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11 方舟-4-
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それから20分ほどで目的地付近に到着した。
彼らのいた町と異なり、ここは整備が行き届いていて駐車する場所も厳しく指定されている。
ネメアは海沿いのスペースに車を停めた。
「さあ、祈りましょう! 私たちの明日のために!」
降りた途端、通りの向かいから聞こえてきたのは聖クジラ教の信者たちの声だった。
「へえ、こんなところでもやってるんだね」
ネメアが物珍しそうに眺める。
クジラ教の施設はあちこちにあるが、実際に集まっているのを見るのは初めてだという。
「教祖様は仰いました! 18日後の夜。偉大なるクジラ様が私たちに大いなる叡智と富、そして健全なる肉体を授けてくださる、と!」
幹部の呼びかけに合わせ、100人ちかい信者たちが欣快の声をあげた。
以前にも増して彼らの活動は熱を帯び、さして信心深くない者でも思わず足を止めてしまう雰囲気ができあがっている。
実際、この数週間で入信者が激増したという話もある。
「ずいぶん熱心なことですな」
ダージが呆れたように言う。
「ああいうのには興味はないのかい?」
カイロウの問いに彼は鼻で笑った。
「バカバカしくてね。なんで実存するものを崇めてるのかって話でさあ。神様ってのは目に見えないし、何もしてくれねえって昔から決まってんですよ」
「意外だな。きみは以前から”クジラ様”と呼んでいたから、連中にも共感しているのかと思っていたよ」
「あれはたんなる敬意からですわ。それと役人向け。ああ、ダンナ、この際だから言っておきますわ。それにネメアも」
人目を憚るように彼はそっと2人に顔を近づけた。
「方舟を出迎えるのに役人が大勢来てる。クジラ様を悪く言っているのをあいつらに聞かれたらアウトだ。特に青と白の服を着てる連中にはくれぐれも気を付けてくださいよ。
連中、そういう輩は即斬り捨ててもいいって権限が与えられてるらしいんで。みだりに声をかけるのも厳禁ですぜ」
注意事項を事細かに説明する様は、まるで役所の広報担当だ。
方舟そのものをクジラの使いと認識するよう国が呼びかけていることもあり、儀式的な意味合いを持たせているようだった。
あるいはそう演出することでクジラを神聖化し、政府の威信を相対的に高めているのかもしれない。
ともかくダージが言うには、余計なことはせず周りの雰囲気に合わせて行動しておけば問題はないとのことだった。
「なるほど、気を付けよう」
既に素行を監視されているかもしれないと彼が不安がるので、一同は巡礼者のように慎ましく振る舞った。
近辺は元々商業地として栄えていたため、往来は多い。
ここから少し南に下ったところに市場があり、そこを起点に南北に発展した小さな都会である。
人口の増加に伴って公共施設の類も充実し、昼夜を分かたず人が行き交う様は彼らの町には無縁の華やかさがあった。
目的地に近づくにつれ、人の数はにわかに増える。
地図によれば数百メートル先に大きな広場があり、方舟はそこに降り立つらしい。
上空のクジラは肉眼でもその輪郭がはっきりと見えた。
「2人とも、分かってると思いますがくれぐれも注意を」
ダージが耳打ちする。
周囲には役人の姿があった。
威圧的な黒服は分かりやすい。
胸につけた徽章(きしょう)はクジラの特徴的な頭と尾を象ったもので、見る者に無意識にクジラと国とのつながりを刷り込む効果があった。
改めて辺りを見回すと、いるのは彼らだけではない。
物々しい装備の警備員がそこかしこに構えている。
これだけの人員配置は役所付近でもそう見かけない。
「あれって周知してたりするのかしらね」
ネメアが指差したのは、そこからやや高い位置にある広場だ。
