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第一章 オードヴル
2.美食家の秘密
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――シャワー? ま、まさかそういう目的で僕を部屋に連れ込んだの? 僕はそんなつもりで部屋に着いてきたんじゃないし、まだ出会ったばかりなのにいくら僕がオメガでも心の準備が――……っていうか香水付けてるからオメガだとはバレてないはずじゃ?
夕希がパニックで棒立ちになっていると彼は落ち着いた様子で言い添えた。
「ああ、勘違いしないでくれ。変なことをするつもりはないよ。君は香水を付けてると言うからそれを流して来て欲しいんだ。シャンプーやボディソープは使わないでくれ。別の匂いが付いてしまったら意味がないから」
「はぁ……? 一体どういうことです?」
「確認したいんだ。匂いを」
「匂い?」
「とにかく、君の匂いが重要なんだ。あいにく俺は一夜を共にする相手には困っていないんでね、誓って君に手を出したりはしないよ。安心してくれ」
「は、はぁ。そうですか、それはどうも」
逆にそこまではっきり言われると、自分に魅力が無いと断言されたみたいでなんだか傷つく。
――べつにそういうことを期待してたわけじゃないからいいけど……!
自分みたいな平凡オメガがこんな上流階級のアルファに気に入られるはずがないのは百も承知。しかしグルメ友達をアルファ男性に取られたばかりの夕希は、女友達からも目の前のイケメンからも戦力外通告されたみたいな気がして若干落ち込んだ。
さっきから妙に緊張しっぱなしで汗をかいていたので、夕希は遠慮なくシャワーを使わせてもらった。庶民には広すぎる豪華なバスルームにはブランドものの良い香りがしそうなアメニティが置いてある。しかしそれらは使用せずただお湯で全身を洗い流した。時間があったらこのジャグジー付きの湯船でゆっくりしたいなぁ、などと思いながら。
――僕、ここで一体何をしているんだろう?
スイーツビュッフェに来たはずがなぜか人気の美食家の部屋でシャワーを浴びている。どう考えてもおかしい状況だった。
◇
言われたとおりに備え付けのバスローブを羽織って夕希がリビングに戻る。
「あの、シャワー浴びてきました」
ソファに座っている隼一が自分の隣を示して言う。
「ここに来てくれ」
夕希は黙って隣に腰掛けこれでいいのかなと彼を見上げる。すると隼一が「ちょっと失礼」と言って夕希の胸元に彼の顔を寄せてきた。彼の前髪が胸に触れそうになって夕希はぎょっとした。
「あ、あの……!?」
――変なことはしないって言ったじゃないか!
彼の身体を押しのけようとしたところ、隼一はすっと身体を離した。
「うん、やっぱり香水の匂いでは無いようだな」
「え……?」
「夕希。君に頼みたいことがあるんだ。だけどこの話は君が依頼を断ったとしても、絶対に他言しないでほしい。約束できる?」
「……はい。それはもちろん誰にも言ったりしませんけど」
隼一がよし、と頷いて言う。
「実は、数ヶ月前に俺は嗅覚を失ったんだ」
――えっ……。嗅覚?
「それって……つまり匂いが……?」
「そうだ。匂いがしない状態なんだ」
夕希はそれを聞いて反射的に尋ねる。
「あ! それじゃあ食べ物の味は?」
「話が早いね。味に関しては、甘さや塩辛さは感じられる。だが匂いがしないので出汁などの風味は全然だめだ――。つまり、今の俺は何を食べてもちゃんと味わうことができない」
美食評論家の彼が嗅覚を失っただなんて致命的じゃないか。
「あれ、でもさっき僕の香水のことを気にされてましたよね?」
「そうなんだ、そこなんだよ! さっきまで俺の鼻はなんの匂いもしない状態だった。なのにラウンジにいたら急に良い匂いがした――君の匂いがね」
隼一が夕希に問いかける。
「香水の匂いじゃないみたいだし、君は何者なんだ?」
――何者って、ただのスイーツオタクだけど。
「僕もさっきスイーツじゃない匂いを感じて、それであなたと目が合っただけで……よくわかりません」
そうか、と彼は頷いた。
「普段ならファンに声をかけられても相手をしないと決めてるんだが、俺は君の匂いがなんなのか知りたくてここに連れてきた」
――だから彼は名刺を受け取ってくれたのか。
「そこで本題だ」
「本題――?」
「そう。君に頼みたいことがある。実はもう今年いっぱいのコラムや出版物の執筆依頼を既にいくつも受けてしまっているんだ。しかし俺は今この有様で、食べてもちゃんと味や匂いがわからない」
――それは断るしかないんじゃ……。
そう思っていたら彼が思いもよらぬことを言い出した。
「それで俺はいいことを思いついたんだ。君にゴーストライターをやってもらえばいいってね」
「ご、ゴーストライター!?」
夕希がパニックで棒立ちになっていると彼は落ち着いた様子で言い添えた。
「ああ、勘違いしないでくれ。変なことをするつもりはないよ。君は香水を付けてると言うからそれを流して来て欲しいんだ。シャンプーやボディソープは使わないでくれ。別の匂いが付いてしまったら意味がないから」
「はぁ……? 一体どういうことです?」
「確認したいんだ。匂いを」
「匂い?」
「とにかく、君の匂いが重要なんだ。あいにく俺は一夜を共にする相手には困っていないんでね、誓って君に手を出したりはしないよ。安心してくれ」
「は、はぁ。そうですか、それはどうも」
逆にそこまではっきり言われると、自分に魅力が無いと断言されたみたいでなんだか傷つく。
――べつにそういうことを期待してたわけじゃないからいいけど……!
