胸の中だ。











世界は、数ある命を燃やし、回っている。
静かに、ただ力強く。

何から命は生まれるのか。
燃え尽きた先に、何が残るのか。
その答えを探して、今日も、これからも。

ありもしない答えを探すために、
今日も世界は矛盾を孕み、燃え、回る。

しかしその炎の輝きの、
天地無上の美しさ。

全てを巻き込み回る遠心力の、
天裂き地呑む豪快さ。

世界にはそれだけで、
生まれ出ずる価値はある。




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