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1 プロローグ-1-
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夜が訪れる瞬間がある。
日没ではない。
低い、獣の唸り声のような音が響き渡ると人々は快哉を叫び、あるいは恐れる。
生と死が常に隣り合わせだからだ。
運が良ければ生き延び、悪ければ死ぬ。
賢しい者は耳を澄ませ、音の去りゆく方向を探る。
愚かな者は夜がやって来る前に音の出所を突き止める。
そして生存本能を隠れ蓑にして奪い合いを始めるのだ。
醜い。
実に醜い。
しかし他に方法がないのである。
愚かな者は賢しい者を卑怯だと罵る。
賢しい者は愚かな者を向こう見ずだと嘲る。
そんな不毛な争いを、それは悠々と泳ぎながら俯察するのである。
男は油にまみれた金属製の筒を丁寧に拭った。
表面は少しだけつやを取り戻し、鈍い光を反射している。
その照り返しが一定でないと気付いた男は、筒の端から端までゆっくりと指で探っていく。
わずかに凹んでいる箇所があった。
彼は道具袋から木槌を取り出し、内側から叩いた。
角度や力加減を微妙に変えながら数分、その作業を繰り返す。
「うん、これなら使用に耐えられるだろう」
片手に収まるそれはただの金属片。
ほとんどの人間が見向きもしないガラクタだ。
だがこんなものでも売ればいくらかの金にはなる。
実際、換金目当てでこうした金属くずを集め回っている者たちもいる。
「ダンナ、捜しましたぜ」
細身の男がドアを開けて入ってきた。
「ダージ、ノックを忘れるな」
「それより、ここにいるなら教えてくれとかねえと。おかげで倉庫まで無駄足でしたわな」
文句を言いつつ、彼は大きな箱を運び込んだ。
「約束の品だ。銅板が4枚にABSチップが17個。それから――」
「タードナイトが見当たらないぞ」
筒を洗い終えた男は箱の中を一瞥して言った。
「ああ、それは……品切れですわ。いや、これくらいの大きさのならあったんだ。でも途中で賊に奪われちまって……。いや、調達屋の世界じゃ日常茶飯事なんで言い訳にはなりゃしねえですが――」
「あれがなければ約束の金は払えないな」
「そりゃひどい! ダンナはずっとこんな薄汚い部屋にこもりっきりだから、外のことが分からねえんですよ。これだって持ち帰るのにどれだけ苦労したか――」
「私だってそれなりに知っているぞ。たとえば――」
男は言いかけてやめた。
こんなところで言い争うのは酸素の無駄遣いだ。
「毎日そうやってガラクタばかり眺めて……何と言われてるか知ってますかい?」
「ガラクだろう?」
「そう! ガラクタばかり集めてるからガラク! 最近じゃオレも呼ばれてるんですぜ。遣い走りだからコガラクだって」
「名誉なことじゃないか。昔、力のある者には二つ名があったらしいからな。誇っていいぞ」
「冗談じゃねえや。オレは二つ名より肉が欲しいですわ。たまには脂の乗った上質の肉をね」
ダージは悪態をつきながら室内を見回した。
そう広くない部屋にはいたるところに部品が堆積している。
ネジのようなものから重機のボディと思しき金属の塊などがいくつもの山を作っている様は廃棄場も同然だ。
おかげで空気も悪く、ひとつしかない窓から差し込む陽光も床に届く前に塵埃に遮られてしまっている。
「前から思ってましたが、こんなの集めて何に使うんです? 他に値打ちのあるものなんていくらでもありますぜ」
問いに男の表情が固くなる。
彼は一瞬、迷った素振りを見せたあと、
「娘のためだ」
不機嫌そうに答えた。
ああ、これはどうやら訊くべきではなかったらしい。
ダージは自分の軽率さを悔いた。
いつもそうなのだ。
余計なひと言を口にして不興を買ってしまう。
「その……幸運なことだとオレは思いますぜ。お嬢さんがクジラ様に選ばれたワケですから……」
どうにか機嫌をとろうと世辞を並べる。
「本当にそう思うのか?」
「クジラ様に招かれた者はこの世の楽園に住まうことが許される。行けるならオレだって行きたいくらいで」
だが気の利いた言葉は思い浮かばず、作り笑いも不恰好になる。
「私からすれば誘拐されたようなものだ!」
