上 下
4 / 69

3.火災と前世の記憶

しおりを挟む
グエルブ王国はサーシャのいるクレムス王国の北端と隣接する獣人の国だ。
人口の8割が獣人で、残り2割の人間は元々あの地に住んでいる原住民族。
サーシャが知る限り、貴族の人間が他国からグエルブに嫁いだという話は聞いたことがなかった。

(そもそも、僕はうちにいる猟犬たちですら怖いっていうのに……。グエルブ国王はたしか雪豹ではなかったか?)
幼い頃小型の犬にお尻を噛まれたことがあり、それ以来サーシャは動物全般が怖くなってしまった。なのに豹なんてとんでもない――。

「父上、どちらの嫁ぎ先もあんまりではありませんか」
「仕方ないんだ。お前が嫁に行ってくれたら借金を肩代わりしてもらえる。このままでは領民たちが暴動を起こしかねない状況だ。せめて借金だけでも返さねばこの屋敷を維持することすら危うい」
「そんな……」
「それに北の国グエルブの縁談に関してはわがクレムス国王からの打診でもあるのだ」
「国王から?」
「グエルブ王国とは今現在まだ同盟を結べていない。それで、こちら側のことを信用してもらうために我が国の王家の血を引く者から花嫁を選び送り出す必要があるんだ」

昨年獣人国グエルブとわがクレムス王国の代表者会談の直前に獣人側の国王夫妻が暗殺される事件があった。
グエルブ王太子(現国王)は人間側による犯行だと主張して交渉が決裂。
(それで新しいグエルブ国王に嫁ぐオメガが必要ってことか……)

「一晩あげるから、よく考えてみなさい」
「――はい」
「話は以上だ。私は人と会う用事があるからね。サーシャ、明日の夜に答えを聞くよ」
「わかりました、父上」





自室へ向かって廊下を歩きながらサーシャは頭を悩ませていた。

(ヴァレンティ男爵に嫁ぐのなんて絶対に嫌だ。しかし、獣人の国へ嫁ぐのも想像の域を超えている)

しかし現在王室の中に獣人と結婚し子を生むことができる年齢のオメガは一人もいない。
そこで親戚筋のオメガであるサーシャと、お隣のデーア大公国の公女ディアナにこの縁談が持ちかけられているそうだ。

(結婚と言ってもこれは要するに人質になりに行くようなもの――)

ディアナはまだオメガだとわかったばかりの18歳。
自分が獣を恐れて逃げれば彼女が雪豹王の元へ嫁がねばならなくなる。彼女とは年も近く、幼い頃からお互いの国を行き来する仲だった。そしてなんといってもディアナは最近恋人ができたと手紙で報告してくれていた。
(可愛いディアナに恋を諦めさせて獣人に嫁がせるだなんて酷な話だ。この僕が……北の国グエルブへ?)

そんなこと今まで考えもしなかった。現在住んでいる地域は年中花が咲いているくらい温かい。サーシャは寒がりで、この地域の冬ですら震えて過ごすほどだ。

サーシャが寒い地域のことを頭に思い描いていると、廊下の向こうからバタバタと数名の使用人が駆けてくる。

「サーシャお坊ちゃま! お逃げください。あちらで火の手が上がっております!」
「え……?」
「火事です、お坊ちゃま!」

慌てた様子の年老いた使用人に急かされて外へ逃げ出す。
すると、厩舎の方で火が燃え盛っているのが見えた。

サーシャたちは念の為丘を少し登ったところまでやってきた。これだけ離れた場所に逃げれば危険はない。それはわかっているのに、サーシャはなぜだか全身が震えて恐怖で固まってしまった。
遠くに聞こえるパチパチと爆ぜる藁の音。煙の匂いがサーシャの肺をぎりぎりと締め付ける。

「はぁ……っはぁ……っ、く、苦しい……」
「え? 坊ちゃま、どうなさいました?」

使用人が体を支えてくれる。

「息が――できな……」

目の前が真っ赤に染まり、サーシャは全身が猛烈な熱に包まれたように感じた。

(燃える火、煙……牛の騒ぐ声と羊たちの絶叫。小屋が燃えて――僕は羊のヨウちゃんを抱きしめて……天井が……)

