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番外編【マルセル視点】

歪んだ真珠の肖像(1)

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 真冬の厳しい寒さが和らぎつつあるデーア大公国。その宮殿内の宰相執務室には午後の暖かい陽光が差し込んでいた。いつものように机に向かって私――マルセル・アードラーが書類に目を通していると、ドアがノックされた。
 昼食を済ませて先程ようやく席に戻ったところで邪魔をされ、折り悪く訪れた何者かにため息をつく。
「入れ」
 ドアを開けて姿を現したのは、大公殿下の幼馴染で私とも長い付き合いであるオットー・リーゼンフェルト伯爵だった。
「なんだ、君か……」
「ご無沙汰しておりました。本日は久しぶりに麗しき宰相殿のご機嫌を伺いにやって参りましたよ」
 挨拶代わりの戯言は聞き流して来訪の目的を尋ねる。
「何の用だ? どうせまた殿下の邪魔をしに来たんだろう」
「いいえ、とんでもない。殿下のたっての頼みとあって馳せ参じたのです。そのまま帰るのは忍びないのでこうして貴方のご尊顔を拝しに来たわけで」
「大仰な言い方をするな。わざとらしいおべっかは不要だ」
「おお、ご機嫌斜めでいらっしゃる。お仕事の邪魔でしたか? それならこれでお暇しますが……」
 私の冷たいもの言いにも彼はどこ吹く風だ。しかもあっさり帰ると言われてこちらの方が狼狽してしまう。
「……ちょうど一息入れようと思っていたところだ。紅茶を淹れさせるから付き合いたまえ」
――嘘だ。本当は書類に目を通し始めてようやく集中しかけたところだった。
 オットーは嬉しそうに目を細めた。
「喜んで」

 昔からこの年の離れた若者にだけはどうしても甘くなってしまう。彼が幼い頃に出会ったので、いつまでも子どものような気がしているからだ――と自分で自分に言い聞かせている。
 最初に出会った頃は私の肩くらいまでしかなかった彼の背丈はぐんぐん伸びて、今では私の背を追い越してしまった。鍛え上げられた身体は分厚く、私が押したくらいではびくともしないだろう。性別は同じ男性のアルファ性だが、いつからこんなに体格差が出来てしまったのか。


◇◇◇


 手にしたティーカップを卓上に置いてオットーが言う。
「あなたはもうお会いになりましたか?」
「ん? 誰にだ」
「殿下のお連れになった……」
「ああ、リュカシオンの公子のことか。いや、病気で療養中とのことだからお会いするのはもう少し先にするつもりだ」
 先日ようやく長旅から国に戻られた殿下は、何故か旅程には無かったはずのリュカシオン公国の第三公子を連れ帰ってきていた。詳しい経緯はよくわからないが、ベサニル辺境伯領で会ったのだそうだ。
 病気療養の目的もあって空気の良い森の湖畔の離宮でしばらく過ごされる予定だという。
しかも、驚いたことに――。
「まさか婚約者を連れて帰るとは思わずさすがの私も驚きました」
「ああ、私もだ」
 そう、その彼と殿下は結婚すると言った。まさに青天の霹靂。
 殿下は今年オットーと同じく二十四歳になられた。しかし周囲がいくら結婚して世継をと望んでも首を縦に振らず、国外をあちこち旅する生活を変えてはくれなかった。兄のクレムス国王が言っても聞く耳を持たなかったほどなのだ。
 それなのに、今回急にこれまで話したこともないような相手と突然結婚すると言い出したから驚きだ。
「リュカシオンの第三公子というと、美貌で名高いですからね。殿下をひと目で惚れさせるほどとは、噂は本当だったようですね」
「ああ……しかし殿下がこんなにあっさり結婚を決意されるとは」

 急なことで、殿下のしたことの後処理に追われしばらく大変な目に遭った。まずベサニル辺境伯領におそらく療養目的で滞在していた公子を馬車に乗せて勝手に遠方へ連れ出したことは大問題だった。
 ベサニルには公子ルネの姉夫婦がいて、彼らが結婚を許可したと言うが、リュカシオン公に一言も無く連れ帰るとは……。療養の必要な身であるのに道中で何かあったら殿下はどうするおつもりだったのか。 
 後から相手国に了解を得るこちらの身にもなってほしいものだ。手紙を書くのに相当の神経を使わされたが、予想以上にあっさりとした了承の返事が来たときは心底安堵した。
 下手をすると外交問題に発展しかねない事態だったのでさすがの私でも冷や汗をかいた。

 そんなことを思い返していると、オットーが言う。
「あなたはまだ結婚なさらないつもりなのですか」
 急に自分に矛先が向いて焦って彼から目を逸らした。紅茶で唇を湿らせる。
「私は……結婚する気はないと何度も言っている」
 その様子を面白がるようにオットーが続ける。
「もう三十歳になられたのに?」
 私は何度も口にした断り文句を繰り返す。
「君には関係ないだろう。私は独身主義だし、この仕事と結婚したと思って国に尽くしている」
「関係ないとは冷たいですね。私はもう四度もあなたにプロポーズしているというのに」
 ティーカップから顔を上げることができない。この話を彼が誕生日以外の日に持ち出してくるのは珍しい――。殿下の結婚に思うところがあったのだろう。
「君こそふざけていないで誰かと結婚して今すぐにでも世継ぎのことを考えるべきだろう」
「あなたが独身主義をやめてくれない限り私も同じく独身のままです」
「…………」
「なぜ私と結婚してくれないのです? どうして独身主義を貫こうとするんです」
「たとえ私が独身主義をやめたとして、私も君もアルファ同士ではどうしようもないではないか。大人をからかうのはよしたまえ」
 アルファの男性同士では子どもは生まれない。伯爵であるオットーにはどうしても世継が必要なのだ。
「いつまでも子ども扱いしないで下さい。私だってもう二十四歳ですよ」
「だからこそ、そういう冗談をやめるように言っている」
「冗談ではありませんよ。わかっていただけるまで何度でも言います」
 私は人として彼のことが好きだ。だからこうして忙しい時間に訪問されても茶の用意をしてもてなす。しかしどうして彼はこんな話をするんだろう?
 穏やかに話をするだけで私は満足しているのに。この関係を今更なぜ壊そうとするんだ。
「……そろそろ仕事に戻る。帰ってくれ」
「わかりました。また顔を見せに来ます」
「…………」
「愛しています、マルセル」
 静かな声だが、私には重く響いた。この言葉を素直に受け入れられないもどかしさに胸をかきむしりたくなる。私がアルファでなければ、もしくは女性であればこんなに苦しむことも無かっただろうか。いや、私はアルファ男性だからこそ今ここにいられるのだ。がむしゃらに働いてこの地位に就くことが出来たのもアルファだからに他ならない。

 しかしながら、私はアルファとしてベータやオメガの相手と結婚することすら出来ない身だ。私という人間は不完全で、歪んでいて、一生独身でいる以外に選択肢がない存在なのだ。
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