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序章篇
10 夜明け-2-
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エルディラントの新たな門出に相応しい快晴だった。
宮殿前の広場には輝かしい未来を祈念するために多くの民が集まった。
この日のために地方から赴いた者も多い。
新皇帝の誕生に期待を寄せる者、不安を抱く者、変化を望む者など、心境は様々だ。
シェイドの顔を直に見てみたいという好奇心から来た者もいる。
「全ての準備が整いました。参りましょう」
これまでペルガモンに寄り添っていた従者たちが清々しい表情で報告にやって来た。
仕えるべき君主が変わっても彼らに動揺はなく、むしろこの変化を歓迎している節がある。
数名の護衛に囲まれながらシェイドはしずしずと廊下を進む。
官吏たちは既に各所に待機しており、彼の姿を認めると恭しく頭を垂れた。
「シェイド様、いよいよですね」
正門前にアシュレイとグランが待っていた。
ペルガモンの死後、重鎮という呼称も立場も失うハズだったが、彼は二人の地位や権限をそのまま継続させた。
「今さらですけど、すごく緊張してるんです……」
誰もが傅き、重鎮でさえも話し方を改めたことで、自分の立場とその重みを自覚する。
「ご心配には及びません。いつもどおりに振る舞われればよろしいでしょう」
アシュレイが微笑して言うが、この助言は具体性に欠けていて難しい。
「あの、もし詰まったりしたら助けてくれますよね……?」
青白い顔で言うシェイドの怯えぶりはとても指導者とは思えない。
「ええ、お任せください」
大きく頷くグランは敢えて放っておくのも面白いかもしれないと思った。
従者が扉に手を添えた。
シェイドはぶるぶると震える足に力を込め、しっかりと床を踏む。
重厚な扉にほんの僅かの隙間が開いた途端、陽光とともに外の歓声が一気に宮殿内に流れ込んでくる。
「あ、ちょっと待っ……!」
その空気に呑まれそうになった彼は、もう少しだけ時間が欲しいと言いかけたが、従者はそれより先に扉を開け放っていた。
「………………ッ!」
瞬間、彼はちがう世界に放り出されたような感覚に見舞われた。
眼下の広場を埋め尽くす人の海。
歓喜の渦。
彼らが作り出す熱気。
数十万の民を俯瞰し、シェイドは軽い眩暈を覚えた。
「エルディラントの善良なる民へ! 静粛に願います!」
司祭長が進み出、聴衆に告げた。
「我が国の歴史は戦とともに重ねられ、血涙とともに刻まれてきました。血の大河流れ、骨の山を築く、艱難辛苦に満ちた峻路でありました!」
司祭長の声は澄んでいて力強く、厳粛さと清廉さを感じさせる。
「しかし、一条の光が闇を払い希望の火を灯すように、苛政もまた永遠ではありません! 前皇帝ペルガモンによる永く苦しい暗黒の時代は終わり今日、ここに新たな皇帝が誕生なされたのです!」
場は歓喜の叫びに包まれたが、それに混じって怨嗟の声もあった。
高らかに宣言するこの男も、傍にいる従者も官吏も、かつてはペルガモンの元で苛政に与してきた者たちだ。
それを今になって手の平を返したように新皇帝の誕生を祝う姿は、虐げられてきた民の目には浅ましく映る。
これまで散々に自分たちを弄んできた側の人間が、ペルガモンの死によって民にすり寄ってきた。
そう捉える向きもある。
しかし彼らもまた旧政権の犠牲者という見方があり、概ねは好意的にこの変化を受け容れている。
「シェイド・D・ルーヴェライズ様! このお方こそ、我々を苦痛から解き放ち、新たな時代へと導いてくださる指導者です!」
司祭長が退き、入れ替わるようにシェイドが前に立つ。
どよめきにも近い歓声を以て、人々は新たな指導者を迎えた。
再び、眩暈。
これほどの注目を浴びたことのない彼には、集う人が海のように見えた。
プラトウで短く行なった決起会とは規模がまるでちがう。
ここでのわずかな挙動、たった一言がどれほどの影響を与えるのかを考えると、少年の体は石のように硬直してしまう。
「えっと、あの…………」
難しいことはない。
これはたんなる儀礼であり、彼が皇帝としての権能を得る手続きはほぼ終了している。
だからあとは用意された言葉を読むだけだ。
万民のための一声を発するだけでいいのだ。
「みなさん、こんにちは。僕はシェイドといいます」
シェイドは懐から原稿を取り出した。
荘重な式典に相応しいこの包みを開き、厚紙で幾重にも巻かれた封を解くと、彼が丸写しした原稿が出てくる。
「あっ!」
――ハズだった。
包みの中には何もなかった。
(あの時、入れ忘れたんだ!)
