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吸血鬼侯爵の献身(下)
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侯爵はしばらくの間閉めていた医院を再び開業した。ヴァスラフはそこで助手を務め、人々から血を抜いて保管する作業を与えられた。体内の悪いものを排出する「瀉血」を行う名目で患者から少しずつ血液を採取するのだ。
中世の時代から生きてきた先生によると昔は好きなように人をさらって生き血をすすったものだという。しかし19世紀にもなると、血を吸い尽くして人を殺せば大衆の目についてしまう。そこで彼はこの医院での診察を始めたのだという。
ある日ヴァスラフが医院で手伝いをしていたら、従兄弟が誰に聞いたのか自分の居所を見つけてやって来た。
「君のお母さんが……!」
母は妹の亡霊に説得されて自身の行いを悔いていた。
「ごめんなさいヴァスラフ。あなたに酷いことをしたわ。本当はわかっていたの。あなたはマリアナじゃない」
今更謝られても、過ぎた時間が戻るわけではない。ただ、今の生活に満足していたからヴァスラフは母の謝罪を受け入れた。母と仲直りさせようとしてくれた妹の気持ちも嬉しかった。
◇
それから何年かは吸血鬼侯爵と吸血鬼になった妹と共に平穏な日々を過ごした。
しかしその年の冬、貧民街で大規模な火災が起きた。医院の建物も焼けてしまい、中から大量の血液が入った瓶が発見される。
するとたちまち「ここの医者は吸血鬼だ」と噂が立ち、人々から迫害を受けることになった。折しも瀉血の効果が疑われ始めた頃でもあり、抜いた後の血を捨てずに残していることが怪しまれる結果となった。
「もうこの土地にはとどまれない。次の定住地を探さねば」と侯爵は言った。まだ貧民街の医師の正体が森の屋敷に住む侯爵だとはばれていない。しかし人々が勘付くのも時間の問題だろう。
そこでヴァスラフには人間のまま母の元へ戻るか、吸血鬼の仲間になって共に国を出るかの選択が求められた。
「人間の君をそのまま連れて行くことはできない。吸血鬼は年を取らないから、名前も地位も変えて別人として生きなければならないんだ」
侯爵はゆっくりとヴァスラフに説明した。
「兄さん、本当は永遠に若い必要なんてないの。若さは限りがあるから美しいのよ」
今の私はもはや醜悪なだけ――と妹は言う。
「兄さんとずっと一緒にいたいわ。それは彼も同じよ。だけど、兄さんをこちら側に引き込みたくはない」
ヴァスラフは妹の優しさに心打たれた。しかしそれでも先生への慕情を抑えることはできなかった。
「ありがとうマリアナ。だけど僕は君や先生と離れたくない。先生、どうか僕も仲間に加えてください」
侯爵が静かにうなずいたその瞬間、突然妹が怒りまかせに叫んだ。
「彼は私だけのものだったのにどうして奪おうとするの!? 兄さんは私から”死”を奪った。それで十分じゃない。どうして彼まで奪おうとするの?」
ヴァスラフは一瞬何を言われたのかわからなかった。
「僕は、そんなつもりじゃ……」
「兄さんは全部持っていたじゃない! 家族も、未来も、何もかも」
すると侯爵がヴァスラフをかばうように妹の前に立ち、彼女の視線を遮った。
「違うだろう、マリアナ。ヴァスラフはお前のために全て失ったんだ。長い間にわたって母も、父も、彼の存在を消そうとした。もちろん今は跡取りとしての地位も失った。未来なんてどこにあるんだ」
「それでも、今更ここへ来てあなたを横取りするなんて許せない!」
彼女の姿は7歳のままで、ただ子どもが癇癪を起こしているようにも見える。しかしそうではないとさすがのヴァスラフにも理解できた。
(マリアナは侯爵を独り占めしたかったんだ――。あの頃と同じように)
幼い頃、父と母を独占していた妹を思い出してしまった。ヴァスラフは妹を愛している。しかし、あの当時、母の愛を一身に受けていた彼女に自分は嫉妬していた――。
両親に顧みてもらえない寂しさから見つけた居場所が先生のところだった。
(最初に先生を見つけたのは僕なのに……)
ヴァスラフは侯爵の背後から前に出てマリアナの顔を見た。
「マリアナ、横取りなんてする気はないよ。僕は3人で生きていきたいだけなんだ。どこか遠い場所で静かに――」
「嫌よ! 私が邪魔者になるのは目に見えてるじゃない!」
「――そんなことはないよ」
「兄さんが私を本当に大事だと思うなら、私を消してよ」
「え?」
妹の勢いは止まらなかった。
「兄さんがこちら側に来たいなら銀の杭で私の胸を貫いて。あなたたち二人をただで幸せになんてさせない。二人とも私の死を背負って永遠に生きるのよ!」
「何を言って――……」
(吸血鬼に銀の杭を打つと、消滅してしまうんじゃないのか?)
