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20.桐谷の零落(1)
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昔からそのホテルに行ったときは必ずペストリーブティックでシュークリームを買っていた。
シュー生地はサクッとしていて香ばしく、中にぎっしりと隙間なくディプロマットクリームが詰まっている。
ほんのりとバニラの香りがして、俺の大好きな味だ。
生活圏が変わってあまりこのホテルに行くことがなくなり、引っ越してから食べていなかった。
買うものが決まっているからすぐ用事は終わる。ホテルの前で車を降り、大迫には10分後くらいにまたホテルのロータリーに来てもらうように伝えた。
ホテルに入って1階にあるショップを覗くとショーケースには目当てのシュークリームが鎮座していた。
人気商品なので時間帯によっては売り切れていたりするのだ。
礼央も甘い物が好きだから喜んでくれるだろう。大迫も時間があったら食べていってくれるかな。
3つ購入しようかな…4つ…?とショーケースを眺めて考えていたら背後に人が来た。
ケーキを見たいんだと思って俺は少し端に避ける。
するとその人もぴったりと距離を空けずに同じ方向に一歩ずれた。
なんだ?と思って振り返った俺は言葉を失った。
ーーー桐谷…?
そして背中に何か固いものを当てられた。
ジャケットを腕にかぶせているため布越しで、中に何を持っているのかわからない。
まさか刃物じゃないよな…と思って心臓がバクバクし出した。
「久しぶり。ちょっと話せるか」
「……」
断れない状況で俺はしかたなく頷いた。
ショーケース前だと目立つので、エントランスの少し陰になっているトイレ近くに連れ込まれる。
「大迫の車だったな。すぐに迎えが来るのか?」
俺はまた頷く。
「電話して、ラウンジで食べていくことにしたから1時間後に迎えに来るようにと言え」
「でも…」
「いいから電話しろ。余計なことを言ったらただじゃおかない」
俺は渋々スマホを取り出して大迫に電話した。
言われたとおりの内容を伝えると大迫は了解してそのまま通話を切った。
「何の用?ラウンジで話せばいいの?」
「部屋を取る」
ーーーえ?
桐谷は俺のスマホを奪い取るとすぐ横にあったゴミ箱の中に捨てた。
「あ、何するんだ!」
俺の背中に何かを当てたまま、桐谷はフロントで部屋のカードキーを受け取った。
婚約していたときよく利用していたため、フロントの人間もいつもどおりにこやかに対応してくれる。
平日の夕方で、いつもの部屋は空いていた。
「お前とここに来るのは久しぶりだな」
おそらく俺以外の人間とは久しぶりじゃないってことだろう。
どうでもいいことだけど。
部屋に入り、ベッドに突き飛ばされる。
桐谷が手に掛けられていたジャケットをソファに置いた。彼が手にしていたのはナイフだった。
こいつどうかしてる…何するつもりだ?
怖いけど、変に騒いで刺激しない方が良いだろう。
大迫が1時間後に迎えに来て、俺がロータリーに現れなければ怪しんで探してくれるはず。
何とかそれまで話を引き伸ばして時間を稼がないと…
「光。そんなもの外で誰かに見られたら捕まっちゃうよ」
「ふん、お説教か?随分偉くなったんだな」
「何言ってるんだよ」
ここに来てよく見たら、桐谷は別れたときよりやつれていて、眼が落ち窪んでギラギラしている。
会ってないうちに何があったんだ?
俺を見下ろしながら桐谷が言う。
「お前、結婚したんだってな?」
別れた後は俺のことには興味もないと思っていたのに結婚したことを知られていて驚いた。
「誰に聞いたの…」
「お前の母親さ」
そういえば母の斡旋で桐谷は俺の親戚の女の子と婚約したんだっけ。
そのときにでも聞いたんだろう。
「そっちこそ、俺の親戚と婚約したって?」
「ああ。しかし…それも破断になったよ」
「え?」
なんだ?また文句つけて婚約破棄したってこと?
「アイツのせいで…全部めちゃくちゃだ…ああ、腹が立つよあのバカ女には!」
「あいつって?…バカ女?」
「麻友だ。上條麻友。お前の部下だったろ」
また上條の名前が出てきた。
彼女は一体何をしたんだ?