瞬時に記憶をたどって思い至る。
文官に文字の読み方を教えてもらった後、原稿をテーブルに置きっぱなしにしていた。
シェイドは肩越しに振り向いて二人に目で合図を送った。
他の者に見えないように指を使って原稿を忘れてきたと伝える。
(ああ、それはまずいな……)
グランがその意味を読み取った時、聴衆がどよめき始めた。
彼が一向に言葉を発しないことに、何か問題があったのか、国の先行きを暗示するものではないかと囁き合う。
「あの、みなさん! 大丈夫です! 何でもないんです!」
振り返ったシェイドは大袈裟に両手を振った。
「ごめんなさい! ここで言うことを書いた紙を忘れてしまったんです。難しい文字ばかりで読めなかったから、教えてもらった時にそのまま――」
今から原稿を持って来てもらっても間に合わないと思いなおし、彼はどうにか場を収めようと言葉を紡ぐ。
「なので……えっと、予定とはちがうんですけど、僕が思ってることを言いたいと思います。それでいいですか……?」
許可を求められた司祭長は前例がないことに戸惑ったが、最後には数度頷いて返した。
了承を得たシェイドは素早く聴衆に向きなおる。
「僕はプラトウで生まれ育ちました。ここから……ずっと西にある小さな町です。そこで石を採っていました。ある時、町が襲われました。この国の軍隊でした。彼らは僕たち全員を殺そうとしたんです。生き残った人もいましたけど、殆どの人が亡くなりました。僕の母さんも、小さい頃からずっと一緒だった友だちも死にました」
自己紹介にしては陰惨で悲劇的だったが、聴衆の中には彼と同じく家族を殺された者も多くおり、共感と同情を得るには充分だった。
「でもそんな国のやり方に反対する人がたくさんいました。一緒に戦おうと言ってくれる人がいたんです。僕は……生きるのが嫌になっていました。だけどこのままじゃ死ねない、仕返しをしなくちゃ気が済まないって――そう考えるようになって……。だからみんなと一緒に戦うことにしたんです。殺された人のために、僕にできることがあるなら――」
勇気を持って立ち上がることができた、とシェイドは言った。
彼はそこで一呼吸おき、肩越しに振り返った。
文官に混ざって立っているレイーズと目が合う。
彼女はシェイドにだけ分かるように微笑した。
「そうして仕返しをして……たくさんの人に勧められて今、僕はここにいます。正直、皇帝の代わりを――と言われても実感がありません。よく分かりません。去年、町の子ども会で5、6人のグループの班長をやったくらいです」
恥ずかしそうにそう言うと、あちこちで小さな笑いが起こった。
緊張から一気に弛緩へ。
純朴そうな少年の佇まいは、彼らを慰撫し安堵させた。
この子にはペルガモンのような残忍さや悪辣さは微塵もない。
勉強しろとうるさい親の目を盗んで外に遊びに行ってしまうような、元気な男の子そのものだ。
たとえ強制されてもあの暴君の真似はできないだろう。
滑稽なほどの弱々しさがかえって聴衆を安心させた。
「だから、何ができるかと言われたら困ってしまいます。周りの人は何でもできるって言いますけど、前の皇帝と同じ立場にいると思うと……本当はすごく恐いです」
少し離れたところで見守っていたフェルノーラは諦めたような笑みを浮かべた。
どうやら彼に堂々と振る舞えというのは無茶な要求のようである。
「恐いけど、でもがんばります。みんなが笑って暮らせるような、そんな世界にしたいです。争うことなんてやめて、誰も傷つかない、嫌な想いもしない――明るく楽しく生きていけるような……そういう世界をみなさんと一緒に目指します」
たどたどしく、尊厳も威厳もない決意表明である。
幼くて拙い、修辞も呼吸も無視したスピーチはしかし、彼が自然に纏うカリスマも手伝って人々の心を打つ。
閉塞した時代を打ち破り、今度こそ彼が言う輝かしい時代の到来を予感させる響きがあった。
「シェイド様っ!」
誰かが叫ぶ。
まるで時間が止まったかのような静寂が場を包み込む。
一呼吸おいて、
「シェイド様っ! シェイド様ッ!」
弾かれたように近くから遠くから、彼の名を叫ぶ声が途切れなく発せられた。
盛大な拍手とともに自分が受け容れられていると分かると、彼は知らず落涙していた。
重鎮もレイーズも、この式典に関わる者、聴衆、この中継をモニターを通じて観ている全ての人間が、エルディラントを包み込むアメジスト色の光を感じた。
その光は優しく温かい。
しかし決して目で見ることはできない。
光は人々の歓喜の声を受けて強く、まぶしく輝く。
興奮の渦の只中に立つシェイドは一度、天を仰いだ。
この声が、拍手が、熱が。
生きる意味を教えてくれる。
生きる理由を与えてくれる。
(母さん、ソーマ……僕、もう少しだけがんばってみるよ。これが僕に与えられた役割だと思うから。だから……見守っていてよ。母さんの息子として、ソーマの親友として、がんばるから…………!)
