48 / 62
第六章 サラダ
48.美食家αとの決別
しおりを挟む
あっという間にうつ伏せで彼の下に組み敷かれていた。夕希はなんとか逃げようともがく。
「離してください!」
すると突然うなじを湿った感触が這った。
「あっ……! な、何……?」
「夕希、知ってるか?」
彼がうなじに唇を当てたまま囁いたので、その感触が彼の舌だとわかった。それと同時に恐怖で全身の血が引いていく。
「俺が今ここを噛んであるフェロモンを送り込めば、君の卵巣の発育を阻止できる。そしたらどうなると思う?」
「な……なに……え?」
アルファによってうなじに唇を当てられている恐怖でパニックになりかけていて、頭が働かない。彼は夕希をあやすように頭を撫で、ことさら甘い声で続ける。
「その北山って奴との子どもを産めなくなるんだ」
彼の発言に込められた憎悪に夕希はしばし絶句した。
「あ……やめて! いやだ、お願いやめて!」
――なんてこと言うの?
彼は思い切り体重をかけて夕希の身体を押さえつけていて、とてもじゃないけど逃げられなかった。彼が本気を出したら自分などひとたまりもないのだと思い知らされる。
「君はアルファをなんだと思ってるんだ? こんな無防備にうなじを晒して。どういうつもりで君は今まで俺の部屋に寝泊まりして、こんな船に二人きりで乗ろうと思ったんだ? キスまでさせて、どう考えても俺に気があるって意思表示だろ?」
「ご、ごめんなさい……」
「婚約者がいるのに、俺を騙して弄ぼうとしていたとは恐れ入ったよ」
「ちがいます。違うんです……」
「だから俺はオメガが嫌いなんだ! ずる賢くて、すぐにアルファを陥れようとする」
晒されたうなじに彼の犬歯が触れ、柔らかい皮膚の上をくすぐられた。ぞわぞわと肌が恐怖で粟立つ。
「隼一さん……やめて、おねがい」
「それともここを噛んで俺の番にしてやろうか? ん?」
恐ろしいのに、心のどこで彼に噛まれたいと思っている自分がいて夕希は必死で首を振る。
「あ……だめ、それだけは――」
彼はうなじを舐めたり、皮膚を破らぬ程度に歯を当てたりして嬲った。夕希は怯えて涙を流し、彼に懇願し続けた。
今までたくさん嘘をついてきた。その罰が当たったのだ。
もう子どもを産めなくなるかもしれないと思うと、母のことが思い出されて胸が痛んだ。自分は家族との約束を守れないかもしれない。夕希は隼一に懇願するのを諦め、母への謝罪を口にした。
「ごめんなさい……お母さんごめん……」
すると弾かれたように彼がうなじから唇を離した。
「俺に噛まれるのがそんなに嫌か……。そんなにその男が大事なのか!」
しんとした船上に隼一の怒りを含んだ声が響いた。その直後、うなじに鋭い痛みを感じ、噛まれたのかと思った夕希は恐怖で頭が真っ白になった。しかし隼一はすぐに夕希を解放してソファに腰掛け、苛立った様子でワインをグラスに注ぎ始めた。
夕希は震える手でうなじを触ってみたが傷らしき凹凸は無く、手にも血がつかなかった。
――よかった、噛まれなかった……?
「噛んでないから安心しろ。さっさと行け。二度と俺の前に現れないでくれ」
彼はこちらを見ることもなくワイングラスをあおった。
◇
夕希は逃げるように船を降り、タクシーに乗った。運転手に自宅の住所を伝えかけたけれど、パソコンを彼の家に置いていることに気付いた。夕希は一旦隼一のマンションに立ち寄り、自分の荷物を全てまとめた。貰った服や時計や靴は全部置いてきた。
帰宅後、手を洗いながら鏡に映る自分の情けない顔と目が合った。ふと思い出して合わせ鏡をし、うなじを確認したら小指の先程の赤い鬱血が見えた。
――キスマーク……?
それを見ていると急に胸が苦しくなり、涙が出てきて止まらなくなった。
「なんで……」
――あんな酷いこと言っておいて――どうしてこんなことするの?
彼への憎しみと愛情が入り混じって感情がもうぐちゃぐちゃになっている。だけど、とにかく今の自分には愛だの恋だの言ってる時間はない――。
しばらくその場にしゃがみ込んで泣いた後、夕希はリビングの片隅にあるデスクの引き出しを開けた。そこからジュエリーケースを取り出す。蓋を開け、絶対つけるまいと思っていたネックガードでうなじの痕跡を覆い隠した。
バスルームに戻って涙を拭い、鏡の中の自分を見る。
「似合ってるじゃん……」
白い肌にピンクベージュのネックガードをつけた若い男が泣きはらした目でこちらを見つめ返していた。その姿はあたかも従順なオメガのようだった。
「離してください!」
すると突然うなじを湿った感触が這った。
「あっ……! な、何……?」
「夕希、知ってるか?」