普段は市民に開放されており、バザーや球技大会などが開催されることもある。
だが今日ばかりは要所に警備員が控えており、数か所ある出入り口も封鎖されている。
「数日前までには告知しているんじゃないか? でなきゃ混乱が起こっちまうぜ」
調達屋の中にはバザーで物々交換をする者も多くいる。
ダージはそうした催しに参加したことはなかったが、どんな催事でも準備には時間がかかることくらいは分かる。
それを当日になって方舟を迎えるために封鎖となれば混乱は必至だ。
「いや、私は前もって伝えたりはしないと思うね」
カイロウが拗ねたように言う。
「役所の仕事というのはいちいち現場のことは考えない。何か催しをやっていても、出ていけの一言で片付けるだろう」
「ダンナ、クジラ様の悪口はご法度と言いましたが、できればお国の悪口も控えてくれると助かるんですが……」
特に自分が、とダージは顔をしかめた。
「ああ、申し訳ない」
カイロウはお詫びに銀貨を一枚、彼に握らせた。
広場を見下ろせる位置に来ると、ようやく全容が明らかになってくる。
黒服の役人に護られるように、青と白の装束をまとった神祇官が広場の四方に立ち、中央に向かって短剣を傾けている。
8か所ある入り口は全て閉ざされているが、北側の1か所だけは半分開いた状態になっていた。
「クジラ様に選ばれた子が、楽園に昇っていくらしい」
「それで今日はお役人があちこちにいるのか」
「ほら、あそこ。あの広場の真ん中に舟が降りてくるんだ。何か月ぶりかな」
周囲は見物人であふれ返っていた。
たまたま通りかかった者や、役人の動きから察知した者、近隣に住んでいる者などが方舟を一目見ようと広場を取り囲む。
一方でさして気にも留めない人間も多くいる。
そういった者たちはこの混雑ぶりを疎ましく感じていたが、それを口にすることは許されなかった。
制服を脱ぎ、雑踏に紛れた役人が潜んでいるからだ。
そうとは知らず不満を漏らし、連行された者はいくらでもいる。
彼らがどのような末路を辿るかは、その末路を誰ひとり知らないという事実から容易に想像がつく。
彼らのいた町と異なり、ここは整備が行き届いていて駐車する場所も厳しく指定されている。
ネメアは海沿いのスペースに車を停めた。
「さあ、祈りましょう! 私たちの明日のために!」
降りた途端、通りの向かいから聞こえてきたのは聖クジラ教の信者たちの声だった。
「へえ、こんなところでもやってるんだね」
ネメアが物珍しそうに眺める。
クジラ教の施設はあちこちにあるが、実際に集まっているのを見るのは初めてだという。
「教祖様は仰いました! 18日後の夜。偉大なるクジラ様が私たちに大いなる叡智と富、そして健全なる肉体を授けてくださる、と!」
幹部の呼びかけに合わせ、100人ちかい信者たちが欣快の声をあげた。
以前にも増して彼らの活動は熱を帯び、さして信心深くない者でも思わず足を止めてしまう雰囲気ができあがっている。
実際、この数週間で入信者が激増したという話もある。
「ずいぶん熱心なことですな」
ダージが呆れたように言う。
「ああいうのには興味はないのかい?」
カイロウの問いに彼は鼻で笑った。
「バカバカしくてね。なんで実存するものを崇めてるのかって話でさあ。神様ってのは目に見えないし、何もしてくれねえって昔から決まってんですよ」
「意外だな。きみは以前から”クジラ様”と呼んでいたから、連中にも共感しているのかと思っていたよ」
「あれはたんなる敬意からですわ。それと役人向け。ああ、ダンナ、この際だから言っておきますわ。それにネメアも」
人目を憚るように彼はそっと2人に顔を近づけた。
「方舟を出迎えるのに役人が大勢来てる。クジラ様を悪く言っているのをあいつらに聞かれたらアウトだ。特に青と白の服を着てる連中にはくれぐれも気を付けてくださいよ。
連中、そういう輩は即斬り捨ててもいいって権限が与えられてるらしいんで。みだりに声をかけるのも厳禁ですぜ」
