20 / 59
3章.新たな人生のはじまり
18.行き過ぎたもてなし
しおりを挟む
途中でトレーに乗せた葡萄酒とグラスを受け取って、姉と共にデーア大公の寝泊まりしている部屋を訪れた。
(こんな馬鹿げた姿で訪問したら失礼だと怒られるんじゃないだろうか。お姉様は何を考えているんだ?)
薄い布で覆われた身体に、足元は裸足だ。娼婦でもあるまいし、気が触れていると思われるかもしれない。
(別に今後もう会うことも無いのだし、リュカシオンの公子は頭がおかしくなったと思われても構わないか……)
姉がドアをノックすると殿下の低くて柔らかい声が入室を許可した。
「失礼いたします。お休みになる前に葡萄酒をお待ちしました」
「ほう、気が利くな」
姉の後ろから僕が俯いたまま葡萄酒を持って入る。おかしな衣装の使用人が現れたと思った殿下は面白がって笑った。
「これはまた変わった趣向だな……ん? なんだ、まさか……」
彼の突き刺さるような視線が痛い。腹の膨らみを見て、殿下が息を呑む気配がした。僕が誰だかわかったようだ。
(今すぐここから消えてしまいたい)
僕の気持ちなどお構いなしに姉が僕の背中を押して冷たく言う。
「これは誰でも誘惑してまわる悪魔でございまして。ほほほ! 煮るなり焼くなりお好きになさって下さいませ。気に入らなければ切って捨てて下さっても構いませんわ。それではお休みなさいませ、殿下」
姉はとんでもないことを言って部屋を出て行った。
(なんてことを言うんだ。お姉様はどうかしてる! しかも僕だけ残されてどうしたらいいの? お酒を置いて帰っていいんだよね……?)
「……ただいまグラスに注ぎますのでお待ちください」
こんなことはしたことがなく、デキャンタを持つ手が震えてグラスに当たりカチカチと音がする。きちんとしようとすればするほど酷くなり、とうとう葡萄酒を溢してしまった。
「あっ! 申し訳ありません。今すぐ拭くものを……」
僕が慌てて布巾を取りに行こうとしたら手首を掴まれた。
「よい。そんなことより、君はここで何をしている?」
「あ……」
澄んだ緑色の目がじっと僕を見つめる。責めているわけではなく、その視線には気遣わしげな色が見えた。
(何を? あなたに酒を注いでいるんだ。馬鹿みたいな格好で――)
「殿下をおもてなしするようにと言われまして……」
「そういうことじゃない。なぜリュカシオンからここに来た? さっき辺境伯から聞いたが、夫人は君の姉なんだな?」
「……はい」
「他人の家のことに口出しなどする趣味は無いんだが、君を見ていたらなぜか放っておけなくてね。困っているんじゃないのか?」
(困っている? そんなこと聞かれたのは初めてだ)
困っている、と言えば困っているんだろう。でももうそんな感覚は忘れてしまうほどこの状況に慣れて何もかもを諦めてしまっていた。
僕が答えないので殿下が更に質問してきた。
「ここに来たのはオメガだからか?」
「え……あ……」
図星を刺されて何も言い返せなかった。
「そうか。なるほどな、それで? そのお腹の子は……聞くまでもないか。あの好き者め」
フェリックスの女遊びの激しさは方々にに知れ渡っているようだ。
「義弟にまで手を出すとはな。しかしこの美しさならあの男が放っておくわけもないか」
(ああ――死んでしまいたい)
自分の置かれた状況も、今の装いも、何もかもが最低過ぎて今大公の前に顔向けしていることが死ぬよりつらい辱めに思えた。
「不快な気分にさせてしまい申し訳ありませんでした。すぐに拭くものを持って来させますのでお許しください」
「おい、俺の話を聞いているのか? 拭くものはいいから質問に答えるんだ」
(何を聞きたいんだ? これ以上僕を惨めにして何の利益が?)
「困っているなら助けてやろう」
「はい……?」
(助ける?)