彼がうなじに唇を当てたまま囁いたので、その感触が彼の舌だとわかった。それと同時に恐怖で全身の血が引いていく。
「俺が今ここを噛んであるフェロモンを送り込めば、君の卵巣の発育を阻止できる。そしたらどうなると思う?」
「な……なに……え?」
アルファによってうなじに唇を当てられている恐怖でパニックになりかけていて、頭が働かない。彼は夕希をあやすように頭を撫で、ことさら甘い声で続ける。
「その北山って奴との子どもを産めなくなるんだ」
彼の発言に込められた憎悪に夕希はしばし絶句した。
「あ……やめて! いやだ、お願いやめて!」
――なんてこと言うの?
彼は思い切り体重をかけて夕希の身体を押さえつけていて、とてもじゃないけど逃げられなかった。彼が本気を出したら自分などひとたまりもないのだと思い知らされる。
「君はアルファをなんだと思ってるんだ? こんな無防備にうなじを晒して。どういうつもりで君は今まで俺の部屋に寝泊まりして、こんな船に二人きりで乗ろうと思ったんだ? キスまでさせて、どう考えても俺に気があるって意思表示だろ?」
「ご、ごめんなさい……」
「婚約者がいるのに、俺を騙して弄ぼうとしていたとは恐れ入ったよ」
「ちがいます。違うんです……」
「だから俺はオメガが嫌いなんだ! ずる賢くて、すぐにアルファを陥れようとする」
晒されたうなじに彼の犬歯が触れ、柔らかい皮膚の上をくすぐられた。ぞわぞわと肌が恐怖で粟立つ。
「隼一さん……やめて、おねがい」
「それともここを噛んで俺の番にしてやろうか? ん?」
恐ろしいのに、心のどこで彼に噛まれたいと思っている自分がいて夕希は必死で首を振る。
「あ……だめ、それだけは――」
彼はうなじを舐めたり、皮膚を破らぬ程度に歯を当てたりして嬲った。夕希は怯えて涙を流し、彼に懇願し続けた。
今までたくさん嘘をついてきた。その罰が当たったのだ。
もう子どもを産めなくなるかもしれないと思うと、母のことが思い出されて胸が痛んだ。自分は家族との約束を守れないかもしれない。夕希は隼一に懇願するのを諦め、母への謝罪を口にした。
「ごめんなさい……お母さんごめん……」
すると弾かれたように彼がうなじから唇を離した。
「俺に噛まれるのがそんなに嫌か……。そんなにその男が大事なのか!」
しんとした船上に隼一の怒りを含んだ声が響いた。その直後、うなじに鋭い痛みを感じ、噛まれたのかと思った夕希は恐怖で頭が真っ白になった。しかし隼一はすぐに夕希を解放してソファに腰掛け、苛立った様子でワインをグラスに注ぎ始めた。
夕希は震える手でうなじを触ってみたが傷らしき凹凸は無く、手にも血がつかなかった。
――よかった、噛まれなかった……?
「噛んでないから安心しろ。さっさと行け。二度と俺の前に現れないでくれ」
彼はこちらを見ることもなくワイングラスをあおった。
◇
夕希は逃げるように船を降り、タクシーに乗った。運転手に自宅の住所を伝えかけたけれど、パソコンを彼の家に置いていることに気付いた。夕希は一旦隼一のマンションに立ち寄り、自分の荷物を全てまとめた。貰った服や時計や靴は全部置いてきた。
帰宅後、手を洗いながら鏡に映る自分の情けない顔と目が合った。ふと思い出して合わせ鏡をし、うなじを確認したら小指の先程の赤い鬱血が見えた。
――キスマーク……?
それを見ていると急に胸が苦しくなり、涙が出てきて止まらなくなった。
「なんで……」
――あんな酷いこと言っておいて――どうしてこんなことするの?
彼への憎しみと愛情が入り混じって感情がもうぐちゃぐちゃになっている。だけど、とにかく今の自分には愛だの恋だの言ってる時間はない――。
しばらくその場にしゃがみ込んで泣いた後、夕希はリビングの片隅にあるデスクの引き出しを開けた。そこからジュエリーケースを取り出す。蓋を開け、絶対つけるまいと思っていたネックガードでうなじの痕跡を覆い隠した。
バスルームに戻って涙を拭い、鏡の中の自分を見る。
「似合ってるじゃん……」
白い肌にピンクベージュのネックガードをつけた若い男が泣きはらした目でこちらを見つめ返していた。その姿はあたかも従順なオメガのようだった。
4
お気に入りに追加
915
あなたにおすすめの小説


欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点

婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」


成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる