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昏倒

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僕は東郷の会社の目の前でしゃがみこんだまま動けなくなってしまった。

「あら?あの、あなた大丈夫?」
「東郷……たすけて……こわい……とうごう……」
「ちょっと! しっかりして、え? 東郷って……あら、あなたもしかして……」

女性が声を掛けてくれてるのはわかるが返事がうまくできない。ガタガタ震えてうずくまることしかできなかった。すると女性が電話をかけ始めた。

「あー、もしもし。雅貴さん、この留守電を聞いたらすぐ折り返すかメッセージを見て頂戴」

そう言って通話を切るとスマホでなにか打ち込んでいる。なぜか「ごめんなさいね」と声が掛かった後カシャッとシャッター音が鳴った。
こわい、こわい……こわいよ東郷……変な記者とか?
どうしようどうしよう……おかしな記事を書かれる? 東郷に迷惑がかかる? 婚約発表したところなのに。こんな所来なければよかった……どうしよう……。

「あ、ちょっと守衛さん! この方、中の医務室に運んでくださる?」

この辺りで僕の記憶は一旦途切れた。

次に目が覚めたのは屋内のベッドの上だった。病院とは違う。事務的な部屋の一角を医務室にしたような急ごしらえの部屋だ。
起き上がって辺りを見回す。近くに座っていた若い女性と目が合った。

「あ! 気がついたのね。もう平気かしら? 気分はどう? お水をもってきてもらう?」
「あ……どうもご迷惑おかけしました。……あの、お水を頂いていいでしょうか」
「勿論よ。少し待っててちょうだい」

女性は水を持ってくるよう外の人に頼んでくれた。
すぐにグラスが運ばれて来た。

「ここはオフィス内の医務室よ。あなた、エントランスを出た所にしゃがみこんでいたの。勝手に連れてきてしまってごめんなさいね。救急車と迷ったんだけどあなたがしきりに東郷って呟いているものだから……」
「え……僕そんなこと言ってたんですか」

恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

「失礼だけど、東郷に写真を送って確認してもらったの。西園寺さんですってね。私は狭山です。狭山麗華さやま れいか。ご存じないかしら。私達昔会ったことあるわ」
「え?えっと……すみません……記憶になくて……」
「うふふ、無理ないわ。まだ子供の頃だったし。西園寺さんのお母様と、私の母が友人同士だったから、何度かお花のお稽古にいらしてたわ。あなたも一緒に。」
「え……? あ、ああっ! あの狭山さんですか!」

僕が思い出したのを見て、麗華は嬉しそうに微笑んだ。美しくて聡明そうな女性だ。
僕のこと覚えてるなんてうれしいな。母もあの頃は元気で……狭山のおば様のところへお花を習いに行くのは僕も好きだった。
狭山……そうか。

”お相手は華道家元”

……そういうことか! この人が東郷の――。

「狭山さんが東郷の婚約相手ですか?」

僕は気がついたら不躾なことをいきなり聞いていた。
ちょっと驚いたような顔をしたがそれほど動じずに麗華は頷いた。

「ええ、記事をご覧になられたのね」

本当はもう少し先に発表の予定だったが、記者に知れてネットのニュース記事で飛ばされてしまったので仕方なく前倒しして発表することにしたのだという。

「なんだか大変ですね」
「うちはそんなこと無いんですけど、東郷さんの方がどうしても大きな会社だから……」
「そういうものですか」
「ええ、それはそうと西園寺さん体調は大丈夫? 東郷と約束があったのかしら。彼、今日は会議でずっといない予定なのよ」
「あ、そうだったんですね。いえ、忘れ物を届けに来ただけなので……本人がいなければ預けて帰ろうと思っていたんです」
「そう? でもさっき電話したらすぐに駆けつけるって言うからもうすぐ来るわ」
「え? でも会議は?」
「あなたのことが心配で抜けてくるって言ってたわ」

そう……なんだ……。

「高校の同級生なんですってね。この歳になっても仲良くできるなんて羨ましいわ」
「は……ははは……」

急に僕と東郷がどういう関係かを思い出し、婚約者の前に出くわしてしまったことを後悔した。
浮気をしているつもりはなかったが、現実問題僕と東郷が肉体関係にある以上、婚約者の前に出て許される人間とは言えない。

「僕、やっぱり今日はもう帰ります。体調もこんなだし。あの、これ……悪いんですけど東郷に渡してもらえますか?」

僕はカフスボタンを麗華に渡そうとした。しかし押し戻される。

「えっ、でもあなたのために仕事を抜けて来てるのよ? ねぇ、もう少しこのままお休みになって。それに本当にまだ顔色が悪いわ。寝ていないとだめよ」
「いえ、ダメです。あの、急ぎの用事を思い出したんです」

とてもじゃないけど東郷とこの婚約者の目の前に素知らぬ顔で立つなんて芸当は僕にできそうもなかった。
たしかにまだちょっとめまいがするけど、タクシーに乗れば帰れるはずだ。
さっきまでは東郷に婚約者が現れてショックだった。だけど、この婚約者が僕の昔馴染みで素敵な女性だったから、逆に罪悪感で頭痛がしそうだった。
とにかく一刻も早くここを退散しないと……。

コンコンコンコン!
苛立たしげなノック音が終わらぬうちにドアが開いた。

「西園寺!」

東郷だった。
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