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第七章 フロマージュ
52.編集長のハラスメント
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夕希はこの仕事を始めるにあたってオメガであることは隠していなかった。結婚を控えており、基本在宅での仕事になると伝えねばならなかったからだ。なので会社に出向くときも北山から貰った指輪とネックガードは付けたままだった。もちろん、香水もやめた。相手がいるオメガに声を掛けてくるアルファはいないので必要が無いと思っていたのだ。
――まさかベータの編集長が言い寄ってくるなんて。
彼はいよいよ酔っ払って、スキンシップが激しくなってきた。「君は本当に頑張ってるね、えらいよ」と頭を撫でられ、「これからもよろしくね」と手を握られる。さすがにこれ以上は――とその手を振りほどくと彼は耳元でこう言った。
「ねえ、身体の相性も確かめてみない?」
夕希はあまりの発言にゾッとした。それでも怒りを抑えて冷静に言い返す。
「編集長、僕婚約しているんですよ。ほら」
婚約指輪をした手を彼の目の前に突きつける。まさかこれが役に立つことがあるとは思わなかった。しかし彼にとってそんなものは効果がなく、夕希の手を握りしめて更に言う。
「いいじゃない~、人生経験が大事だよ? 俺が色々教えてあげるからちょっとだけ休憩しに行こう?」
――教えるって何をだよ!
夕希は彼の手を思い切り振り払った。
「やめてください」
「おいおい、今更断れると思ってるの?」
さっきまでニヤニヤしていた編集長は、冷たい目で夕希を見た。
「君はこの仕事ができないと困るからなんでも言うこと聞くって笹原ちゃんから聞いてるよ? ワケありオメガは大変だよねぇ」
――え? 笹原さんが……なんでそんなことを?
「あ、その怯えた目がいいね。人妻ってパターンは始めてだから興奮するなぁ」
「は……?」
「しかし、こんなおじさんに身体を売らないと仕事もできないなんてオメガって可哀想な生き物だね」
――なんだって?
彼の手が夕希の膝を撫でた瞬間、我慢の限界に達した。たしかに夕希は結婚後も仕事をしたくて必死だった。だけどこんな男に身体を売ってまで仕事を得たかったわけじゃない。
「何を勘違いしているのか知りませんが、僕はあなたとそんなことするつもりはありません!」
「おい、声がデカいよ。ちょっと落ち着けって」
編集長が猫なで声で言った。だけど夕希はもう我慢するつもりはなかった。
「帰ります」
「おい! 実力もないのに情けで使ってやったんだぞ。どうなるかわかってるのか?」
「こんなことしないといけないような仕事なら、こちらからお断りです」
「オメガのくせに生意気だぞ! 笹原の言ってた話と違うじゃないか」
夕希はお釣りがくるくらいのお札をテーブルに置いてお店を出た。
こんなことして、仕事は台無しだ。だけどそれより大事なことに気がついたのだ。
――僕が間違ってた――。
仕事を得たくて夢中になって、判断を誤った。隼一が「あの男はだめだ」と編集長のことを言っていたのはこのことだったんだ。
自分の早とちりな性格が嫌になる。兄が夕希に対して感情の起伏が激しいと言ったのは本当の話だ。普段は優柔不断な割にすぐカッとなって、焦って間違った判断をしてしまう。
――隼一さんは僕を思い通りに操りたいとかそんなんじゃなくて、単に心配してくれてたんだ……なんて馬鹿だったんだ。
――まさかベータの編集長が言い寄ってくるなんて。
彼はいよいよ酔っ払って、スキンシップが激しくなってきた。「君は本当に頑張ってるね、えらいよ」と頭を撫でられ、「これからもよろしくね」と手を握られる。さすがにこれ以上は――とその手を振りほどくと彼は耳元でこう言った。
「ねえ、身体の相性も確かめてみない?」
夕希はあまりの発言にゾッとした。それでも怒りを抑えて冷静に言い返す。
「編集長、僕婚約しているんですよ。ほら」
婚約指輪をした手を彼の目の前に突きつける。まさかこれが役に立つことがあるとは思わなかった。しかし彼にとってそんなものは効果がなく、夕希の手を握りしめて更に言う。
「いいじゃない~、人生経験が大事だよ? 俺が色々教えてあげるからちょっとだけ休憩しに行こう?」
――教えるって何をだよ!
夕希は彼の手を思い切り振り払った。
「やめてください」
「おいおい、今更断れると思ってるの?」
さっきまでニヤニヤしていた編集長は、冷たい目で夕希を見た。
「君はこの仕事ができないと困るからなんでも言うこと聞くって笹原ちゃんから聞いてるよ? ワケありオメガは大変だよねぇ」
――え? 笹原さんが……なんでそんなことを?
「あ、その怯えた目がいいね。人妻ってパターンは始めてだから興奮するなぁ」
「は……?」
「しかし、こんなおじさんに身体を売らないと仕事もできないなんてオメガって可哀想な生き物だね」
――なんだって?
彼の手が夕希の膝を撫でた瞬間、我慢の限界に達した。たしかに夕希は結婚後も仕事をしたくて必死だった。だけどこんな男に身体を売ってまで仕事を得たかったわけじゃない。
「何を勘違いしているのか知りませんが、僕はあなたとそんなことするつもりはありません!」
「おい、声がデカいよ。ちょっと落ち着けって」
編集長が猫なで声で言った。だけど夕希はもう我慢するつもりはなかった。
「帰ります」
「おい! 実力もないのに情けで使ってやったんだぞ。どうなるかわかってるのか?」
「こんなことしないといけないような仕事なら、こちらからお断りです」
「オメガのくせに生意気だぞ! 笹原の言ってた話と違うじゃないか」
夕希はお釣りがくるくらいのお札をテーブルに置いてお店を出た。
こんなことして、仕事は台無しだ。だけどそれより大事なことに気がついたのだ。
――僕が間違ってた――。
仕事を得たくて夢中になって、判断を誤った。隼一が「あの男はだめだ」と編集長のことを言っていたのはこのことだったんだ。
自分の早とちりな性格が嫌になる。兄が夕希に対して感情の起伏が激しいと言ったのは本当の話だ。普段は優柔不断な割にすぐカッとなって、焦って間違った判断をしてしまう。
――隼一さんは僕を思い通りに操りたいとかそんなんじゃなくて、単に心配してくれてたんだ……なんて馬鹿だったんだ。
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