自分が何をすべきか――彼はようやく分かった気がした。
「約束します! 僕はみなさんが平和で安全に暮らせる国を造ります! 戦争を終わらせます! 誰も悪いことをしない世の中に……自由で、平等で……ええっと、それから――とにかく、良い世界にしますっ!」
惜しみない拍手を送りながら、グランは大きく頷いた。
司祭長は涙を拭い、レイーズは母親のような優しい表情で小さな皇帝を見守った。
「やればできるじゃない」
というフェルノーラの呟きは歓声にかき消されて誰にも聞こえなかった。
「我らが皇帝シェイド様っ!」
「新王誕生! 万歳! 万歳! 万歳!」
興奮は最高潮に達した。
誰かが今日を革命の日だと叫び、誰かはシェイドを稀代の救世主だと讃えた。
「私たちを導いてください!」
「平和な世の中を取り戻してくれ!」
「この子たちが安全に生きていける国を、どうかっ!」
圧政から解放された人々の欣快の叫びはいつまでも途絶えることがなかった。
その様子を少し離れたところからケイン・メカリオが眺めていた。
彼は怒るでもなく笑うでもなく、目を細めて真っ直ぐにシェイドを見つめる。
拍手をすることも、賛辞を送ることもせず、冷静に。
この男もまた、光り輝く美しい未来を思い描いていた。
理想の世界の到来を――。
宮殿前の広場には輝かしい未来を祈念するために多くの民が集まった。
この日のために地方から赴いた者も多い。
新皇帝の誕生に期待を寄せる者、不安を抱く者、変化を望む者など、心境は様々だ。
シェイドの顔を直に見てみたいという好奇心から来た者もいる。
「全ての準備が整いました。参りましょう」
これまでペルガモンに寄り添っていた従者たちが清々しい表情で報告にやって来た。
仕えるべき君主が変わっても彼らに動揺はなく、むしろこの変化を歓迎している節がある。
数名の護衛に囲まれながらシェイドはしずしずと廊下を進む。
官吏たちは既に各所に待機しており、彼の姿を認めると恭しく頭を垂れた。
「シェイド様、いよいよですね」
正門前にアシュレイとグランが待っていた。
ペルガモンの死後、重鎮という呼称も立場も失うハズだったが、彼は二人の地位や権限をそのまま継続させた。
「今さらですけど、すごく緊張してるんです……」
誰もが傅き、重鎮でさえも話し方を改めたことで、自分の立場とその重みを自覚する。
「ご心配には及びません。いつもどおりに振る舞われればよろしいでしょう」
アシュレイが微笑して言うが、この助言は具体性に欠けていて難しい。
「あの、もし詰まったりしたら助けてくれますよね……?」
青白い顔で言うシェイドの怯えぶりはとても指導者とは思えない。
「ええ、お任せください」
大きく頷くグランは敢えて放っておくのも面白いかもしれないと思った。
従者が扉に手を添えた。
シェイドはぶるぶると震える足に力を込め、しっかりと床を踏む。
重厚な扉にほんの僅かの隙間が開いた途端、陽光とともに外の歓声が一気に宮殿内に流れ込んでくる。
「あ、ちょっと待っ……!」
その空気に呑まれそうになった彼は、もう少しだけ時間が欲しいと言いかけたが、従者はそれより先に扉を開け放っていた。
「………………ッ!」
瞬間、彼はちがう世界に放り出されたような感覚に見舞われた。
眼下の広場を埋め尽くす人の海。
歓喜の渦。
彼らが作り出す熱気。
数十万の民を俯瞰し、シェイドは軽い眩暈を覚えた。
「エルディラントの善良なる民へ! 静粛に願います!」
司祭長が進み出、聴衆に告げた。
「我が国の歴史は戦とともに重ねられ、血涙とともに刻まれてきました。血の大河流れ、骨の山を築く、艱難辛苦に満ちた峻路でありました!」
司祭長の声は澄んでいて力強く、厳粛さと清廉さを感じさせる。
「しかし、一条の光が闇を払い希望の火を灯すように、苛政もまた永遠ではありません! 前皇帝ペルガモンによる永く苦しい暗黒の時代は終わり今日、ここに新たな皇帝が誕生なされたのです!」
場は歓喜の叫びに包まれたが、それに混じって怨嗟の声もあった。
