上 下
8 / 101

4 工場-1-

しおりを挟む
 手早く朝食をすませたカイロウは、投げ捨ててあった作業着に着替えた。

 鏡の前に立ち、汚れ具合を確かめる。

 油の飛びはね方も煤の付き方もいい。

 袖のあたりが寂しいので、彼は作業棚から塗料を取り出し袖口に塗り広げた。

「少々わざとらしいか……?」

 改めて全身を見てみる。

 どこか違和感があるのは、袖口の汚れだけが新しいからだ。

 少し時間を置けば馴染むだろう。

 わざと汚すのは毎度気が引けるが、これから会う相手にはこれが正装になるのだから仕方がない。

 時計に目をやると、午前9時を少し過ぎたところだった。

 そろそろ頃合いだと見た彼は大きなバッグを抱えて家を出た。

 たいそうな荷物だが車は使わない。

 彼が扱う品物は繊細だから、こんな凸凹の道を走ればすぐに駄目になる。

 誰か舗装してくれないものか、と不満に思いながら坂を下っていく。

 行き交う人々の表情は暗い。

 このところ濃度を増した霧のせいもあるが、人や街に活気というものが見えなかった。

 貧しい世帯が多いことも一因だろう。

 この辺りは農家が多いが、長く大気を覆う霧のせいで作物が充分に実らない。

 昔は市外に出荷しても余るほど豊かだった穀物や果物も、今では当時の百分の一も育たない。

 どうにか収穫期を迎えても、栄養のほとんどない萎びた作物ばかりである。

 この窮状をどうにかしようと彼らも開墾したり、品種改良したりと打てる手は打ってきた。

 だがそれよりも環境が悪化するスピードのほうが早く、ついに万策尽きてしまった。

 しまいには農地を捨て、クジラの恩恵で糊口をしのぐ有様である。

 そんな中で潤っているのがここ、レキシベル工業だ。

 元は農地だった場所に建てられた小さな工場だったが、ある年から莫大な利益を上げ続けて急成長を遂げた。

 おかげで雇用が生まれ、生活にあえいでいた者の多くがここで工業製品の製造にあたっている。

「おう、待っていたぞ、ドクター」

 受付に着くなり、粗暴そうな男がカイロウを見つけて駆け寄ってきた。

 ボロボロの作業着をだらしなく着こなす彼は、とても来客対応ができるようには見えない。

「その呼び方はやめてくれと言っているだろう。私は技師だ。医者じゃない」

「似たようなものだろ。扱ってるのが人かモノかのちがいだ」

「人と物の区別くらいつけたほうがいいぞ」

「冗談だよ。それより奥の部屋へ行こう。品を見せてくれ」

 男は挨拶もそこそこにカイロウを案内する。

 いつものことなので彼は特に気にもとめない。

 むしろこの男が世辞でも使いだしたら、何か企みがあるのかと勘繰ってしまいたくなるほどだ。



 ガラス越しの作業場を左手に狭い通路を進む。

 トラックほどの大きさの生産設備が整然と並び、各部門をベルトコンベアがつなぐ。

 数百人を超える作業員が流れてきた部品に手作業で加工を施していく。

 作業自体は部品同士をネジで留める、本体を裏返す、表面の一部を磨く等の単純なものだ。

 その様子をカイロウは何とはなしに眺めていた。

 やっていることは自分と変わらない。

 自分の元に巡ってきたものに手を加え、次へ渡す。

 人間はそうやって生きてきたハズだ。

 それは正しい。

 しかし本当にそれでいいのか?

 そのままでいいのか?

 流れ作業を黙々とこなすのは、ここだけではなく――。

 おそらくほとんど全ての人間が、自分の人生そのものを部品と同じようにコンベアに乗せてはいないだろうか?

「………………」

 ここからでは作業員の顔はよく見えない。

 それがかえって自分の意思を持っていないように映り、彼は咄嗟に目をそむけた。

 よくない考えがよぎるのは、きっと疲れているからだ。

 そう思いなおし、先を行く男を小走りに追いかけた。

 小部屋が並んでいる。

 男はそのうちのひとつに入り、カイロウに椅子を勧めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。

好色一代勇者 〜ナンパ師勇者は、ハッタリと機転で窮地を切り抜ける!〜(アルファポリス版)

朽縄咲良
ファンタジー
【HJ小説大賞2020後期1次選考通過作品(ノベルアッププラスにて)】 バルサ王国首都チュプリの夜の街を闊歩する、自称「天下無敵の色事師」ジャスミンが、自分の下半身の不始末から招いたピンチ。その危地を救ってくれたラバッテリア教の大教主に誘われ、神殿の下働きとして身を隠す。 それと同じ頃、バルサ王国東端のダリア山では、最近メキメキと発展し、王国の平和を脅かすダリア傭兵団と、王国最強のワイマーレ騎士団が激突する。 ワイマーレ騎士団の圧勝かと思われたその時、ダリア傭兵団団長シュダと、謎の老女が戦場に現れ――。 ジャスミンは、口先とハッタリと機転で、一筋縄ではいかない状況を飄々と渡り歩いていく――! 天下無敵の色事師ジャスミン。 新米神官パーム。 傭兵ヒース。 ダリア傭兵団団長シュダ。 銀の死神ゼラ。 復讐者アザレア。 ………… 様々な人物が、徐々に絡まり、収束する…… 壮大(?)なハイファンタジー! *表紙イラストは、澄石アラン様から頂きました! ありがとうございます! ・小説家になろう、ノベルアッププラスにも掲載しております(一部加筆・補筆あり)。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

処理中です...