白と黒

上野蜜子

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第9章

遺恨と外泊 3

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心底来なければ良いのにと思っていた金曜日がついに来てしまった。

死刑宣告をされたような、自ら地獄に赴かなければいけない絶望で毎日が本当に苦痛にまみれていた。

常に胃が痛くて、胃腸薬が手放せない。メンタルの急上昇と急降下を繰り返しすぎて、頭が働かない…。

単純に具合が悪い。病は気からとはよく言ったものだ…完全にメンタル不調による体調不良を引き起こしている。

そして明日も土曜出勤で普通に仕事をしにいかなければならないという事実があまりにも苦しい。

なんで俺、言うなればただの平日の夜に会いたくもない元カノと居酒屋にいるんだろう…

「電話で婚活してるって言ったじゃん?あの日も食事デートだったわけ…でも相手が本当に微妙でぇ…」

「あのあとホテル行こうとか言うからさぁ…でも偶然三芳に会えてちゃんと断ろうって思ったんだよね。だから会えたことの感謝の気持ちまず伝えなきゃって思ったの~」

「三芳の連絡先も消しちゃってたんだけどさ~、昔のスマホ引っ張り出してなんとか電源入れたら…三芳の誕生日のパスコードのままだったよ!すごくない?すごい年月経ったのにね」

「最近、三芳の夢ばっか見るし。天啓?みたいなやつかなと思って、絶対会わなきゃ~ってなったんだよね~」

「三芳に会いたいな~って思ってたからさ、あの時会えて本当に良かった!私あれからずっと大変だったんだよね、色々と」

「なんか~私若かったからさ、あの時はわがままでいっぱい三芳を困らせたよね~。まあ色々あったけど、三芳はいつも優しくしてくれて本当に嬉しかったよ」

「やっぱりわたし、1番気を許せるの三芳なんだよね~。安心してお酒飲めたの、10年ぶりだよ。別れたあとで三芳のありがたみを痛感したし!」

「久しぶりに会えたから~嬉しくていっぱい喋っちゃってごめんね!三芳は?最近なにしてるの?」



「別に何も…」



喋っている内容がほとんど頭に入ってこない。

声も喋り方も何もかも、鼓膜に引っかかって眩暈がするような、聞いているだけで頭がズキズキ痛んでくるような感覚がある。

返事や反応が無くても喋り続ける桃華の声をただただ聞き続ける仕事…をしている気分だ。

食べ物飲み物の味が全く分からないし食欲も湧かない。なんの地獄だこれは…。

白石さんからは結局お礼に対する返事のみで、今週の誘いの連絡はなかった。が、逆に来なくて良かった。断る理由はとても言えなかったから…

本当に帰りたい。帰りたい以外の感情が出てこない。

まだ桃華と合流してから30分も経ってない。時間の流れが遅すぎる。

なんで金払ってこんな地獄を味わわなきゃいけないんだ。

早く解散したい。帰りたい。今すぐこの顔を見たくない。声も聴きたくない…逃げ出したい…。

「三芳のそういう多くを語らないかんじ、昔と変わんないね~ほんと!変わってなくて安心したよ。ねえ、彼女はできた?あの時一緒に食べてた人誰?三芳と全然タイプ違うね、どこで知り合ったの?」

白石さん…

あの時電話さえ取らなければ、知らない番号だと思ってスルーしておけば、なんとなく食事に誘って…今頃もしかしたら白石さんと行く店探したりしていたかもしれないのに…

「…あの、用は何?雑談するために呼んだわけじゃないだろ」

「え~、三芳つめたいなぁ~…2年も付き合ったのに。久しぶりに会ったら話したいなってならない?普通」

「はぁ…?」

普通ってなんだよ…ならねぇよ…

「用っていうか…レストランで遠目で笑ってる三芳見付けてさ、また仲良くしたいなって思ったの。明るくなったね、三芳。今日は暗いけど」

「………」

「冗談だよ!あは!私、三芳と別れなきゃよかったなーってずっと思ってたんだよね。あの時はほら、あんな感じだったけど…今思えば些細なことだったなって」

「些細なこと…」

この女にとっては全部些細なことだったのか。

その些細なことにこっちは10年間縛られ続けたっていうのに…

もう無理だ。最悪な気分…

「三芳はさぁ…いま、私とまた付き合えって言われると思ってる?」

「え?いや…」

「あはは!さすがにヨリ戻そうよって今いきなり言ったら戸惑うと思うけどさ~、別にそうじゃないじゃん?三芳とまた仲良くしたいだけなんだよね。それならいいでしょ?」

「いいでしょって…」

「フツーに友達。フツーでしょ?」

フツーって何…フツーの友達って絶対にこういうのじゃない。友達自体少ないけど、それだけは分かる。

理解ができない。なんで俺なんだよ。

あんなに罵って暴れたこと、全部忘れてるのか?

俺がおかしいのか?普通は…そういうことをした相手に連絡したり脅して会ったりするもんなのか?

いや、おかしいのは俺じゃない。こいつが絶対におかしい。

おかしいのに、全く強く出られない…

胃がぐるぐるする。頭が痛い…

「ねえ三芳、体調悪い?」

顔をぐいっと覗かれ、体がぎくっと強張る。

長く伸びた人工的なまつ毛、ぎらぎらしてる目の上…

白石さんと真逆だ…

「…良くはないけど」

「え、無理させちゃった?体調悪いならそう言えば良いのに~」

人に有無言わさないくせによくもぬけぬけと…

そもそも一緒の空間にいるから体調悪くなるんだよ…

ぐっと唾を飲み込む。

はっきり言おう。あまりにも生産性のない会話、全く無駄な時間をこれ以上過ごすわけにはいかない。

「あのさ、他に用がないなら解散でもいい?」

「え~、ほんと大丈夫?さっきから全然食べてないもんね?」

解散で良いか聞いたのにそれに対する返事が一切含まれない。

なんでこうも自然な感じで話が噛み合わないんだ…

昔からこんなだったっけ…解散は都合が悪い?いや、俺には関係ない…今この世で最も無駄な時間をずるずる過ごす必要はない。

そもそも同じ空間で同じ時間を過ごすことが俺の健康に圧倒的な悪影響を与えている。健康のためにも早く離れなければ。

胸のあたりがムカムカする。顔見ているのももう限界だ…完全にこの存在自体がトラウマすぎる。

一刻も早く離れたい。今すぐにでも出て行きたいぐらいだ。

「あ、三芳。なんかほっぺについてるよ」

「え?」

桃華が左頬を指差して言う。

頬を触るが、何も手につかない…

「違う違う、もっと耳側だよ。鏡見てきたら?」

「え、ああ…」

桃華がトイレの方を指さして言う。

た、助かった。少しでも物理的な距離を取る機会ができた。

少し離れて、頭を落ち着かせたい…。とにかくこの話が通じない女となんとか解散するための言い方を考えないと…

席を立つと、桃華が手をひらひらさせる。

「ごゆっくり~待ってるね」

待ってなくてもいいんだぞ…戻ってきたら帰ってくれてたみたいな展開にならないかな。

体がこわばりすぎて、手と足が一緒に出ている気がする。歩くのにも違和感がある。

あまり長い時間席立ってられないだろうから、とにかく考えて…!一秒でも早く解散できる流れを作らないと。

早く帰りたい…とにかく早く帰りたい…!まだ数十分しか経っていないのに、もう数日寝込みたいぐらいの削られ具合だ。

客から本社に店舗に対するクレームの電話が来た時よりも消耗している…しんどい…本当にしんどい…



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