白と黒

上野蜜子

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第7章

波乱と頓挫 5

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レストランに到着すると、優雅で豪華な雰囲気に一気に負けそうになったが、ちゃんと予約してあるしちゃんとした服装だし…と自分を奮い立たせてなんとか案内されるままに席に着く。

「すごい素敵なレストランですね、探してくださってありがとうございます。僕今日黒原さんについていくだけで何もしてないですね…」

「いや違うんです!俺が来たかったんです…誘ったのは俺だし、むしろ全部決めちゃってすみません」

「そんな…すごく嬉しいですよ。こんな素敵な思いをさせて頂けて幸せです、本当にありがとうございます」

少し照れた顔をしながらストレートな言葉が放たれ、ダイレクトに俺の心臓を揺らす。

白石さんって、感情表現が本当に真っ直ぐなんだよな。気持ちをこうやって正面切って伝えられるって嬉しいことなんだな…俺もちゃんと伝えていくように心掛けよう…

予約していたコース料理が順番に運ばれてくる。どれも芸術品のような盛り付けで、当然のように美味しい。もう酒は飲まないとか先週誓っていたはずなのに、ナチュラルにワインを嗜んでいる。いや、嗜むだけだから…これも料理の一環だから…!フレンチだから…!!

白石さんは食べ方が本当に綺麗で、うっかり見惚れそうになる。ちゃんとマナーを予習して来てよかった…調べたか調べなかったかで、だいぶ違っていたと思う。過去の自分を褒めてあげたい。

いろいろな話をしながら、食事が進んでいく。ちゃんとしたフレンチを食べるのは久しぶりだ。昔は一皿の量が少なくて物足りない気持ちになっていたが、ゆっくり味わって食べるとむしろこのぐらいの方が丁度良い(苦手なものが来ても量が少ないから助かるし!)

しかし食事が進んでいくということは、勝負の時が近付いてきているのと同じことだ。美味しそうに料理を味わうこの白石さんに、ついに…ついに俺が告白する…

デザートが来たあたりからだいぶ心拍数が上がって来て正直味が全く分からなかったが、いよいよ最後のコーヒーが出て来てしまい、緊張とこれからの段取りを考えるので頭がいっぱいになった。

なるべくなんでもないような顔をして会話を続けているが、すでにガチガチに緊張している。でもすごい良い雰囲気だし、今日のデートもものすごく上手くいったし。

ちょっと酔い覚ましに歩いてから帰りませんかってスマートに伝えて、公園で告白…!そして解散!週明けからは2人恋人同士。完璧なプランだと思うんだよ。

だって付き合うまでの告白アレコレをちゃんと調べまくったし。タイミングとしては今日しかないし。出会って約3ヶ月、丁度良すぎるタイミングだし。

それに、こんな仰々しいデートに誘っておいて何も言わずに解散ってあまりにもマヌケすぎるし。先週のあの感じだと、白石さんも分かってて来てくれてるだろうし。本当に今日しかないと思う。俺にはロマンスの神様がついている…と思うし。

深く息を吐いて、改めて白石さんに向き合う。

「あの…白石さん!この後なんですけど、一緒に…」



「三芳?」



突然聞き覚えのある声に呼び掛けられ振り向くと、

時間が止まった。



何で…

何でここに…



「えーちょっと…三芳だよね?覚えてる?」

覚えてるかなんて…

忘れるわけがないだろ。

定期的に夢に出て来ては夜中に飛び起きさせるその目。

髪型や化粧が変わっていても一瞬で分かってしまう。

一瞬で血の気が引いたような、寒気が襲いかかる。

それなのに変な汗が全身から吹き出してくる。

心臓が変な動きをしている。脈が不規則で苦しい。

喉が詰まって、息ができない。

何か言わないと、何か言わないととグルグル頭の中で組み立てた言葉を口から出そうとしても、声が出ない。

早く答えないと酷い目に遭う。

汗をかくのに、ひどく全身が冷たい。

手が震えているのが分かる。

白石さんがいるのに。

嫌なところは見せたくないのに。

何か喋らなきゃいけないのに…

「黒原さん、お知り合いですか」

白石さんの声で、はっとする。

そうだ、固まってたら心配させてしまう。

何でもないんだってことをちゃんと伝えないと。

でも、元カノから目も逸らせず、何も言えず、体も動かない。

時間にしてはそんなに長い時間ではないはずなのに、この時間が永遠に終わらないような感覚がある。

「三芳、久しぶりすぎてびっくりしちゃった?何年ぶりだろうね、超懐かし~!全然変わってないからすぐ分かったよ、ごめんね突然声掛けちゃって」

白石さんにぺこっと軽く会釈をして、楽しそうに笑いながら言う。

なんで笑ってるんだ?なんで笑えるんだ?

