16 / 20
番外編【薫視点】俺が恋人を甘やかす理由
1
しおりを挟む
唯斗にフォークの男を始末しているところを見られた。
必然的に彼がケーキで、俺がフォークということを説明してしなければならなくなった。
いつかはこんな日が来ると思っていたから、仕方がない。いくら唯斗がぼんやりしているからといって、一生隠し通せるわけはなかった。ただ、なるべく彼には悲しい思いをして欲しくないし、楽しいことや美しいものだけ見て生きていて欲しかったのだ。彼に世の中の穢れたものを見せたくなくて、汚れ仕事は俺が全部引き受ける覚悟で生きてきた。
初めて出会ったときから、唯斗は俺にとってかけがえのない存在だ。――いや、正確に言うと最初は彼に嫉妬して反発心を抱いていた。
俺が唯斗に初めて会ったのは9歳の頃で、彼は4歳だった。両親は俺が病気かもしれないという理由で、離婚する前の一年間は口論が絶えなかった。そして、とうとう父は母との離婚を決めた。元々政略結婚的な関係でもあり、母方の両親は娘が離縁されたことで不利益を被った。そしてカンカンになった祖父にも見捨てられ、俺と母は親類を頼ることも出来なくなった。
そんな時俺たちに手を差し伸べて来たのが母の旧友である千堂夫人――唯斗の実の母だった。
俺は幼い頃に母と出掛けた先でこの女性と何度か会ったことがある。幼いながらに儚げな雰囲気の美人だという印象を持っていた。
しかし、母と共に千堂家に引き取られてから俺は彼女に対して良い感情は持てなかった。
なぜなら両親が離婚する前、父と母の口喧嘩の中で彼女の名がよく出ていたからだ。どうも、両親の仲違いの理由の一つは千堂夫人のようなのだった。
「お前が千堂の嫁と変な薬を飲んだせいで薫が変になったかもしれないんだろう!」
そう怒鳴る父の声がいつまでも頭から離れなかった。
俺はいつからか、自分の味覚がおかしくなっていることに気づいていた。しかし、両親は俺の体に異常が出るかもしれないことで揉めているようだった。それで自分の味覚障害について両親に打ち明けられずにいた。
そんな折、千堂家に引き取れて「唯斗お坊ちゃん」と顔を合わせた。母は住み込みの使用人という名目で屋敷に暮らす事になっていた。だから唯斗に紹介された時、母に彼のことを唯斗お坊ちゃんと呼ぶように言われたのだ。
4歳の彼がはにかむ姿はまさしく天使のような愛らしさだった。母親に似て整った顔立ちをしており、何よりも異常なほどに良い香りがした。彼が何か甘い物でも食べた後なのかと一瞬思ったが、その後すぐに違うとわかった。その頃には俺は自分の身に起きている異変が「フォーク」と呼ばれる病気の一種だと見当が付いていた。
味覚障害を起こしており、その頃の俺は食べる事に全く興味がなくなっていた。味のしない食事を生命維持のために仕方なく済ませている状態だったのだ。母に悟られぬよう、たまに「美味しい」と言うのも忘れなかった。
このように空腹を感じることもなくなりつつあった俺は、唯斗の匂いを嗅いで久々に空腹を感じた。
何かを「食べたい」と思うのはいつぶりだっただろう。
そして、彼を食べたいと思いながら一方で俺は彼に対して憎しみも感じていた。
(俺と母さんはこいつの母親のせいで家を追い出された。なのにこのお坊ちゃんはどうして何も知らず能天気にニコニコしていられるんだ?)
