【完結】僕の匂いだけがわかるイケメン美食家αにおいしく頂かれてしまいそうです

grotta

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第五章 ヴィアンド

36.夕希の後悔と安定しない嗅覚

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 その夜ベッドに横になったものの、夕希はなかなか寝付けずに隼一とのことを考えていた。
――やっぱり、あんなことしなければよかった。
 あの時は発情していたせいで、どうしても彼に抱かれたくて仕方がなかった。だけど理性を失いかけた状態で考えたことなんて、大抵ろくな結果になりはしない。現に今まさに後悔の真っ只中にいる。

 あんなふうにフェロモンで誘惑してアルファを思いのままに操るなんて、許されることじゃない。あのとき隼一は夕希に抑制剤を飲ませてこの部屋を出ていこうとした。なのに自分がしがみついて離さなかった。こういう場合、一般的にオメガ側が加害者として認識されるのが常だ。今回はたまたまあの後彼の嗅覚が戻ったから批難されなかっただけのこと。もしそうじゃなかったら、オメガ嫌いの彼のことだから訴えられてもおかしくない状況だ。
――彼は仕事上必要だから僕を傍に置いているだけなのに、取り返しの付かないことしちゃった……。

 大体今までオメガを性的対象としか見ていないアルファのことを嫌っていたはずなのに、自分の行動はどうだ? 結局オメガの本能だって身勝手なアルファたちの行動と変わらないではないか。 
 自分の行いがあまりにも恥ずかしくて息が苦しい。抑制剤を飲んで無理やり性欲を抑えているせいなのか、気分はどんどん落ち込んでいく。
――もうここには居られない。

 夕希は起き上がって机に向かい、ノートパソコンを開いた。編集者の笹原宛にメールを書く。隼一を通さず直接コラムの仕事を紹介してもらえないか、と打診をするためだ。
 すぐには無理かもしれない。だけどアシスタントを辞める前になんとか道を繋いでおきたかった。



 その翌日の日曜日、朝から隼一は自室に、夕希は与えられた部屋にこもっていた。薬を飲んでいるとはいえ、夕希が発情期間中なので仕事に支障が出ないよう考慮してのことだ。
 夕希としては、記事を書く必要が無くなった時点ですぐにでも自宅へ帰るつもりだった。昨日はあんなことになってしまったけど、恋人でもない発情中のオメガがアルファの近くにいるわけにはいかない。

 しかし、隼一はそれを許さなかった。締切間際で彼が送迎することができないのが理由だ。夕希は当然電車かタクシーで帰るつもりだったからそう伝えたけれど薬を飲んでいてもだめだと言う。「その香りを誰かに嗅がせるつもりはない。万が一ということもあるし、君を一人で帰らせるわけにはいかない」と彼は突っぱねた。部屋にこもる直前「もし勝手に帰ったら仕事を放り出して迎えに行く」とまで言われた。
 たまにこうして彼は過保護になる。言い出したら聞かない人なのはここ数ヶ月でわかっていたので、夕希は大人しく従うことにした。

 部屋で一人自分のブログに載せる記事を書いていると、お昼を過ぎた頃にドアがノックされ隼一が姿を表した。執筆作業が終わったようだ。

「原稿を見せたら、笹原さんからいくつか味について確認してほしいって電話が来たんだ。夕希も手伝ってくれる?」
「あ、はい。もちろん」

 夕希は作業を中断して彼と共にリビングへ向かう。
 彼の書いて送った原稿に関し、笹原から照会事項のメールが返ってきていた。それを元に、もう一度対象の酒の味を確認しなければならなかった。

 夕希はグラスに指定の日本酒を注いで隼一に渡す。受け取った隼一はそれを鼻先に近づけた瞬間眉根を寄せた。夕希はそれを見て、何か違和感を覚えた。
――どうしたんだろう?
 彼は黙ってグラスに口をつけた。すぐには飲み込まず、口に含んで数秒してから飲み込んだ。沈黙に耐えきれず、夕希は彼に尋ねた。

「どうですか?」
「……しない」
「え?」
「匂いがしない」
「えっ?」

――どうして……? 治ったんじゃなかったの?

「くそっ、なんでだ……」

 彼はグラスを夕希に押し付け、立ち上がって髪の毛をかき上げながらリビング中をウロウロと歩き回った。眉間に皺を寄せたまま彼が言う。

「さっきまで書くのに集中していたから気が付かなかったんだ。作業を終えて、なんとなく違和感があった。まさかと思ったが――」

 彼はリビングの観葉植物や、室内用のフレグランスの匂いを嗅いでは首を振る。その後廊下へ出て行ってしまったので、夕希も後を追いかけた。
 彼はバスルームでハンドソープの匂いを嗅いでいた。その後少々苛立った様子で収納扉を次々に開け、匂いがしそうな物を片っ端から取り出して鼻に近づけていく。

「だめだ……これもだめだ!」

 彼は夕希には聞き慣れない外国語で独り言をつぶやき始めた。

「隼一さん、大丈夫ですか?」

 心配になって控えめに声を掛けると、彼がこちらを見た。そして我に返ったようにため息をつく。

「夕希……」

 彼は糸が切れたようにふらふらとこちらに近づいてきて、夕希を抱き締めた。いつも自信に満ちた彼だが、今は嘘のように頼りなく感じられた。

「昨日はちゃんと匂いがしていたのに。やっと戻ったと思ったのになんで……」
「休まずに記事を書いていたから疲れが出てるんですよ。少し休憩しましょう」

 しかし彼は動こうとはしなかった。まるでそうしていないと落ち着かないとでもいうように、夕希の頭に鼻先を押し当てている。夕希は彼をなだめるように、背中を撫でることしかできなかった。

「君はこんなにいい匂いなのに……」

――やっぱり、僕の匂いはわかるんだ。一体どういうこと?

「コーヒーを淹れますから、リビングに戻りませんか?」
「ああ、ありがとう」
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