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第5章
反省と宥恕 3
しおりを挟むメッセージを送ってから…
明日で…もう2週間…
何も…何も進展しない…
そして終わらない仕事…
自分の状況やメンタルなんか全く関係なしに、各部署から次々とやってくる仕事や書類の山に追いかけ回され、全く定時で上がることもできずモニターに次々重なっていくポストイットの数々…
こなして剥がしたと思えばまた新たなメモが貼られ、無限仕事編がいつになっても終わらない。
後輩の山下もヒーヒー言いながらキーボードと電卓を叩いている。
連日定時で上がれていない。疲れが溜まる前に帰らせてやらないと…
「…山下、今やってるのは急ぎの仕事?」
ぬるくなったコーヒーをすすりながら後輩の山下のモニターに貼られたふせんやポストイットをあらかた見回し、手元の書類に目をやる。
「キンキンの仕事ではないんですけど~…明日から販売部の棚卸し表来ちゃうし、今のうちにこれぐらい終わらせておかないと明日からほんとに帰れないですよね?」
「いや、とりあえず今やってるのだけ打ち込んじゃって、続きは明日やろう…棚卸しチェックは来週でいいよ、部長も最悪月末までに終わっていれば良いってこの間言ってたし、最終的になんとかなるから」
ちらっと部長の席を見ると、半分魂の抜けたような顔をしながら書類と無数にある封筒の確認をしている。
この会社は今の時代に対して割と時代錯誤で、デジタル化が遅く未だに紙ベースのアナログ作業が多い。
前任がアナログ人間だったため今やっと山下と少しずつ時代に合った業務に近付けてはいるが…とにかく圧倒的に時間が足りない。
「もう今日は無理しないで帰ろう、とりあえず部長に声掛けてくるからそこだけ終わらせちゃって」
ありがとうございますうぅとヘロヘロな声が背後で聞こえる。俺今なんかすごい先輩っぽかったな。
山下も可哀想に…俺も昔同じ状態だったから分かることだが、この時期の仕事はとても社会人1年目でこなせる量じゃない。
部長の元に行き「急ぎの仕事終わったので、今できることあったら手伝わせてください」と伝えると
「……大丈夫だ…帰れそうなら先に帰りなさい…」
と魂の抜けかけた顔で告げられた。
…本当に大丈夫か。
しかししつこくすると怒り始めるので、当たり障りのない返事だけして山下の仕事の仕上げを手伝う。
山ほどの仕事に集中している時は、プライベートのことを考える余裕もないので少し気が楽だ…
いや、白石さんとの関係修復のためにはちゃんと考えなきゃいけないんだけど。
こういう時に仕事を都合の良い言い訳に使って気が楽とか思っちゃうからいつまでも俺は俺のまんまなんだぞ黒原三芳。
成長しろ黒原三芳。
でも仕事には集中しろ黒原三芳。
山下の抱えていた書類のデータ打ち込みを終え、2人分の打刻をし部長に挨拶を入れ、山下と一緒に退社する。
「黒原さん~ほんといつもありがとうございます~!」
「お礼言われることはしてないけど、こちらこそいつもありがとう」
山下は入社してからまだ1年経っておらず、仕事には慣れてきているがミスも多くまだまだ手が離れない。
以前いた先輩が辞めるまではずっと俺が下っ端だったので、山下は社会人になって初めて出来た後輩というのもあり、まだ接し方がよく分からない部分も多い…
部長には教育も何もかも投げられているので、自分の仕事の仕方に全責任がかかっているような気がしてなかなか緊張する。
最初はコミュ障がMAX作動して、敬語でさん付けしていたっけ…さすがに部長に止められたんだよな。
バス停に向かう山下の後ろ姿を見送った後で、さて自分も駅に向かおうとすると「黒原さんですよね、お久しぶりです!」と唐突に声がかかる。
頭をフル回転させて、駆け寄ってきた男の顔と声と名前を一致させる。
「あ……っと、吉川…さん?」
「そうです、◯◯商事の吉川です。本当いつもお世話になっております!たまたま営業でこちらに来ていたので、時間的に会えるかどうかと思ってたんですがお会いできて嬉しいです」
