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5 リエとネメア-1-
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この町は物価が高い。
ポケットに忘れられていたコインでは、果物のひとつも買えない。
作物が育たないのだから仕方がないが、それにしても農家は足元を見ているような気がする。
隣の市まで車を飛ばせば同じ金額で3倍のものが手に入るが、味や安全性などの品質は3分の1以下になる。
結局、いつものように人工食品を選ぶことになる。
傷んだ髪をかき上げ、リエは商店で買ったガムを口に入れた。
味は――良い。
最初は吐き出したくなるくらい甘いが、その甘さに飽きた頃に塩辛さがくるように調整されている。
悪くない工夫だがこれは喉が渇く。
彼女はちょうど商店街にいたので、適当な店で水を買った。
この町で水といえば多くが工業に供されているせいで、水を飲むにも高い金を払うはめになる。
クジラ様の恩恵にも飲用水はないので、実は農作物以上に入手が難しい。
「リエじゃないの?」
商店を見て回っていた彼女は不意に声をかけられた。
「やっぱり! こんなところで会うなんてね」
振り返った先にいたのは、黒縁の眼鏡をかけた女だった。
「えっと…………」
心当たりはない。
人付き合いを避けてきたリエにとって、こうして気さくに声をかけてくる人間は例の作業場の関係者くらいのハズだ。
「ひょっとして忘れたの? ネメアよ、ネメア! 同じクラスだったでしょうが」
「ネメ……ええっ!? あの泣き虫ネメア!?」
「泣き虫は余計だよ!」
ネメアと名乗った女は大仰に笑った。
これからの時代に必要になるだろう、とリエは数年前まで医療系の学校に通っていた。
その頃は工業技術の進歩がめざましく、それにともなって作業従事者の負傷が深刻な問題となっていた。
彼女自身は人を助けたいとか、社会の役に立ちたいという高尚な想いは持っていなかった。
ただ儲かりそうだから、というのがその道に進んだ理由だ。
ネメアはその時の同級生だ。
ともに外科治療を専攻していたのだが、彼女は講義のたびに泣いていた。
どうやら血を見るのが苦手なようで、教材の手術例の写真を見ただけでめまいを起こすほどだった。
外科手術を模した実技試験では、人形に軽くメスを入れた途端、流れるハズのない血を想像して気絶したという逸話もある。
リエは彼女のことをいつも泣いている変わった子、くらいにしか思っていなかった。
何度か会話をしたことはあるが、入校したこと自体が間違いだったとしか思えないネメアと、血管が金脈にしか見えない彼女とでは、
話が合うハズもなく、いつの間にか退学してしまったネメアとはそれきりだった。
「だって……ねえ…………」
リエは信じられない、という目で彼女を見た。
当時のネメアは小柄で色白で、全身に悲愴感をただよわせているような少女だった。
それが今は真っ黒に日焼けして、恰幅もいい。
眼鏡だけはあの頃と変わっておらず、可憐の象徴だったハズが滑稽なアクセサリーのように見える。
「私の記憶が間違っているのかしら?」
あまりの変わりようにリエは自分の記憶を疑った。
「だいたいの奴はそう言うわね」
となかば諦めた様子で言うネメアは、間違いなく本人のようである。
「いま何してるの? あんたは無事に卒業したんでしょ?」
「ええ、今は――あの勉強が無駄にならないようなことをしてるわ」
施設のことは口外できないが、希望の職に就けたことにちがいはない。
「あんた、頭良かったもんね。あたしは見てのとおりだよ」
「調達屋?」
「あ、やっぱりそう見える? 惜しいけど不正解。ボディガードよ。治安が悪いから引く手数多なの」
「ウソでしょっ!? あの泣き虫ネメアが!?」
血を見るだけで卒倒していた臆病者が、体を張って雇い主を守る様など誰が想像できるだろう。
ネメアはむっとした表情で力こぶを作ってみせた。
その辺りのならず者なら一発で沈められそうだ。
「この数年の間に何があったのよ……」
今からでも学校に入り直したらどうだ、と言いかけてやめる。
これが彼女の天職なら口を挟むべきではない。
「時間ある? よかったらちょっとそこで飲んでいかない?」
「いいわよ。ああ、でも私、お酒は飲めないわよ?」
