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第三話

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 あの村の奇跡から三ヵ月後、フローリアはまたも奇跡を起こした。王都近くの、住民が多くない村だ。そしてこちらの奇跡も滞りなく終わり、人々は奇跡を起こす少女を口々に噂した。

 その頃、ヘラは四年制である女学校の三年生に進級した。そして、王都の学生なら皆経験するある活動、恒例行事があった。

「奉仕活動! 懐かしいですね」

 司教とロナウドは顔を見合わせ、昔に思いをはせる。

 王都のほぼすべての高等学校では卒業までの二年間、社会勉強として各所で奉仕活動を行うことになっている。どこで行うかは審査はあるものの、自分で選ぶことができる。しかし、二年間も放課後に無償で働かねばならず、当の学生にとっては苦行でしかなかった。

 その苦行も体験した大人にしてみれば、やはり大事なことを教わったとして、この行事を推奨し、今もこうして続いているのだ。

 ヘラはこの目の前の大人二人に文句を言いたくて仕方がなかった。

「そうか、ヘラさんはもうそんな年になったんですね」

「はい。もうすぐ十五で三年生になります」

「もうどこに勤めるのか決めたのか?」

 ロナウドが訊いた。

「それがいいところが見つからなくて……」

 はじめは養父の伝を頼るつもりだった。養父もその気でいて、あちこちに声をかけてくれた。しかし、決まりかけていた先が急に解散してしまい、ヘラも養父も困っていたのだ。このまま奉仕活動をしないという状況はヘラの成績にも大きく関わり、下手すれば四年生に進級できないかもしれない。だから、ヘラはこっちに頼ってみることにした。

 フローリア計画のことは今も思うところがあるけれど、協力しているのだから少しぐらいこっちに力を貸してくれてもいいじゃないかと思うのだ。

「それなら、俺のところでいいじゃないか?」

 ロナウドが言った。

「そうですね。それがいいでしょう」

 司教も賛同した。

「おじさんのところって、聖堂騎士団ですか?」

「もちろん。その方がこれからもやりやすくなるだろう?」

「それに、ヘラさんが大聖堂にいる理由もできますね」

 しまった。これは予想していなかった。てっきり司教の伝を頼ってどこかを紹介してもらえると思っていたのだ。それがまさか計画のために利用されるとは。

 ヘラは自分のうかつさを苦々しく思った。

 しかし、司教の言い分も最もだった。今はロナウドの知り合いとして大聖堂を訪れているが、本来ヘラのような中流階級の子が大聖堂にいるのは少々不自然だったのだ。大聖堂は王都の王政府近くにあり、王侯貴族、富裕層のためという意味合いの強い聖堂だった。だが奉仕活動というれっきとした理由ができれば、堂々と居座れるというわけだ。

 こうしてヘラは新学期より、正式に聖堂騎士団に奉仕活動に勤めることになった。



 ヘラは、三年生になってすぐに、ロナウドに連れられて初めて聖堂騎士団の本部に足を踏み入れた。と、言っても本部は大聖堂のすぐ裏にある。

「おい、みんなちょっと集まってくれ!」

 二十数名の騎士がめいめい自由に過ごしている中、ロナウドの声が響く。

 国王の従兄弟である司教が、その司教の地位に就くとすぐにこの聖堂騎士団を創設した。ロナウドが団長で、その下には七十人近い団員が在籍しているという。聖堂騎士団というものの、実態は司教の私設部隊だ。王国の建国時からある王国騎士団とは違って、その活動は聖堂や信徒の守護という一応の規定がある。

 ロナウドのことはただのガタイのいい、優しいおじさんとしか思っていなかったヘラだが、彼の一声であっという間にヘラたちの前に整列した騎士を見て、実はロナウドはすごい人だったのかもと見直した。

「こちらはヘラ・ベネット。イルマ女学校の三年生になったばかりだ。もう気付いたものもいるだろう。そう、彼女は今回この聖堂騎士団に奉仕活動に入ることになった」

 騎士たちはどよめく。

 この騎士団に奉仕活動に入る人も初めてだろうし、その人物が女の子で、何よりそれが司教様の企みの協力者だったから、そう反応するのも仕方ない。七十人近い騎士たちはもちろんヘラのことを知っている。そして、彼女が魔女であることも。そんな彼女が自分たちに奉仕するというのだ。なかなか面白いことだった。