「俺と一緒に来るか?」
「え?」
(この方は何を仰っているんだろう)
「ダムを見たいと言ったな? 我が国の治水技術を見物に来たいなら俺がここから連れ出してやろう」
「えっ!」
(見たい! どうして? なぜ僕を連れて行ってくれるんだろう。でもそんなことはどうでも良いから僕はデーア大公国の治水技術が見てみたい)
「見てみたいです」
「ふっ。やっと本音を話したな。そんなに見たいのか、くくっ。おかしな若者だな君は」
端正な顔の彼が柔らかく微笑んだ。僕はそれを見てなぜか胸がギュッと締め付けられるような感じがした。
「見たいです……出来ることなら」
「わかった。では辺境伯に話しておこう。さぁ、そんな格好では風邪をひく。部屋に戻って温かくして寝ると良い」
「あ……もうよろしいのですか?」
「おい、まさか夫人の言うことを間に受けて本当に俺が君に手を出すとでも思ったのか?」
僕は自分の無意識な発言に焦った。
「いえ、そういうわけではありません。それでは失礼いたします!」
僕はそそくさと部屋を辞した。
(変なことを言ってしまった! あれじゃまるでまだ帰りたくないと言ったみたいじゃないか。ああ、しかも溢したお酒をそのままにして来てしまった……)
顔が熱い。なぜか殿下と話すと胸が苦しい。自分で自分がわからなくて恐ろしくなった。
(こんな馬鹿げた姿で訪問したら失礼だと怒られるんじゃないだろうか。お姉様は何を考えているんだ?)
薄い布で覆われた身体に、足元は裸足だ。娼婦でもあるまいし、気が触れていると思われるかもしれない。
(別に今後もう会うことも無いのだし、リュカシオンの公子は頭がおかしくなったと思われても構わないか……)
姉がドアをノックすると殿下の低くて柔らかい声が入室を許可した。
「失礼いたします。お休みになる前に葡萄酒をお待ちしました」
「ほう、気が利くな」
姉の後ろから僕が俯いたまま葡萄酒を持って入る。おかしな衣装の使用人が現れたと思った殿下は面白がって笑った。
「これはまた変わった趣向だな……ん? なんだ、まさか……」
彼の突き刺さるような視線が痛い。腹の膨らみを見て、殿下が息を呑む気配がした。僕が誰だかわかったようだ。
(今すぐここから消えてしまいたい)
僕の気持ちなどお構いなしに姉が僕の背中を押して冷たく言う。
「これは誰でも誘惑してまわる悪魔でございまして。ほほほ! 煮るなり焼くなりお好きになさって下さいませ。気に入らなければ切って捨てて下さっても構いませんわ。それではお休みなさいませ、殿下」
姉はとんでもないことを言って部屋を出て行った。
(なんてことを言うんだ。お姉様はどうかしてる! しかも僕だけ残されてどうしたらいいの? お酒を置いて帰っていいんだよね……?)
「……ただいまグラスに注ぎますのでお待ちください」
こんなことはしたことがなく、デキャンタを持つ手が震えてグラスに当たりカチカチと音がする。きちんとしようとすればするほど酷くなり、とうとう葡萄酒を溢してしまった。
「あっ! 申し訳ありません。今すぐ拭くものを……」
僕が慌てて布巾を取りに行こうとしたら手首を掴まれた。
「よい。そんなことより、君はここで何をしている?」
「あ……」
澄んだ緑色の目がじっと僕を見つめる。責めているわけではなく、その視線には気遣わしげな色が見えた。
(何を? あなたに酒を注いでいるんだ。馬鹿みたいな格好で――)
「殿下をおもてなしするようにと言われまして……」
「そういうことじゃない。なぜリュカシオンからここに来た? さっき辺境伯から聞いたが、夫人は君の姉なんだな?」
「……はい」
「他人の家のことに口出しなどする趣味は無いんだが、君を見ていたらなぜか放っておけなくてね。困っているんじゃないのか?」
(困っている? そんなこと聞かれたのは初めてだ)
困っている、と言えば困っているんだろう。でももうそんな感覚は忘れてしまうほどこの状況に慣れて何もかもを諦めてしまっていた。
僕が答えないので殿下が更に質問してきた。
「ここに来たのはオメガだからか?」
「え……あ……」
図星を刺されて何も言い返せなかった。
「そうか。なるほどな、それで? そのお腹の子は……聞くまでもないか。あの好き者め」
フェリックスの女遊びの激しさは方々にに知れ渡っているようだ。
「義弟にまで手を出すとはな。しかしこの美しさならあの男が放っておくわけもないか」
(ああ――死んでしまいたい)
自分の置かれた状況も、今の装いも、何もかもが最低過ぎて今大公の前に顔向けしていることが死ぬよりつらい辱めに思えた。
「不快な気分にさせてしまい申し訳ありませんでした。すぐに拭くものを持って来させますのでお許しください」
「おい、俺の話を聞いているのか? 拭くものはいいから質問に答えるんだ」
(何を聞きたいんだ? これ以上僕を惨めにして何の利益が?)
「困っているなら助けてやろう」
「はい……?」
(助ける?)
「俺と一緒に来るか?」
「え?」
(この方は何を仰っているんだろう)
「ダムを見たいと言ったな? 我が国の治水技術を見物に来たいなら俺がここから連れ出してやろう」
「えっ!」
(見たい! どうして? なぜ僕を連れて行ってくれるんだろう。でもそんなことはどうでも良いから僕はデーア大公国の治水技術が見てみたい)
「見てみたいです」
「ふっ。やっと本音を話したな。そんなに見たいのか、くくっ。おかしな若者だな君は」
端正な顔の彼が柔らかく微笑んだ。僕はそれを見てなぜか胸がギュッと締め付けられるような感じがした。
「見たいです……出来ることなら」
「わかった。では辺境伯に話しておこう。さぁ、そんな格好では風邪をひく。部屋に戻って温かくして寝ると良い」
「あ……もうよろしいのですか?」
「おい、まさか夫人の言うことを間に受けて本当に俺が君に手を出すとでも思ったのか?」
僕は自分の無意識な発言に焦った。
「いえ、そういうわけではありません。それでは失礼いたします!」
僕はそそくさと部屋を辞した。
(変なことを言ってしまった! あれじゃまるでまだ帰りたくないと言ったみたいじゃないか。ああ、しかも溢したお酒をそのままにして来てしまった……)
顔が熱い。なぜか殿下と話すと胸が苦しい。自分で自分がわからなくて恐ろしくなった。
28
お気に入りに追加
2,055
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
孕めないオメガでもいいですか?
月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから……
オメガバース作品です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【完結】僕の匂いだけがわかるイケメン美食家αにおいしく頂かれてしまいそうです
grotta
BL
【嗅覚を失った美食家α×親に勝手に婚約者を決められたΩのすれ違いグルメオメガバース】
会社員の夕希はブログを書きながら美食コラムニストを目指すスイーツ男子。αが嫌いで、Ωなのを隠しβのフリをして生きてきた。
最近グルメ仲間に恋人ができてしまい一人寂しくホテルでケーキを食べていると、憧れの美食評論家鷲尾隼一と出会う。彼は超美形な上にα嫌いの夕希でもつい心が揺れてしまうほどいい香りのフェロモンを漂わせていた。
夕希は彼が現在嗅覚を失っていること、それなのになぜか夕希の匂いだけがわかることを聞かされる。そして隼一は自分の代わりに夕希に食レポのゴーストライターをしてほしいと依頼してきた。
協力すれば美味しいものを食べさせてくれると言う隼一。しかも出版関係者に紹介しても良いと言われて舞い上がった夕希は彼の依頼を受ける。
そんな中、母からアルファ男性の見合い写真が送られてきて気分は急降下。
見合い=28歳の誕生日までというタイムリミットがある状況で夕希は隼一のゴーストライターを務める。
一緒に過ごしているうちにαにしては優しく誠実な隼一に心を開いていく夕希。そして隼一の家でヒートを起こしてしまい、体の関係を結んでしまう。見合いを控えているため隼一と決別しようと思う夕希に対し、逆に猛烈に甘くなる隼一。
しかしあるきっかけから隼一には最初からΩと寝る目的があったと知ってしまい――?
【受】早瀬夕希(27歳)…βと偽るΩ、コラムニストを目指すスイーツ男子。α嫌いなのに母親にαとの見合いを決められている。
【攻】鷲尾準一(32歳)…黒髪美形α、クールで辛口な美食評論家兼コラムニスト。現在嗅覚異常に悩まされている。
※東京のデートスポットでスパダリに美味しいもの食べさせてもらっていちゃつく話です♡
※第10回BL小説大賞に参加しています
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる