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6.婚約者との対面(2)

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そして御曹司との約束時間にきっかり5分遅れて僕とミンジェはホテルのラウンジを訪れた。スタッフに待ち合わせの旨告げると「お連れ様がお待ちです」とすぐに席に案内された。
そしてその相手を見た瞬間、僕は息を呑んだ。

ラウンジの窓際ソファ席にゆったりと足を組んで座りながら外を眺めていた男性――仕立ての良い濃紺のスーツに身を包んだ彼は座っていてもかなり長身だとわかる。黒い短めの髪の毛を後ろになでつけていて彼の横顔がよく見えるが、額から顎までのラインが完璧に美しい。
僕はこの日の作戦も忘れて思わず声を上げる。

「……あのときの残念イケメン……!」

そう、この完璧なバランスがイジュンに似ている。あの日僕を助けてくれ、失礼なことを言ってきた男性だ。
彼がこちらを向くと、黒曜石みたいな瞳と視線がぶつかった。彼の表情にはいきなり不躾な言葉を掛けられた不快さが浮かぶ。

「あ、僕――」

全く知らない相手と会うつもりが、見覚えのある人物が待っていたので動揺した。だけど考えてみたらあの日僕はサングラスにマスク姿で顔が隠れていたから彼は僕の顔なんて知らないのだ。

「すみません、遅くなりました。はじめまして、藤堂千景です」

すると彼の警戒心が解けたのか、その顔に柔らかい笑みが浮かんだ。

「ああ、君が千景くんですか。國重滉一くにしげ こういちです。突然会う時間をつくってもらって悪かったね」

そう言って彼が立ち上がり、僕に手を差し出した。やはり見上げるほど背が高く、その手を取ると彼が思いの外強い力で僕の手を握った。両手で握手した後で彼は席を指す。

「さあ、掛けて」
「失礼します」
「――そちらの彼は?」

御曹司――國重滉一が僕の隣に佇むミンジェに視線を向けた。まさか人を連れてくるとは思わなかったのだろう。

「こちらは僕のルームメイトで、大学の先輩なんです。今日は心配だから付き添うと――」
「そうですか、ではお友達もどうぞお掛けに」

彼は一瞬眉を寄せたがミンジェも座らせた。お見合いのような場に部外者を連れてきたことに本当なら文句を言いたいだろう。彼のイライラが募れば募るほど婚約破棄に近づく。僕は幸先の良いスタートだと感じた。



軽い自己紹介により彼が29歳で僕より8歳年上なのだとわかった。その後、滉一がミンジェのことを尋ねてきたので考えておいた設定について話した。

「先輩はこちらに来て知り合いもいない僕にとても親切にしてくれて、とても心配性なんです」

僕が隣に座るミンジェのことを見上げると、ミンジェが首を傾げる。日本語で滉一と話しているため、内容がわからないのだ。そこで話した内容を韓国語でもう一度ミンジェに伝える。するとミンジェが滉一に向かって言う。

「チカ■■■、■■■■。■■■■■!」
「あ、先輩は『チカはそそっかしくて放っておけない』と言ってます」

僕が通訳のように滉一に伝えたら、ミンジェが僕の膝にすっと手を乗せた。その親しげな仕草に滉一の眉がピクッと動いたのを見て僕は内心ほくそ笑む。更に追い打ちをかけるようにミンジェが僕の耳に顔を近寄せて韓国語で囁く。

「■■■■。■■■■……■■■。」

婚約者の目の前にいながら、至近距離でコソコソ囁き合うという完全にふざけた態度を見せる僕たちに滉一は穏やかに「彼はなんて?」と尋ねた。

「えーっと……『心配してついてきたけど、滉一さんが素敵な男性なのでほっとしている』と言ってます」

しかしミンジェが言ったことを翻訳すると「彼、ものすごいイケメンだね。かなり遊んでそうじゃない?」だった。これ、彼が韓国語わかってたらやばいよ。
内心ヒヤヒヤしながら、僕の膝に置かれたミンジェの手に自分の手のひらを重ねる。バレないようにちょっとつねってやった。
滉一は「そういう彼こそ、俳優なんじゃないかと思ったよ」とミンジェの容姿を褒めた。
――『俳優』だなんて、彼がレンタル彼氏だってバレたわけじゃないよね?