「マリアナ、そんなことはできない。少し落ち着いて話をしよう」
「これ以上兄さんと話すことなんてないわ!」
ヴァスラフには妹に手をかけることなど出来なかった。しかし吸血鬼は驚くほど冷徹だった。侯爵はなんの躊躇いもなく、引き出しから取り出した銀の杭を妹の目の前で振りかぶり、あっという間に胸へと突き刺した。
「先生!?」
妹は「あっ」と悲鳴をあげたかと思うと、ザラザラと砂のように肉体が崩れ、やがて煙となって開いた窓から夜風にさらわれていった。
それを呆然と見つめ、ヴァスラフは恐怖に身を震わせた。
「な、なんてことを――! 彼女はほんの少しわがままを言っただけです! あんなの本気じゃないのに」
「本気じゃない? あいつはいつもふざけているが、今のは本気だ。君を試していた」
「ちがう、妹はそんなことは――」
「君が苦しむのを見て楽しんでいるんだ、あいつは」
「やめてください!」
ヴァスラフが彼を見上げると、侯爵の赤い瞳が月の光に煌めいていた。それは血の色であり、あの日貰った指輪と同じ輝きだった。
「これで邪魔者はいなくなった。やっと二人きりになれたな」
侯爵の言葉に愕然とする。
「な、なにを言ってるんです……? マリアナが消えたのに。どうして、あのときは彼女を助けてくれたのにどうしてあんなことしたんだ!」
ヴァスラフは侯爵に掴みかかったが、彼は平然と答えた。
「あの日は君を屋敷へ送った帰り道、血の匂いがして偶然彼女を見つけた。だが彼女には最初から興味などない。君を手に入れるために役立つだろうと思って助けただけだ」
「そんな――……人でなし!」
「ははは! その通り。私は人間じゃないから君がどうしてそんなに怒っているのかわからないよ。君だって、彼女が邪魔だと言っていただろう? あの日、熱のある彼女を見捨てて私の所へ来たじゃないか」
そう言われてゾッとした。
何もかも自分のせいだというのか――?