「お前の浮気相手なんじゃないのか?」
「やはり知っていたか。そうだ、そのせいで全て終わりだよ」
「何があったんだ?」
桐谷はソファの肘置きに腰掛け、ぽつりぽつりと喋り始めた。
「何から話せばいいか…あいつは入社してすぐに社長の息子である俺に色目を使ってきた。俺も、お前とのことでむしゃくしゃしていて関係を持った」
要するにかなり長いこと付き合いがあったってことか。
「そしてある日、あいつが発情促進剤を使ってセックスしようと言って来たんだ」
「え?発情促進剤を?」
そういえば大迫が、俺に使われた発情促進剤の出所を調べてて上條の名前に行き着いたって言ってたな…
「ああ、ヒートの時と同じ状態になれて刺激的でかなり気持ち良くなれるんだ。ヤる側がαならフェロモンで興奮できるしな」
実際に使われた俺としては、熱くて疲れやすくてしんどさの方が際立っていたが。
「何で上條がそんな物を?」
「それがな、あいつはそれを売って商売していたんだ」
商売…?
「あいつはΩだろう?ヒート周期が安定しないとか、ヒートがうまく来ないΩが妊娠を希望した時に病院で発情促進剤を処方してもらえるんだってな。あいつはそれをあちこちのクリニックで処方してもらい、闇サイトで売り捌いてたんだ」
「ええっ!?」
「今はΩを守るために医師の処方が無ければ発情促進剤は手に入らないんだろ?しかしドラッグ代わりになって、お手軽で合法な発情促進剤はなかなか需要があるらしいな」
「そんな…そんなことをΩの上條が…?なぜ?」
自分を含むΩの人間が危険に晒されるリスクがあるのに、むしろそれを助長するようなことに加担するなんて。
「借金だよ。あいつはストレスが溜まると買い物しまくるんだそうだ。それでカードの支払いが嵩んで生活が立ち行かなくなった。手っ取り早く稼げる方法を探した結果がその闇サイトでの発情促進剤の転売だったってわけだ」
そして桐谷はその薬を上條から分けてもらって俺に使ったわけか。
「そんなこと許されるのか…?」
「ダメだろうな。こんな闇サイトなんて摘発されるのもどうせ時間の問題だ」
自分もその薬を使って俺を襲おうとしたくせによく言う。
シュー生地はサクッとしていて香ばしく、中にぎっしりと隙間なくディプロマットクリームが詰まっている。
ほんのりとバニラの香りがして、俺の大好きな味だ。
生活圏が変わってあまりこのホテルに行くことがなくなり、引っ越してから食べていなかった。
買うものが決まっているからすぐ用事は終わる。ホテルの前で車を降り、大迫には10分後くらいにまたホテルのロータリーに来てもらうように伝えた。
ホテルに入って1階にあるショップを覗くとショーケースには目当てのシュークリームが鎮座していた。
人気商品なので時間帯によっては売り切れていたりするのだ。
礼央も甘い物が好きだから喜んでくれるだろう。大迫も時間があったら食べていってくれるかな。
3つ購入しようかな…4つ…?とショーケースを眺めて考えていたら背後に人が来た。
ケーキを見たいんだと思って俺は少し端に避ける。
するとその人もぴったりと距離を空けずに同じ方向に一歩ずれた。
なんだ?と思って振り返った俺は言葉を失った。
ーーー桐谷…?
そして背中に何か固いものを当てられた。
ジャケットを腕にかぶせているため布越しで、中に何を持っているのかわからない。
まさか刃物じゃないよな…と思って心臓がバクバクし出した。
「久しぶり。ちょっと話せるか」
「……」
断れない状況で俺はしかたなく頷いた。
ショーケース前だと目立つので、エントランスの少し陰になっているトイレ近くに連れ込まれる。
「大迫の車だったな。すぐに迎えが来るのか?」
俺はまた頷く。
「電話して、ラウンジで食べていくことにしたから1時間後に迎えに来るようにと言え」
「でも…」
「いいから電話しろ。余計なことを言ったらただじゃおかない」
俺は渋々スマホを取り出して大迫に電話した。
言われたとおりの内容を伝えると大迫は了解してそのまま通話を切った。
「何の用?ラウンジで話せばいいの?」
「部屋を取る」
ーーーえ?