白石さんに関わらないでほしい。白石さんがその目線で汚れる。

気持ち悪い、謝るなら声掛けてくるなよ。

近付かないでほしい。

関わらないで欲しい。

でも、何もできない。

自分の体が自分のものじゃなくなったみたいだ…

「ねえ三芳、あの時はなんか…ゴメンね?あたしにも悪いとこあったかもなぁって思ってずっと謝りたかったんだよね。これだけはちゃんと伝えなきゃなってモヤモヤしてたからさ~、会えて良かったよ本当に!」

…何?

何を言ってるんだ?

謝りたかったって、何だよ?

ごめんってどういうことだ?

体が拒否反応起こすほどのことを何回も何十回も繰り返しておいて、その一言で全て済まそうとしてるのか?

モヤモヤするから謝ってスッキリしたいだけだろ?

自分が気持ち良くなりたいだけだろ?

会えて良かったって、この女はどうしてそう思うんだ?

それはどこから来る感情なのか?

恐怖なのか怒りなのか、自分でも理解ができない感情で頭がいっぱいになり、顔や首が腫れてきたような圧迫感で、いよいよ息ができなくなる。

やばい、死ぬ。

心臓がおかしい。

ずっと変な動き方してる。

手が震える。

俺、ここで死ぬのか?

なんで?死因元カノ?

頭働かない。

レストランのBGMが遠ざかっていく。ひどい耳鳴りがする。

付き合っている時にされたこと言われたことが頭の中でひっきりなしに響いている。

これが走馬灯?

俺、本当に死ぬのか?

「あの。せっかくの再会に水を差してしまってすみませんが、お連れ様が心配されますよ。こちらも時間が御座いませんので、お席に戻られてはいかがでしょう」

耳鳴りの中で、白石さんの声がした。

「あ、お邪魔してしまってすみません!三芳、連絡先変わってないよね?また機会があったら遊ぼうね、ごゆっくり!」

小さく手を振りながら遠ざかっていく、トラウマの元凶。

何…連絡先って…

遊ぼうねって、なんで…?

姿が見えなくなると、足りなくなった酸素を取り戻すように急ピッチで呼吸が始まった。

息が荒くなる。吸っても吸っても息が苦しい。吐いても苦しい…だめだ、早く落ち着かないといけないのに…白石さんに心配かけたくない…体が震えて、うまく動かない。

早く息しないと。心臓落ち着けないと。

笑って、いつもみたいに何か言わないと。

…なんで俺、

今日告白しようなんて思ったんだろう…

恋愛なんて全く上手くできないのに、それも分かってたはずなのに、白石さんに告白してどうしようと思ったんだろう。

まさか上手く付き合っていけるなんて思ってたのか。

散々、自分がダメなことなんて分かっていたはずなのに。

自分がひとを幸せにできるはずがないなんて分かっていたはずなのに…

愚かすぎる。なんで俺なんかが白石さんをどうこうしようなんて思えたのか…

「黒原さん」

目の前にいる白石さんの声がやけに遠くに感じる。

ダメだ。しんどい。今日のデートも何もかも無駄だったんだよ。

整わない呼吸で、顔の中心が痺れてくる。

「黒原さん、もう大丈夫ですよ。僕の声聞こえます?」

聞こえてる…聞こえてるけど、声が出ないんです。

なんとか頷くが、顔が上げられない。

物理的に上げられないのもあるけど、こんな情けないところをこの人に見られたくない。

見ないでほしい。そう思うと尚更顔を上げるということができなくなる。

「黒原さん、今息吸わなくて良いですよ。苦しいと思うんですけど、肺の空気をゆっくり最後まで吐ききってください。やってみて下さいますか?」

息?吐く?苦しいのに?