侯爵を責めることなどできない。自分が最初に彼女を見捨てた。
「だが彼女は君たちの前から姿を消した後、君が苦しむのを覗きに行っては楽しんでいたんだぞ?」
「え……?」
「彼女、素敵なお人形が欲しかったって言っていただろう? 君のことだよ」
「先生、一体何の話です……?」
彼の言っている意味がさっぱりわからない。
「マリアナは母親の枕元で夜な夜な妙なことを吹き込んで、君を着せ替え人形にしてたんだよ。自分の見た目が父親似なのを嫌っていたから。母親似の君が着飾って”マリアナ”と呼ばれるのを楽しんでいた。そして家庭がめちゃくちゃになっていくのを笑いながら私に話してくれたよ」
(そんなの嘘だ――。だってマリアナは僕を助けるために侯爵を連れてきてくれたじゃないか)
「彼女はとんでもない才能の持ち主だよ――吸血鬼のね。7歳で仲間になってから、彼女がどれだけの人間を誘惑して生き血をすすってきたか。おかげで医院を閉め切っていたほどだ」
マリアナは幼い子供の姿で人間を騙しては血を吸っていた。しかも楽しんで。獲物を狩るのが好きな彼女のおかげで、医院で血を集める必要もなかったから侯爵は暫くの間医院を閉めていたのだ。
そう、吸血鬼として妹がとても優秀で残酷だったから――。
「信じられない……そんなこと……」
「ヴァスラフ、彼女が本当に消えたと思うのか?」
「なんですって?」
「あんな銀の杭くらいじゃあの女は死なないよ。子供っぽいお遊びさ。お兄ちゃんをからかってるんだ。いや、私のことをからかっているのかな? あまりにも長い間君に献身的に尽くしている私を嘲笑してるんだ」
「先生……じゃあ、マリアナは生きているの?」
「ああ。今もどこかから見ていて大笑いしてるだろう。しばらくは出てきてほしくないね、せっかく君と二人きりになれたのだから」
混乱で何も言えないヴァスラフに向かって「ところで」と彼が尋ねる。
「この石が何かわかったかな?」
侯爵は失くしたはずの赤い石の指輪を手にしていた。
ヴァスラフは首を振る。
「わかりません」
「これは私の血の結晶だ。最愛の人間――君に贈るために創った婚約指輪さ。どこにいても私のものだとわかるように、あの日渡しておいたんだ。もう一度受け取ってくれるか?」
侯爵が白い手を差し伸べた。ヴァスラフは彼の赤い瞳に魂を吸い寄せられるようにして頷き、左手を出した。彼は微笑みを浮かべながら薬指に指輪をつけてくれた。
「やっと君を伴侶にできる」
ヴァスラフを抱きしめた侯爵の体は氷のように冷たかったが、その後首筋に立てられた牙は燃えるように熱かった。ヴァスラフの理性はそれで焼き切れた。
月あかりの照らす寝台で二人はお互いの体を貪り合う。彼に噛みつかれた首筋がどくどく脈打ち、血をすすられる感覚にヴァスラフは恍惚となった。全身の血を残らず飲み干されても構わないとすら思ったほどだ。
自分が先生に対してこんな浅ましい欲望を感じていたなんて知らなかった。いや、マリアナの目が気になって気持ちを押し隠そうとしていたのかもしれない。
(もっと、もっと――彼に求められる歓びを感じたい)
「先生……う……んんっ……」
意識が朦朧としてきたとき、侯爵が顔を上げた。唇が自分の流した血で染まっている。
「今度は君の番だヴァスラフ」
彼に指示されるまま、ヴァスラフは侯爵の白く太い首に喰らいついた。じんわり滲む赤い液体を恐る恐る舐めると、想像していた鉄臭さはなく、ひたすら甘い味と匂いが口中に広がった。
「飲むんだ、そう。上手だよ」
赤ん坊が初めて母親の乳を飲むようにたどたどしく、しかし一心不乱にヴァスラフは侯爵の喉元を吸った。知らぬ間に二人の体の中心部が反応し、お互いの体に硬くなったものを擦り付け合う。
「もういいだろう。今度は私の番だ」
侯爵はまだ誰の体も受け入れたことのないヴァスラフの肉体をほぐし、ゆるめて熱くなった杭を打ち込んだ。ヴァスラフは熱に浮かされたように彼の口づけをねだり、痛みと同時に押し寄せる快感にむせび泣いた。
「初めて会ったときからわかっていた。君は私を愛すだろうと」
「先生……。もっと欲しい……もっと」
「安心しなさい。私は君のものだ」
永遠に――とつぶやいて侯爵は赤く濡れた唇でヴァスラフの唇を塞いだ。
(先生が求めているのは僕だ――マリアナじゃない。この僕なんだ……)
彼の血の匂いと自分の血の匂いが部屋中に充満している。
侯爵はヴァスラフの腹に散った白い液体も、汗も、全て愛おしそうに舐め取った。
夜明けが来る頃には、この街から彼らの痕跡は消え失せていた。
完
♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰
ハッピーハロウィン!