「そんなもの昼から飲まないっての。行きつけの店があるの。あたしがおごるわ」
ポケットに忘れられていたコインでは、果物のひとつも買えない。
作物が育たないのだから仕方がないが、それにしても農家は足元を見ているような気がする。
隣の市まで車を飛ばせば同じ金額で3倍のものが手に入るが、味や安全性などの品質は3分の1以下になる。
結局、いつものように人工食品を選ぶことになる。
傷んだ髪をかき上げ、リエは商店で買ったガムを口に入れた。
味は――良い。
最初は吐き出したくなるくらい甘いが、その甘さに飽きた頃に塩辛さがくるように調整されている。
悪くない工夫だがこれは喉が渇く。
彼女はちょうど商店街にいたので、適当な店で水を買った。
この町で水といえば多くが工業に供されているせいで、水を飲むにも高い金を払うはめになる。
クジラ様の恩恵にも飲用水はないので、実は農作物以上に入手が難しい。
「リエじゃないの?」
商店を見て回っていた彼女は不意に声をかけられた。
「やっぱり! こんなところで会うなんてね」
振り返った先にいたのは、黒縁の眼鏡をかけた女だった。
「えっと…………」
心当たりはない。
人付き合いを避けてきたリエにとって、こうして気さくに声をかけてくる人間は例の作業場の関係者くらいのハズだ。
「ひょっとして忘れたの? ネメアよ、ネメア! 同じクラスだったでしょうが」
「ネメ……ええっ!? あの泣き虫ネメア!?」
「泣き虫は余計だよ!」
ネメアと名乗った女は大仰に笑った。
これからの時代に必要になるだろう、とリエは数年前まで医療系の学校に通っていた。
その頃は工業技術の進歩がめざましく、それにともなって作業従事者の負傷が深刻な問題となっていた。
彼女自身は人を助けたいとか、社会の役に立ちたいという高尚な想いは持っていなかった。
ただ儲かりそうだから、というのがその道に進んだ理由だ。
ネメアはその時の同級生だ。
ともに外科治療を専攻していたのだが、彼女は講義のたびに泣いていた。
どうやら血を見るのが苦手なようで、教材の手術例の写真を見ただけでめまいを起こすほどだった。
外科手術を模した実技試験では、人形に軽くメスを入れた途端、流れるハズのない血を想像して気絶したという逸話もある。
リエは彼女のことをいつも泣いている変わった子、くらいにしか思っていなかった。
何度か会話をしたことはあるが、入校したこと自体が間違いだったとしか思えないネメアと、血管が金脈にしか見えない彼女とでは、
話が合うハズもなく、いつの間にか退学してしまったネメアとはそれきりだった。
「だって……ねえ…………」
リエは信じられない、という目で彼女を見た。
当時のネメアは小柄で色白で、全身に悲愴感をただよわせているような少女だった。
それが今は真っ黒に日焼けして、恰幅もいい。
眼鏡だけはあの頃と変わっておらず、可憐の象徴だったハズが滑稽なアクセサリーのように見える。
「私の記憶が間違っているのかしら?」
あまりの変わりようにリエは自分の記憶を疑った。
「だいたいの奴はそう言うわね」
となかば諦めた様子で言うネメアは、間違いなく本人のようである。
「いま何してるの? あんたは無事に卒業したんでしょ?」
「ええ、今は――あの勉強が無駄にならないようなことをしてるわ」
施設のことは口外できないが、希望の職に就けたことにちがいはない。
「あんた、頭良かったもんね。あたしは見てのとおりだよ」
「調達屋?」
「あ、やっぱりそう見える? 惜しいけど不正解。ボディガードよ。治安が悪いから引く手数多なの」
「ウソでしょっ!? あの泣き虫ネメアが!?」
血を見るだけで卒倒していた臆病者が、体を張って雇い主を守る様など誰が想像できるだろう。
ネメアはむっとした表情で力こぶを作ってみせた。
その辺りのならず者なら一発で沈められそうだ。
「この数年の間に何があったのよ……」
今からでも学校に入り直したらどうだ、と言いかけてやめる。
これが彼女の天職なら口を挟むべきではない。
「時間ある? よかったらちょっとそこで飲んでいかない?」
「いいわよ。ああ、でも私、お酒は飲めないわよ?」
「そんなもの昼から飲まないっての。行きつけの店があるの。あたしがおごるわ」
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