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64.二度と離さない(2)
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「イデオン様!」
サーシャが取り乱し、雪豹の体にすがりついた。イデオンの左肩は長さ80cmほどの矢が深く突き刺さっている。傷口からはじわじわと赤いものがにじみ出て白い毛を染めていく。
イデオンは追撃に備えてヴァレンティ男爵を睨んだ。サーシャは焦った様子できょろきょろと辺りを見回す。
「ああ、どうしよう血が……な、何か止血するものは……?」
するとドアから室内に入ってきたヴァレンティ男爵がこちらを見下ろして長い舌をちらちらと見せつけながら言う。
「無様だな。そのような獣の姿でのこのこ私の屋敷に乗り込んで来て、こうもあっさりやられるとは」
イデオンは爬虫類族の長を睨みつつ、サーシャを背中にかばいながらじりじりと後退する。
(――くそ。獣化したままだと会話もできぬ。しかし……怪我をしたまま武器もなしに人化するよりはこの姿の方がマシか)
するとサーシャがヴァレンティ男爵に向かって叫んだ。
「いきなり何てことするんだよ、この卑怯者!」
サーシャが「イデオン様大丈夫?」と心配そうにイデオンを覗き込む。
武器を持つ男を前に怯むことなく食ってかかろうとするサーシャをイデオンはなるべく自分の体の陰に隠したかった。しかし四足歩行の姿で前足の機能を一本失うとなかなか思うように動けない。なんとかサーシャより自分が前に出て傷のダメージが少ないふりをし、ヴァレンティ男爵を威嚇する。
(くそ……! あと少しで逃げ出せたのに。なんとか外のグスタフ大公に合図を送らねば――援軍が来るまでサーシャを守るんだ)
グルル、と喉の奥で唸るイデオンをヴァレンティ男爵が冷たい目で一瞥した。
「サーシャ、怪我を負った雪豹にいくらすがっても助けてはもらえないぞ。そんな醜い獣のことなど放っておくんだ。さあ、いい子だからこっちへおいで」
しかしサーシャは怒った声で言い返す。
「はぁ? あんた、はんかくさいんでないか!? イデオン様は酷い怪我してるんだ。早く手当しないばなんないんだよ」
そして彼はベッドからシーツを引き剥がし、びりびりと裂き始めた。サーシャが勝手に動くのでイデオンは背中にかばいたいのに彼の動きについていけずによろけてしまう。
(まずい、思ったより傷が深くて出血が多い――。このままでは援軍が来るまで意識が持たないかもしれん。あとはあの者たちが来るのを期待するしか……)
イデオンはちらりと果物の絵画が掛かっている壁を見た。
サーシャは細長く破いたシーツを手にイデオンのそばに寄る。
「今すぐ縛って止血しますから」
「サーシャ。勝手なことをするな。こちらへ来なさい」
「嫌に決まってるべさ!」
するとヒュンと空を切る音がし、イデオンの少し手前の床に矢が刺さった。
それを見てサーシャが息をのむ。
ヴァレンティ男爵は静かにサーシャへ問いかけた。
「サーシャ、――その雪豹を助けてほしいのか?」
「あ……当たり前だべさ……」
「それでは、その手を止めろ」
「でも、すぐに止血しないとイデオン様が……」
サーシャはかすれた小さな声を出した。自分が置かれた立場を思い知って急に恐ろしくなったのか、体を震わせ始めた。
(そうだ、相手を挑発せずおとなしくしていろサーシャ)
イデオンはなんとか力を振り絞って体を動かし、サーシャを自分の背後に移動させた。体に力を入れる度にぽたぽたと血が床に垂れる。
神経が昂ぶっているため痛みは感じないが、出血によりめまいがして息が切れていた。
するとイデオンたちの様子を見ていたヴァレンティ男爵がマリアーノにそっくりなにやけ顔で言う。
「さて雪豹王よ。命を助けてほしいか?」
そしてもったいぶった様子で顎をしゃくる。
「助かりたくばサーシャをこっちに渡すんだ」
(サーシャを――? 馬鹿な、渡すわけがない。自分の命が惜しくてこんな所へ来ると思うのか!)
イデオンは言葉で返事できないので思い切りヴァレンティ男爵を睨みつけて牙を剥き、威嚇する。
「ほう、反抗的な獣だな。そちらがその気ならこちらも相手をしてやろうか」
ヴァレンティ男爵は自らの腰に差していた剣を抜いた。
「愛する者を救いに来た騎士気取りだったのに……サーシャにいいところを見せられず残念だったな。こんなにみっともない王様にはこの私が引導を渡してやるとしよう。そうすればサーシャも貴様のことなどすっぱり忘れることができるというもの」
「や、やめて! なにするのさ!?」
ヴァレンティ男爵の言葉を聞いたサーシャがイデオンの体を押しのけて前に出た。そしてサーシャは敵から手負いの雪豹をかばうようにイデオンの体に抱きついた。
(――だめだサーシャ!)
しかしイデオンは前足の痺れとめまいによってサーシャを動かすことが困難だった。
(くそ、くそ――! 俺の背後に下がってくれサーシャ……!)