一見クールで取っ付きにくそうだが、とても気さくで爽やか。以前、山下から預かった発注書に間違いがあった時に土曜にも関わらず対応してくれた担当営業の吉川さんだ。
人の顔と名前を一致させて覚えるのは本当に苦手だが、吉川さんは自分にとって理想とする部分が多いので割と印象に残りやすい。
営業の面しか見たことがないが、いつも堂々としていて慌てず落ち着いて、余計な言動がない…ものすごくスマートな立ち振る舞いで、押し付けがましさを感じることなくなぜかどの話も良い話に聞こえてしまう、謎の魔力がある。
今まで話してきた営業の中で、おそらく1番話が上手い。
「吉川さん、いつもお世話になっております…すみません毎度のことなんですが、割と直近で発注させて頂いておりまして」
「とんでもないです!どんな時もしっかり2営業日開けて下さってるので、うちも本当に助かってますよ!今お帰りですか?」
「はい、吉川さんもこの時間までお仕事ですか?」
「ちょっと長引いちゃいましてね、確か黒原さんって最寄りは△△駅でしたよね?」
「あっ、はい、よく覚えていらっしゃいましたね」
この時間まで商談か…?営業って大変だな、とかいう前にこの時間まで話し込む先方企業もすごいな。俺なら絶対に途中から1分間に3度は時計を見てしまうと思う。
「良かった、丁度良いので乗ってってください。送って行きますんで」
ていうかすごいな、取引先の一社員の最寄駅まで覚えてるなんて。そんで丁度良いので送っ…
ん?
「えっ、あっ!いや悪いですよ、そんな」
「お気になさらず、近くに停めてあるので、すぐ車持ってきます!こちらで少々お待ちくださいね」
返事も待たず良い笑顔で、おそらく裏のパーキングに向かってしまう吉川さん。やばい、疲労かストレスか、頭が回らなくてただ表面上遠慮してるだけの人になってしまった。参った、これ以上話すことが何も思い浮かばない。
以前から商談や定期的な挨拶等で業務時間中に会うことは何度もあったが、いつも以前いた先輩や部長と同席だったので1対1で話せるような話題は全く無い。
そして担当営業の車にプライベートで乗ってしまうのは本当にいかがなものかという葛藤があまりにも強い…
押しに弱く、何でもかんでも簡単にイイなと思ってしまう俺にとって、営業職の方々との対話は本当に神経を使う。
やばい、もし車の中で新商品だとか限定価格だとか紹介を受けたら絶対に流される。うっかり上申しておきますとか言う自信がある。
吉川さんにとって自分は取引先の社員だということを忘れずに関わらないと…
うう、送ってもらえること自体はありがたいが…いやコミュ障すぎてありがたくもないかもしれないが、さくっと気持ちよく断るんだった…
「お待たせしました、隣どうぞ!」
はっと目をやると、いつの間にか車を移動させてきた吉川さんが、運転席から身を乗り出して助手席のドアを開けるのが車窓から見えた。
車に近づき、やはり送って頂くのは断ろうと思い、
「す、すみませんやっぱり…」
「いやすみません、ちょっと話したいこともありまして。もしかしなくても僕の妹がぶつかったの、黒原さんですよね」
「え″」
言いかけたところで頭の中で考えていた断りのセリフが全部吹っ飛んだ。
妹?ぶつかった?
みどりさんのことか?
いやだって、
みどりさん…の苗字は確か…
吉川…
だったな……
「本当に申し訳なかったです、クリーニング代も渡さなかったと言ってたので…さ、乗ってください」
「あ、いや、ええと…み、みどりさん…は、い、妹…さん…?でしたか…」
世間が狭いとかいうレベルじゃない。
嘘をついて食事を断った女性が、まさか仕入れ先の営業さんの妹…だったとは…
「あまり似てないでしょう、妹は父に似て、僕は母親似なんです。足元気をつけてくださいね」
そして混乱したまま、また流されるままに助手席に乗り込んでしまう、学ばない男…黒原三芳。これだから、いつまで経っても黒原三芳…
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