「早速今日から活動に入る。よろしく頼む」

 騎士たちは声をそろえて返事をする。その見事な団結にヘラは驚嘆した。

 そして、その日からヘラは猛烈に忙しくなった。

 朝起きて学校に通い、学校が終われば大聖堂に向かい、奉仕活動に勤しむ。この奉仕活動も言葉のままに騎士たちの手伝いをすることもあれば、次の奇跡に備えて、騎士たちと打ち合わせをしたり、司教と話を詰めたりすることもあった。でも、奇跡のことに取り組むのはたまに、なので、たいていは騎士団に勤める調理人や会計士に手伝いを専らやっていた。

 奉仕活動は規則としては日が暮れるまでということになっているが、皆そのことを忘れているようだった。あえてその振りをしているのかもしれないけれど。ヘラはたいてい夜遅くになってから家に帰ることが当たり前になった。

 そのことに養父母は何も言わなかった。

 悲しいことに、昔から、どこも日が暮れるまでという規定を守っていなかったからだ。

 そうして、半年もすればすっかり騎士団の雑用係として定着し、様々な仕事を言いつけられるようになっていた。



 忙しい日々はあっという間に過ぎていき、四回目の奇跡を起こしたすぐ後の礼拝日のことだった。

 ロナウドは休日だろうと気にせずヘラを呼び出し、仕事を与えた。しかし、どういうわけか今日は、大聖堂の礼拝に出てから来るようにとのお達しだ。これまでも礼拝日に呼ばれることはあっても、礼拝に出ろと言われたことはなく、ヘラは不思議に思いながら、大聖堂の片隅から礼拝の様子を伺った。

 すごい。この国中の貴族が集まっているんじゃないかな。

 そう思うぐらい、多くの貴人がヘラの視界にひしめき合っていた。間もなくして礼拝が始まり、厳かな空気の中、粛々と進行してゆく。そして、壇上に司教が現れて、聖典について分かりやすく説教をした。

 しかもその説教はついつい聴きいってしまうほど引きこまれやすく、適度に冗談も含まれていて、面白い。女学校の教典の授業よりずっと集中して聞いていられた。

 とんでもないことを考える人だけれど、ちゃんとした聖職者だったんだ。

 ヘラは普段見ない司教の姿にただただ驚いた。

 司教にはいろいろな噂があった。実はすごい野心家で、王位を狙っていたとか。王位は諦めたけど、今度は聖王の座を狙っているとか。

 本当はもっととんでもないものを狙っているのを知っているだけに、そんなささやかなものを狙っているだけなら、どれだけ良かっただろうと密かにため息を吐いた。

 司教の説教が終わると、流れは質問の時間となった。どうやら、いつもこのような時間を設けているようだった。

 前の方の席に座る青年が手を上げた。

「司教様、よろしいですか?」

「どうぞ」

 司教は柔らかい笑みで促した。

「一昨日の西の村でのことです。あの少女が現れたと」

 人々はハッと息を飲み、司教を見つめた。それまで和やかだった空気は一転、張り詰める。

 王都は今、奇跡の少女の新たな奇跡の話で持ちきりだった。人の噂とはヘラが思うよりも速く広まり、一昨日のことなのにもう王都中に知れ渡っていた。そして、ついには新聞が取り上げるようになり、人々の関心の高さをうかがわせた。

 身動ぎさえためらわれ、人々は司教の言葉を待つ。そんな人々の様子をじっくりと見つめ、ヘラは人々の想いを覚った。奇跡の少女に救いを求めているのだ。もちろん、彼らは貴族で、経済的にヘラよりずっと楽ではあったけれど、救いが必要なのだ。そしてその救いをフローリアに期待している。

 自分は彼らの期待に応えられるだろうか。

 ヘラはそんな不安を抱いた。

「なりません」

 静かな憤りの声がヘラの意識を現実に引き戻す。

 壇上には先ほどまでの柔らかな笑みを一切かき消した、真剣な表情の司教がいた。

「彼の者は人々の心を惑わす悪魔の使徒でありましょう。決して心を傾けてはなりません。言葉に耳を貸してはなりません。神に祈りを捧げるのです。正しい心を持つのです」

 司教は一貫して、公では奇跡の少女を否定し続けた。時に悪魔そのものであると言って、聖職者らしからぬ過激な言葉まで使ったことまであったそうだ。

 司教がそこまでしてフローリアを否定し続ける理由をヘラは未だに分からないでいた。

 そして、質問の時間を司教は無理矢理切り上げて、司教は壇上から去っていく。

 人々の落胆と失望の視線が司教の背中に向けられていた。



 礼拝が終わってすぐ、ヘラは聖堂騎士の一人に司教の下へと連れ出された。司教は祭壇の前にいて、傍には貴族らしき男も一人、不機嫌そうな様子でうっとうしそうに司教と何事か話していた。

