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序章篇
2 罪なき人々の嘆き-1-
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金銀で飾られた玉座に座り続けられない彼は、少し腰をおろしてはすぐに立ち上がり、落ち着きなく広間を行き来した。
彼のうなるようなため息が聞こえると高官たちはびくつく。
波風を立てないように、彼を刺激しないように、音ひとつ立てないよう注意を払う。
「おい、そこのお前」
運悪く衣擦れの音を響かせてしまったひとりが、彼に指差される。
「我が軍は如何ほどか?」
薄茶色の襟で口元を隠していた高官は観念したように言葉を選びながら答える。
「この大陸を統べるのに充分なほどでございます」
彼は満足げに頷いたがすぐに怪訝な顔つきで質問を重ねた。
「できるか?」
「ペルガモン皇帝のご威光は大陸中に輝いております。成し遂げられましょう」
「そのとおりだ」
彼は真っ赤な外套を翻して言った。
「しかし大陸だけでは足りぬ。空も、海も、全て手に入れなければならん。そのためにはどうすればよ――」
「強くなることでございます。このエルディラントを今以上の盤石な国家に育てあげ、そして事に臨めば不可能はありません」
高官は先回りして言った。
「すばらしい! いまだ我らがエルディラントに手向かう勢力が数多ある。それらをことごとく殲滅せねばならん。さらなる力が必要だ」
本来であれば宮殿の最奥でふんぞり返るのが仕事のハズのこの男――皇帝ペルガモンは武力の必要性を存分に語った。
老齢にさしかかっている彼は牙のように伸ばした両ひげを撫で、誇り高きエルディラントのますますの繁栄を信じて疑わない。
力は何ものにも勝る。
力こそが全てを決め、全てを導き、全てを従わせる。
これが彼の生まれた時からの主張だった。
しかし国政の一端を担う高官たちは知っている。
世界では大国として通っているエルディラントが日に日に衰えていることを。
それは好戦的なペルガモンの言う、武力のことではない。
経済も文化も産業も、国を国として成立させるあらゆる要素が、軍事力という彼にとって分かりやすいかたちに変換されて消耗していく。
「しかしそのためには我が軍が誇る兵器を運用するための動力源も必要だ。そこで……課税率……“石”の税率を現行より10パーセント引き上げる」
躊躇いなく言い放つこの皇帝に、民の生活は見えていない。
「税率改定でございますか? では……そのように周知いたします……」
ペルガモンの性格上、引き上げの時期を翌年度まで待ってはくれないだろう。
そう感じた彼らはただちに徴税府に向かった。
戦うことしか知らないペルガモンの心はまだ落ち着かない。
この愚かな指導者は目に見えるもの以外は結果と認識しない。
たとえばこの広間の東側、壁面の地図に示された自国領が今よりも広がったとき、彼は子どものように喜ぶ。
そしてたっぷり勝利に酔いしれた後、再び湧き上がる闘争本能と支配欲を満たすために、さらなる侵略を命じるのだ。
(当面の敵はバルティス国とウォトルニア国……それから……永く抵抗を続けている反政府組織ゲルバッドくらいか)
ペルガモンの意識は常に戦に向けられている。
「ご報告申し上げます」
高官と入れ替わるように、官吏の女性がやってきた。
「西方の町エンデより報告が入りました。町民が何事かを囁き合っているようです」
「その内容は分かるか?」
「詳細までは分かりません。しかしコーテスやギエナからも同様の報告が寄せられております。前例に照らせば――」
「監視を強化するよう伝え、少しでも不穏な動きがあればすぐに報告せよ」
官吏を下がらせた彼は地図を眺めながら大息した。
エンデは隣国との国境付近にある大きな町だ。
人の出入りも多く、密かに隣国との行き来が行われているとの噂もあった。
即位する前から人心はペルガモンから離れている。
重税に次ぐ重税、徴兵、軍事的な観点からのみのインフラ整備と、政府が民の幸福を考えたことは一度もない。
