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 B17区。

 その言葉だけを手掛かりに、カイロウは歩き続けた。

 案内図のような気の利いたものは見当たらない。

 代わりに各部屋のドア上部に記号のような何かが刻まれているのを見つけた。

 矢じりのようなものを並べた不思議な図形だ。

 おそらくクジラが造られた時代に使っていた文字だろう、と彼は推測した。

 法則が分かれば解読できるかもしれないが、そんなことをしている暇はない。

 対応する記号を考えるより、しらみつぶしに歩いたほうが早い。

 そう思えるのは、歩き回っていたロボットが活動を停止しているからだ。

 オリジンが指示を出していたのかもしれない。

 命令が途絶え、スリープ状態に入っているものと彼は考えた。

 だが実際のところ、それらが動いていてもかまわなかった。

 ロボット相手にこそこそ逃げ隠れするなど、人間としてのプライドが許さない。

 作り物にこれ以上振り回されてたまるかという意地もある。

 これほどの巨体が飛び続けている理由、パネルの仕掛け、内部の構造。

 そのどれをとっても常識では考えつかないものだったが、経緯を知れば一応の納得はできる。

 しかし太古の知識への敬意はない。

 こんなものを何万年も運用するくらいなら、いっそ最初の代で滅びていればよかったのにとさえ彼は思った。

(ティレル…………)

 頭に浮かぶのは娘のことばかりだった。

 生き別れた我が子に逢いたい。

 親として当然の想いだ。

 それを果たすために命を懸けてクジラに乗り込んだ結果、多くの人命が奪われたことに――。

 彼が後悔したのはわずか数分であった。

 むしろ取り返しのつかない事態になったことが、邂逅かいこうを望む気持ちを後押しする。

 これだけの犠牲を払いながら娘に逢わずでは、全てが無駄になってしまうと言い訳をしながら。

 カイロウは部屋から部屋へと渡り歩いた。

 資材置き場や巨大な冷蔵庫と思しき空間を経て辿り着いたのは、またしても箱庭だった。

 快適な気候に、咲き誇る色とりどりの草花。

 耳を澄ませば小鳥のさえずりが遠くに聴こえる。

 さらさらと流れる小川のせせらぎが心地良い。

 数人の男女がいた。

 花を摘んだり、野を駆け回ったりと思い思いに過ごしている。

 平和だ。

 彼は思った。

 ここにはしがらみがない。

 税に追い立てられることもなければ、横暴な役人に怯える必要もない。

 作物は豊かに実り、食べる物にも困らない。

 布の一枚もまとわずに生活する姿は異様に見えるが、それはたんなる住む世界のちがいによるものだ。

 裸で生きていけるのは、それを恥ずかしいと思わない証拠。

 つまり他人の目を気にしないで済む環境ということだ。

(楽園なのかもしれないな……)

 地上に生きる者にとって、ここはまさしく理想郷だ。

 政府のおためごかしの詭弁を嫌って頑なに認めたがらなかった彼だが、この美しい世界は楽園と呼ぶべきだと思い始めていた。

 皮肉なことにそれを唱え続けていた役人たちは誰ひとり、この光景を拝むことはできなかった。

 その意味では彼は幸運であったかもしれない。

 少し進んだ先に小さな泉があった。

 周囲に伸びた木々は、他で見るものよりも青々と茂っている。

 カイロウは導かれるようにそちらに向かっていった。

 あてもなく歩いていたから、無意識に休めそうな場所を求めていたのかもしれない。

 底の小石さえはっきり見えるほど透き通った水が湧出している。

 一帯は森厳さに満ちていて、薄汚れた服で踏み入るのがためらわれた。

 あまりに不釣り合いな恰好に、神秘的な泉をけが穢しはしまいかと。

 しかし渇いた喉はそんな気遣いなどおかまいなしに、水を飲めと急かしてくる。

 しばらく立ち止まっていた彼は、祈るようにして屈みこむと両手に水をすくった。

 指の間からするりと抜けだすようにこぼれる水は、地上のそれとは軟らかさも色艶いろつやも全く異なる。

 口に含むとほんのわずかに甘味があった。

(ん…………?)

 ふと顔を上げると、彼をじっと見つめている少女がいた。

 珍しいものを見るような顔つきで、一挙一動を観察しているようだ。

(彼女たちからすれば私は侵入者だからな)

 刺激しないよう静かに立ち去ろうとした時、少女がにっこりと微笑した。

 つられてカイロウも作り笑顔を返す。

 だがその表情がみるみる強張っていく。
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