「司教様、お連れ致しました」

「ご苦労様です、持ち場に戻ってください」

 ヘラを連れて来た聖堂騎士は敬礼をして去っていく。礼拝をしている司教というのは今日初めて見た。いや、それだけでなく、ヘラが表で司教に会うのはこのときが初めてとなる。

 今のヘラは聖堂騎士団団長ロナウドの知り合いの娘で、聖堂騎士団に奉仕活動に勤めている女学生だった。

 いつも部屋で会ったときのように接するのはまずいだろう。

「こいつは?」

 不機嫌そうな貴族の男がヘラを見下ろし、訊いた。

「こちらは今、聖堂騎士団に奉仕活動に来ているヘラさん。とっても働き者なんですよ」

「初めまして」

 ヘラは小さくお辞儀をした。

 司教は聖堂騎士団の最高責任者だから、ヘラのことを表向きに知っていてもおかしくない。ヘラを自分の手の中に奉仕活動をさせているのは、うまく繋がりを作るためだったようだ。

「ヘラさん、こちらはマイルジーク。私の弟です」

 マイルジークは無愛想に鼻を鳴らしただけだった。

 ヘラは驚きつつ、よろしくお願いしますと挨拶した。

 驚いたのはいくつも理由がある。マイルジークの無礼な態度もそうだし、司教に弟がいたことも、その弟とはあんまり似ていないし、王族の端くれにしては礼儀も威厳も全くなかったこともそうだ。

「で、俺を礼拝に引っ張り出した理由は?」

「この子のことですよ」

 ヘラは司教を見る。

「この子は今年女学校を出ます。その後、あなたのところにおいて欲しいのです」

「えっ」

 声を上げたのはヘラだった。

 確かにヘラは四年生になっていたが、なったばかり。卒業試験もまだ受けていない。卒業は一年近く後のことだった。

「こいつは何ができるんだ?」

「何でもできますよ。文字の読み書きに計算も。裁縫はあなたのところじゃ役立ちませんね。でも奉仕活動でも文句一つ言わずにこなしてくれます」

「へぇー、そりゃすごい。でもな、今俺のところは手が足りているんだ。その話は……」

「あなたの会社にどれだけ出資したと思っているんですか?」

 司教はさっと声を潜め、目を細める。

 司教が悪い顔をしている。

 数年の付き合いで、ヘラは司教の表情を読めるようになっていた。司教は表に出ると猫を被る。壇上の上では十匹ぐらいの猫を被っていた。今は弟の前であっても、群集の目のある場所なので、七匹ぐらいに減らしているけれど、やっぱり猫を被っていた。

 マイルジークは顔を歪める。

「いつもそうだよな。いつも選ばせない」

 そう吐き捨てた彼の気持ちはよく分かった。かつての自分の姿が重なった。司教の弟ということを考えると、彼はとても苦労してきたのだろう。

「あなたに損はさせませんよ。追加でいくらか出しましょう」

 マイルジークは忌々しげに舌打ちをした。

 こうして、ヘラは女学校卒業後、マイルジークの会社に勤めることが決まった。これはかなり美味しい話だった。マイルジークは王族の一員で、会社の経営は安定している。万が一があっても、司教を始めとしたほかの王族が助けることが考えられる。養父母でも、ここまで優良な就職先は見つけられなかっただろう。

 出資者からヘラを押し付けられることになったマイルジークは面白くなさそうに、足音荒く二人の前から立ち去った。

「愚弟が失礼しました。朝早くに叩き起こしたものだから、機嫌が悪かったのです」

「いえ、気にしていません。それより今の話……」

「ええ、伝える順番を間違えてしまいましたが、あなたを弟に任せようと考えています。このご時勢どこに就職できるか分からないでしょう? それに、あなたの働き振りを良く知っています。弟はあんなのですけれど、経営者としては立派なものです。その点、あなたを安心して任せることができます。今の私にできる、お礼ですよ。ああ、もちろん、どこか他のところに行きたかったのでしたら、断ってくれても構いません。これは強制ではありませんから」