これでは民が懐かないのは当然だが、彼の悩みは人心どうこうではなく、エルディラントのどこにでも反乱の兆しがあることだった。
彼のうなるようなため息が聞こえると高官たちはびくつく。
波風を立てないように、彼を刺激しないように、音ひとつ立てないよう注意を払う。
「おい、そこのお前」
運悪く衣擦れの音を響かせてしまったひとりが、彼に指差される。
「我が軍は如何ほどか?」
薄茶色の襟で口元を隠していた高官は観念したように言葉を選びながら答える。
「この大陸を統べるのに充分なほどでございます」
彼は満足げに頷いたがすぐに怪訝な顔つきで質問を重ねた。
「できるか?」
「ペルガモン皇帝のご威光は大陸中に輝いております。成し遂げられましょう」
「そのとおりだ」
彼は真っ赤な外套を翻して言った。
「しかし大陸だけでは足りぬ。空も、海も、全て手に入れなければならん。そのためにはどうすればよ――」
「強くなることでございます。このエルディラントを今以上の盤石な国家に育てあげ、そして事に臨めば不可能はありません」
高官は先回りして言った。
「すばらしい! いまだ我らがエルディラントに手向かう勢力が数多ある。それらをことごとく殲滅せねばならん。さらなる力が必要だ」
本来であれば宮殿の最奥でふんぞり返るのが仕事のハズのこの男――皇帝ペルガモンは武力の必要性を存分に語った。
老齢にさしかかっている彼は牙のように伸ばした両ひげを撫で、誇り高きエルディラントのますますの繁栄を信じて疑わない。
力は何ものにも勝る。
力こそが全てを決め、全てを導き、全てを従わせる。
これが彼の生まれた時からの主張だった。
しかし国政の一端を担う高官たちは知っている。
世界では大国として通っているエルディラントが日に日に衰えていることを。
それは好戦的なペルガモンの言う、武力のことではない。
経済も文化も産業も、国を国として成立させるあらゆる要素が、軍事力という彼にとって分かりやすいかたちに変換されて消耗していく。
「しかしそのためには我が軍が誇る兵器を運用するための動力源も必要だ。そこで……課税率……“石”の税率を現行より10パーセント引き上げる」
躊躇いなく言い放つこの皇帝に、民の生活は見えていない。
「税率改定でございますか? では……そのように周知いたします……」
ペルガモンの性格上、引き上げの時期を翌年度まで待ってはくれないだろう。
そう感じた彼らはただちに徴税府に向かった。
戦うことしか知らないペルガモンの心はまだ落ち着かない。
この愚かな指導者は目に見えるもの以外は結果と認識しない。
たとえばこの広間の東側、壁面の地図に示された自国領が今よりも広がったとき、彼は子どものように喜ぶ。
そしてたっぷり勝利に酔いしれた後、再び湧き上がる闘争本能と支配欲を満たすために、さらなる侵略を命じるのだ。
(当面の敵はバルティス国とウォトルニア国……それから……永く抵抗を続けている反政府組織ゲルバッドくらいか)
ペルガモンの意識は常に戦に向けられている。
「ご報告申し上げます」
高官と入れ替わるように、官吏の女性がやってきた。
「西方の町エンデより報告が入りました。町民が何事かを囁き合っているようです」
「その内容は分かるか?」
「詳細までは分かりません。しかしコーテスやギエナからも同様の報告が寄せられております。前例に照らせば――」
「監視を強化するよう伝え、少しでも不穏な動きがあればすぐに報告せよ」
官吏を下がらせた彼は地図を眺めながら大息した。
エンデは隣国との国境付近にある大きな町だ。
人の出入りも多く、密かに隣国との行き来が行われているとの噂もあった。
即位する前から人心はペルガモンから離れている。
重税に次ぐ重税、徴兵、軍事的な観点からのみのインフラ整備と、政府が民の幸福を考えたことは一度もない。
これでは民が懐かないのは当然だが、彼の悩みは人心どうこうではなく、エルディラントのどこにでも反乱の兆しがあることだった。
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