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2 修理-3-
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「きみには言っていなかったが、私も家族を――娘を奪われた」
「そうですか……それは……いえ――」
コルドーは言いかけた言葉を呑み込み、少し考えてから言った。
「――選ばれたんですね?」
カイロウは頷いた。
「5年前のことだ。支局から役人どもがやって来て、当時まだ1歳だった娘を無理やり連れて行った」
「連中らしい横暴なやり口ですね」
「クジラ様に選ばれた幸運な子だ。この子は楽園で何不自由なく暮らすことができると言われたが、妻は反対した。彼女には他に血の繋がった人がいなかったから、娘と離れ離れになるのは耐えられなかったんだ」
彼は自分の手が震えていることに気が付いた。
忌々しい記憶を辿るにはまだ準備も覚悟も足りなかったようである。
「良かったらこれを。よく効きます」
コルドーは乾燥した茎を差し出した。
「楽園への権利は他の子に譲る。だからうちの子は連れて行かないでくれ。彼女はそう何度も訴えたが無駄だった。奴らはクジラ様の御意思に背いた罰だといって妻まで無理やり――」
茎をかじると甘酸っぱい香りが口内に広がった。
「それで、奥さまは……?」
「――2日後に遺体になって戻ってきた」
それがこの世界の決まりごとなのだから仕方がない。
大半の人間はそう言うだろう。
クジラは空を漂いながら、常に下界を見守っているという。
そしてときに生後1年以内の子どもを選び出し、方舟に乗せてその巨体の中に閉じ込めてしまうのである。
選定の基準は明らかになっておらず、政府もクジラ様に認められた特別な資質を持った子としか説明しない。
ただ伝えらえているのは、クジラ様の中は理想の世界だということ。
そこでは美味いものを好きなだけ食べられて、老いも病気もなく、幸せに暮らせるという。
そんな噂が飛び交っているものだから、”クジラ様”の評判は青天井だ。
あれを神様として祀り、怪しげな宗教を立ち上がる団体も多い。
いつしか、クジラ様の御意思は絶対で、その遣いである役人に逆らうことは許されない、という風潮ができあがっていた。
政府はそれを利用し、クジラは国の監視装置を兼ねていると発表した。
神格化されているクジラと政府には密接なつながりがあるということにすれば、人民を制御するのは容易くなる。
「近所の奴らは天罰だの、名誉ある死だの、好き勝手言ったがね」
彼女も素直に従っていれば死ぬことはなかったし、それどころか娘がクジラ様に選ばれたというこの上ない栄誉を得られただろう。
実際、我が子が選ばれれば進んで差し出し、そのことを自慢して回る親なんて大勢いる。
「……ひどい話ですね」
コルドーは自分のことのように憤っていた。
世の中は盲目な信者ばかりではない。
彼のようにクジラや政府のやり方をよく思っていない者もいる。
だがそうした声が表に出ることはない。
批判の声が役人の耳に入れば重罰は免れない。
たとえその事実がなくても、ひとたび嫌疑をかけられれば証拠がないまま罰せられる。
彼の両親も濡れ衣を着せられて誅罰されたのだった。
「それでここに辿り着いたんですね」
「そうだ。でもここで一生を終えるつもりはない」
「とんでもない。ドクターがいなくなったら大きな損失です」
カイロウのような優れた技術者はそう多くない。
いたとして民間企業か、政府お抱えの人材として地位も収入も保証された場所にいるだろう。
良く言えば融通が利く、悪く言えば世捨て人のような腕利きを探すのは難しい。
「私は諦めていないんだ」
カイロウは茎を噛み割った。
「娘を取り戻す。そのために今まで耐えてきた」
口の中は刺すような苦味でいっぱいになった。
「お気持ちは察しますけど、難しいと思いますよ」
はばかるようにコルドーが言う。
「そもそもクジラに近づく方法がありません。今は個人用の飛行機を持つことさえ禁止されているんですよ」
いわゆる飛行機は政府が認定した企業のみ、旅客、運輸に限って所有が認められている。
これは船も同様で、つまるところ人々は移動手段について自由を大きく制限されていた。
「それにあんな高さまで飛べる乗り物なんて存在しません」
「いくつか手は考えてあるよ」
「どんな方法ですか?」
「………………」
2人はしばらく見つめ合った。
が、先に目を逸らしたのはコルドーのほうだった。
「すみません、立ち入り過ぎましたね……」
気まずそうに言い、彼はわざとらしく背伸びをした。
「ドクターの問題です。深くは訊きません」
残りの茎を口に含み、立ち上がって彼は言う。
「貴重なお話をありがとうございます。そろそろ仕事に戻りますね」
「ああ――」
逃げるように去っていくのを、カイロウは訝しげに見送った。
何か言いたいことがあったのではないだろうか。