「とんでもありません。両親も喜ぶと思います」

「弟はさっき無愛想でしたけれど、仕事にはとても真面目なんです。きっとあなたのことも気に入ることでしょう」

「今日はもしかしてあの方に会わせるために?」

「それと、きちんと礼拝に参加させるため、ですよ」

 この人はたまに聖職者らしいことを口にして。ヘラはその度にそういえば、と思い出すのだった。



 司教はなおも表向きには奇跡の少女を否定し続けた。そして、その対応は奇跡の少女に期待する人々の反感を買い、司教に対する反感は積もっていった。

 大聖堂の礼拝では司教が壇上で説教をするが、不満や反感を抱く人々はその礼拝に参加し、司教の説教中に野次を飛ばすようになったのだ。事態を重く見た司教はひとつの決断を下す。

「聖堂騎士を王都に巡回させ、悪魔の使徒を捕らえましょう」

 決断が下されると、途端に聖堂騎士が慌しくなり、いつもは聖堂の敷地内を見回っていた騎士たちは、王都市内を連日巡回するようになった。

 王都の治安は王都の警備隊によって守られていた。しかし、ここに来て聖堂騎士が加わり、厄介なこととなる。現在の王都は職を求めて人が集まり、混沌としていた。人が多く集まったことで治安は悪化し、ちょっとしたイザコザはもちろん、殺傷沙汰も頻繁に起こる。ただでさえ治安維持に忙しい警備隊は聖堂騎士の介入にいい顔をしなかった。

 ヘラは司教が何を考えているのか分からず、ただ聖堂騎士のみんなが無事に帰ってくることを祈った。

 ヘラはその日、通りを歩いていると、向こうから慌てた様子の男が駆けてきた。そして、近くの家の前で花に水遣りをしていた男に叫ぶ。

「大変だ! 聖堂騎士がとんでもないことしでかした」

 ヘラは思わず立ち止まり、振り返った。

「どうしたって?」

 事態の飲み込めないまま、じょうろを抱えて男は訊いた。

「だから、聖堂騎士が揉めているんだ」

「一体誰と」

「いいか、聞いて驚くなよ?」

 男はもったいぶり、口の端を吊り上げる。

「王国騎士だ」

 ヘラは悲鳴も上げられなかった。一瞬心臓が止まったんじゃないかと錯覚する。

 王国騎士はこの国で最も格の高い騎士団の者で、国王陛下直属の騎士団でもあった。彼らと揉めるということは、すなわち国王と揉めたも同然だった。

 ヘラは咄嗟に駆け出して、男の来た方、その先を目指した。

 やがて人だかりを見つけると、ためらわずに飛び込んだ。

 人の合間を縫って真ん中を目指す。そして、何とか人と人の体の隙間から様子を伺うことができた。

 ぽっかりと空いた人だかりの中心には、四人の男が対峙していた。一方は黒っぽい地味な服を纏っている二人、こちらは見慣れた聖堂騎士だ。もう二人は見るからに質のいい青地の服を着ている。こちらは間違いなく王国騎士だった。彼らの背中には、王都中の子どもが憧れる王国騎士団の紋章が刺繍されている。

 王国騎士は冷ややかな目を聖堂騎士に向けている。聖堂騎士は顔を赤らめ、はっきりと聞こえるほど荒く、鼻息を吹いていた。

「貴様、もう一度言ってみろ。次は」

「お前の頭にはゴミが詰まっているのか、と言ったんだ」

 王国騎士は聖堂騎士の言葉を遮り、吐き捨てた。言葉を遮られただけでなく、燃料を投下され。聖堂騎士はついに抑えが効かなくなった。

「ふざけるな」

 腰に挿した剣を抜き、白刃が日の光を怪しく照り返す。群集がどよめく。王国騎士は目を細めただけで、剣の柄に手をかけることすらしない。さらに冷めた目をむけるだけだった。

「お、おい」

 さすがにまずいと思ったのか、もう一人の聖堂騎士が相方を抑えようと声をかける。しかし、肩にかかりかけた手を振り払い、剣を握る手を持ち上げた。人々はついに殺傷沙汰かと息を飲み、女は顔を手で覆った。剣が振り下ろされる、その瞬間だった。

