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泉から少し離れたところに集落のようなものがあった。
小さな川に寄り集まるように十数軒の小屋が並んでいる。
近くには果樹もあり、当面は生きていくには困らない環境だ。
ここには30人ちかい男女がいた。
年齢は5歳から20歳前後で皆、健康そのものである。
警戒心が薄く、はじめこそカイロウの姿に驚いていたが、ティレルが傍にいたこともあってすんなりと受け入れられた。
彼もまた人々の生活を知るために集団に馴染もうと試みた。
そうして見ていくと、きわめて原始的である理由が分かってくる。
簡単にいえば生きていくのに知恵を絞る必要がないのだ。
天候は常に安定していて、災害は決して起こらない。
したがって水が涸れることも食べ物が尽きることもない。
ここは作られた楽園であるから、不自由がないように調節されている。
何もしなくても生きていけるから、進化も進歩もない。
言葉を話さないのも、服を着ないのも、そうする必要がないからだ。
「パ……パ……?」
ティレルは喉に手を当てながら言った。
「そう、そうだ。私のことはパパと呼ぶんだよ」
彼はまず言葉を教えることにした。
身の回りにあるものを指差しながら、ひとつひとつ丁寧に発音していく。
ここの人間たちは日常的に発声はしているが、実態は動物の鳴き声に近い。
これでは先々問題が出てくるだろうと、いろいろ教えるつもりだった。
とりあえず布きれでもいいから身にまとう習慣を根付かせないと、娘とはいえ目のやり場にも困る。
「パパ……パパ!」
「そう。これは花。あれが川。上にあるのは空、だ」
「ハ、ナ……」
ティレルは順調に言葉を覚えていった。
さすがは自分の娘だ、と彼は得意気だった。
遅すぎる子育てだったが、人間の成長に手遅れはない。
「ここにいたんですね」
眠そうな目のリエがやってきた。
薄汚れた服にほこりを被った頭髪は、とても有能な助手には見えなかった。
「リ、リエ君、すまなかった。きみを忘れていたワケじゃないんだ。ただ――」
「かまいませんよ。それより娘さんは見つかったみたいですね」
「ああ、ティレルだ。かわいいだろう? それにとっても賢いんだ。言葉もたくさん覚えたぞ」
「へえ……?」
リエは中腰になってティレルの顔を覗きこんだ。
よどんだ瞳に映る少女は怯えた目でカイロウの腕をぎゅっと掴んだ。
「ちょっと人見知りするところがあってね。ほら、ティレル、大丈夫だからちゃんと挨拶しなさい」
父親らしいところを見せようとするが、ティレルは彼の傍を離れなかった。
「もう3日経っていますが、これからどうするんです?」
「3日……? そうか、もうそんなに……ずっと太陽が出ているから時間の感覚がすっかり狂ってしまったな」
「もしかして寝てないんですか?」
「いや、眠くなったら寝るんだ。眠るときはあの棺みたいな部屋に行くらしいが、私たちはそこの小屋で寝泊まりしているんだ。
まずはそういうところから変えていこうと思ってね」
満面の笑みでそう言うカイロウに、彼女は当てつけるようにため息をひとつついた。
「時計をしているじゃないですか」
「ああ、見ないようにしていたんだ。時間に縛られない生活は良いものだよ。ここは本当に楽園だな。自由だし、誰に気兼ねすることもない」
まだ怯えている様子の娘の頭を撫でる。
ティレルは嬉しそうに表情をほころばせた。
「ところできみはどこにいたんだい?」
「別の楽園ですよ。似たような場所があちこちにあるんです。養鶏や養豚をしている区画も見つけましたよ。誰も管理していませんけどね」
「今度その場所を教えてくれないか。さすがに果実ばかりでは飽きてくるし栄養も偏るから」
「ええ、いいですよ。ところで――これからどうするんですか?」
いまだ疑うような目を向けるティレルを一瞥すると、リエは低い声でもう一度問うた。
カイロウは真っ直ぐに彼女を見つめる。
そして真剣な眼差しで答えを返した。
「もう帰る場所はないんだ。ここで生きるしかないだろう」
「………………」
「それに住んでみればこんな快適な世界はない。私は娘と一緒にここで暮らす」
考えるまでもないことだった。
地上はもはや人が生活できる環境ではない。
焼き尽くされ、波に呑まれた大地には寝る場所も食物もないだろう。
そんな不毛の地に降りる意味はない。
大人でさえ生きていけない地に、どうして娘を連れていけるだろうか。
「そうですか……」
リエは失望したように呟くと、来た道を引き返そうとした。
「どこに行くんだ?」
「探検ですよ。いろいろ見て回っているんです。探している物もありますから」
「食べ物や寝る場所に困るだろう。きみもここに留まったらどうだ?」
「さっき言った楽園があります。私も居心地の良い場所を見つけたので」
肩越しに振り返って言い、彼女はそのままなだらかな丘を下って行った。
その後ろ姿がまだ見えているうちから、カイロウは花を摘んで指輪を作り、ティレルの指にはめた。
まじまじと指を眺めた彼女は、父親の顔を見上げて微笑んだ。