注意事項を事細かに説明する様は、まるで役所の広報担当だ。
方舟そのものをクジラの使いと認識するよう国が呼びかけていることもあり、儀式的な意味合いを持たせているようだった。
あるいはそう演出することでクジラを神聖化し、政府の威信を相対的に高めているのかもしれない。
ともかくダージが言うには、余計なことはせず周りの雰囲気に合わせて行動しておけば問題はないとのことだった。
「なるほど、気を付けよう」
既に素行を監視されているかもしれないと彼が不安がるので、一同は巡礼者のように慎ましく振る舞った。
近辺は元々商業地として栄えていたため、往来は多い。
ここから少し南に下ったところに市場があり、そこを起点に南北に発展した小さな都会である。
人口の増加に伴って公共施設の類も充実し、昼夜を分かたず人が行き交う様は彼らの町には無縁の華やかさがあった。
目的地に近づくにつれ、人の数はにわかに増える。
地図によれば数百メートル先に大きな広場があり、方舟はそこに降り立つらしい。
上空のクジラは肉眼でもその輪郭がはっきりと見えた。
「2人とも、分かってると思いますがくれぐれも注意を」
ダージが耳打ちする。
周囲には役人の姿があった。
威圧的な黒服は分かりやすい。
胸につけた徽章(きしょう)はクジラの特徴的な頭と尾を象ったもので、見る者に無意識にクジラと国とのつながりを刷り込む効果があった。
改めて辺りを見回すと、いるのは彼らだけではない。
物々しい装備の警備員がそこかしこに構えている。
これだけの人員配置は役所付近でもそう見かけない。
「あれって周知してたりするのかしらね」
ネメアが指差したのは、そこからやや高い位置にある広場だ。
普段は市民に開放されており、バザーや球技大会などが開催されることもある。
だが今日ばかりは要所に警備員が控えており、数か所ある出入り口も封鎖されている。
「数日前までには告知しているんじゃないか? でなきゃ混乱が起こっちまうぜ」
調達屋の中にはバザーで物々交換をする者も多くいる。
ダージはそうした催しに参加したことはなかったが、どんな催事でも準備には時間がかかることくらいは分かる。
それを当日になって方舟を迎えるために封鎖となれば混乱は必至だ。
「いや、私は前もって伝えたりはしないと思うね」
カイロウが拗ねたように言う。
「役所の仕事というのはいちいち現場のことは考えない。何か催しをやっていても、出ていけの一言で片付けるだろう」
「ダンナ、クジラ様の悪口はご法度と言いましたが、できればお国の悪口も控えてくれると助かるんですが……」
特に自分が、とダージは顔をしかめた。
「ああ、申し訳ない」
カイロウはお詫びに銀貨を一枚、彼に握らせた。
広場を見下ろせる位置に来ると、ようやく全容が明らかになってくる。
黒服の役人に護られるように、青と白の装束をまとった神祇官が広場の四方に立ち、中央に向かって短剣を傾けている。
8か所ある入り口は全て閉ざされているが、北側の1か所だけは半分開いた状態になっていた。
「クジラ様に選ばれた子が、楽園に昇っていくらしい」
「それで今日はお役人があちこちにいるのか」
「ほら、あそこ。あの広場の真ん中に舟が降りてくるんだ。何か月ぶりかな」
周囲は見物人であふれ返っていた。
たまたま通りかかった者や、役人の動きから察知した者、近隣に住んでいる者などが方舟を一目見ようと広場を取り囲む。
一方でさして気にも留めない人間も多くいる。
そういった者たちはこの混雑ぶりを疎ましく感じていたが、それを口にすることは許されなかった。
制服を脱ぎ、雑踏に紛れた役人が潜んでいるからだ。
そうとは知らず不満を漏らし、連行された者はいくらでもいる。
彼らがどのような末路を辿るかは、その末路を誰ひとり知らないという事実から容易に想像がつく。
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