ということで吸血鬼物を書いてみました。
マリアナは次の滞在地でふらっと現れて二人のことをからかう、そんな感じでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
中世の時代から生きてきた先生によると昔は好きなように人をさらって生き血をすすったものだという。しかし19世紀にもなると、血を吸い尽くして人を殺せば大衆の目についてしまう。そこで彼はこの医院での診察を始めたのだという。
ある日ヴァスラフが医院で手伝いをしていたら、従兄弟が誰に聞いたのか自分の居所を見つけてやって来た。
「君のお母さんが……!」
母は妹の亡霊に説得されて自身の行いを悔いていた。
「ごめんなさいヴァスラフ。あなたに酷いことをしたわ。本当はわかっていたの。あなたはマリアナじゃない」
今更謝られても、過ぎた時間が戻るわけではない。ただ、今の生活に満足していたからヴァスラフは母の謝罪を受け入れた。母と仲直りさせようとしてくれた妹の気持ちも嬉しかった。
◇
それから何年かは吸血鬼侯爵と吸血鬼になった妹と共に平穏な日々を過ごした。
しかしその年の冬、貧民街で大規模な火災が起きた。医院の建物も焼けてしまい、中から大量の血液が入った瓶が発見される。
するとたちまち「ここの医者は吸血鬼だ」と噂が立ち、人々から迫害を受けることになった。折しも瀉血の効果が疑われ始めた頃でもあり、抜いた後の血を捨てずに残していることが怪しまれる結果となった。
「もうこの土地にはとどまれない。次の定住地を探さねば」と侯爵は言った。まだ貧民街の医師の正体が森の屋敷に住む侯爵だとはばれていない。しかし人々が勘付くのも時間の問題だろう。
そこでヴァスラフには人間のまま母の元へ戻るか、吸血鬼の仲間になって共に国を出るかの選択が求められた。
「人間の君をそのまま連れて行くことはできない。吸血鬼は年を取らないから、名前も地位も変えて別人として生きなければならないんだ」
侯爵はゆっくりとヴァスラフに説明した。
「兄さん、本当は永遠に若い必要なんてないの。若さは限りがあるから美しいのよ」
今の私はもはや醜悪なだけ――と妹は言う。
「兄さんとずっと一緒にいたいわ。それは彼も同じよ。だけど、兄さんをこちら側に引き込みたくはない」
ヴァスラフは妹の優しさに心打たれた。しかしそれでも先生への慕情を抑えることはできなかった。
「ありがとうマリアナ。だけど僕は君や先生と離れたくない。先生、どうか僕も仲間に加えてください」
侯爵が静かにうなずいたその瞬間、突然妹が怒りまかせに叫んだ。
「彼は私だけのものだったのにどうして奪おうとするの!? 兄さんは私から”死”を奪った。それで十分じゃない。どうして彼まで奪おうとするの?」
ヴァスラフは一瞬何を言われたのかわからなかった。
「僕は、そんなつもりじゃ……」
「兄さんは全部持っていたじゃない! 家族も、未来も、何もかも」
すると侯爵がヴァスラフをかばうように妹の前に立ち、彼女の視線を遮った。
「違うだろう、マリアナ。ヴァスラフはお前のために全て失ったんだ。長い間にわたって母も、父も、彼の存在を消そうとした。もちろん今は跡取りとしての地位も失った。未来なんてどこにあるんだ」
「それでも、今更ここへ来てあなたを横取りするなんて許せない!」
彼女の姿は7歳のままで、ただ子どもが癇癪を起こしているようにも見える。しかしそうではないとさすがのヴァスラフにも理解できた。
(マリアナは侯爵を独り占めしたかったんだ――。あの頃と同じように)
幼い頃、父と母を独占していた妹を思い出してしまった。ヴァスラフは妹を愛している。しかし、あの当時、母の愛を一身に受けていた彼女に自分は嫉妬していた――。
両親に顧みてもらえない寂しさから見つけた居場所が先生のところだった。
(最初に先生を見つけたのは僕なのに……)
ヴァスラフは侯爵の背後から前に出てマリアナの顔を見た。
「マリアナ、横取りなんてする気はないよ。僕は3人で生きていきたいだけなんだ。どこか遠い場所で静かに――」
「嫌よ! 私が邪魔者になるのは目に見えてるじゃない!」
「――そんなことはないよ」
「兄さんが私を本当に大事だと思うなら、私を消してよ」
「え?」
妹の勢いは止まらなかった。
「兄さんがこちら側に来たいなら銀の杭で私の胸を貫いて。あなたたち二人をただで幸せになんてさせない。二人とも私の死を背負って永遠に生きるのよ!」
「何を言って――……」
(吸血鬼に銀の杭を打つと、消滅してしまうんじゃないのか?)