なんでだ?息吸わなくて俺大丈夫なの?

でも、白石さんが言うことだから…

苦しいのに息を無理矢理吐こうとすると更に苦しいが、咽せそうになりながらも最後まで息を吐き切る。

「そしたら、ゆっくり息吸って。慌てなくて良いですよ」

揺れる視界の中でテーブルの下で冷えてぶるぶる震える手を見ながら、言われた通りゆっくり意識して息を吸い込む。

なんか、口が痺れる…口の中がまるく空洞になっているような、なんだこれ…どこかで経験したような感覚…

「上手ですね、そしたらまた最後まで息吐ききってみてください。ゆっくりで大丈夫ですからね。もう息吐けないってとこまでいったら、またゆっくり息吸って下さい。あと何回かやりましょう、すぐ落ち着きますから。大丈夫ですよ」

白石さんの声がとても優しくて落ち着いていて、少しずつ凍った体がほぐれていく。

白石さんの言う通りにすると、少しずつ息苦しさが解消されてきた。心臓の動きも、規則的に落ち着いて来ている気がする。

「黒原さん、僕の話ちゃんと聞いてくれてありがとうございます。僕がついていますから、安心して下さいね。とりあえずお店出ましょう、立てそうですか?」

お店出るって…

…ああ…帰るのか。

せっかく…せっかく今日のデート、上手くいったと思ってたのに。もう終わりか。

本当に何もかも上手くいかない。

俺って本当ダメだな…

一丁前にデートなんて誘って、どうせこうなるってなんで分からなかったんだろう。

白石さんとなら一緒に居られるとなぜか思い込んでいてしまった…

「大丈夫ですよ、一緒にいますから。ずっと一緒にいます。何も怖いことないですからね、すぐに気持ちも落ち着きます」

心を読まれているかのように、白石さんの真っ直ぐな言葉が胸に沁みる。

「僕がいますからね。慌てずに、ゆっくり立ってみてください。気分が悪くなるようだったら、もう一度座れば良いですから」

白石さんの言葉は、いつも素直に頭に入ってくる。

この人の言うことなら大丈夫だろうと、なぜかすっと信じてしまう不思議なちからがあると思う。

震える手を机について、足腰に力を入れる。

あ、立てそうかも。

…何で俺、こんな生まれたての子鹿みたいな状態になってるんだ。

いつもどうやって体を動かしていたか思い出せない…

人間って普段は意識しないでも身体を動かせるんだな…思っていた以上に高性能だよな、人の体って…

そんなわけのわからないことをぼんやりと考えていた。

立ち上がると、白石さんが俺の手荷物を片腕にまとめて背中を支えてくれる。

背中をさすられると、体温が伝って来ているわけでもないのにじわっと熱くなる気がした。

こんなはずじゃなかったのにな。

これから2人で散歩して、良い感じのムードで告白するはずだったのにな。

朝からすごく楽しく過ごせて、白石さんも喜んでくれてたのに。

あんなに楽しかったのに。なんで最後の最後で出てくるんだよ。

引っ越したわけでもないけど、この10年、偶然だって会わなかったじゃないか。

なんでよりによって今日なんだよ。なんで簡単に出て来て簡単に俺を掻き乱すんだよ。

俺が予約したレストランになんでピンポイントで来てるんだよ。

お前の家そんなに近くないはずだろ。

俺に関わらないでくれよ…他人だろ、もう。

俺ってなんでこんななんだろう。

白石さんが何か喋っているような気がするが、頭の中がぐるぐるとまとまらず、何も頭に入ってこない。

ただ連れられるままに背中を支えられて歩いている。

予約の時に決済しておいてよかった。

こんなことになるなんて想像もしていなかったけど、少なくともそれだけは朝の自分を褒められそうだ。

周りの景色にも目がいかない。どこに向かっているのか全く分からない。

頭を働かせないといけないのに…

自分が自分じゃないみたいな、どこか他人事のような、脳みそがどこかに飛んで行ってしまったような、不思議な感覚で白石さんに流されるままに体だけ動かしていた。



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