ダージは慌てて入り口に駆け寄り、ドアからそっと顔を出して周囲を窺った。
外には誰もいない。
日没ではない。
低い、獣の唸り声のような音が響き渡ると人々は快哉を叫び、あるいは恐れる。
生と死が常に隣り合わせだからだ。
運が良ければ生き延び、悪ければ死ぬ。
賢しい者は耳を澄ませ、音の去りゆく方向を探る。
愚かな者は夜がやって来る前に音の出所を突き止める。
そして生存本能を隠れ蓑にして奪い合いを始めるのだ。
醜い。
実に醜い。
しかし他に方法がないのである。
愚かな者は賢しい者を卑怯だと罵る。
賢しい者は愚かな者を向こう見ずだと嘲る。
そんな不毛な争いを、それは悠々と泳ぎながら俯察するのである。
男は油にまみれた金属製の筒を丁寧に拭った。
表面は少しだけつやを取り戻し、鈍い光を反射している。
その照り返しが一定でないと気付いた男は、筒の端から端までゆっくりと指で探っていく。
わずかに凹んでいる箇所があった。
彼は道具袋から木槌を取り出し、内側から叩いた。
角度や力加減を微妙に変えながら数分、その作業を繰り返す。
「うん、これなら使用に耐えられるだろう」
片手に収まるそれはただの金属片。
ほとんどの人間が見向きもしないガラクタだ。
だがこんなものでも売ればいくらかの金にはなる。
実際、換金目当てでこうした金属くずを集め回っている者たちもいる。
「ダンナ、捜しましたぜ」
細身の男がドアを開けて入ってきた。
「ダージ、ノックを忘れるな」
「それより、ここにいるなら教えてくれとかねえと。おかげで倉庫まで無駄足でしたわな」
文句を言いつつ、彼は大きな箱を運び込んだ。
「約束の品だ。銅板が4枚にABSチップが17個。それから――」
「タードナイトが見当たらないぞ」
筒を洗い終えた男は箱の中を一瞥して言った。
「ああ、それは……品切れですわ。いや、これくらいの大きさのならあったんだ。でも途中で賊に奪われちまって……。いや、調達屋の世界じゃ日常茶飯事なんで言い訳にはなりゃしねえですが――」
「あれがなければ約束の金は払えないな」
「そりゃひどい! ダンナはずっとこんな薄汚い部屋にこもりっきりだから、外のことが分からねえんですよ。これだって持ち帰るのにどれだけ苦労したか――」
「私だってそれなりに知っているぞ。たとえば――」
男は言いかけてやめた。
こんなところで言い争うのは酸素の無駄遣いだ。
「毎日そうやってガラクタばかり眺めて……何と言われてるか知ってますかい?」
「ガラクだろう?」
「そう! ガラクタばかり集めてるからガラク! 最近じゃオレも呼ばれてるんですぜ。遣い走りだからコガラクだって」
「名誉なことじゃないか。昔、力のある者には二つ名があったらしいからな。誇っていいぞ」
「冗談じゃねえや。オレは二つ名より肉が欲しいですわ。たまには脂の乗った上質の肉をね」
ダージは悪態をつきながら室内を見回した。
そう広くない部屋にはいたるところに部品が堆積している。
ネジのようなものから重機のボディと思しき金属の塊などがいくつもの山を作っている様は廃棄場も同然だ。
おかげで空気も悪く、ひとつしかない窓から差し込む陽光も床に届く前に塵埃に遮られてしまっている。
「前から思ってましたが、こんなの集めて何に使うんです? 他に値打ちのあるものなんていくらでもありますぜ」
問いに男の表情が固くなる。
彼は一瞬、迷った素振りを見せたあと、
「娘のためだ」
不機嫌そうに答えた。
ああ、これはどうやら訊くべきではなかったらしい。
ダージは自分の軽率さを悔いた。
いつもそうなのだ。
余計なひと言を口にして不興を買ってしまう。
「その……幸運なことだとオレは思いますぜ。お嬢さんがクジラ様に選ばれたワケですから……」
どうにか機嫌をとろうと世辞を並べる。
「本当にそう思うのか?」
「クジラ様に招かれた者はこの世の楽園に住まうことが許される。行けるならオレだって行きたいくらいで」
だが気の利いた言葉は思い浮かばず、作り笑いも不恰好になる。
「私からすれば誘拐されたようなものだ!」
ダージは慌てて入り口に駆け寄り、ドアからそっと顔を出して周囲を窺った。
外には誰もいない。
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