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5.雪豹王イデオンの思い出

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グエルブ城内のドローイング・ルーム。
ソファに寝そべった雪豹王イデオン・ヘレニウスは白い毛に黒い斑点模様のしっぽをふらふらと動かしながら数通の書状を眺めていた。

「くだらん、実にくだらん!」

紙の束を床に放り投げてイデオンは体を起こした。

「こんなもので俺を黙らせようなどとは――。人間たちはこれで両親を暗殺した罪を償えるとでも思っているのか?」

傍に控えていた羊獣人のヨエルは何も言わない。

「”同盟を結ぶため人質として身内から嫁を差し出します~” とでも言うのか? ふざけるのもいいかげんにしろ」   

昨年人間の国クレムス王国と同盟を結ぶ会議の直前、父王アッサールと母イェシカが会場へ向かう途中で盗賊に襲われ帰らぬ人となった。
それで急遽イデオンが若くして王座に着いたのだった。

「両親を失って、弟のミカルは可哀想に口をきけなくなるくらいショックを受けてるんだぞ。この俺が妻を娶ったとしてもあの子は――」

そこへドアをノックする音がして宰相の狼獣人オリヴァーがやってきた。

「陛下、追加でまた新しい花嫁候補の書状が届いております」
「なんだと? 全く、次から次へと馬鹿の一つ覚えのように……」

封を切ってみると、その書面から立ち昇る香気に一瞬胸がぎゅっと締め付けられた。
――懐かしくも甘いライラックの香りがする。

「これは……」
「どうかなさいましたか?」

(どこかで嗅いだことがあるような――)

「なんでもない。いいから全部処分してくれ」
「かしこまりました」
「いや、待て。この書状はあとでもう一度目を通しておこう」
「左様でございますか」

イデオンは最後に届いた花嫁候補の書状をなぜか返す気になれなかった。
(――この匂いは……いや、まさかな)

匂いに導かれるようにしてイデオンは幼少期の記憶に思いを馳せた。





イデオンは王太子であったため幼い頃から他国の人間と交流をする機会が多々あった。
とくに記憶に残っているのはわがグエルブ王国と西側で接しているデーア大公国での出来事だ。
イデオンはその頃6歳。デーア大公国にも年の近い子どもがいるということで、父であるアッサール王の外交に同行していた。

大人たちの集まるパーティーは幼いイデオンには退屈で、椅子に座って足をぶらぶらしては怒られ、飲み物をこぼしてはまた怒られた。父王にきつくたしなめられ、まだ人化が安定していなかったイデオンはその場で獣化してしまい外へつまみ出された。

獣人は大人になれば常に人化していて、獣人としての特徴は耳と尻尾だけに現れる。しかし幼少期はちょっとしたショックなどで完全に獣の姿になってしまうことがあるのだ。

「頭を冷やして来い」と父王に言われたイデオンは庭をうろうろしていた。
するとどこからか良い匂いがしてきて、イデオンはその匂いに誘われるようにして生け垣で作られた迷路の中を雪豹姿のまま四つ足で駆けていく。 

(――いた。あの子だ!)

迷路の真ん中辺りでイデオンと同じか、少し年下の子どもが膝を抱えて泣いていた。うつむいているので顔は見えない。そばに近寄るとキャンディのような、それでいてほんの少し母を思わせるライラックの花のような匂いがした。
イデオンは話しかけたかったが、獣化してしまっているので話せない。そこで自慢のふわふわの尻尾でその子の頭を撫でた。するとぱっとその子が顔を上げた。

「わっ。びっくりした!」

鈴のような透き通った声の少年だ。この匂いはオメガに違いないとイデオンは思った。
人間は思春期を超えてから検査で第二性の検査をするらしいが、イデオンたちのように鼻の効く獣人は赤ん坊でも匂いで第二性が判別できた。この子からは間違いなくオメガの香りがしていた。
涙を拭いたその子がイデオンに向かって言う。

「きみはどこから来たの? ぼく帰れなくなって……ってワンちゃんに聞いてもわからないよね……」

(――ワンちゃんだと!? 馬鹿にしてるのか? 俺様は雪豹だぞ!)

イデオンはフーフー唸って訴えたが、言葉にならないので伝わるはずもない。

「あれ? ねこちゃんかな。まあいいや。なでなでしてもいい?」

(仕方ないな。撫でていいぞ)

イデオンは顎をクイッと上げて撫でられるのを待った。すると少年が白い毛むくじゃらの体を持ち上げて膝の上でぎゅっと抱きしめた。

(な――っ、何をするんだ。無礼者! 俺は王太子だぞ。勝手に……!)

その子は「ワンちゃんふわふわで気持ちいい」と言いながらイデオンを撫でた。するとその心地よさと香りでイデオンはうっとりしてしまう。
(――あ~……いい匂い……)
結局いい匂いに抗えず黙ってその子に抱かれていた。その子はイデオンに頬ずりし、手で頭や背中を撫でた。次第にくすぐったくなったイデオンは身を捩り、地面に飛び降りてその子と遊ぶことにした。

(おい、遊んでやるから着いてこい)

イデオンは軽く鳴いて飛び跳ねて見せた。

「なに? 追いかけっこ? いいよ!」

さっきまで道に迷って泣いていた少年は立ち上がった。小さな雪豹を追うのに夢中になってもう迷子になったことも忘れたらしい。きゃっきゃと笑いながら追いかけてくる。

イデオンは鼻が良く賢いのですぐに迷路を出た。すると少年は外に出て見慣れた建物が見えたことにほっとしたのか、その場に座り込んで笑いだした。

「あははは、ちっちゃいのに速いねワンちゃん! よかったぁ迷路出られたぁ。あはは」

そしてイデオンの真似をして四つ足で飛んだりはねたりし始めた。変な子どもだと思ったけれど、イデオンは嬉しくなってその子に突進していった。体当たりしたらその子がひっくり返った。

「きゃーっ! やったな」

雪豹と人間の子どもは芝生の上を転げ回ってじゃれ合った。楽しくて、彼からはずっといい匂いがしていて、イデオンはつい獣人の友達同士と一緒にいるみたいな感覚で首やお尻に軽く噛み付いてしまった。

「わ! 痛い! やめてよワンちゃん」

しかもイデオンはしばらく少年が嫌がっているとは思わずにじゃれついていた。そしてその子が泣きはじめてやっと本気で拒絶されていることに気がついた。
(――しまった。この子は人間だった)

「わーん、やめて痛いよ。お父さま助けて、ぼく食べられちゃう!」

(ちがう! 食べたりしない。牙は立ててない)

近寄って尻尾でその子の涙を拭おうとしたが、ますます泣き声は強くなるばかりだ。イデオンはその場をウロウロして戸惑っていた。すると大人たちが少年の泣き声を聞き付けてやってきた。イデオンたちはそれぞれ抱きかかえられ、宮殿の然るべき部屋へ連れて行かれた。




あのときの甘いライラックの匂いがこの書状から立ち昇っている。
(これがあの子なのか――?)
イデオンはあの少年のことをデーア大公国の人間だと思っていたが、違ったようだ。
書状のサインを眺める。

「サーシャ・レーヴェニヒ――クレムス王国ウルムブルク公フランツ・レーヴェニヒの長男、19歳のオメガ男性……か」

クレムス王国との戦争を避け同盟を結ぶのは経済的にも外敵から自国を守るためにも必要なこと――。

(そのためにはこの香りの持ち主を伴侶として選ぶのが得策か)
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