「何をしている!」

 鋭い怒声が張り詰めた空気を突き破り、人々の目が声がしたほうに集まった。

 聖堂騎士団の団長ロナウドだった。彼は人々の目線など気にもせず、剣を手にしている部下に大またで歩み寄ると、片手で剣をもぎ取り、もう片方の手でその部下を張り倒した。

「この馬鹿者が! 騎士たるものが怒りに任せて剣を抜くとは何事だ!」

 人々は静まり返り、ロナウドの怒声が響き渡った。

「でも団長」

「言い訳するな!」

 もう一度、ロナウドはその騎士を殴った。生々しい音に人々は顔を背ける。

 ロナウドは一つ息を吐くと、王国騎士を振り返る。とても真剣な顔をしていた。

「部下が大変なご迷惑をお掛けした。本当に申し訳ない」

「構わない。こうしてそちらの団長が直々に謝ったのだから、これ以上何も言うことはない」

 王国騎士は最後まで冷静だった。それがかえって聖堂騎士の無様さが浮き彫りとなる。

「しかし、これで非礼を詫びたとはとても言えません。後日改めてそちらに謝罪に伺います」

「分かった。話を通しておこう」

 ロナウドはもう一度深々と頭を下げて、部下の二人を引き連れて、その場を後にする。人々の視線が彼らの惨めな背中に突き刺さった。

 聖堂騎士の失態は瞬く間に王都中に広まり、反奇跡の少女を掲げる司教の騎士団ということもあって、酷く捻じ曲がった醜悪な話となっていった。

 そして、これは思わぬ形でヘラを苦しめた。

「ヘラ、奉仕活動の方はどうだ?」

 家での夕食の席でのことだった。その日は休日とあって、奉仕活動も早く終わったのだ。久しぶりに養父母とともに食卓を囲んでいた。

 そんなときに、養父の顔色は渋かった。

「うまくいっているわ、お父さん」

「そうか、でもお父さんは心配なんだ。先日のこともあるしな」

 役人として働く父の元にも、当然先日の聖堂騎士の失態の噂は届いていた。

「お父さんだけじゃないわ。お母さんも心配よ。ねぇ、ヘラ、あんまりいい事ではないでしょうけれど、今から奉仕先を変えない? 今の聖堂騎士団はあんまりだわ」

「私もそのことを言いたかったんだ。もう一年は続いたのだし、お父さんの知り合いのところでよさそうなところがいくつかあるんだ。そこなら前みたいに急な解散もないだろうし、卒業後も受け入れてくれるだろう」

「でも待って。就職先なら司教様がマイルジーク殿下のところを紹介してくださったわ」

「でもマイルジーク殿下でしょう? あんまりいい人とは言えないわ。王位継承順位も低いし、もしかしたら失脚ってこともあるかもしれないじゃない」

「大丈夫よ。そんなことにはならないわ」

「何を根拠にそんなことを言うんだ? ヘラ、やっぱり始めからおかしかったんだ。私たちのようなただの役人が王侯貴族と縁ができるなんて。何かよからぬことに利用されるんじゃないか?」

「そんなことないわよ」

 ヘラは咄嗟に嘘を吐いた。

 もうとんでもないことに利用されていた。そのことはとても養父母には言えないし、知ったら二人は卒倒してしまうんじゃないかと思う。二人は何も知らない王都市民で、奇跡の少女に期待する人でもあった。

 奇跡の少女が自分たちを救ってくれるのではないか。

 それは今、王都市民の誰もが抱いている密かな思いだった。

「司教様もいろいろおっしゃっているけれど、私には良くしてくれるわ。それに、一応内定を殿下から頂いているし、奉仕活動は二年間同じところで続けるものよ。その方が卒業のときに評価が良くなるもの」

 マイルジーク殿下とはあれから会ってもいないし、話もしていない。でも、司教がああ言ったのなら、まず信じて間違いないだろう。もし駄目でも、司教は他のところを見つけるはずだ。その点、ヘラは全く心配していなかった。

