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第二章 教会生活
22 断罪と毒薬
しおりを挟む青の眠り。
ええ。
あれはとても渋い薬。
無味無臭なのは最初だけ。すぐ口の中に渋みが広がって、その渋みが痛みに変わる。見た目は澄んだ青色の液体で、透明の小瓶に入れてあるそれは、さながら香水のようだった。
光と観葉植物に満たされて、その温室は輝いていた。
中央は広場のように人が集まることのできる空間で、神樹の系譜を受け継ぐという噂の大樹が大きく場所を取っている。囲むように敷かれたレンガと、憩うためにその外側に置かれた椅子が、陽を受けて揺らめいている。
木に打ち付けられるように、私はその付近に倒れ込んでいた。
先にハイド様から示された、アリアを虐めた証拠に打ちのめされていた私は、反応が遅れる。
その横で商人でアリアの幼馴染のネオルが、私の罪状を読み上げる。赤銅色の髪が揺れて、こちらを見たのが分かった。
『――加えてこの女は、アリアとハイド王子の食事会に参加する際、これを料理に混ぜようとした。それを僕と、複数の従者が目撃している。――不審に思ったのは、僕達だけではないよ。君の親友、キリルもだ。証言者として、宣誓の上、名前をもらった』
違う。
小さく首を振った。誰も気づかなかった。
ハイド様の、冷たい目線が、倒されてひざまづいた私の上からふりかかる。光に透けて、濃紺の髪が濃い青のグラデーションでとてもきれい。黒い瞳には、あの頃の暖かさはない。
あ、誰かが笑った。
『これには君の痕跡があった。微力な魔力の痕跡がね。暗記ばかりで探究心のない君にはわからないだろうけど、君みたいに魔法ができない場合であっても、一人ひとり魔力の痕跡はあるんだ。特に感情に左右されると、色濃く発現すると最近の研究結果が――いけない、話がそれたね。つまり、君にもわかりやすく言うと、君がこれを持っていたという事実は誰にも否定できない。
もちろん中身の液体も、僕が鑑定したよ。――これは立派な毒だ。
皮膚にふれるだけでも反応を起こす。この量であれば、アリアを殺すには十分だし、王子も昏睡状態に陥るかもしれない。僕達がいたから、未然に防ぐことはできたけど……。
反逆罪に問われてもおかしくない』
学者のマジョカがメガネを上げて、そう付け加えるのを、焦点の合わない目で見つめる。
考える間がない。私はゆっくりとした動作で周りを見渡す。
ひとつ、目線の止まった先に黒い髪。
ああ、騎士のジェラルドは肩を怒らせ、今にも私に掴みかかりそう。長身の彼が近づこうとすると、近くにいた獣人のルジェルガがそれを抑えた。ナヨナヨとした風体なのに、怪力を持っている彼に堰き止められ、それでも私に手を伸ばそうとする。
『おかしくない、なんて生易しい。
こいつを裁判にかけるべきだ!』
うるさい。
近くで叫ぶそれは、お父様が激昂した時に似て、反論を受け付けないだろうことがすぐに予想できた。
髪がほつれて、一筋頬にかかる。
ああ、淑女にあるまじき様子だわ。誰か、私の髪を整えて。私を支えて起こして。そのままこの舞台から連れ出して。ねえ、誰かいないの。どうしていないの。いるのに助けてくれないの。
こつん、と手にガラスの小瓶が当たる。ハイド様が私に投げた小瓶。毒がまだ入ったまま、ふれることですら危険だと解説を受けたそれを、私に投げ渡したのだ。
目の前が白くなる。
理解できない。
『君には失望した』
ええ。
それには一度、見覚えがありました。私の机の上においてあるのを、不用意にも手にしてしまった記憶がありました。誰かがいたずらに置いたのだと、誰に尋ねても答えてはくれないから、わたくし怒りに身をまかせて屑籠に捨てました。
でもそれだけ、それだけなの。
そう言おうとするのだけれど、ハイド様の失望を目にすると言葉は出てこない。ああ、私この目を知っているわ。
お父様。
お母様。
私を許してはくださらないの。
不出来な、私だから。
未熟な、私だから。
ギシギシと体が急に重くなる。母の加護の恩恵が薄まった証だ。こういう時は無理に体を動かすと、務めに差し障りがある。すぐに寝室に行かなければ。ねえ、なんで誰も私を遠巻きに見ているの? 振り返る、後ろに控えたクランシーも、友人のキリルも、ドロシーも、マドレーヌも、皆同じ表情をしているわ。
ええ、同じ表情だとは分かるのだけれど、とろとろと、溶けるようにその意味が読み取れない。
目をそらし、口元に笑みを浮かべた取り巻き達。
みっともない私を笑っている。
そうね、私もあなた達が不出来であった時、笑みを浮かべる口元を、扇で隠したもの。
当然ね。
当然なのね。
でも違うのよ。なぜ見てもいないことを、見たというの?