「ミンジェのこと、俳優じゃないかと思ったって」と通訳するとミンジェが笑いながら「さすが大人だ、これくらいじゃ動じないね」と言った。
僕はそろそろ計画を進めようと、予定していた話を切り出す。

「先輩は『そんなことありません』って謙遜してます。でも先輩すごくモテるんですよ。それなのに、僕のヒートのときは相手してくれるんです。親切でしょう?」
「――なんだって?」

それまでは僕たちのおふざけにも笑顔を崩さなかった滉一だが、ヒートの話を出したら途端に表情を失った。口は閉じていたが、彼の顎から首筋にかけて歯を食いしばったような筋が浮かんでいるのが見えてヒヤッとする。

――さすがにこれは怒るんだ。

「ほら、僕オメガじゃないですか。ヒートがきついんです。薬があまり効かない体質で」

――これは嘘じゃない。
市販の薬は全く効かなくて、クリニックで処方される発情抑制剤もかなり特殊なものじゃなければ効果がない。
オメガには三ヶ月に一回発情期が来てフェロモンでアルファを誘惑する。その期間中は生殖活動が最優先されてしまい社会生活に支障が出るため、オメガはどうしてもヒエラルキーの下層に位置づけられてしまう。
フェロモンが溢れて無条件にアルファを誘惑してしまう状態をヒートといって、本来であれば発情抑制剤で症状を抑えることが可能だ。しかし薬の効きが悪い体質のオメガもいる。
僕がその一人で、これは推し活にも影響することだった。コンサートなどのイベントがヒート期間に重なると、普通の薬では症状を抑えられずとてもじゃないけれど参加できない。だから、薬代が嵩むのだった。

「僕は薬に頼らず周りのアルファやベータに助けてもらわないと生きていけないんです。それで先輩がいろいろ助けてくれて……何かと心配してくれるんです。今日みたいに」

僕が哀れっぽい言い方をしてうつむくと隣のミンジェが僕の顔を覗き込む。簡単に今話したことを伝えると、ミンジェは僕の肩を抱いた。あくまでも親切な先輩が後輩を気遣うという体で。だけど、それからちょっと性的な関係を匂わせるように腰に手を滑らせた。僕は演技でもなく、彼の色っぽい触り方にドキドキして頬が熱くなった。

――ミンジェ、ちょっとやりすぎじゃない?

ゴホン、と滉一が咳払いをした。ふしだらかつ失礼な態度の数々に呆れてとうとう僕のことを諦めたか――?
手応えを感じていた僕に対し、彼はこう言った。

「そうか。君も大変なのに配慮が足りず申し訳なかった。でも安心してくれ。俺とつがいになれば、ヒートが来ても安心だ」
「へ?」

――安心だって?

「今後千景くんがヒートを起こしたら俺が責任を持って手助けするよ。君と年は離れているがまだまだ体力には自身があるし、君が妊娠すればその期間中はヒートも来ない」
「そ、それはそうだけど……」
「俺は子どもが好きだから、何人いたって歓迎だ。出産したらヒートが来る暇もなく君のお腹は大きくなるだろう。だからヒートのことはもう心配いらない」
「は……はい?」

あまりの言葉に僕は呆然としてミンジェへ通訳するのも忘れぽかんと口を開けたまま固まってしまった。

――この人、今なんて言った? 子どもが何人もだって? 待ってよ、まだ結婚するなんて僕は一言も言ってないのに!

「あの、でも、まだお互い何も知らないわけで……」
「いいや、君が正直にセフレをこうして俺の前に連れてきてくれたからどういう生活をしているのか良くわかったよ」

――ええ、セフレ連れてきたのに怒らないの!?

「あの、そういうことじゃなくて――……」
「若いのに正直な人で気に入った。取り繕うことしか知らないオメガをたくさん見てきたが、君は夢のために一人でこうして留学までしてとても偉いよ」
「や、そ、そんな――」

夢っていうか推し活のためだし。
ていうか嘘でしょ。ちょっと待ってよ!
僕が困り果ててミンジェを見上げると、彼は「どういうこと?」って顔で僕を見ている。通訳しないと彼は今の状況がわからない。でも、御曹司様の発言をこの場ですぐ通訳する気になれなかった。
すると滉一が腕時計を見て立ち上がる。

「おっと、つい君と話すのに夢中になって時間を忘れてしまった。次の予定があるから先に失礼するよ。ここの支払いは済ませておくから、君たちはごゆっくり」
「えっ! ま――」

まだ話は終わってない。このままじゃ婚約破棄してもらえそうにない!
滉一は僕に微笑みかけた後、ミンジェに冷たい視線を送りながら言う。

「君のセックスフレンドには俺がいるからもうお役御免だと伝えてくれ。今まで俺の婚約者のためにご苦労さま、とね」
「は、はい……ありがとうございました……」
「しばらくソウルにいるから連絡するよ。また会おう千景」

――いつの間にか呼び捨てされてるし。

呆然とする僕と、首を傾げてしきりに「なんて言ってるんだ?」と僕の服を引っ張るミンジェを残して滉一はさっそうとラウンジを出ていってしまった。
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