白と黒

上野蜜子

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第7章

波乱と頓挫 3

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屋内展示をざっと見終わり、昼食の予約の時間も近くなったため館内のカフェレストランに移動し、

「え、これさっき展示で見たやつじゃないですか?」

「ほんとだ。さすが美術館のメニューですね」

と、展示されていた絵が表面に描かれている料理を2人揃って注文し、アーティスティックな店内で優雅なランチタイムを過ごす。

レストランの入り口には順番待ちでかなりの人数がいたため、少し申し訳ない気もするが予約しておいてよかった…としみじみ感じた。

足と腰が休まったところで、敷地内の公園の屋外展示を見がてら散歩を始める。

風がさわやかで気持ちが良い。緑も多く、木漏れ日がキラキラとしていて、手入れの行き届いた日本庭園などもあって…やはり今日、この場所を選んで良かった。

屋外展示もなかなか迫力があって良い。伝えたいテーマとか難しいことまで考察はできないけど、芸術に触れるって頻繁にあることではないし非日常的な空気が素直に楽しい。

石でできたベンチを見付けたので、腰掛けて少し休憩タイム…遠くの方で子供が走り回ってる様子をぼんやり眺めながら、これが幸せか…と平和に浸っていた。

「はぁ…気持ち良いですね。良いお天気だし、緑は綺麗だし隣には黒原さんがいる…」

「…空気がすごく美味しいですね。そういえば白石さんって、割とアウトドア派なんですか?」

可愛いことをこうやって突然言うので、衝撃で反応するにしきれずスルーしてしまった。俺も隣に白石さんがいて嬉しいですよぐらいさらっと言えれば良かった。

「うーん…どうなんでしょう。家でゆっくりするのも好きなんですけど、どちらかといえば外に出ちゃったほうがリフレッシュしやすいかもしれないですね」

「へぇ…そうなんですね。1人の時はどこ行かれるんですか?」

「うーん…何も考えず音楽聴きながらドライブしたり…コンサート行ったり…たまに図書館とか…この美術館も何度かは来ましたね、あとは…1人の時何してるんだろうなぁ僕…」

「え、やっぱりここ来られたことありましたよね?そうなんじゃないかなとうっすら思ってたんですが…すみません」

「ええ?美術館はいくら来ても良いものですよ、その時その時で展示も変わったりしますし、何より誰かと来るのは初めてだったので…黒原さんに誘って頂けて、一緒に来られて本当に嬉しいんですよ」

ど、どきっ。

初めてって、なかなか特別な響きだよな。

なんでだろうな。その人の歴史に一番初めに名を刻んだ、みたいな…白石さんを取り巻く周りの人間に対する優越感みたいなものがあるんだろうか?

「…ちなみに俺はここに初めて来ましたよ。白石さんと来たのが初めてです」

「そうなんですか?ふふ!来館デビューにご一緒しちゃいました!」

白石さんも露骨に嬉しそうだ。可愛い。いつもニコニコはしているが、最近は笑顔の区別がつくようになってきた。もっと色んな表情が見たいな。

「…黒原さんは?いつもお一人の時は何されてるんですか?」

「俺は…土曜が出勤だと日曜は一日中寝てますね。2連休の週は、1週間分の作り置きしたりしてます…冷凍庫がおかずでパンパンになったりますよ」

「作り置き?すごいですね…僕には無縁の響きです。あの…前々から思ってたんですが土曜日出勤のあとは平日にお休みを振り替えとかされないんですか?」

「もちろん振替もできますけど、そうなると手当が貰えないので…滅多に振替しないですね」

「そうなんですか。日曜はずっと寝られているとのことですけど、夜もそのまま普通に寝られるんですか?」

「うーん、多少眠りは浅いですけど…元々がそんなに熟睡するタイプじゃないのであんまり気にならないですね」

「元々ですか…小さい頃からずっとですか?」

「小さい頃から…ってわけでもないかも。大学の頃から…かな…」

そう言いかけたところで、睡眠のトラブルが出始めた原因を突き止めてしまった。

…元カノと付き合ってた時からだ、それまでは睡眠で悩んだこと一度もなかった。

悪夢とか金縛りとか頻繁に起きるようになって、深夜とか早朝に目が覚めることが増えて、段々寝るのが怖くなって一時期やばかったんだよな。思い出した。

もう十年も経つし今はそれほどじゃないけど、毎日必ず何かしらの夢は見るしいくら寝ても寝足りない感覚はある。そうだ、高校まではわりと朝から元気だったんだよ。

…けどあまり白石さんに元カノの話はしたくないんだよな。いやもう話しちゃってるんだけど。なんというか、後ろめたいことではないはずなんだけどこれ以上はもう知られたくないと言うか…

「大学の頃からですか。…寝付きはどうですか?スムーズに眠れてます?」

「寝付きは悪い方だと思います、以前に比べたらだいぶ寝れるようになってきてると思いますけど」

「ベッドに入ってから結構時間かかりますか?」

「うーん…すぐ寝られる日もあるし、寝付けないなーと思って時計見ると3時とかだったりするし…時間は気にしたことなかったです。休みの日の昼間は一瞬で寝られるんですけどね」

前まで空が明るくなるまで一睡もできないこともザラだったことを考えると…大分マシになってきてるな。

眠れないのって、変な癖がつく気がする。寝るコツが分からなくなるというか、眠れない状態が当たり前になってしまうと言うか…

「そうですか…寝付くのに時間がかかるのって、しんどいですよね」

「大分慣れては来てますけど…しんどいですね。睡眠自体があまり好きな行為ではなくなりました」

「そうですよね、寝るのが嫌にもなりますよ。毎晩お辛いですね…すぐ寝られる日もあると仰ってましたが、寝られない日と何か違うこととかされてますか?」

「えー…なんだろ。運動してるわけでもないし、酒も1人だと飲むことそんなにないしな…」

…って、うっすら気付いていたけど…

もしかして…もしかしなくても俺、いまカウンセリング受けてる…?