高らかに宣言するこの男も、傍にいる従者も官吏も、かつてはペルガモンの元で苛政に与してきた者たちだ。
それを今になって手の平を返したように新皇帝の誕生を祝う姿は、虐げられてきた民の目には浅ましく映る。
これまで散々に自分たちを弄んできた側の人間が、ペルガモンの死によって民にすり寄ってきた。
そう捉える向きもある。
しかし彼らもまた旧政権の犠牲者という見方があり、概ねは好意的にこの変化を受け容れている。
「シェイド・D・ルーヴェライズ様! このお方こそ、我々を苦痛から解き放ち、新たな時代へと導いてくださる指導者です!」
司祭長が退き、入れ替わるようにシェイドが前に立つ。
どよめきにも近い歓声を以て、人々は新たな指導者を迎えた。
再び、眩暈。
これほどの注目を浴びたことのない彼には、集う人が海のように見えた。
プラトウで短く行なった決起会とは規模がまるでちがう。
ここでのわずかな挙動、たった一言がどれほどの影響を与えるのかを考えると、少年の体は石のように硬直してしまう。
「えっと、あの…………」
難しいことはない。
これはたんなる儀礼であり、彼が皇帝としての権能を得る手続きはほぼ終了している。
だからあとは用意された言葉を読むだけだ。
万民のための一声を発するだけでいいのだ。
「みなさん、こんにちは。僕はシェイドといいます」
シェイドは懐から原稿を取り出した。
荘重な式典に相応しいこの包みを開き、厚紙で幾重にも巻かれた封を解くと、彼が丸写しした原稿が出てくる。
「あっ!」
――ハズだった。
包みの中には何もなかった。
(あの時、入れ忘れたんだ!)
瞬時に記憶をたどって思い至る。
文官に文字の読み方を教えてもらった後、原稿をテーブルに置きっぱなしにしていた。
シェイドは肩越しに振り向いて二人に目で合図を送った。
他の者に見えないように指を使って原稿を忘れてきたと伝える。
(ああ、それはまずいな……)
グランがその意味を読み取った時、聴衆がどよめき始めた。
彼が一向に言葉を発しないことに、何か問題があったのか、国の先行きを暗示するものではないかと囁き合う。
「あの、みなさん! 大丈夫です! 何でもないんです!」
振り返ったシェイドは大袈裟に両手を振った。
「ごめんなさい! ここで言うことを書いた紙を忘れてしまったんです。難しい文字ばかりで読めなかったから、教えてもらった時にそのまま――」
今から原稿を持って来てもらっても間に合わないと思いなおし、彼はどうにか場を収めようと言葉を紡ぐ。
「なので……えっと、予定とはちがうんですけど、僕が思ってることを言いたいと思います。それでいいですか……?」
許可を求められた司祭長は前例がないことに戸惑ったが、最後には数度頷いて返した。
了承を得たシェイドは素早く聴衆に向きなおる。
「僕はプラトウで生まれ育ちました。ここから……ずっと西にある小さな町です。そこで石を採っていました。ある時、町が襲われました。この国の軍隊でした。彼らは僕たち全員を殺そうとしたんです。生き残った人もいましたけど、殆どの人が亡くなりました。僕の母さんも、小さい頃からずっと一緒だった友だちも死にました」
自己紹介にしては陰惨で悲劇的だったが、聴衆の中には彼と同じく家族を殺された者も多くおり、共感と同情を得るには充分だった。
「でもそんな国のやり方に反対する人がたくさんいました。一緒に戦おうと言ってくれる人がいたんです。僕は……生きるのが嫌になっていました。だけどこのままじゃ死ねない、仕返しをしなくちゃ気が済まないって――そう考えるようになって……。だからみんなと一緒に戦うことにしたんです。殺された人のために、僕にできることがあるなら――」
勇気を持って立ち上がることができた、とシェイドは言った。
彼はそこで一呼吸おき、肩越しに振り返った。
文官に混ざって立っているレイーズと目が合う。
彼女はシェイドにだけ分かるように微笑した。
