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44.イデオンの不器用な求愛(1)
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イデオンは二年ぶりに開催されたトゥルナリ祭の焚き火を見つめていた。めらめらと燃える炎に照らされ、青い瞳が金色に輝いている。
背後を振り返ると、バルコニーからサーシャとヨエルが焚き火を眺めているのが見えた。サーシャは火が怖いと言って焚き火の側にはこなかった。
(能天気で何も怖いものなどなさそうに見えるが、火が怖いのか)
イデオンはここ数週間、サーシャに構ってやれていなかった。デーア大公国の特使と何度か会い、両親暗殺に関する情報を得るのに忙しかったからだ。
デーア大公国グスタフ公の調べた結果によると、今回の両親暗殺に関する証拠がもう少しで押さえられそうだとのことだった。
(クレムス王国の指示による犯行ではないことはほぼ確定したと考えていいだろう。サーシャと離婚するなどということにならずに済みそうだ――)
ひとりで焚き火を眺めながら内心胸をなでおろしていたイデオンは、興奮した様子のジャコウウシ獣人たちの会話を耳にした。
「なぁおい、聞いてくれよ。今年はとうとう王妃様と踊っちまったんだ。ものすごい良い匂いがしたぜ! 緊張しすぎて顔は見られなかったがな」
「ちっ。羨ましい奴だな。俺は火の番があるから今夜は大広間には行けねえっていうのに。忙しいんだ、あっちへ行けよ」
「お前はくじ運が悪かったな」
(――サーシャめ、使用人に茶を振る舞うだけにとどまらず、一緒に踊っているのか――)
イデオンはきびすを返し、王宮内に戻った。
◇
ダンスパーティーの行われている大広間は、ここ数年で最高の盛り上がりを見せていた。昨年はイデオンの両親の不幸があった。そのためこの祭りが開催されず、今年はその分例年にも増して活気を帯びているようだった。
イデオンはフロア全体を見渡して、妻の姿を探した。
(――いた……)
遠目にも光を放って見えるほど美しさの際立つサーシャ。その衣装を見てイデオンはハッとした。
目の覚めるようなブルーのドレス――いや、ドレスを男性用に仕立て直したものを身に着けている。
上半身にはきめ細やかなレースがあしらわれており女性的で優美でありながら、足元は軍人用のブーツがサーシャの男性的な魅力を引き立てていた。
(あれは……たしか母上の――)
昨年両親が襲われる前に、ミカルの誕生日を祝う会で母が身につけていたドレス。その思い出の詰まったドレスを事件後ミカルは大切に自室で保管していた。あのドレスを何時間も眺めては無言で涙を流していたミカルをイデオンは覚えていた。
(ミカルはサーシャにあれを着てほしかったのか)
イデオンは幼い弟がサーシャに心を開き、精一杯愛情表現しているのを見て胸を打たれた。同時に自分がつまらない見栄や意地を張って、サーシャの気持ちに全く答えてこなかったことを恥じた。
そして今夜こそ妻に対して自分の想いを伝えようと密かに胸に誓う。
そのまま一直線にサーシャの元へ近づくと、彼が踊っている相手に気がついた。それは以前イデオンが初夜を前にしてサーシャの味見をしてやろうなどと言った虎獣人の貴族フーゴだった。
イデオンは急激に頭に血が昇っていかつい虎獣人を睨み付けた。曲が終わるまで待ち、サーシャがフーゴに礼をすると彼は馴れ馴れしく妻に向かってウィンクした。それを見たイデオンは咄嗟にフーゴに対して牙を剥く。すると彼は笑いながら去っていった。
(フーゴめ、ふざけた真似を――!)
イデオンはひとつ深呼吸をして気分を落ち着けた。
「一曲踊ってもらえるか?」
そう尋ねると、サーシャは頬を染めて嬉しそうに言う。
「――はい。あの、僕うまく踊れないんだけども――」
「構わない」
サーシャは言葉の通り、貴族とは思えないほどダンスが下手だった。
(国は違えどダンスの基本にさほど違いはないはずだが……)
つたない動きでイデオンのリードを受ける彼は、下手ながらも楽しそうだった。うっとりした表情でこちらを見つめてくるのをイデオンは負けじと見つめ返す。妻の大きな鳶色の瞳は大広間のシャンデリアの明かりを弾いてきらめいていた。淡いライラックの香りに引き寄せられるようにして、曲の終わりに彼の唇に口づけようと顔を近づける。そして唇同士が触れる直前、奇妙な香りが鼻をついた。
(――そういえばこの唇の色……口紅を塗っているのか?)