小さな川に寄り集まるように十数軒の小屋が並んでいる。
近くには果樹もあり、当面は生きていくには困らない環境だ。
ここには30人ちかい男女がいた。
年齢は5歳から20歳前後で皆、健康そのものである。
警戒心が薄く、はじめこそカイロウの姿に驚いていたが、ティレルが傍にいたこともあってすんなりと受け入れられた。
彼もまた人々の生活を知るために集団に馴染もうと試みた。
そうして見ていくと、きわめて原始的である理由が分かってくる。
簡単にいえば生きていくのに知恵を絞る必要がないのだ。
天候は常に安定していて、災害は決して起こらない。
したがって水が涸れることも食べ物が尽きることもない。
ここは作られた楽園であるから、不自由がないように調節されている。
何もしなくても生きていけるから、進化も進歩もない。
言葉を話さないのも、服を着ないのも、そうする必要がないからだ。
「パ……パ……?」
ティレルは喉に手を当てながら言った。
「そう、そうだ。私のことはパパと呼ぶんだよ」
彼はまず言葉を教えることにした。
身の回りにあるものを指差しながら、ひとつひとつ丁寧に発音していく。
ここの人間たちは日常的に発声はしているが、実態は動物の鳴き声に近い。
これでは先々問題が出てくるだろうと、いろいろ教えるつもりだった。
とりあえず布きれでもいいから身にまとう習慣を根付かせないと、娘とはいえ目のやり場にも困る。
「パパ……パパ!」
「そう。これは花。あれが川。上にあるのは空、だ」
「ハ、ナ……」
ティレルは順調に言葉を覚えていった。
さすがは自分の娘だ、と彼は得意気だった。
遅すぎる子育てだったが、人間の成長に手遅れはない。
「ここにいたんですね」
眠そうな目のリエがやってきた。
薄汚れた服にほこりを被った頭髪は、とても有能な助手には見えなかった。
「リ、リエ君、すまなかった。きみを忘れていたワケじゃないんだ。ただ――」
「かまいませんよ。それより娘さんは見つかったみたいですね」
「ああ、ティレルだ。かわいいだろう? それにとっても賢いんだ。言葉もたくさん覚えたぞ」
「へえ……?」
リエは中腰になってティレルの顔を覗きこんだ。
よどんだ瞳に映る少女は怯えた目でカイロウの腕をぎゅっと掴んだ。
「ちょっと人見知りするところがあってね。ほら、ティレル、大丈夫だからちゃんと挨拶しなさい」
父親らしいところを見せようとするが、ティレルは彼の傍を離れなかった。
「もう3日経っていますが、これからどうするんです?」
「3日……? そうか、もうそんなに……ずっと太陽が出ているから時間の感覚がすっかり狂ってしまったな」
「もしかして寝てないんですか?」
「いや、眠くなったら寝るんだ。眠るときはあの棺みたいな部屋に行くらしいが、私たちはそこの小屋で寝泊まりしているんだ。
まずはそういうところから変えていこうと思ってね」
満面の笑みでそう言うカイロウに、彼女は当てつけるようにため息をひとつついた。
「時計をしているじゃないですか」
「ああ、見ないようにしていたんだ。時間に縛られない生活は良いものだよ。ここは本当に楽園だな。自由だし、誰に気兼ねすることもない」
まだ怯えている様子の娘の頭を撫でる。
ティレルは嬉しそうに表情をほころばせた。
「ところできみはどこにいたんだい?」
「別の楽園ですよ。似たような場所があちこちにあるんです。養鶏や養豚をしている区画も見つけましたよ。誰も管理していませんけどね」
「今度その場所を教えてくれないか。さすがに果実ばかりでは飽きてくるし栄養も偏るから」
「ええ、いいですよ。ところで――これからどうするんですか?」
いまだ疑うような目を向けるティレルを一瞥すると、リエは低い声でもう一度問うた。
カイロウは真っ直ぐに彼女を見つめる。
そして真剣な眼差しで答えを返した。
「もう帰る場所はないんだ。ここで生きるしかないだろう」
「………………」
「それに住んでみればこんな快適な世界はない。私は娘と一緒にここで暮らす」
考えるまでもないことだった。
地上はもはや人が生活できる環境ではない。
焼き尽くされ、波に呑まれた大地には寝る場所も食物もないだろう。
そんな不毛の地に降りる意味はない。
大人でさえ生きていけない地に、どうして娘を連れていけるだろうか。
「そうですか……」
リエは失望したように呟くと、来た道を引き返そうとした。
「どこに行くんだ?」
「探検ですよ。いろいろ見て回っているんです。探している物もありますから」
「食べ物や寝る場所に困るだろう。きみもここに留まったらどうだ?」
「さっき言った楽園があります。私も居心地の良い場所を見つけたので」
肩越しに振り返って言い、彼女はそのままなだらかな丘を下って行った。
その後ろ姿がまだ見えているうちから、カイロウは花を摘んで指輪を作り、ティレルの指にはめた。
まじまじと指を眺めた彼女は、父親の顔を見上げて微笑んだ。
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