何の話してたんだっけ?休みの日何してるかみたいな話じゃなかったっけ。

一日中寝てるって言ったのがまずかったか。多分心配させてしまってるんだろうな…白石さんにはグッスリ寝てる姿しか見せてないだろうし、

…あれ?

「そういえば白石さんの家だとよく眠れますよ。ベッドが広いからかな?シーツも掛け布団もいつも気持ち良いし、すごく寝心地良いです」

「え、そうなんですか?ゆっくりお休み頂けてるならすごく嬉しいです。ご自宅だとなぜ寝られないんでしょう?」

たしかに、何でだろう?

環境が変わって眠れなくなるっていう話はよく聞くけど、俺は逆なのか。環境が変わった方が眠れるって、あんまり聞かないよな。

でもあの部屋は思い出すことがあまりにも多すぎるんだよ。

「恥ずかしいんですけど、うちが散らかってて落ち着かないとかは正直ありそうです。あとは良い思い出がないからとかかな…」

「思い出ですか?」

「はい、あの…学生の頃から10年以上住んでるので…」

結局、この話題になってしまった…

せめて直接的なこと言いたくないな。意味が伝わったら結果は同じなんだけど。

「…言いにくいことでしたらすみません。当時の彼女さんのこと思い出してしまいますか?」

「あ、いや、語弊がありました。思い出じゃないです!違うんです、思い出すって言うか、あの…大事な思い出~とか愛しい~とか全くないですよ!?ただ、言われたこととかされて嫌だったこととか、ふと脳裏に浮かぶんです…思い出してしまうことも含めて、本当に自分が弱くて情けなくて嫌になるんですよ」

「大丈夫です、わかってますよ。他者から無遠慮に心に傷を付けられた言葉って、なかなか消えるものじゃないです。情けなくなんかないですよ」

「もう別れて大分経つし…本当に思い出したくもないんですよ。なので早く引っ越したいんですが、退去費用の問題とか奨学金の返済もあったしなかなか環境を変えられなかったんですよね」

「奨学金?大学の?」

「あ、そうです。無事に完済できたので、次の更新で職場からもう少し近いところに引っ越そうかなとは思ってるんです。そうしたら寝るのもラクになるかなと思います」

「学生の頃から一人暮らしされて、奨学金もご自身で払われて…本当に頑張りましたね。いまも頑張ってるんですね。黒原さんは本当に頑張り屋さんだ」

手をすっと持ち上げられて手の甲にキスをされる。

「はっ!し、白石さ…」

「黒原さんはとても素直で真面目なんですよね。悪意のある言葉も、ストレートに受け止めるでしょう。そんな人たちの言ってたことなんか気にならなくなるぐらい、僕の知ってる黒原さんのいいところを全部伝えられたら良いのに」

伏し目がちな目元に前髪がかかって揺れる。

この人、本当に俺を尊重してくれるよな。1人でいるとダメなのに、白石さんといると嫌なこと何も思い出さないんだよ。白石さんが隣にいるから、よく眠れるのかもしれない。

「…白石さんもありますか?無遠慮に傷つけられたこと」

「ありますよ。黒原さんと同じで、10年くらいずっと考えていることがあります。だから黒原さんが弱いとか情けないとか、そういうことは一切ないですからね」

「…許せないですね、白石さんに酷いこと言うなんて」

白石さんが顔を上げる。

「僕も許せないです、僕の大切なひとをここまで悩ませるなんて。何も悪いことをしていないのに」

白石さん、俺のために怒ってくれているんだ。

やばい、色んな気持ちが混ざり合って、ぐぐっと喉に何か込み上がってくる。喉が詰まって、泣きそうになる。

ぱっと顔を背けて唾を飲み込む。

危ない。ここ美術館の公園だぞ。いくら見通し悪いからと言って、公共施設!こんなとこでいきなり泣くのはさすがにやばい。白石さんもいきなり手にキスしてくるし。危なかった…

小さく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。重ねられた白石さんのてのひらがあたたかい。

「あの、白石さんの話もいつか聞かせてください、話しても良いかなって思った時がもしあればで良いんですけど…」

「…誰にも話したことないんですけど、黒原さんにはいつかお話聞いてもらおうかな。ありがとうございます」

…ちょっとむずがゆい雰囲気になってしまった。

この空気に耐えられなくて、思い切って立ち上がってみる。

「ありがとうございます、白石さん…あの、ところでキラキラしたものはお好きですか」

「キラキラしたもの?好きですけど、何でですか?」

「これから宝石眺めに行きませんか?今日やってるんです、ちょっと大きめな宝石イベント」

「え!宝石?行きたいです、そういえばそんなポスター見たことあるような…!えー!宝石!イベント!」

宝石のように目を輝かせながら立ち上がる白石さん。

か、可愛い。調べてよかった。そして幸運にもデートの日に開催してくれていて本当に良かった。

石の種類とか全然詳しくないし値段もとんでもないイメージしかないけど。調べた感じだと見るだけでもかなり楽しめそうだし、レストランの予約の時間までちょうど良く時間が潰せるんじゃないだろうか。

順調だ、順調すぎる。ロマンスの神様に応援されている気がする。白石さんに好きだと伝えるのは今日しかないと言われている気さえする。何もかも上手くいく気がしてきた。

ありがとうロマンスの神様、ありがとう白石さん。黒原三芳、頑張ります。


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