「マリアナ、そんなことはできない。少し落ち着いて話をしよう」
「これ以上兄さんと話すことなんてないわ!」
ヴァスラフには妹に手をかけることなど出来なかった。しかし吸血鬼は驚くほど冷徹だった。侯爵はなんの躊躇いもなく、引き出しから取り出した銀の杭を妹の目の前で振りかぶり、あっという間に胸へと突き刺した。
「先生!?」
妹は「あっ」と悲鳴をあげたかと思うと、ザラザラと砂のように肉体が崩れ、やがて煙となって開いた窓から夜風にさらわれていった。
それを呆然と見つめ、ヴァスラフは恐怖に身を震わせた。
「な、なんてことを――! 彼女はほんの少しわがままを言っただけです! あんなの本気じゃないのに」
「本気じゃない? あいつはいつもふざけているが、今のは本気だ。君を試していた」
「ちがう、妹はそんなことは――」
「君が苦しむのを見て楽しんでいるんだ、あいつは」
「やめてください!」
ヴァスラフが彼を見上げると、侯爵の赤い瞳が月の光に煌めいていた。それは血の色であり、あの日貰った指輪と同じ輝きだった。
「これで邪魔者はいなくなった。やっと二人きりになれたな」
侯爵の言葉に愕然とする。
「な、なにを言ってるんです……? マリアナが消えたのに。どうして、あのときは彼女を助けてくれたのにどうしてあんなことしたんだ!」
ヴァスラフは侯爵に掴みかかったが、彼は平然と答えた。
「あの日は君を屋敷へ送った帰り道、血の匂いがして偶然彼女を見つけた。だが彼女には最初から興味などない。君を手に入れるために役立つだろうと思って助けただけだ」
「そんな――……人でなし!」
「ははは! その通り。私は人間じゃないから君がどうしてそんなに怒っているのかわからないよ。君だって、彼女が邪魔だと言っていただろう? あの日、熱のある彼女を見捨てて私の所へ来たじゃないか」
そう言われてゾッとした。
何もかも自分のせいだというのか――?
侯爵を責めることなどできない。自分が最初に彼女を見捨てた。
「だが彼女は君たちの前から姿を消した後、君が苦しむのを覗きに行っては楽しんでいたんだぞ?」
「え……?」
「彼女、素敵なお人形が欲しかったって言っていただろう? 君のことだよ」
「先生、一体何の話です……?」
彼の言っている意味がさっぱりわからない。
「マリアナは母親の枕元で夜な夜な妙なことを吹き込んで、君を着せ替え人形にしてたんだよ。自分の見た目が父親似なのを嫌っていたから。母親似の君が着飾って”マリアナ”と呼ばれるのを楽しんでいた。そして家庭がめちゃくちゃになっていくのを笑いながら私に話してくれたよ」
(そんなの嘘だ――。だってマリアナは僕を助けるために侯爵を連れてきてくれたじゃないか)
「彼女はとんでもない才能の持ち主だよ――吸血鬼のね。7歳で仲間になってから、彼女がどれだけの人間を誘惑して生き血をすすってきたか。おかげで医院を閉め切っていたほどだ」
マリアナは幼い子供の姿で人間を騙しては血を吸っていた。しかも楽しんで。獲物を狩るのが好きな彼女のおかげで、医院で血を集める必要もなかったから侯爵は暫くの間医院を閉めていたのだ。
そう、吸血鬼として妹がとても優秀で残酷だったから――。
「信じられない……そんなこと……」
「ヴァスラフ、彼女が本当に消えたと思うのか?」
「なんですって?」
「あんな銀の杭くらいじゃあの女は死なないよ。子供っぽいお遊びさ。お兄ちゃんをからかってるんだ。いや、私のことをからかっているのかな? あまりにも長い間君に献身的に尽くしている私を嘲笑してるんだ」
「先生……じゃあ、マリアナは生きているの?」
「ああ。今もどこかから見ていて大笑いしてるだろう。しばらくは出てきてほしくないね、せっかく君と二人きりになれたのだから」