父は俺の体がおかしくなるのは唯斗の母親のせいだと言っていた。なのに、千堂夫人も唯斗もどうして旦那様から追い出されることなく平然としているのか。子どもの俺にはわからなかった。ただただ幸せそうな唯斗のことが妬ましかった。
(よし、このお坊ちゃんをちょっとからかってやろう)
純粋で何も知らない御曹司は俺によく懐いた。彼には兄弟がおらず、生まれつき体も弱くてあまり外へも行けなかった。部屋で退屈していた唯斗は少し構ってやるだけですぐに年上の友人に夢中になった。
はじめは憎くてからかっているはずだった。しかし唯斗の天真爛漫な性格は、俺の鬱屈した気分を和らげてくれた。
彼のお気に入りのぬいぐるみを隠して意地悪した事がある。「うさぎのぬいぐるみが無くなったよ」と言ってやると唯斗は「宝探しをするの?」と目を輝かせた。こんな調子でいつも自分がからかわれている事にすら気付かない。常に誰からも愛されている彼は、自分が意地悪されるなんて想像もつかないのだ。
しばらく探検隊になったつもりで探してもうさぎのぬいぐるみは見つからず、困った顔をした彼が俺の袖を引っ張った。
「薫、うさぎさん本当にいなくなっちゃったの?」
泣くまいと必死で堪えている彼の潤んだ瞳を見ていたら、俺の方が結局根負けしてしまった。
「そんなはずないよ。ほら、あそこの茂みの陰は見てみた?」
俺は隠し場所のヒントを教え、唯斗は自分でぬいぐるみを見つけた。喜びで小さな鼻を膨らませ、誇らしげな顔で戻って来る。
「僕見つけたよ!」
唯斗は俺の腕の中に飛び込んだ。興奮のあまりさっき堪えたはずの涙が紅潮した頬を滑り落ちる。俺は思わずその雫を舐め取った。
(甘い……)
「くすぐったいよ、薫」
涙の味に衝撃を受けている俺に対し、唯斗はケラケラと笑っていた。
俺はそれまでは唯斗からいくら甘い匂いがしようと、気のせいだと自分に言い聞かせてきた。しかし、一度その甘さを知ってしまったら再び味わいたいという気持ちが抑えられなくなった。
必然的に彼がケーキで、俺がフォークということを説明してしなければならなくなった。
いつかはこんな日が来ると思っていたから、仕方がない。いくら唯斗がぼんやりしているからといって、一生隠し通せるわけはなかった。ただ、なるべく彼には悲しい思いをして欲しくないし、楽しいことや美しいものだけ見て生きていて欲しかったのだ。彼に世の中の穢れたものを見せたくなくて、汚れ仕事は俺が全部引き受ける覚悟で生きてきた。
初めて出会ったときから、唯斗は俺にとってかけがえのない存在だ。――いや、正確に言うと最初は彼に嫉妬して反発心を抱いていた。
俺が唯斗に初めて会ったのは9歳の頃で、彼は4歳だった。両親は俺が病気かもしれないという理由で、離婚する前の一年間は口論が絶えなかった。そして、とうとう父は母との離婚を決めた。元々政略結婚的な関係でもあり、母方の両親は娘が離縁されたことで不利益を被った。そしてカンカンになった祖父にも見捨てられ、俺と母は親類を頼ることも出来なくなった。
そんな時俺たちに手を差し伸べて来たのが母の旧友である千堂夫人――唯斗の実の母だった。
俺は幼い頃に母と出掛けた先でこの女性と何度か会ったことがある。幼いながらに儚げな雰囲気の美人だという印象を持っていた。
しかし、母と共に千堂家に引き取られてから俺は彼女に対して良い感情は持てなかった。
なぜなら両親が離婚する前、父と母の口喧嘩の中で彼女の名がよく出ていたからだ。どうも、両親の仲違いの理由の一つは千堂夫人のようなのだった。
「お前が千堂の嫁と変な薬を飲んだせいで薫が変になったかもしれないんだろう!」
そう怒鳴る父の声がいつまでも頭から離れなかった。
俺はいつからか、自分の味覚がおかしくなっていることに気づいていた。しかし、両親は俺の体に異常が出るかもしれないことで揉めているようだった。それで自分の味覚障害について両親に打ち明けられずにいた。
そんな折、千堂家に引き取れて「唯斗お坊ちゃん」と顔を合わせた。母は住み込みの使用人という名目で屋敷に暮らす事になっていた。だから唯斗に紹介された時、母に彼のことを唯斗お坊ちゃんと呼ぶように言われたのだ。
4歳の彼がはにかむ姿はまさしく天使のような愛らしさだった。母親に似て整った顔立ちをしており、何よりも異常なほどに良い香りがした。彼が何か甘い物でも食べた後なのかと一瞬思ったが、その後すぐに違うとわかった。その頃には俺は自分の身に起きている異変が「フォーク」と呼ばれる病気の一種だと見当が付いていた。
味覚障害を起こしており、その頃の俺は食べる事に全く興味がなくなっていた。味のしない食事を生命維持のために仕方なく済ませている状態だったのだ。母に悟られぬよう、たまに「美味しい」と言うのも忘れなかった。
このように空腹を感じることもなくなりつつあった俺は、唯斗の匂いを嗅いで久々に空腹を感じた。
何かを「食べたい」と思うのはいつぶりだっただろう。
そして、彼を食べたいと思いながら一方で俺は彼に対して憎しみも感じていた。
(俺と母さんはこいつの母親のせいで家を追い出された。なのにこのお坊ちゃんはどうして何も知らず能天気にニコニコしていられるんだ?)
