上 下
51 / 101

13 復讐鬼-5-

しおりを挟む
「………………」

 冷たい水が喉を刺激する。

 一時的に体温が下がったことで、カイロウは少しだけ冷静さを取り戻した。

 しかし元より冷静だった彼女には効果はない。

「ところで、リエ君。何か悩みがあるみたいだな。私でよければ相談に乗るぞ」

 これで主題は彼女に移った。

 あとは相談に乗るふりをして先ほどの追及を有耶無耶にすればいい。

「ドクターはクジラに対してどのように考えていますか?」

「どういうことだい?」

「普通の人はクジラを疑ったりしません。信じるか、信じているふうを装います。あれこれ調べることもないでしょう」

 リエはどうしてもその方面に話を持っていきたいようである。

「もちろん、ここの関係者は別です。私だって好意的には見ていません。むしろ憎いくらいです」

「自然な感情だな。私たちはそういう集まりだから」

 ダージやネメアに対しては絶対に言えないことだ。

 非合法の集団という閉鎖的な組織の中ではある意味、胸裏を吐露し合える家族以上の強い結びつきがあった。

「私には双子の妹がいた――らしいんです……」

 呟くようにリエが言う。

 過去形であったから幼い頃に死別したのだろうとカイロウは思った。

「1歳になる少し前、妹は楽園に行きました。両親はそのことをとても喜んでいました。カザルス家の誇りだ、なんて言っていましたね」

「やはり、そうなるのか」

 ありふれた話だが、その親の気持ちをカイロウは理解できない。

「でもそれは私への責めにもなったんです」

「…………?」

「妹はクジラ様に選ばれたのに、お前には何もない。ただの凡人だ。姉として恥ずかしいと思わないのか――他にもいろいろ言われました。

口を開けば私と妹を比べる言葉ばかりでした。母にも父にも、一度も褒められたことはありません」

 リエはぼんやりとした表情で手にしたグラスを眺めている。

 半分ほど入っていた水が照明を受けてきらきらと輝いていた。

「それでも世間体もあってか、学校には通わせてもらえました。卒業するまでは衣食住も最低限の面倒は見てもらってたんです」

 子の親に対する言い回しではない。

(話から察するに、彼女のことを実娘とは見ていなかったのだろうな)

 狂った価値観だ、とカイロウは思った。

 運良くクジラに選ばれずに済んだ子をどうして可愛がらないのか。

 既にひとり、育もうにも連れ去られてしまった子がいるというのに。

「ご両親は……?」

「死にました。5年前に父が事故で死に、母は半年くらい前に病死です」

 かける言葉は見つからなかった。

 常識的にはお気の毒に、と決まり文句を囁いておけばいいが、この場合は事情が異なる。

 両親の死をあっさりと口にできる彼女の心情に寄り添おうとすると、陳腐なお悔やみは逆効果かもしれない。

「母の死を看取りましたが、あの人は最期まで妹のことばかりでした。まるで私なんてはじめからいないみたいに――」

「そうか……」

「結局、私は一度だって両親に愛されたことはなかったんです。あの人たちが可愛がっていたのは妹だけ。あんなに楽園行きを誇っていたのに……。

当人たちはあっさり死んでしまいました。これって幸せだと思いますか?」

 カイロウは答えに窮した。

 この質問にはいろいろと必要な単語が抜けている。

「む、まあ、長生きが幸せとは限らないからね。娘さんがクジラに選ばれたというだけでも幸せだったと言えるかもしれないな」

 リエの肩を持とうとすると両親を貶さなければならなくなる。

 それができない彼は無難な受け答えで躱すことにした。

「私はそうではありませんでした」

 口調が変わった。

 身内の死さえ滔々と語っていたリエが、明らかに怒りを滲ませている。

 その理由はすぐに彼女自身の口から語られた。

「世間ではクジラ様がどうだのと言っていても、病気や事故から守ってくれるワケではありません。

幸せだったのは妹だけなんですよ。遠く離れても親に愛されて――私なんて傍にいても邪険に扱われていたというのに……」

「それはたしかに……そうだね……」

「彼女は今ものうのうと楽園で暮らしてるでしょうね。あらゆるものに満たされている世界らしいですから」

 そうか、これが彼女がここにいる理由なのか。

 カイロウは初めてリエのことを知った。

(自宅の居心地が悪いというのも、これで納得がいくな)

 よほど両親と妹を恨んでいるにちがいない、と容易に想像がつく。

 怒りはその不公平をもたらしたクジラに対しても向けられているのだろうとも。

「あなたが何を企んでいるのかは分かりませんが……」

 彼女の声はまだ怒気を孕んでいる。

「クジラに何かするつもりなのでしょう?」

 答えるべきか、カイロウは迷った。

 きっと彼女の中ではもう解答が出ていて、この質問はたんなる答え合わせでしかないのだろう。

 彼にもその程度は分かっているが、正直に答えるのが正しいのかどうかについては戸惑いがある。

「私にも手伝わせてください」

 眼差しは真剣だ。

 身の上話をした後での懇願だから、相当な覚悟であることは明らかだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。

好色一代勇者 〜ナンパ師勇者は、ハッタリと機転で窮地を切り抜ける!〜(アルファポリス版)

朽縄咲良
ファンタジー
【HJ小説大賞2020後期1次選考通過作品(ノベルアッププラスにて)】 バルサ王国首都チュプリの夜の街を闊歩する、自称「天下無敵の色事師」ジャスミンが、自分の下半身の不始末から招いたピンチ。その危地を救ってくれたラバッテリア教の大教主に誘われ、神殿の下働きとして身を隠す。 それと同じ頃、バルサ王国東端のダリア山では、最近メキメキと発展し、王国の平和を脅かすダリア傭兵団と、王国最強のワイマーレ騎士団が激突する。 ワイマーレ騎士団の圧勝かと思われたその時、ダリア傭兵団団長シュダと、謎の老女が戦場に現れ――。 ジャスミンは、口先とハッタリと機転で、一筋縄ではいかない状況を飄々と渡り歩いていく――! 天下無敵の色事師ジャスミン。 新米神官パーム。 傭兵ヒース。 ダリア傭兵団団長シュダ。 銀の死神ゼラ。 復讐者アザレア。 ………… 様々な人物が、徐々に絡まり、収束する…… 壮大(?)なハイファンタジー! *表紙イラストは、澄石アラン様から頂きました! ありがとうございます! ・小説家になろう、ノベルアッププラスにも掲載しております(一部加筆・補筆あり)。

あの味噌汁の温かさ、焼き魚の香り、醤油を使った味付け——異世界で故郷の味をもとめてつきすすむ!

ねむたん
ファンタジー
私は砂漠の町で家族と一緒に暮らしていた。そのうち前世のある記憶が蘇る。あの日本の味。温かい味噌汁、焼き魚、醤油で整えた料理——すべてが懐かしくて、恋しくてたまらなかった。 私はその気持ちを家族に打ち明けた。前世の記憶を持っていること、そして何より、あの日本の食文化が恋しいことを。家族は私の決意を理解し、旅立ちを応援してくれた。私は幼馴染のカリムと共に、異国の地で新しい食材や文化を探しに行くことに。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...