「坊ちゃま? 坊ちゃま、お気を確かに!」

そこでサーシャの意識は途切れた。





ベッドの上で目を覚ましたサーシャは、見慣た部屋のはずなのにここが自分の部屋ではないような不思議な感覚を味わっていた。
(――ここは……僕の部屋、だよね? えーとたしか名前はサーシャ……だよな?)
自分の名前は一応わかるし、ここが自分の生家なのもうっすらと覚えている。だけどサーシャはさっきの火事騒ぎでとある記憶を思い出してしまった。

「僕、ここに生まれる前はニホンっちゅう国の中のホッカイドウってとこに住んでた。牧場主の息子で――羊小屋が火事になって死んだんだ……!」

頭が痛い。サーシャの身体の中にいきなりもう一人の自分――たしか名前はミノル――が割り込んだみたいな感覚だ。

前世の実家では牧場経営をしていて、牛と羊を飼っていた。それである日羊小屋が火事になって、どうしてもヨウちゃんという雄羊を助けたくて炎の中に飛び込んで――。

「ヨウちゃん……僕と一緒に死んじゃった……」

ヨウちゃんを抱えて逃げようとしたとき天井の梁材が崩れてきた。
ヨウちゃんは出産にも立ち会ったからすごく思い入れの深い羊だった。まさか自分だけこんな別世界に生まれ変わって前世の記憶を思い出すなんて。

そろそろとベッドから起き上がり鏡の前に立った。
頭は痛いけど、身体に怪我を負ったわけでも火傷したわけでもない。

鏡の中にいるのはニホン人だったときとは全く違う姿。
髪の毛は艶のあるミルクティー色で、顎の辺りまでのショートボブヘア。もともと色白な方だったけど、彫りの深い顔立ちで、透き通るような白い肌だ。目の色は鳶色とびいろ。全体的に整っていて自分の姿ながら非の打ち所がない美少年だ。
(――田舎もんの僕がなしてこったらキラキラな見た目に……? こういう柄じゃないんだけども……)

「まあ……考えてもしょーがないさ。なんとかこっちの世界でうまいこと生きてくしかないっしょ!」

とりあえず外は暗くて夜のようなので、サーシャは寝てからまた明日考えようと思った。するとそのときコンコンコン、とノックの音がした。

「サーシャ坊ちゃま。お休みのところ申し上げにくいのですが……旦那様がお呼びでございます」

しおりを挟む
感想 101

あなたにおすすめの小説

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

僕は人畜無害の男爵子息なので、放っておいてもらっていいですか

カシナシ
BL
 僕はロローツィア・マカロン。日本人である前世の記憶を持っているけれど、全然知らない世界に転生したみたい。だってこのピンク色の髪とか、小柄な体格で、オメガとかいう謎の性別……ということから、多分、主人公ではなさそうだ。  それでも愛する家族のため、『聖者』としてお仕事を、貴族として人脈作りを頑張るんだ。婚約者も仲の良い幼馴染で、……て、君、何してるの……? ※総愛され風味(攻めは一人) ※ざまぁ?はぬるめ(当社比) ※ぽわぽわ系受け ※オメガバースの設定をお借りしています

【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜

MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね? 前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです! 後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛 ※独自のオメガバース設定有り

嘘の日の言葉を信じてはいけない

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
嘘の日--それは一年に一度だけユイさんに会える日。ユイさんは毎年僕を選んでくれるけど、毎回首筋を噛んでもらえずに施設に返される。それでも去り際に彼が「来年も選ぶから」と言ってくれるからその言葉を信じてまた一年待ち続ける。待ったところで選ばれる保証はどこにもない。オメガは相手を選べない。アルファに選んでもらうしかない。今年もモニター越しにユイさんの姿を見つけ、選んで欲しい気持ちでアピールをするけれど……。

処理中です...