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第四章 ソルベ

28.美食家αの腕枕

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――夕希。
 彼の低めで心地良い声が名前を呼んでいる。幻聴でも構わないからもっと近くで聞きたいと思った。

「夕希、夕希。おい、大丈夫か?」
 
 肩を揺すられて夕希は目を覚ました。

「ん……隼一、さん……?」
「大丈夫か? うなされる声が聞こえたんだ」

 どれくらい寝ていたのか、涙はすっかり乾いていた。いや、泣いたと思ったのは夢だったのかもしれない。

「水、飲める?」

 彼に抱き起こされて、水の入ったグラスを受け取った。喉を湿らせて時計を見ると、ベッドに入ってから二時間ほど経過していた。大きな手のぬくもりが背中から伝わって、呼吸が楽になる。隼一も既に着替えを済ませていた。もう寝るところだったのだろう。

「ありがとうございます。もう、大丈夫ですから」
「そうか。じゃあ行くよ」

 彼は夕希の背中を支えて寝かせると、顎の下まで布団を掛けてくれた。
 そのまま彼が背を向けたのを見て、夕希は咄嗟に彼のパジャマの裾を掴んだ。隼一が驚いた顔で振り向く。

「どうした?」
「あ……すみません。僕……」

 自分でもなぜそんなことをしたのか分からなかった。だけど掴んだパジャマから手を離せない。
 隼一が意を決したように一つ息を吐いてベッドに腰掛けた。彼は自分のパジャマから夕希の手を解くと両手で包み込んだ。そして彼の視線が真っ直ぐに夕希を捕らえた。

「夕希、どうしてほしいか言ってごらん」

 促されるまま夕希は口を開いていた。

「行かないでください」
「ああ、どこにも行かないよ」

 彼の長い親指が夕希の手の甲を撫でた。優しい彼の香りとヘーゼルの瞳に誘われ、本音が唇からこぼれる。意図せず甘えたような声が出た。

「お願い、そばに居て」
「わかった」

 隼一の手が夕希の頭をゆっくりと撫でた。するとさっきまで胸の奥にまとわりついていた不安がすっと解けて霧散していくのを感じた。

「一人でいたら、なんだか寂しくて――」
「じゃあこうしよう」

 彼は布団をめくってベッドに潜り込んできた。

「腕枕してもいい?」
「え……」
「心配しないで、変なことはしないから。ただ一緒にいるだけだよ」

 彼は夕希の頭をそっと持ち上げ、腕を首の下に滑り込ませた。彼の腕に包まれると言葉にならないほど良い匂いがして、心地よさに陶然となる。目を閉じてしばらくその感覚に浸っていると、隼一がくすっと笑った。

「随分気持ちよさそうだね」
「あ、ごめんなさい。気持ち悪いですよね、僕」

 あまりに良い匂いで、自分の世界に入り込んでいた。
――そもそも隼一さんのような人にこんな事をさせるなんて有り得ないのに。
 夕希は慌てて身体を起こそうとした。しかし、彼の長い腕にぐっと引き寄せられた。彼の胸に額が触れ、一層匂いが強くなる。

「気持ち悪いわけないだろ。子どもみたいな顔してて可愛いなと思っただけだ」
「そんな……」
「さっきは悪かった。君を無理矢理どうにかしようなんて気はなかったんだ。だけど、俺のフェロモンのせいで具合が悪くなったんだろう?」

 夕希は返事に詰まった。それを認めれば、オメガだと認めることになる。

「まだ隠すつもりなのか? まあいい。とにかく、このまま眠って」
「いえ、おかげでもう元気になりましたから」

 夕希は彼の胸を押し、身体を離そうとした。しかし彼の腕はびくともしない。

「馬鹿言うな。ちゃんと寝ないとだめだよ」

 しばらく突っ張っていたけど、無駄だと気づいて諦めた。

「本当に寝ちゃいますからね」
「ああ、いいよ」
「腕、痺れても知りませんから」
「望むところだよ。おやすみ、夕希」

 静かな声で名前を呼ばれるだけで心地良い。目を閉じて本当に寝ようとしたら、彼が言った。

「おやすみのキスしても良い?」

 びっくりして目を開けると、思ったより間近に彼の顔があって心臓が跳ね上がった。咄嗟に横を向く。

「だ、だめに決まってるじゃないですか!」
「ちっ、だめか」

――まったく、冗談好きにも程がある。

「ごめんごめん、本当に何もしないから。今度こそ寝ていいよ」
「はい……」

 その後は本当に彼も何もしてこず、うとうとしながらそのまま深い眠りに落ちていった。
 意識が遠のいて行く寸前に、彼の言葉を聞いた気がした。

――あまり無理をするなよ――。
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