そう思うのだが、人付き合いが上手くない彼にはどうしようもないことだった。
「そうですか……それは……いえ――」
コルドーは言いかけた言葉を呑み込み、少し考えてから言った。
「――選ばれたんですね?」
カイロウは頷いた。
「5年前のことだ。支局から役人どもがやって来て、当時まだ1歳だった娘を無理やり連れて行った」
「連中らしい横暴なやり口ですね」
「クジラ様に選ばれた幸運な子だ。この子は楽園で何不自由なく暮らすことができると言われたが、妻は反対した。彼女には他に血の繋がった人がいなかったから、娘と離れ離れになるのは耐えられなかったんだ」
彼は自分の手が震えていることに気が付いた。
忌々しい記憶を辿るにはまだ準備も覚悟も足りなかったようである。
「良かったらこれを。よく効きます」
コルドーは乾燥した茎を差し出した。
「楽園への権利は他の子に譲る。だからうちの子は連れて行かないでくれ。彼女はそう何度も訴えたが無駄だった。奴らはクジラ様の御意思に背いた罰だといって妻まで無理やり――」
茎をかじると甘酸っぱい香りが口内に広がった。
「それで、奥さまは……?」
「――2日後に遺体になって戻ってきた」
それがこの世界の決まりごとなのだから仕方がない。
大半の人間はそう言うだろう。
クジラは空を漂いながら、常に下界を見守っているという。
そしてときに生後1年以内の子どもを選び出し、方舟に乗せてその巨体の中に閉じ込めてしまうのである。
選定の基準は明らかになっておらず、政府もクジラ様に認められた特別な資質を持った子としか説明しない。
ただ伝えらえているのは、クジラ様の中は理想の世界だということ。
そこでは美味いものを好きなだけ食べられて、老いも病気もなく、幸せに暮らせるという。
そんな噂が飛び交っているものだから、”クジラ様”の評判は青天井だ。
あれを神様として祀り、怪しげな宗教を立ち上がる団体も多い。
いつしか、クジラ様の御意思は絶対で、その遣いである役人に逆らうことは許されない、という風潮ができあがっていた。
政府はそれを利用し、クジラは国の監視装置を兼ねていると発表した。
神格化されているクジラと政府には密接なつながりがあるということにすれば、人民を制御するのは容易くなる。
「近所の奴らは天罰だの、名誉ある死だの、好き勝手言ったがね」
彼女も素直に従っていれば死ぬことはなかったし、それどころか娘がクジラ様に選ばれたというこの上ない栄誉を得られただろう。
実際、我が子が選ばれれば進んで差し出し、そのことを自慢して回る親なんて大勢いる。
「……ひどい話ですね」
コルドーは自分のことのように憤っていた。
世の中は盲目な信者ばかりではない。
彼のようにクジラや政府のやり方をよく思っていない者もいる。
だがそうした声が表に出ることはない。
批判の声が役人の耳に入れば重罰は免れない。
たとえその事実がなくても、ひとたび嫌疑をかけられれば証拠がないまま罰せられる。
彼の両親も濡れ衣を着せられて誅罰されたのだった。
「それでここに辿り着いたんですね」
「そうだ。でもここで一生を終えるつもりはない」
「とんでもない。ドクターがいなくなったら大きな損失です」
カイロウのような優れた技術者はそう多くない。
いたとして民間企業か、政府お抱えの人材として地位も収入も保証された場所にいるだろう。
良く言えば融通が利く、悪く言えば世捨て人のような腕利きを探すのは難しい。
「私は諦めていないんだ」
カイロウは茎を噛み割った。
「娘を取り戻す。そのために今まで耐えてきた」
口の中は刺すような苦味でいっぱいになった。
「お気持ちは察しますけど、難しいと思いますよ」
はばかるようにコルドーが言う。
「そもそもクジラに近づく方法がありません。今は個人用の飛行機を持つことさえ禁止されているんですよ」
いわゆる飛行機は政府が認定した企業のみ、旅客、運輸に限って所有が認められている。
これは船も同様で、つまるところ人々は移動手段について自由を大きく制限されていた。
「それにあんな高さまで飛べる乗り物なんて存在しません」
「いくつか手は考えてあるよ」
「どんな方法ですか?」
「………………」
2人はしばらく見つめ合った。
が、先に目を逸らしたのはコルドーのほうだった。
「すみません、立ち入り過ぎましたね……」
気まずそうに言い、彼はわざとらしく背伸びをした。
「ドクターの問題です。深くは訊きません」
残りの茎を口に含み、立ち上がって彼は言う。
「貴重なお話をありがとうございます。そろそろ仕事に戻りますね」
「ああ――」
逃げるように去っていくのを、カイロウは訝しげに見送った。
何か言いたいことがあったのではないだろうか。
そう思うのだが、人付き合いが上手くない彼にはどうしようもないことだった。
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