混乱で何も言えないヴァスラフに向かって「ところで」と彼が尋ねる。
「この石が何かわかったかな?」
侯爵は失くしたはずの赤い石の指輪を手にしていた。
ヴァスラフは首を振る。
「わかりません」
「これは私の血の結晶だ。最愛の人間――君に贈るために創った婚約指輪さ。どこにいても私のものだとわかるように、あの日渡しておいたんだ。もう一度受け取ってくれるか?」
侯爵が白い手を差し伸べた。ヴァスラフは彼の赤い瞳に魂を吸い寄せられるようにして頷き、左手を出した。彼は微笑みを浮かべながら薬指に指輪をつけてくれた。
「やっと君を伴侶にできる」
ヴァスラフを抱きしめた侯爵の体は氷のように冷たかったが、その後首筋に立てられた牙は燃えるように熱かった。ヴァスラフの理性はそれで焼き切れた。
月あかりの照らす寝台で二人はお互いの体を貪り合う。彼に噛みつかれた首筋がどくどく脈打ち、血をすすられる感覚にヴァスラフは恍惚となった。全身の血を残らず飲み干されても構わないとすら思ったほどだ。
自分が先生に対してこんな浅ましい欲望を感じていたなんて知らなかった。いや、マリアナの目が気になって気持ちを押し隠そうとしていたのかもしれない。
(もっと、もっと――彼に求められる歓びを感じたい)
「先生……う……んんっ……」
意識が朦朧としてきたとき、侯爵が顔を上げた。唇が自分の流した血で染まっている。
「今度は君の番だヴァスラフ」
彼に指示されるまま、ヴァスラフは侯爵の白く太い首に喰らいついた。じんわり滲む赤い液体を恐る恐る舐めると、想像していた鉄臭さはなく、ひたすら甘い味と匂いが口中に広がった。
「飲むんだ、そう。上手だよ」
赤ん坊が初めて母親の乳を飲むようにたどたどしく、しかし一心不乱にヴァスラフは侯爵の喉元を吸った。知らぬ間に二人の体の中心部が反応し、お互いの体に硬くなったものを擦り付け合う。
「もういいだろう。今度は私の番だ」
侯爵はまだ誰の体も受け入れたことのないヴァスラフの肉体をほぐし、ゆるめて熱くなった杭を打ち込んだ。ヴァスラフは熱に浮かされたように彼の口づけをねだり、痛みと同時に押し寄せる快感にむせび泣いた。
「初めて会ったときからわかっていた。君は私を愛すだろうと」
「先生……。もっと欲しい……もっと」
「安心しなさい。私は君のものだ」
永遠に――とつぶやいて侯爵は赤く濡れた唇でヴァスラフの唇を塞いだ。
(先生が求めているのは僕だ――マリアナじゃない。この僕なんだ……)
彼の血の匂いと自分の血の匂いが部屋中に充満している。
侯爵はヴァスラフの腹に散った白い液体も、汗も、全て愛おしそうに舐め取った。
夜明けが来る頃には、この街から彼らの痕跡は消え失せていた。
完
♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰
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ということで吸血鬼物を書いてみました。
マリアナは次の滞在地でふらっと現れて二人のことをからかう、そんな感じでしょうか。
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3話目のマリアナのセリフの中で「死」を奪ったとありますが「生」を奪ったのではないでしょうか…?
ご感想嬉しいです♪
マリアナのセリフについてですが、おっしゃる通り「生」を奪われたのは勿論、吸血鬼になってしまい普通の人間として「死ぬ」ことまで奪われてしまった…ということを嘆いているシーンでした!
先生のキャラは好みを詰め込んだのでそう言っていただけて嬉しいです♡ありがとうございます!