神に誓ったその偽証は、いったいどのような密約のもとかわされたの?
貴女は本当に、それでいいのキリル。
あんまりよ、貴女、あんまりだわ。
キリルに視線を向けたけれど、彼女は目をそらしたままで、人形のようだった。ああ、一つ違う。喉が唾を飲み込んで動くだけ。私に何を言うこともない。
『姉さん、いいや、ユーフェミア。シュトレン家の者が到着した。貴女の悪事もここまでだ。
アリアやハイド様を見るのもこれが最後。二人とも、ユーフェミアは次期当主の僕が責任を持って罰を受けさせます。未然に防ぐことができたとはいえ、一族の者の不始末、大変申し訳ございません』
『許す』
『ありがとうございます』
ようやく誰かが、私を引き上げた。
それはまるで、地べたに置いた麦袋を引き上げるような、乱暴なものだった。
引き上げた相手に抗議の声をあげようとして、背中を周囲にわからないように蹴られる。
目線の先に、お父様の部下のザリガがいた。別荘とは名ばかりの、罰則用の幽閉部屋を管理する男だ。何度も何度も、私は閉じ込められた。見覚えが無いはずがない。その男がどうして唇を釣り上げてこちらを見ているのか、その答えも知っている。その表情を何度も見たことがあるからだ。――何度も、何度も。
ぱくぱくと口が動く。
どこに行くの?
皆様は、私をどこに連れていくの?
声を出した。けれど防音の魔法に阻まれて、私の悲鳴は聞こえない。
最後に、アリアと視線があった。瞳は茶色は薄く桃色が交じる。入学当初は無かった強い双眸に、息が詰まった。決意に手を握りしめた少女に、そばにいる小動物が気持ちよさそうに擦り寄った。ありがとう、とその獣の頭を撫でて、彼女は私を睨みつけた。
私の悲鳴はあちらに聞こえないのに、あちらの自己陶酔の混じった声は、私に聞こえるの。
『私は、貴方みたいにはなれないかもしれません。
でも……でも、死んだお母さん、お父さんが残してくれた大切な道を、そんな形で汚されたくなんかない』
『アリア、君にはもう十分能力が備わっている。主席での卒業が決定した。
僕との婚姻の準備も進んでいる。
――そして僕は、君の能力だけじゃない、その慈しみの心を愛している。
だから、そんなことはもう言わないでほしい』
そう、寄り添う二人を見て、周囲の者は祝福の言葉をかける。
私に向ける目はどこにもない。
隔絶されたのだ。
そう、まるで舞台を遠くから見るように。――こんな情景を、いつか見たことがあった。そう思った途端、チカチカと強い光が目の裏に輝いた。同時に起こった頭痛に、体が縮こまる。
『ありがとうございます。ハイド様、私、――私、大好きな貴方を支えられるように、もっと強くなります。だから、――だから、傍においてください』
『アリア』
『平民の私が、力になれることは少ないかもしれません。
でも私、みんなの力になりたい。お母さんとお父さんみたいに、困ってる人を助けたい。ハイド様や――みんなを』
その言葉に、胸打たれるのはハイド様をはじめとした、六人の青年。
微笑みかけた獣人のルジェルガは、『そんなの、もうとっくじゃない』とアリアの両頬をつねる。ふにゃ、と崩れたその表情に、また、周りの男達は微笑んだ。
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