「でもなぁ」

「安心してって言い切れないわ。でも、もう少しやらせてください。私もまずいなって思ったら、お父さんやお母さんに相談するわ」

「分かった。ヘラがそう言うなら、もうちょっと続けてみなさい。でも危なくなったらすぐに相談する。お父さんと約束してくれ」

「約束するわ」



        ○




「おじさん!」

 大聖堂の前を箒で掃いていると、疲れた様子のロナウドが向こうから、とぼとぼ歩いてきた。ヘラは箒を動かす手を止め、ロナウドに駆け寄った。

「ヘラか、ご苦労様」

 ロナウドはよほど参っているのか、笑おうとしても、うまく笑えていなかった。

「その……大丈夫ですか?」

 大丈夫そうでない相手にする質問でもないだろう。しかし、ロナウドは虚勢を張った。

「大丈夫だって。ちょっときつく言われただけさ」

「そうなんですか?」

「ああ、ヘラが気にするようなことじゃない。さて、俺は戻って仕事をしないとな」

 ロナウドはヘラの頭を軽く叩くと、大聖堂の裏手にある聖堂騎士団の本部に消えていった。ヘラはその小さくなってゆく背中を見送る。

 ロナウドは先日の王国騎士と揉めた一件を謝りに行ったところだった。行きは司教と共に馬車で王城に向かったが、一人で帰ってきたということは司教はまだ王城にいるのだろう。聞けば、ロナウドは王城に行ったことは数えるほどだという。司教から聖堂騎士団を任せられているが、王族とはあまり関わらず過ごしてきたという。先日司教が実弟マイルジークにヘラを紹介したと聞いて驚いていたぐらいだ。それぐらい、聖堂騎士団と王族は関わりがなかった。だからこそ、先日の一件はロナウドの心に凄まじい一撃を与え、最近、彼は痩せた。いや、やつれていたように見える。

 先日の一件は聖堂騎士団の評判を大きく落とした。奇跡の少女を探す聖堂騎士団は、先日の一件があったのにも関わらず、王都での巡回を続けていた。そしてその巡回で子どもに石を投げられるなどの被害が多々あるらしい。

 ヘラも、毎日女学校の授業が終わってから騎士団の方に足を運んでいるが、女学校でも聖堂騎士団をよく思わず、そこで奉仕活動をするヘラを悪く言う者もいた。同じ生徒であるなら無視すればいいが、教師に言われたらどうしていいか分からなかった。

 養父母が心配していたことはこういうことなのか、とようやく分かったのだ。

 でも今さら辞められないとも考えていた。ヘラが聖堂騎士団に奉仕活動をするのはフローリア計画のためでもあったのだ。そして、その計画はヘラがいないと成り立たない。そして計画そのものはもう動いているのだ。今さら後戻りなどできない。こうなったら突き進むしかないのだ。

 計画の発案者にして、首謀者、黒幕の司教は市民に何と言われようと全く気にした様子もない。その図太い神経がうらやましくもあるし、腹立たしくもある。ヘラがポツリと不安を口にしたときも「問題ありません」と言っただけだ。司教の考え、狙いがなんなのか全く分からないまま、ヘラは不安を抱えて毎日を過ごしていた。

 そして、月日はあっという間に流れ、ヘラは女学校の卒業を二ヵ月後に控えていた。実はマイルジークと会う前に起こった奇跡以来、フローリアはどこにも現れていなかった。人々は聖堂騎士たちが密かに奇跡の少女を殺してしまったんじゃないかと噂しだし、ヘラは司教がこの計画に飽きてしまったか、忘れてしまったのかと思っていた。

 しかし、しばらくぶりにフローリアのことを司教が口にしたのだ。

「そろそろ次のことをしようと思います」

 奇跡の話をするのは決まって大聖堂の司教の部屋。ここに司教とヘラとロナウドの三人が集まって話すのだ。話す、と言っても司教の話をヘラたちが聞いて、たまに質問をするぐらいだ。

「やっとですか? もうやめたのかと思いました」

「まさか。やめるわけがありませんよ。ヘラさんももうじきマイルズのところで働きますからね。そろそろフローリアを私の手元に置いておこうと思います」

 マイルズ、とは司教の弟マイルジークの愛称だった。そういえばヘラは彼から直接名乗られたわけではないから、彼のことをどう呼んでいいのか分からない。

「どういうことだ?」

 ロナウドが尋ねる。

「安心してください、ロナウド。もう胃薬を飲む必要はなくなりますよ」

「へぇー、そりゃありがたい。薬代も馬鹿にならなくてな」

「これが終わったら聖堂騎士の皆さんに何かごちそうしないといけませんね。フローリアと司教の直接対決と行きましょう」

 司教がニヤリと笑う。ヘラは、司教が何かまた企んでいると勘付いた。
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