「――こっちへ来い」
「え……?」
背後を振り返ると、バルコニーからサーシャとヨエルが焚き火を眺めているのが見えた。サーシャは火が怖いと言って焚き火の側にはこなかった。
(能天気で何も怖いものなどなさそうに見えるが、火が怖いのか)
イデオンはここ数週間、サーシャに構ってやれていなかった。デーア大公国の特使と何度か会い、両親暗殺に関する情報を得るのに忙しかったからだ。
デーア大公国グスタフ公の調べた結果によると、今回の両親暗殺に関する証拠がもう少しで押さえられそうだとのことだった。
(クレムス王国の指示による犯行ではないことはほぼ確定したと考えていいだろう。サーシャと離婚するなどということにならずに済みそうだ――)
ひとりで焚き火を眺めながら内心胸をなでおろしていたイデオンは、興奮した様子のジャコウウシ獣人たちの会話を耳にした。
「なぁおい、聞いてくれよ。今年はとうとう王妃様と踊っちまったんだ。ものすごい良い匂いがしたぜ! 緊張しすぎて顔は見られなかったがな」
「ちっ。羨ましい奴だな。俺は火の番があるから今夜は大広間には行けねえっていうのに。忙しいんだ、あっちへ行けよ」
「お前はくじ運が悪かったな」
(――サーシャめ、使用人に茶を振る舞うだけにとどまらず、一緒に踊っているのか――)
イデオンはきびすを返し、王宮内に戻った。
◇
ダンスパーティーの行われている大広間は、ここ数年で最高の盛り上がりを見せていた。昨年はイデオンの両親の不幸があった。そのためこの祭りが開催されず、今年はその分例年にも増して活気を帯びているようだった。
イデオンはフロア全体を見渡して、妻の姿を探した。
(――いた……)
遠目にも光を放って見えるほど美しさの際立つサーシャ。その衣装を見てイデオンはハッとした。
目の覚めるようなブルーのドレス――いや、ドレスを男性用に仕立て直したものを身に着けている。
上半身にはきめ細やかなレースがあしらわれており女性的で優美でありながら、足元は軍人用のブーツがサーシャの男性的な魅力を引き立てていた。
(あれは……たしか母上の――)
昨年両親が襲われる前に、ミカルの誕生日を祝う会で母が身につけていたドレス。その思い出の詰まったドレスを事件後ミカルは大切に自室で保管していた。あのドレスを何時間も眺めては無言で涙を流していたミカルをイデオンは覚えていた。
(ミカルはサーシャにあれを着てほしかったのか)
イデオンは幼い弟がサーシャに心を開き、精一杯愛情表現しているのを見て胸を打たれた。同時に自分がつまらない見栄や意地を張って、サーシャの気持ちに全く答えてこなかったことを恥じた。
そして今夜こそ妻に対して自分の想いを伝えようと密かに胸に誓う。
そのまま一直線にサーシャの元へ近づくと、彼が踊っている相手に気がついた。それは以前イデオンが初夜を前にしてサーシャの味見をしてやろうなどと言った虎獣人の貴族フーゴだった。
イデオンは急激に頭に血が昇っていかつい虎獣人を睨み付けた。曲が終わるまで待ち、サーシャがフーゴに礼をすると彼は馴れ馴れしく妻に向かってウィンクした。それを見たイデオンは咄嗟にフーゴに対して牙を剥く。すると彼は笑いながら去っていった。
(フーゴめ、ふざけた真似を――!)
イデオンはひとつ深呼吸をして気分を落ち着けた。
「一曲踊ってもらえるか?」
そう尋ねると、サーシャは頬を染めて嬉しそうに言う。
「――はい。あの、僕うまく踊れないんだけども――」
「構わない」
サーシャは言葉の通り、貴族とは思えないほどダンスが下手だった。
(国は違えどダンスの基本にさほど違いはないはずだが……)
つたない動きでイデオンのリードを受ける彼は、下手ながらも楽しそうだった。うっとりした表情でこちらを見つめてくるのをイデオンは負けじと見つめ返す。妻の大きな鳶色の瞳は大広間のシャンデリアの明かりを弾いてきらめいていた。淡いライラックの香りに引き寄せられるようにして、曲の終わりに彼の唇に口づけようと顔を近づける。そして唇同士が触れる直前、奇妙な香りが鼻をついた。
(――そういえばこの唇の色……口紅を塗っているのか?)
「――こっちへ来い」
「え……?」
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