自分みたいな平凡オメガがこんな上流階級のアルファに気に入られるはずがないのは百も承知。しかしグルメ友達をアルファ男性に取られたばかりの夕希は、女友達からも目の前のイケメンからも戦力外通告されたみたいな気がして若干落ち込んだ。
さっきから妙に緊張しっぱなしで汗をかいていたので、夕希は遠慮なくシャワーを使わせてもらった。庶民には広すぎる豪華なバスルームにはブランドものの良い香りがしそうなアメニティが置いてある。しかしそれらは使用せずただお湯で全身を洗い流した。時間があったらこのジャグジー付きの湯船でゆっくりしたいなぁ、などと思いながら。
――僕、ここで一体何をしているんだろう?
スイーツビュッフェに来たはずがなぜか人気の美食家の部屋でシャワーを浴びている。どう考えてもおかしい状況だった。
◇
言われたとおりに備え付けのバスローブを羽織って夕希がリビングに戻る。
「あの、シャワー浴びてきました」
ソファに座っている隼一が自分の隣を示して言う。
「ここに来てくれ」
夕希は黙って隣に腰掛けこれでいいのかなと彼を見上げる。すると隼一が「ちょっと失礼」と言って夕希の胸元に彼の顔を寄せてきた。彼の前髪が胸に触れそうになって夕希はぎょっとした。
「あ、あの……!?」
――変なことはしないって言ったじゃないか!
彼の身体を押しのけようとしたところ、隼一はすっと身体を離した。
「うん、やっぱり香水の匂いでは無いようだな」
「え……?」
「夕希。君に頼みたいことがあるんだ。だけどこの話は君が依頼を断ったとしても、絶対に他言しないでほしい。約束できる?」
「……はい。それはもちろん誰にも言ったりしませんけど」
隼一がよし、と頷いて言う。
「実は、数ヶ月前に俺は嗅覚を失ったんだ」
――えっ……。嗅覚?
「それって……つまり匂いが……?」
「そうだ。匂いがしない状態なんだ」
夕希はそれを聞いて反射的に尋ねる。
「あ! それじゃあ食べ物の味は?」
「話が早いね。味に関しては、甘さや塩辛さは感じられる。だが匂いがしないので出汁などの風味は全然だめだ――。つまり、今の俺は何を食べてもちゃんと味わうことができない」
美食評論家の彼が嗅覚を失っただなんて致命的じゃないか。
「あれ、でもさっき僕の香水のことを気にされてましたよね?」
「そうなんだ、そこなんだよ! さっきまで俺の鼻はなんの匂いもしない状態だった。なのにラウンジにいたら急に良い匂いがした――君の匂いがね」
隼一が夕希に問いかける。
「香水の匂いじゃないみたいだし、君は何者なんだ?」
――何者って、ただのスイーツオタクだけど。
「僕もさっきスイーツじゃない匂いを感じて、それであなたと目が合っただけで……よくわかりません」
そうか、と彼は頷いた。
「普段ならファンに声をかけられても相手をしないと決めてるんだが、俺は君の匂いがなんなのか知りたくてここに連れてきた」
――だから彼は名刺を受け取ってくれたのか。
「そこで本題だ」
「本題――?」
「そう。君に頼みたいことがある。実はもう今年いっぱいのコラムや出版物の執筆依頼を既にいくつも受けてしまっているんだ。しかし俺は今この有様で、食べてもちゃんと味や匂いがわからない」
――それは断るしかないんじゃ……。
そう思っていたら彼が思いもよらぬことを言い出した。
「それで俺はいいことを思いついたんだ。君にゴーストライターをやってもらえばいいってね」
「ご、ゴーストライター!?」
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