「そうして仕返しをして……たくさんの人に勧められて今、僕はここにいます。正直、皇帝の代わりを――と言われても実感がありません。よく分かりません。去年、町の子ども会で5、6人のグループの班長をやったくらいです」
恥ずかしそうにそう言うと、あちこちで小さな笑いが起こった。
緊張から一気に弛緩へ。
純朴そうな少年の佇まいは、彼らを慰撫し安堵させた。
この子にはペルガモンのような残忍さや悪辣さは微塵もない。
勉強しろとうるさい親の目を盗んで外に遊びに行ってしまうような、元気な男の子そのものだ。
たとえ強制されてもあの暴君の真似はできないだろう。
滑稽なほどの弱々しさがかえって聴衆を安心させた。
「だから、何ができるかと言われたら困ってしまいます。周りの人は何でもできるって言いますけど、前の皇帝と同じ立場にいると思うと……本当はすごく恐いです」
少し離れたところで見守っていたフェルノーラは諦めたような笑みを浮かべた。
どうやら彼に堂々と振る舞えというのは無茶な要求のようである。
「恐いけど、でもがんばります。みんなが笑って暮らせるような、そんな世界にしたいです。争うことなんてやめて、誰も傷つかない、嫌な想いもしない――明るく楽しく生きていけるような……そういう世界をみなさんと一緒に目指します」
たどたどしく、尊厳も威厳もない決意表明である。
幼くて拙い、修辞も呼吸も無視したスピーチはしかし、彼が自然に纏うカリスマも手伝って人々の心を打つ。
閉塞した時代を打ち破り、今度こそ彼が言う輝かしい時代の到来を予感させる響きがあった。
「シェイド様っ!」
誰かが叫ぶ。
まるで時間が止まったかのような静寂が場を包み込む。
一呼吸おいて、
「シェイド様っ! シェイド様ッ!」
弾かれたように近くから遠くから、彼の名を叫ぶ声が途切れなく発せられた。
盛大な拍手とともに自分が受け容れられていると分かると、彼は知らず落涙していた。
重鎮もレイーズも、この式典に関わる者、聴衆、この中継をモニターを通じて観ている全ての人間が、エルディラントを包み込むアメジスト色の光を感じた。
その光は優しく温かい。
しかし決して目で見ることはできない。
光は人々の歓喜の声を受けて強く、まぶしく輝く。
興奮の渦の只中に立つシェイドは一度、天を仰いだ。
この声が、拍手が、熱が。
生きる意味を教えてくれる。
生きる理由を与えてくれる。
(母さん、ソーマ……僕、もう少しだけがんばってみるよ。これが僕に与えられた役割だと思うから。だから……見守っていてよ。母さんの息子として、ソーマの親友として、がんばるから…………!)
自分が何をすべきか――彼はようやく分かった気がした。
「約束します! 僕はみなさんが平和で安全に暮らせる国を造ります! 戦争を終わらせます! 誰も悪いことをしない世の中に……自由で、平等で……ええっと、それから――とにかく、良い世界にしますっ!」
惜しみない拍手を送りながら、グランは大きく頷いた。
司祭長は涙を拭い、レイーズは母親のような優しい表情で小さな皇帝を見守った。
「やればできるじゃない」
というフェルノーラの呟きは歓声にかき消されて誰にも聞こえなかった。
「我らが皇帝シェイド様っ!」
「新王誕生! 万歳! 万歳! 万歳!」
興奮は最高潮に達した。
誰かが今日を革命の日だと叫び、誰かはシェイドを稀代の救世主だと讃えた。
「私たちを導いてください!」
「平和な世の中を取り戻してくれ!」
「この子たちが安全に生きていける国を、どうかっ!」
圧政から解放された人々の欣快の叫びはいつまでも途絶えることがなかった。
その様子を少し離れたところからケイン・メカリオが眺めていた。
彼は怒るでもなく笑うでもなく、目を細めて真っ直ぐにシェイドを見つめる。
拍手をすることも、賛辞を送ることもせず、冷静に。
この男もまた、光り輝く美しい未来を思い描いていた。
理想の世界の到来を――。
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