サーシャの体に頭を擦り付けるが、彼は動いてくれない。すると剣を構えたヴァレンティ男爵が猫なで声で言う。
「サーシャ、こちらへ来なさい。そうすればすぐにでもその雪豹の手当をしてやろう」
サーシャが取り乱し、雪豹の体にすがりついた。イデオンの左肩は長さ80cmほどの矢が深く突き刺さっている。傷口からはじわじわと赤いものがにじみ出て白い毛を染めていく。
イデオンは追撃に備えてヴァレンティ男爵を睨んだ。サーシャは焦った様子できょろきょろと辺りを見回す。
「ああ、どうしよう血が……な、何か止血するものは……?」
するとドアから室内に入ってきたヴァレンティ男爵がこちらを見下ろして長い舌をちらちらと見せつけながら言う。
「無様だな。そのような獣の姿でのこのこ私の屋敷に乗り込んで来て、こうもあっさりやられるとは」
イデオンは爬虫類族の長を睨みつつ、サーシャを背中にかばいながらじりじりと後退する。
(――くそ。獣化したままだと会話もできぬ。しかし……怪我をしたまま武器もなしに人化するよりはこの姿の方がマシか)
するとサーシャがヴァレンティ男爵に向かって叫んだ。
「いきなり何てことするんだよ、この卑怯者!」
サーシャが「イデオン様大丈夫?」と心配そうにイデオンを覗き込む。
武器を持つ男を前に怯むことなく食ってかかろうとするサーシャをイデオンはなるべく自分の体の陰に隠したかった。しかし四足歩行の姿で前足の機能を一本失うとなかなか思うように動けない。なんとかサーシャより自分が前に出て傷のダメージが少ないふりをし、ヴァレンティ男爵を威嚇する。
(くそ……! あと少しで逃げ出せたのに。なんとか外のグスタフ大公に合図を送らねば――援軍が来るまでサーシャを守るんだ)
グルル、と喉の奥で唸るイデオンをヴァレンティ男爵が冷たい目で一瞥した。
「サーシャ、怪我を負った雪豹にいくらすがっても助けてはもらえないぞ。そんな醜い獣のことなど放っておくんだ。さあ、いい子だからこっちへおいで」
しかしサーシャは怒った声で言い返す。
「はぁ? あんた、はんかくさいんでないか!? イデオン様は酷い怪我してるんだ。早く手当しないばなんないんだよ」
そして彼はベッドからシーツを引き剥がし、びりびりと裂き始めた。サーシャが勝手に動くのでイデオンは背中にかばいたいのに彼の動きについていけずによろけてしまう。
(まずい、思ったより傷が深くて出血が多い――。このままでは援軍が来るまで意識が持たないかもしれん。あとはあの者たちが来るのを期待するしか……)
イデオンはちらりと果物の絵画が掛かっている壁を見た。
サーシャは細長く破いたシーツを手にイデオンのそばに寄る。
「今すぐ縛って止血しますから」
「サーシャ。勝手なことをするな。こちらへ来なさい」
「嫌に決まってるべさ!」
するとヒュンと空を切る音がし、イデオンの少し手前の床に矢が刺さった。
それを見てサーシャが息をのむ。
ヴァレンティ男爵は静かにサーシャへ問いかけた。
「サーシャ、――その雪豹を助けてほしいのか?」
「あ……当たり前だべさ……」
「それでは、その手を止めろ」
「でも、すぐに止血しないとイデオン様が……」
サーシャはかすれた小さな声を出した。自分が置かれた立場を思い知って急に恐ろしくなったのか、体を震わせ始めた。
(そうだ、相手を挑発せずおとなしくしていろサーシャ)
イデオンはなんとか力を振り絞って体を動かし、サーシャを自分の背後に移動させた。体に力を入れる度にぽたぽたと血が床に垂れる。
神経が昂ぶっているため痛みは感じないが、出血によりめまいがして息が切れていた。
するとイデオンたちの様子を見ていたヴァレンティ男爵がマリアーノにそっくりなにやけ顔で言う。
「さて雪豹王よ。命を助けてほしいか?」
そしてもったいぶった様子で顎をしゃくる。
「助かりたくばサーシャをこっちに渡すんだ」
(サーシャを――? 馬鹿な、渡すわけがない。自分の命が惜しくてこんな所へ来ると思うのか!)
イデオンは言葉で返事できないので思い切りヴァレンティ男爵を睨みつけて牙を剥き、威嚇する。
「ほう、反抗的な獣だな。そちらがその気ならこちらも相手をしてやろうか」
ヴァレンティ男爵は自らの腰に差していた剣を抜いた。
「愛する者を救いに来た騎士気取りだったのに……サーシャにいいところを見せられず残念だったな。こんなにみっともない王様にはこの私が引導を渡してやるとしよう。そうすればサーシャも貴様のことなどすっぱり忘れることができるというもの」
「や、やめて! なにするのさ!?」
ヴァレンティ男爵の言葉を聞いたサーシャがイデオンの体を押しのけて前に出た。そしてサーシャは敵から手負いの雪豹をかばうようにイデオンの体に抱きついた。
(――だめだサーシャ!)
しかしイデオンは前足の痺れとめまいによってサーシャを動かすことが困難だった。
(くそ、くそ――! 俺の背後に下がってくれサーシャ……!)
サーシャの体に頭を擦り付けるが、彼は動いてくれない。すると剣を構えたヴァレンティ男爵が猫なで声で言う。
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