桐谷は俺のスマホを奪い取るとすぐ横にあったゴミ箱の中に捨てた。
「あ、何するんだ!」
俺の背中に何かを当てたまま、桐谷はフロントで部屋のカードキーを受け取った。
婚約していたときよく利用していたため、フロントの人間もいつもどおりにこやかに対応してくれる。
平日の夕方で、いつもの部屋は空いていた。
「お前とここに来るのは久しぶりだな」
おそらく俺以外の人間とは久しぶりじゃないってことだろう。
どうでもいいことだけど。
部屋に入り、ベッドに突き飛ばされる。
桐谷が手に掛けられていたジャケットをソファに置いた。彼が手にしていたのはナイフだった。
こいつどうかしてる…何するつもりだ?
怖いけど、変に騒いで刺激しない方が良いだろう。
大迫が1時間後に迎えに来て、俺がロータリーに現れなければ怪しんで探してくれるはず。
何とかそれまで話を引き伸ばして時間を稼がないと…
「光。そんなもの外で誰かに見られたら捕まっちゃうよ」
「ふん、お説教か?随分偉くなったんだな」
「何言ってるんだよ」
ここに来てよく見たら、桐谷は別れたときよりやつれていて、眼が落ち窪んでギラギラしている。
会ってないうちに何があったんだ?
俺を見下ろしながら桐谷が言う。
「お前、結婚したんだってな?」
別れた後は俺のことには興味もないと思っていたのに結婚したことを知られていて驚いた。
「誰に聞いたの…」
「お前の母親さ」
そういえば母の斡旋で桐谷は俺の親戚の女の子と婚約したんだっけ。
そのときにでも聞いたんだろう。
「そっちこそ、俺の親戚と婚約したって?」
「ああ。しかし…それも破断になったよ」
「え?」
なんだ?また文句つけて婚約破棄したってこと?
「アイツのせいで…全部めちゃくちゃだ…ああ、腹が立つよあのバカ女には!」
「あいつって?…バカ女?」
「麻友だ。上條麻友。お前の部下だったろ」
また上條の名前が出てきた。
彼女は一体何をしたんだ?
「お前の浮気相手なんじゃないのか?」
「やはり知っていたか。そうだ、そのせいで全て終わりだよ」
「何があったんだ?」
桐谷はソファの肘置きに腰掛け、ぽつりぽつりと喋り始めた。
「何から話せばいいか…あいつは入社してすぐに社長の息子である俺に色目を使ってきた。俺も、お前とのことでむしゃくしゃしていて関係を持った」
要するにかなり長いこと付き合いがあったってことか。
「そしてある日、あいつが発情促進剤を使ってセックスしようと言って来たんだ」
「え?発情促進剤を?」
そういえば大迫が、俺に使われた発情促進剤の出所を調べてて上條の名前に行き着いたって言ってたな…
「ああ、ヒートの時と同じ状態になれて刺激的でかなり気持ち良くなれるんだ。ヤる側がαならフェロモンで興奮できるしな」
実際に使われた俺としては、熱くて疲れやすくてしんどさの方が際立っていたが。
「何で上條がそんな物を?」
「それがな、あいつはそれを売って商売していたんだ」
商売…?
「あいつはΩだろう?ヒート周期が安定しないとか、ヒートがうまく来ないΩが妊娠を希望した時に病院で発情促進剤を処方してもらえるんだってな。あいつはそれをあちこちのクリニックで処方してもらい、闇サイトで売り捌いてたんだ」
「ええっ!?」
「今はΩを守るために医師の処方が無ければ発情促進剤は手に入らないんだろ?しかしドラッグ代わりになって、お手軽で合法な発情促進剤はなかなか需要があるらしいな」
「そんな…そんなことをΩの上條が…?なぜ?」
自分を含むΩの人間が危険に晒されるリスクがあるのに、むしろそれを助長するようなことに加担するなんて。
「借金だよ。あいつはストレスが溜まると買い物しまくるんだそうだ。それでカードの支払いが嵩んで生活が立ち行かなくなった。手っ取り早く稼げる方法を探した結果がその闇サイトでの発情促進剤の転売だったってわけだ」
そして桐谷はその薬を上條から分けてもらって俺に使ったわけか。
「そんなこと許されるのか…?」
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