【完結】僕の匂いだけがわかるイケメン美食家αにおいしく頂かれてしまいそうです

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第六章 サラダ

48.美食家αとの決別

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 あっという間にうつ伏せで彼の下に組み敷かれていた。夕希はなんとか逃げようともがく。

「離してください!」

 すると突然うなじを湿った感触が這った。

「あっ……! な、何……?」
「夕希、知ってるか?」

 彼がうなじに唇を当てたまま囁いたので、その感触が彼の舌だとわかった。それと同時に恐怖で全身の血が引いていく。

「俺が今ここを噛んであるフェロモンを送り込めば、君の卵巣の発育を阻止できる。そしたらどうなると思う?」
「な……なに……え?」

 アルファによってうなじに唇を当てられている恐怖でパニックになりかけていて、頭が働かない。彼は夕希をあやすように頭を撫で、ことさら甘い声で続ける。

「その北山って奴との子どもを産めなくなるんだ」

 彼の発言に込められた憎悪に夕希はしばし絶句した。

「あ……やめて! いやだ、お願いやめて!」

――なんてこと言うの?
 彼は思い切り体重をかけて夕希の身体を押さえつけていて、とてもじゃないけど逃げられなかった。彼が本気を出したら自分などひとたまりもないのだと思い知らされる。

「君はアルファをなんだと思ってるんだ? こんな無防備にうなじを晒して。どういうつもりで君は今まで俺の部屋に寝泊まりして、こんな船に二人きりで乗ろうと思ったんだ? キスまでさせて、どう考えても俺に気があるって意思表示だろ?」
「ご、ごめんなさい……」
「婚約者がいるのに、俺を騙してもてあそぼうとしていたとは恐れ入ったよ」
「ちがいます。違うんです……」
「だから俺はオメガが嫌いなんだ! ずる賢くて、すぐにアルファを陥れようとする」

 晒されたうなじに彼の犬歯が触れ、柔らかい皮膚の上をくすぐられた。ぞわぞわと肌が恐怖で粟立つ。

「隼一さん……やめて、おねがい」
「それともここを噛んで俺の番にしてやろうか? ん?」

 恐ろしいのに、心のどこで彼に噛まれたいと思っている自分がいて夕希は必死で首を振る。

「あ……だめ、それだけは――」

 彼はうなじを舐めたり、皮膚を破らぬ程度に歯を当てたりしてなぶった。夕希は怯えて涙を流し、彼に懇願し続けた。

 今までたくさん嘘をついてきた。その罰が当たったのだ。
 もう子どもを産めなくなるかもしれないと思うと、母のことが思い出されて胸が痛んだ。自分は家族との約束を守れないかもしれない。夕希は隼一に懇願するのを諦め、母への謝罪を口にした。

「ごめんなさい……お母さんごめん……」

 すると弾かれたように彼がうなじから唇を離した。

「俺に噛まれるのがそんなに嫌か……。そんなにその男が大事なのか!」

 しんとした船上に隼一の怒りを含んだ声が響いた。その直後、うなじに鋭い痛みを感じ、噛まれたのかと思った夕希は恐怖で頭が真っ白になった。しかし隼一はすぐに夕希を解放してソファに腰掛け、苛立った様子でワインをグラスに注ぎ始めた。
 夕希は震える手でうなじを触ってみたが傷らしき凹凸おうとつは無く、手にも血がつかなかった。
――よかった、噛まれなかった……?

「噛んでないから安心しろ。さっさと行け。二度と俺の前に現れないでくれ」

 彼はこちらを見ることもなくワイングラスをあおった。




 夕希は逃げるように船を降り、タクシーに乗った。運転手に自宅の住所を伝えかけたけれど、パソコンを彼の家に置いていることに気付いた。夕希は一旦隼一のマンションに立ち寄り、自分の荷物を全てまとめた。貰った服や時計や靴は全部置いてきた。
 帰宅後、手を洗いながら鏡に映る自分の情けない顔と目が合った。ふと思い出して合わせ鏡をし、うなじを確認したら小指の先程の赤い鬱血うっけつが見えた。
――キスマーク……?
 それを見ていると急に胸が苦しくなり、涙が出てきて止まらなくなった。

「なんで……」

――あんな酷いこと言っておいて――どうしてこんなことするの? 
 彼への憎しみと愛情が入り混じって感情がもうぐちゃぐちゃになっている。だけど、とにかく今の自分には愛だの恋だの言ってる時間はない――。

 しばらくその場にしゃがみ込んで泣いた後、夕希はリビングの片隅にあるデスクの引き出しを開けた。そこからジュエリーケースを取り出す。蓋を開け、絶対つけるまいと思っていたネックガードでうなじの痕跡こんせきを覆い隠した。
 バスルームに戻って涙を拭い、鏡の中の自分を見る。

「似合ってるじゃん……」

 白い肌にピンクベージュのネックガードをつけた若い男が泣きはらした目でこちらを見つめ返していた。その姿はあたかも従順なオメガのようだった。
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