父は俺の体がおかしくなるのは唯斗の母親のせいだと言っていた。なのに、千堂夫人も唯斗もどうして旦那様から追い出されることなく平然としているのか。子どもの俺にはわからなかった。ただただ幸せそうな唯斗のことが妬ましかった。
(よし、このお坊ちゃんをちょっとからかってやろう)
純粋で何も知らない御曹司は俺によく懐いた。彼には兄弟がおらず、生まれつき体も弱くてあまり外へも行けなかった。部屋で退屈していた唯斗は少し構ってやるだけですぐに年上の友人に夢中になった。
はじめは憎くてからかっているはずだった。しかし唯斗の天真爛漫な性格は、俺の鬱屈した気分を和らげてくれた。
彼のお気に入りのぬいぐるみを隠して意地悪した事がある。「うさぎのぬいぐるみが無くなったよ」と言ってやると唯斗は「宝探しをするの?」と目を輝かせた。こんな調子でいつも自分がからかわれている事にすら気付かない。常に誰からも愛されている彼は、自分が意地悪されるなんて想像もつかないのだ。
しばらく探検隊になったつもりで探してもうさぎのぬいぐるみは見つからず、困った顔をした彼が俺の袖を引っ張った。
「薫、うさぎさん本当にいなくなっちゃったの?」
泣くまいと必死で堪えている彼の潤んだ瞳を見ていたら、俺の方が結局根負けしてしまった。
「そんなはずないよ。ほら、あそこの茂みの陰は見てみた?」
俺は隠し場所のヒントを教え、唯斗は自分でぬいぐるみを見つけた。喜びで小さな鼻を膨らませ、誇らしげな顔で戻って来る。
「僕見つけたよ!」
唯斗は俺の腕の中に飛び込んだ。興奮のあまりさっき堪えたはずの涙が紅潮した頬を滑り落ちる。俺は思わずその雫を舐め取った。
(甘い……)
「くすぐったいよ、薫」
涙の味に衝撃を受けている俺に対し、唯斗はケラケラと笑っていた。
俺はそれまでは唯斗からいくら甘い匂いがしようと、気のせいだと自分に言い聞かせてきた。しかし、一度その甘さを知ってしまったら再び味わいたいという気持ちが抑えられなくなった。
1
お気に入りに追加
159
あなたにおすすめの小説
初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
君が好き過ぎてレイプした
眠りん
BL
ぼくは大柄で力は強いけれど、かなりの小心者です。好きな人に告白なんて絶対出来ません。
放課後の教室で……ぼくの好きな湊也君が一人、席に座って眠っていました。
これはチャンスです。
目隠しをして、体を押え付ければ小柄な湊也君は抵抗出来ません。
どうせ恋人同士になんてなれません。
この先の長い人生、君の隣にいられないのなら、たった一度少しの時間でいい。君とセックスがしたいのです。
それで君への恋心は忘れます。
でも、翌日湊也君がぼくを呼び出しました。犯人がぼくだとバレてしまったのでしょうか?
不安に思いましたが、そんな事はありませんでした。
「犯人が誰か分からないんだ。ねぇ、柚月。しばらく俺と一緒にいて。俺の事守ってよ」
ぼくはガタイが良いだけで弱い人間です。小心者だし、人を守るなんて出来ません。
その時、湊也君が衝撃発言をしました。
「柚月の事……本当はずっと好きだったから」
なんと告白されたのです。
ぼくと湊也君は両思いだったのです。
このままレイプ事件の事はなかった事にしたいと思います。
※誤字脱字があったらすみません
そばにいてほしい。
15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。
そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。
──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。
幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け
安心してください、ハピエンです。
ハッピーエンド
藤美りゅう
BL
恋心を抱いた人には、彼女がいましたーー。
レンタルショップ『MIMIYA』でアルバイトをする三上凛は、週末の夜に来るカップルの彼氏、堺智樹に恋心を抱いていた。
ある日、凛はそのカップルが雨の中喧嘩をするのを偶然目撃してしまい、雨が降りしきる中、帰れず立ち尽くしている智樹に自分の傘を貸してやる。
それから二人の距離は縮まろうとしていたが、一本のある映画が、凛の心にブレーキをかけてしまう。
※ 他サイトでコンテスト用に執筆した作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる